まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

ロニーとまぬけ

2014-03-06 18:59:40 | 日記
いよいよです。

あ、そうそう、マイルスが流れていました。「タイム・アフター・タイム」。シンディ・ローパーの曲。ジャズ通から罵倒されたんだよね、確か。
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「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」

2014-03-06 07:15:22 | 日記
ようやくこの映画を観ました。

ようやく旧作になったからです(苦笑)


グールドはクラシックと呼ばれている音楽の再構築をした。

それは意図的にでもあるし、ごく自然な成り行きでもあったのだと思う。

例えば、立川談志が落語を、ジミ・ヘンドリックスがロックを、マイルス・デイヴィスがジャズを、結果的にそうしたのと同様に(かな)。

いずれにせよ、私は好んでは立川談志を、ジミ・ヘンドリックスを、マイルス・デイヴィスを聴かない。

そういう意味で、きっと私はグールドの音楽を本質的に受け入れられるはずはないのに、どうして魅力を感じるのだろう。


1988年頃(正確にはわかりません。ソースは1991年発行の「STONE PEOPLE」です)、TOWER RECORDのフリーペーパーで、「キースが無人島で聴く10枚」という企画があったそうです。

キースって、もちろんキース・リチャーズ。

で、その回答が興味深い。

1位 「Little Queenie」Chuck Berry
2位 「J.S.Bachなら何でも」
3位 「W.A.Mozartなら何でも」

巷のロック小僧に言いたい。いい音楽を聴かない人は、いい音楽を奏でることは出来ない。

あらゆる分野において、そうなのです。

そうして、例えばゴッホは、浮世絵に衝撃を受けたとしても、それを単純に真似たりはしない。

だから、ウィトゲンシュタインだって、フレーゲやラッセルを乗り越えることができた。


天才が残した仕事は後世に残ります。

この映画のバックで流れているグールドの演奏もまた実に素晴らしかったです。
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長崎巡礼の旅(その2)

2014-03-06 05:14:36 | 日記
1月28日の続きです。

旅行は急遽決まった。本当に珍しく私は3連休で、当初は久しぶりに海外旅行(香港あたり)にでも行こうかと漠然と考えていたのだけれども、偶然、母の休みと重なったのだ。スカイマークに感謝しなければならない。旅の直前でもツアーの申し込みができたのだから。ただし、直通便ではなかったので、乗換が面倒だった。夜勤明けで眠かったし。けれども、やむを得ない。それだけ無駄を省いているということなのだろう。機内の飲み物も安くて気に入った。

私は久しぶりに崎陽軒のシウマイ弁当が食べたくなった。シウマイ弁当大好き。母が精神的に道を急いでいたので素通りした(高田馬場駅に売店がある)けれども、結局、空港でそれもどきを買ってみた。それでも満足だった。母も鯖寿司に夢中になっていた。

煙草を吸うようになってから、飛行機に乗ったことがない。だから自然にライターを捨ててしまった。喫煙ルームがあることに驚いた。どうやってライターを持ち込むのだろうと考えた。皆、売店で買うのだろうか、それとも、備え付けてあるのだろうかと。もちろん、復路では持ち込みましたが。

脱線。母は私の喫煙を憂いている。せっかく止めたのに、と。私の飲酒には呆れている。そう、駅で母を待つ間、もう1本飲んでいたのだ。だから、ドライブ中にノンアルコールビールを飲む息子を見て、こう思ったに違いない。確かにこいつは夫の子供だな、と。むろん、私の父は駅で缶ビールを飲んだりはしない。そんな下品な男ではなかった。

長崎空港で「おおむら浪漫」というパンフレットを手に入れて、それを長崎市内行きのバスの中で読んでいた。ねぇ母さん、大村にもこんなキリシタン哀史があるんだよ。長崎って、そういう場所なんだ、どこへ行ってもそうなんだ。

「あぁこれ、大村寿司。私の友人が大村の人でね、つくってくれたの。美味しいの。」

確かに美味しそうだ。そんなわけで、母は後日佐世保でそれを見つけて買っていた。でもそれには満足出来ず、さらに帰りの日に空港でお弁当を購入した。うん、確かにシンプルで美味しい。本当に美味い。

