茨城から発信しますⅡ

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 茨城から発信します 第48回常陸てまり作品展

2017-03-21 07:00:00 | 茨城紹介

偕楽園の好文亭 

日本の手まりの起源は盛唐の中国に由来する。

(唐の三百年間の詩の歴史は、初唐・盛唐・中唐・晩唐の

四期に分けられのが通説となっている)

 

遣唐使が手まりを日本に持ち帰り、貴族階級から庶民まで普及した。

日本では何代もの伝承者の努力で高級な工芸品に発展した。

 

日本には「まり」と呼ばれるものが2つある。

ひとつは蹴鞠で、これは2枚の鹿の皮を縫い合わせて作り、

主に男子の貴族が楽しむスポーツまたは神事として行われた。

もう一つが手まりで、女児の遊びであるが、

江戸時代には男児も一緒に楽しむことがあった。

歌人としても知られる越後の禅僧・良寛は

子供たちとよく手まりで遊んだ。

 

手まりは女児のおもちゃで、江戸から明治期には、

正月の遊びとされるが、現在では通年の遊びとなっている。

偕楽園公園センターの催しとして「常陸てまり作品展」が

二川良子と仲間達で催されていた。

日本の伝統工芸の一つと言われる常陸てまりは

技術の向上で作品が優雅になり、800点豪華な展示会だった。

 常陸てまり作品展・二川良子と仲間達については

 以下にリンク記載しました。

 茨城より発信します Ⅱ 常陸てまり作品展・二川良子と仲間達

茨城から発信します  偕楽園公園センターの常陸手まり展

茨城から発信します 二川良子と仲間達 Part 2

茨城から発信します  常陸てまり作品展 二川良子と仲間達

 

 


茨城より発信します Ⅱ 常陸てまり作品展・二川良子と仲間達

2016-03-16 07:00:00 | 茨城紹介

偕楽園公園センターで「二川良子と仲間達の常陸てまり展」を見た。

4年前、2012.04.03に偕楽園公園センターで常陸てまり展

見てその素晴らしさを紹介した。

てまりの由来;てまりは人生の節目などに贈られた。

子供が生まれた時、(毬のように角のない丸い心で

生きて欲しい)と願いを込めて手毬が贈られた。

近年では、三月の節句に全国的に手毬が飾られている。

手まりの歴史;手まりがいつの時代に始まったか明らかでない。

平安朝の才女清少納言の枕草子に手まりが出ている。

又、青森県八戸市の南部姫手毬の趣意書に毬は、

古く平安の頃日本に広まったとされている。

日本全国にわたってその技法が伝承され、

東北地方で今も作り伝えられている。

鶴は千年、亀万年;子供の長生きを願ったもの

 江戸時代、御殿中女中達が好んで作ったと言われている

 手毬を御殿毬の名称で(お城のある所に手毬あり)と

 明治に受け継がれ現在に至る。

二川良子さんは「前回より出展が増え約1200点になりました」と云った。

 これから偕楽園へ向かう

 


茨城から発信します 常陸てまり 二川良子と仲間達

2014-03-21 07:00:00 | 茨城紹介

 

偕楽園の梅もようやく満開になりました。

今、偕楽園公園センターで「常陸手まり」の作品展が行われています。

「二川良子と仲間達」

綺麗な沢山の手まりが展示室一杯に飾られています。

主催者の二川さんから「常陸手まり」について教えてもらいました。

二川さんの仲間達は40名で880点の作品が展示されていました。

手まりの起源は分からない平安時代の才女清少納言が

「枕草子」に手まりの事が書かれているそうです。

青森県八戸市の南部姫の手毬の趣意書に

「この手まりは古く平安の頃、日本に広まり・・・

と記され日本全国にその技法が伝承され

東北地方で今も作り伝えられている」と記されています。

二川さん達の素晴らしい作品は以前に紹介しました。

併せてみてくれることを期待いたします。  

二川良子さんと仲間達 Part 2

 

二川良子