極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

北陸新幹線「新三都物語」

2015年10月08日 | 時事書評

 

 

   宗教とは真実よりもむしろ美しい仮説を提供するもの  / 村上春樹『1Q84』

 

 

 

【北陸新幹線「新三都物語」】

北陸新幹線敦賀以西ルートをめぐり、沿線首長らの発言が九月以降、活発化している。背景にはJ
R西日本
が内部で検討した小浜市と京都駅を通る案の浮上がある。ルート候補は三案あり、福井は
若狭(小浜)、関
西広域連合などは米原を求めるが、判断材料が少ないとして明言を避けるケース
も。七日の与党検討委員
会では、北陸三県の知事から意見聴取している(中日新聞 2015.10.07)。
このニュースでは上下図の「ルート図(案)」と「沿線首長の発言(9月)」を掲載している。
当たる、滋賀県の三日月大造知事は工費や建設期間などの面から米原ルートを推し、。記者会見で
はJR西の内部案を「小浜ルートより長い。建設費はどうなるのか」と指摘している。

 

この計画についてはブログ掲載してきた(例えば『日本周回新幹線構想Ⅱ』2015.04.08)。その第
1ステージが北陸新幹線敦賀駅を結接駅とし東海道新幹線米原駅結接として、大阪と名古屋に分岐
する「新三都物語」路線とするもので、京都をはじめとして、新しく大阪、金沢、名古屋を三都と
して加えた新幹線に、関西空港、セントレア空港、小松空港を接続するという構想である。この経
済効果には、日本海側の韓国、北朝鮮、ロシア、中国(東北部)と太平洋側の台湾、中国、東南ア
ジア、また、環太平洋諸国(豪、ニュージランド、北米西部、中米西部、南米西部)諸国と結ぶ経
済圏との交易観光の新規興産をベースとしているので、その経済効果を各国地区のGDPの数パー
セントと超概算見積として試算。特に、北朝鮮の経済成長寄与度は魅力的。同然、海運・港湾
業市
場規模の伸長も魅力的。

※これは老婆心なのだが、JR東海とJR西日本の二社の融和がキーとなりそうだ。

 

  
● 折々の読書 『職業としての小説家』17
 

  これは僕の昔からの持論ですか、世代間に優劣はありません。あるひとつの世代か他のひと
 つの世代より優れている、あるいは劣っているなんてことはまずありません。世間ではよくス
 テレオタイプな世代批判みたいなことがおこなわれていますが、そういうのはまったく意味の
 ない空論だと僕は確信しています。それぞれの世代間には優劣もなければ、上下もありません。
 もちろん傾向や方向件においてはそれぞれに差毀かあるでしょう。しかし質量そのものにはま
 ったく差がありません。あるいはあえて問題にするほどの差はありません。

  具体的に言うなら、たとえば今の若い世代は、漢字の読み書き能力なんかに関しては先行す
 る世代よりいくぶん劣っているかもしれません(事実がどうなのかはよく知らないけど)。で
 もたとえば、コンピュータ言語の理解処理能力なんかにおいては間違いなくより優れているで
 しょう。僕が言いたいのはそういうことです。それぞれに得意分野があり、若手分野かあるの
 です。それだけのことです。だとしたら、それぞれの世代は何かを創造するにあたって、それ
 ぞれの「得意分野」をどんどん前面に押し出していけばいいわけです。自分の得意な言語を武
 器とし、自分の目にいちばんクリアに映るものを、自分に使いやすい言葉を使って記述してい
 けばいいわけです。他の世代に対してコンプレックスを持つ必要もありませんし、また遂に妙
 な優越感を持つ必要もありません。

  僕か小説をがき始めたのは三十五年も前のことですが、その当時はよく「こんなものは小説
 じゃない」「こんなものは文学とはいえない」と先行する世代から厳しい批判を受けました。
 そういう状況がなにかと収くて(というか、鬱陶しくて)、けっこう長く日本を離れて外国で
 暮らし雑音のない静かな場所で好きなように小説を書いていました。でもそのあいだも、自分
 が間違っているかもしれないとはまったく思いませんでしたし、不安みたいなものもとくに感
 じませんでした。「実際にこうとしか書けないんだもの、こう書くしかないじゃないか。それ
 のどこがいけないんだ」と開き直っていました。今はたしかにまだ不完全かもしれないけど、
 そのうちにもっとちゃんとした、質の高い作品が書けるようになるだろう。またその頃になれ
 ば時代も変化を遂げているだろうし、僕のやってきたことは間違っていなかったと、しっかり
 証明されるはずだと信じていました。なんだか厚かましいようですが。