長崎燈會=長崎ランタンフェスティバル。1月31日からなのだという。残念。我々が帰宅する日だ。けれども、街中にその準備が施されており、充分にお祭りムードが漂っていた。

先ずは長崎港へ。五島の情報収集のため。しかし、パンフレットの類がまるでない。惜しいことだ。残念なことだ。観光に力を入れたくないのだろうか、と、疑ってしまう。しかし、そんなはずはない。営業の方向性さえ定めれば、人は押し寄せるだろうに。

それにつけても暖かい。海辺の風でさえ、心地よい。寒がりの私でさえ、そう感じた。ダウンジャケットを着て来たことを後悔した。

初日は稲佐山の夜景と決めていた。その前に、何か食べたい。私はちゃんぽん、母は皿うどん。駅ビルで食べるのは本意ではなかったが、ここでも母で急いていて、已むを得なかった。いずれにせよ、営業時間の間際なのだ。母の正論に従うしかない。私が痩せて以来、その大食についてだけは、母は文句を言わなくなった。なにせ、学生時代の体重に戻ったのだから。それにつけれもよく食う男だ。

稲佐山に向かうバスの中で、年配のサラリーマンが、ご丁寧に、降りるバス停などを指南して下さった。なぜならば、私がバッグにSuicaをぶら下げており、はからずも関東人をアピールしていたから。ねぇ母さん、これが九州なんだよ。九州人なんだよ。言ったでしょ。わかったでしょ。その相性の良さが。

愚妹は、高校時代の修学旅行で稲佐山を訪れたのだと母が言う。そして、喜々として、妹に電話をしていた。稲佐山にはロープウェイ乗り場に売店があり、頂上にレストランがあり、記念撮影のカメラマンがいた。人は多かったが、それだけだった。シンプルで素晴らしい。観光地はこれで良い。

ホテルに戻ってから、街に出ること、夜の散歩をすることに母は同意してくれた。元気な母だ。感謝しなければならない。そんなわけで、眼鏡橋やその周辺をうろうろしていた。

ちなみに母も長崎を訪れるのは2度目になります。但し、以前はグラバー園や大浦天主堂の周辺と、雲仙方面にしか行っていないとのこと。でもまぁ、それは都合がいい。そんなわけで、今回は島原方面には行っていません。私も行ったことがあるし。

さぁ、明日は中通島だ。
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春一番

2014-03-06 03:23:22 | 日記
その日は夜勤明けだった。一睡もしていなかったかどうかは覚えていないけれど、とにかく眠かった。電車のシートに座ってひと休みしていたというのに、彼女は席を立った。年配の人が乗ってきたから、ごく自然に。つられて私も席を立った。怒る気にはなれなかった。だって、彼女はそういう人なんだもの。内心苦笑するだけだった。

そんな彼女が介護の道を志するいう。反対する理由は何もないけれど、私以上に彼女は不器用だから、それが心配。優しさだけで仕事は勤まらない。人のお世話をするということ。そこからお金を得るということ。技術と知識と社交性。書くこと、すなわち、記録すること。私は全ての面で人よりも劣っているという自覚があるけれども、体力だけはあるから、かろうじて繕うことだけは出来ている(のかな)。いずれにせよ、きっと、彼女も苦労するに違いない。人が生かされる道は必ず残されていると思う。問題は、その道を歩くことが出来るかどうか。

脱線。器用に生きることが出来る人に言いたい。人は自らの道を切り開くことができる。たった今、その場所から。そこで最善を尽くすことが第一歩。当たり前のことなのだけれども、それがいちばん難しい。なぜならば、先ずは自分の人生があるのだから、それが前提なのだから。ともあれ、人のせいにしたり、環境のせいにしてはいけない。仰々しい例えだけれども、キューブラー・ロスにしたって、マザー・テレサにしたって、きっと、ごく当たり前のことをしていただけなのだと思う。

ようやく我が家の前の雪が消えました。gooメールが有料化になるという。あぁ、なんてこった!まだデータ保存も何もしていないよ・・・。彼女の誕生日がやってくる。そしてまた3月11日を迎える。立川で飲んだくれる予定なんだが、その前に杏仁豆腐を。今宵はビールではなくて、缶コーヒーを飲んでいます。冷たいの。あぁ、あれは春だったね。



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