偕楽園の好文亭
日本の手まりの起源は盛唐の中国に由来する。
(唐の三百年間の詩の歴史は、初唐・盛唐・中唐・晩唐の
四期に分けられのが通説となっている)
遣唐使が手まりを日本に持ち帰り、貴族階級から庶民まで普及した。
日本では何代もの伝承者の努力で高級な工芸品に発展した。
日本には「まり」と呼ばれるものが2つある。
ひとつは蹴鞠で、これは2枚の鹿の皮を縫い合わせて作り、
主に男子の貴族が楽しむスポーツまたは神事として行われた。
もう一つが手まりで、女児の遊びであるが、
江戸時代には男児も一緒に楽しむことがあった。
歌人としても知られる越後の禅僧・良寛は
子供たちとよく手まりで遊んだ。
手まりは女児のおもちゃで、江戸から明治期には、
正月の遊びとされるが、現在では通年の遊びとなっている。
偕楽園公園センターの催しとして「常陸てまり作品展」が
二川良子と仲間達で催されていた。
日本の伝統工芸の一つと言われる常陸てまりは
技術の向上で作品が優雅になり、800点豪華な展示会だった。
常陸てまり作品展・二川良子と仲間達については
以下にリンク記載しました。