  それが現実に証明されたのかどうか、今こうしてあたりをぐるりと見回しても、僕自身には
 まだよくわかりません。どうなんだろう? 文学においては、何かが証明されるなんてことは
 永遠にないのかもしれない。でもそれはともかく、三十.九年前も今も、自分がやっているこ
 とは基本的に間違っていないという信念は、ほとんど揺らいでいません。あと三十五年くらい
 経ったら、また新しい状況か生まれているかもしれませんが、その顛末を僕が見届けることは、
 年齢的にみてちょっとむすかしそうです。どなたか僕のかわりに見ておいてください

  ここで僕か言いたいのは、新しい世代には新しい世代固有の小説的マテリアルかあるし、そ
 のマテリアルの形状や収さから逆算して、それを運ぶヴィークルの形状や機能が設定されてい
 くのだということです。そしてそのマテリアルとヴィークルとの相関性から、その接面のあり
 方から小説的リアリティーというものが生まれます。
  どの時代にも、どの世代にも、それぞれの固有のリアリティーがあります。しかしそれでも
 小説家にとって、物語に必要なマテリアルを丹念に収集し、蓄積するという作業がきわめて重
 要であるという事実は、おそらくいつの時代にあっても変わることはないと思います。
  もしあなたが小説を書きたいと志しているなら、あたりを庄意深く見回してください――と
 いうのが今回の僕の話の結論です。世界はつまらなそうに見えて、実に多くの魅力的な、謎め
 いた原石に満ちています。小説家というのはそれを見出す目を持ち合わせた人々のことです。
 そしてもうひとつ素晴らしいのは、それらが基本的に無料であるということです。あなたは正
 しい一対の目さえ具えていれば、それらの貴重なな原石をどれでも選び放題、採り放題なので
 すこんな晴らしい職業って、他にちょっとないと思いませんか?
 

                                          「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                                  村上春樹 『職業としての小説家』


ここで述べられている信条や体験は、何も小説家だけでなくそれぞれの職域で日常的に体験するこ
とだという感想を、というより確信に近いもの感じさせ、それが、読み手それぞれの違いはあるも
のの、よく似た着地点ではないかと思えたことが1つ。そして、彼の小説のバックグランドには、
北欧のような、人口密集度の小さい、乾燥した寒いの風に似たもの感じさせるものがあると思もわ
せる。とくに、現在読み進めている、又吉直木の『火花』の芸能界の猥雑な人情が溢れる大阪のバ
ックグランドとは対照的な展開を追っていることもあり強い印象として残る。



  僕はかれこれ三十五年ばかり、いもおう職業的作家として活動を続けていて、その間にいろ
 んな形式の、いろんなサイズの小説を書いてきました。分冊にしなくてはならないような長め
 の長編小説(たとえば『IQ84』)、一冊に収められるくらいのサイズの長編小説(たとえ
 ば『アフターダーク』)、いわゆる短編小説、そしてごく短い短編(掌編)小説、などです。
 艦隊にたとえれば戦艦から巡洋艦、駆逐艦、潜水艦まで、各種艦船かだいたい取り揃えてある
 わけです(もちろん攻撃的意図は僕の小説にはありませんか)。それぞれの船には、それぞれ
 の機能があり、役割があります。そして全体として、お互いをうまく補足し合えるようなポジ
 ションに配置されています。どういう長さのフォームを取り上げて小説を刄くかは、そのとき
 の気持ち次第です。ローテーションみたいなものに従って、規則的に回しているのではなく、
 心の赴くままというか、あくまで自然の成り行きにまかせています。「そろそろ長編を書こう
 かな」とか「また短編が書きたくなってきたな」とか、そのときどぎの心の動きによって、あ
 るいは求めに応じて、容れ物を自由に選択するようにしています。選ぶにあたって、迷うよう
 なことはまずありません、「今はこれ」とはっきり判断できます。短編小説を書く時期が来た
 ら、ほかのことには目を向けず、集中して短編小説を書きます。

