まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

私にはどれだけのことが語りうるのか

2014-03-04 23:56:16 | 日記
「どれだけのことが考えられるのか」という問題に対して再び思考によって答えようとすることには、根本的な困難がある。そこでウィトゲンシュタインは、言語の限界を明らかにすることによって思考の限界を示そうとする。かくして、思考の限界の問いに代えて、「私にはどれだけのことが語りうるのか」という問いが問われることになる。まさにこれこそが、『論考』の核心をなす問いにほかならない。」以上、野矢茂樹さんの文章です。「論理哲学論考」の訳者解説より。

「誠実」なんて言葉はあまり好きではないけれども、ウィトゲンシュタインは、他の誰よりも誠実に考えたのだ。そういう意味で、誠実な人だったのだ。私はウィトゲンシュタインの思考の1%も理解することのできない「まぬけ」ですが、彼がその問題に至らざるを得なかった過程、理由みたいなものだけはなんとなくわかる。

語ることの意味、語ることの無意味。肝に命じたい。


「言葉」川村ゆうこ

「知識」にしようかと思ったんだけど、You Tubeには良い映像がなかった。
それで、「言葉」って曲もあったな、って思ったんだ。
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<言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなんだ>

2014-03-04 23:24:36 | 日記
「14歳からの哲学 考えるための教科書」著者=池田晶子

今読んでいる本です。これまたブック・オフで105円。

日本語を大事にするということが、日本を大事にするということなのだろうか。

答えは、おそらく、yes。

話はかなり飛躍するけれども、そういう意味で、大阪都構想というのもありかな、と、私は思う。

方言を大切にするということは、故郷を大切にするということなのだろうか。

これまた、答えは、おそらく、yes。
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