好文亭は水戸藩第九代藩主徳川斉昭の別墅(べっしょ)であるが、
そこは己一人が楽しむ所ではなく、民と偕(とも)に楽しむ所であった。
好文亭の名前の由来は晋の武帝の故事
「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木」
といったことから命名されたといわれている。
二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、全体を総称して好文亭と呼んでいる。
昭和20年の水戸空襲により焼失したが、昭和30年から3年かけて復元された。
菊の間、桃の間、つつじの間、桜の間、萩の間、紅葉の間、
松の間、竹の間、梅の間、静の間 奥御殿は十室からなっている。
奥御殿は昭和44年9月2日の落雷により焼失し昭和47年に復興された。
好文亭三階の楽寿楼からの千波湖や田鶴鳴梅林の四季折々の眺望は見事だ。
偕楽園は水戸市にある日本庭園で国の史跡及び名勝に指定されており
隣接する千波湖周辺の拡張部を含めた「偕楽園公園」は都市公園として
ニューヨークのセントラルパークに次ぎ世界第2位の面積を持つ。
茨城には日本の三名園、三名瀑の景勝地があるのに何故か魅力最下位の県である。
世界の七不思議の一つかも知れない。