  でも僕は基本的には、というか最終的には、自分のことを「長編小説作家」だと見なしてい
 ます。短編小説や中編小説を書くのもそれぞれに好きですし、書くときはもちろん夢中になっ
 て書きますし、書き上げたものにもそれぞれ愛着を持っていますが、それでもなお、長編小説
 こそが僕の主戦場であるし、僕の作家としての特質、持ち味みたいなものはそこにいちばん明
 確におそらくは最も良いかたちで-現れているはずだと考えています(そうは思わないという
 方かおられても、それに反論するつもりは毛頭ありませんか)。僕はもともとか長距離ランナ
 ー的な体質なので、いろんなものごとがうまく総合的に、立体的に政ち上かってくるには、あ
 る程度のかさの時間と距離が必要になります。本1にやりたいことをやろうとすると、飛行機
 にたとえれば、長い滑走路かなくてはならないわけです。

  短編小説というのは、長編小説ではうまく捉えきれない細部をカバーするための、小回りの
 きく俊敏なヴィークルです、そこでは文章的にもプロット的にも、いろんな思い切った実験を
 行うことができますし、短編という形式でしか扱えない種類のマテリアルを取り上げることも
 できます。僕の心の中に存在する様々な側.面を、まるで細かい網で微妙な影をすくい取るみ
 たいに、そのまますっと形象化していくことも(うまくいけば)できます。書き上げるのにそ
 れほど時間も
かかりません。その気になれば準備も何もなく、一筆書きみたいにすらすらと数
 日で完成させてしまうことも可能です。ある時期には僕は、そういう身の軽い、融通の利くフ
 オームを何より必要とします。しかし――これはあくまで僕にとってはという条件付きでの発
 言ですか 自分の持てるものを好きなだけ、オールアウトで注ぎ込めるスペースは、短編小説
 というフォームにはありません。

  おそらく自分にとって重要な意味を持つであろう小説を潜こうとするとき、言い換えれば「
 自分を変革することになるかもしれない可能性を有する総合的な物語」を立ち上げようとする
 とき、自由に制約なく使える広々としたスペースを僕は必要とします。ますそれだけのスペー
 スか確保されていることを確認し、そのスペースを満たすだけのエネルギーか自分の中に蓄積
 されていることを見定めてから、言うなれば蛇口を全開にして、長F場の仕事にとりかかりま
 す。そのとぎに感じる充実感は何ものにも代えがたいものです。それは長編小説を書き出すと
 きにしか感じられない、特別な種類の気持ちです。

  そう考えると、僕にとっては長編小説こそが生命線であり、短編小説や中編小説は極言すれ
 ば長編小説を河くための人事な練習場であり、有効なステップあると言ってしまっていいので
 はないかと思います。一万メートルや五千メートルのトラック・レースでもそれなりの記録は
 残すけれど、軸足はあくまでフル・マラソンに置いている長距離ランナーと同じようなものか
 もしれない。 




  そんなわけで今回は、長編小説を爾くという作業について語りたいと思います。というか、
 長編小説を書くことを例にとって、僕がどういう小説の書き方をするのかを、具体的に語りた
 いと思います。もちろん一口に長編小説といっても、ひとつひとつの小説の中身が違っている
 のと同じように、その執筆の方法や、仕事をする場所や、要する期間もそれぞれ異なってきま
 す。しかしそれでも、その基本的な順序やルールみたいなものは書くことが初めて吋能になる
 あくまで僕自身の印象ではということですが 大筋ではほとんど変化しないようです。それは
 僕にとって「通常常業行為=ビジネス・アズ・ユージュアル」とでも呼ぶべきものになってい
 ます,というか、そういう決まったパターンに自分を追い込んでいって、生活と仕事のサイク
 ルを確定することによって、長編小説をという部分かあります。尋常ではない量のエネルギー
 か必要とされる長丁場の作業ですから、ますこちらの体勢をしっかり固めておかなくてはなり
 ません。そうしておかないと、下手をすると途中で力負けしてしまうかもしれません。

  長編小説を書く場合、僕はまず(比喩的に言うなら)机の上にあるものをきれいに片付けて
 しまいます。「小説を潟くほかには何も書かない」という体勢を作ってしまうわけです。もし
 そのときエッセイの連載なんかをやっていたら、そこでいったん中眼してしまいます。飛び込
 みの仕事
も、よほどのことかなければ引き受けません。何かを真剣にやり出したら、ほかのこ
 とがでぎなくなってしまう性格だからです。締め切りのない翻訳作業なんかを自分の好きなペ
 ースで、同時進行的にやることはよくありますが、これは生活のためというよりは、むしろ気
 分転換のためです。翻訳というのは基本的にテクニカルな作業ですから、小説を潟くのとは使
 う頭の個所が違います。ですから小説を書くための負担になりません。筋肉のストレッチング
 と同じで、そういう作業を並行してやるのは、脳のバランスを取るために、かえって有益であ
 るかもしれません。

  「おまえはそんな気楽なことを言うけれど、生活していくためには、他の細かい仕事だって
 引き受けなくちゃならないだろう」とおっしゃる同業者の方もおられるかもしれません。長編
 小説を書いている間、どうやって生活していけばいいんだよ、と。僕はここではあくまで、僕
 自身のとってきたシステムについて語っているだけです。本当なら出版社からアドバンスをも
 らえばいいわけですか、日本の場合はアドバンスという制度がないし、長編小説を書いている
 間の生活費まではまかなえないかもしれません。ただ個人的なことを言わせていただければ、
 まだそれほど本が売れていない時期から、僕はずっとそういうやり方で長編小説を潟いてきま
 した。生活費を稼ぐために、文筆とはまったく関係のない他の仕事を日常的にやっていたこと
 はあります(肉体作業に近いものですが)。でも書き物の仕事の依頼は原則として受けません
 でした。キャリア初期の段階での少数の例外を別にすれば(当時はまだ、自分の執筆スタイル
 を確包する飾だったので、いくつかの試行錯誤がありました)、基本的に小説を書くときは、
 小説だけを書いていました。


 
  僕はある時期から、長編小説は海外で書くことが多くなったのですか、これは日本にいると
 どうしても雑用(あるいは雑音)があれこれ入ってくるからです。外国に出てしまうと、余計
 なことは考えずに執筆に気持ちを集中できます。とくに僕の場合、書き始めの時期には執筆の
 ための生活パターンを固定させていく人事な時期にあたるわけですがどちらかといえば、日本
 を離れた方かいいみたいです。最初に日本を離れたのは八○年代後半のことですか、そのとき
 はやはり迷いがありました。「こんなことをして、本当に生き残っていけるんだろうかっ?」
 と不安でした。僕はけっこう厚かましい方ですが、それでもさすかに背水の陣を敷くというか、
 帰りの橋を焼き払うような決意か必要でした。旅行記を書くという約束をして、無理を言って
 出版社からいくらかアドバンスを受け取りましたが(それは後に『遠い太鼓』という本になり
 ました)。基本的には貯金を切り崩して生活しなくてはならなかったわけですから。

  でも思い切って心を決め、新しい可能性を追求したことか、僕の場合は良い結果を生んだよ
 うです。ヨーロでパ滞在中に書きLげた『ノルウェイの森』という小説がたまたま(予想外に)
 売れたことで、生活を安定させ、長期的に小説を河き続けるための個人的システムみたいなも
 のをとりあえず設定することがでぎました。そういう意味では幸運であったと思います。でも、
 こんなことを言うとあるいは傲慢に響くかもしれませんが、決して幸運だけでものごとが運ん
 だわけ
ではありません。そこにはいちおう僕なりの決意と、開き直りがあったわけです。


  長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことを
 ルールとしています。僕のマックの画面でいうと、だいたい二画面半ということになりますが、
 昔からの習慣で四百字詰で計算します。もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日
 は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとかがんばって十枚は書きます。なぜなら長い仕事を
 するときには、規則性か大切な意味を持ってくるからです。書けるときは勢いでたくさん書い
 ちゃう書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません。だからタイム・カードを押
 すみたいに、一日ほぼきっかり十校書きます。

  そんなの芸術家のやることじゃない。それじゃ工場と同じじゃないか、と言う人がいるかも
 しれません。そうですね、たしかに芸術家のやることじゃないかもしれない。でもなぜ小説家
 が芸術家じゃなくてはいけないのか? いったい誰がいつそんなことを決めたのですか? 誰
 も決めていませんよね。僕らは自分のやりたいやり方で小説を書けばいいのです。だいいも「
 なにも芸術家じゃなくたっていいんだ」と思えば、気持ちかぐっと楽になります。小説家とい
 うのは、芸術家である前に、自由人であるべきです。好きなことを、好きなときに、好きなよ
 うにやること、それが僕にとっての自由人の定義です。芸術家になって世間の目を気にしたり、
 不自由なかみしもをまとうよりは、ごく普通のそ
のへんの自由人になればいいんです。





  アイザック・ディネーセンは「私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます」
 と言っています。それと同じように、僕は毎日十枚の原稿を河きます。とても淡々と。「希望
 もなく、絶望もなく」というのは実に言い得て妙です。朝早く起きてコーヒーを温め、四時間
 か五時間机に向かいます。一日十枚原稿を書けば、一か月で三百枚書けます。単純計算すれば、
 半年で千八百枚が書けることになります。具体的な例を挙げれば、『海辺のカフカ』という作
 品の第一稿が千八百枚でした。この小説は主にハワイのカウアイ島のノースショアで書きまし
 た。ここは実に何もないところで、おまけによく雨か降るので、おかげで仕事は捗ります。四
 月の初めにがき始めて、十月に書き終えました。プロ野球の開幕と同時に書き始めて、日本シ
 リーズが始まる頃に書ぎ終えたので、よく覚えています。その年には野村監督のもと、ヤクル
 ト・スワローズが優勝しました。僕は長年のヤクルト・ファンなので、ヤクルトは優勝するわ、
 小説は書き終えることができたわで、けっこうほくほくしたことを記憶しています。ほとんど
 ずっとカウアイ島にいたために、レギュラーシーズソにあまり神宮球場に行けなかったのは残
 念でしたが。

  しかし長編小説の仕事は野球と違って、いったん書き終えたところから、また別の勝負(ゲ
 ーム)が始まります。僕に言わせてもらえれば、ここからがまさに時間のかけがいのある、お
 いしい部分になります。

                 「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』

                                                                      この項つづく
 

 

● 太陽光と無償電気温水器をセットで提供

太陽光とタダの電気温水器をセットで提供し、販売促進をしているという(日経テクノロジー・
オンライン 2015.10.07)。

もし、電力会社がタダで新品の電気温水器と太陽光発電システムを0.41米ドル/ワット(約
50円/ワット)で提供すると言えば、あなたならどうするだろうか?

ミネソタ州の農村部の電力会社 Steele-Waseca Cooperative Electric(SWCE)社は、ユニークなプロ
グラムを展開する。同社は小さな協同組合のメンバーが経営する地域主体の電力会社だが、コミ
ュニティーソーラーを始めた理由が、メンバーが長年、低価格で再生可能エネルギーに投資でき
るオプション開発おこなってきた。例えば、(1)アパート住まいの人や、(2)持ち家があっ
ても日照条件が悪く、(3)太陽光発電システムを設置する十分な資金がなかったりする場合、
「コミュニティーソーラー」は、このように太陽光発電システムを設置できない電力消費者でも、
太陽光発電事業の恩恵が受けられるシステムである。つまり、自宅の屋根や敷地内ではなく、地
域(コミュニティー)内に太陽光発電システムを設置し、そこで発電した電力の一部を長期契約
で購入。この発電量は、毎月の電力消費量から差し引かれ、差額を支払うだけでよく、太陽光発
電システムを自分の家に設置せずに、さらにシステムの修理やメインテナンスに煩わされずに、
「自産自消」をバーチャルに実現できる。この仕組みの利点は次の3つである、、

1)コミュニティー内の広く、比較的安く、日照条件のより良い土地を利用できる。
2)システムサイズが大きいので、規模の経済性効果が高く、住宅用の屋根置きと比べて、コス
 トも一段と低い。
3)設置ロケーションが選択できるため、太陽光発電の発電量と供給量のバランシングが容易。


SWCE社が電力を供給する地域の電力ピーク需要は夕方の6時~7時に発生。一方、太陽光発電
システムの発電量は、正午~午後2時にかけピークを迎える。分散型太陽光発電システムを一般
家庭の多い配電網に接続すると、太陽光発電の供給量が需要を超え、バックフィード(逆潮流)
を起こすリスクが高くなり、電力の安定供給を妨げるケースがでてくるため 配電網の強化する
ことで対応できるが、都会では送電線長当たりの接続軒数が多くなるのに対し、過疎地では当然
すくなくなるため、配電網を強化するのはコスト高となる。


この問題解決に、SWCE社は102.5キロワットのコミュニティーソーラーを工場付近の配電変
電所に系統連系することで、バックフィード問題を解決。太陽光の発電量がピークの時にも工場
の電力需要で十分に消費できる。問題があるとしたら配電変電所で発生する電磁波禍対策。さて、
一般的に太陽光発電システムの設置コストは3.5~5.0米ドル/ワット。コミュニティーソー
ラーへのパネル1枚当たりの参加費が1千4百~2千米ドルで、同社のメンバーにとって、高い
投資となる。数多くのメンバーに参加してもらうには、初期投資を2百米ドル以下に抑える必要
があるため、今まで提供していた温水器プログラムをセットにし、パネル1枚のコストを170
米ドルまで逓減――(2000-170)÷2000×100=91.5パーセント――できる。

ちなみに、メンバーが「16時間温水器抑制プログラム」に参加すると、電力会社はタンク容量
1055ガロン(約397リットル)の電気温水器を無料で提供。この電気温水器の小売価格は、
千2百米ドル(約14万5千円)。温水器はグリッドインタラクティブ――電力会社と系統を通
して双方向で通信――できるようになっている。電力会社が午前7時~夜11時までの16時間

温水器をコントロールできるようになっている。温水器を動かす時間を昼間のピーク時から、オ
フピークの夜11時~翌朝7時までの8時間内にシフトし、日中の電力量を抑制し、コストの低
い夜間電力を使用する。 

メンバーが「16時間温水器抑制プログラム」に参加する場合、コミュニティーソーラーへの参
加がパネル1枚分(410ワット)170米ドルという、「セット価格」になっている。この値
段をワット当たりにすると何と41.5セント。さらに、この価格にはパワーコンディショナー
など他の部材が全て含まれているだけではなく、設置コスト、今後20年間の修理、メインテナ
ンスのコストが全て含まれている。

メンバーは個人の電力消費量を超えない分のパネル枚数、または最大20枚契約できる。ちなみ
に、この地域では410ワットのパネル1枚当たり年間510キロワット時発電する。温水器の
プログラムとコミュニティーソーラーの両方に参加した場合、1枚目のパネルは1700米ドルで
2枚目からは1225米ドル。コミュニティーソーラーだけに参加したいというメンバーのパネ
ル価格は1枚1225米ドルとなる。
このコミュニティーソーラーは410ワットの太陽電池パ
ネル250250枚を設置している。ちなみパネルはミネソタ州を拠点に置く、tenKSolar社製であ
る。システムは今年4月から発電を開始している。

ところで、このシステムのからくりはセットの電気温水器。電力会社はオフピーク時に電力使用
をシフトすることで、ピーク時の高い電力を卸市場で購入する量を減らし、同時にコストの低い
オフピーク電力の販売を増やすことができる。さらに、「無料で電気温水器と格安のコミュニテ
ィーソーラー」というユニークなプロモーションで、今までプロパンガスの温水器を使用してい
たメンバーを電気温水器への「乗り換え」を促し、電力の販売量を拡大できる。

ただし、メンバーの加入数と太陽光パネル買い上げ枚数が少ないと初期投資の回収期間が長くな
る(実績では5年で可能だったという)。


【累積20ギガワットを超えた米太陽光市場】

● 16年末まで毎月1ギガワットの建設ラッシュ

 

 

全米太陽光発電協会(SEIA)と米GTM Research社の最新の太陽光発電市場レポート(U.S. Solar
Market Insight Q2 2015
によると、米国の太陽光発電市場は15年第2四半期時点で累計設置
容量20GWを超えた。これは、一般家庭約460万世帯分の年間使用電力量に相当する。15
上半期の導入量は2.7ギガワットで、GTM 社は15年の太陽光発電導入量を前年比16%ア
ップの7.7ギガワットと予想している。つまり、15年下後半期のみで約5ギガワットが設
置されることになる。さらに、16年の市場は、飛躍的に伸び12ギガワットを超えるとも予
想している。これは今後、月平均1ギガワット規模の太陽光発電が米国に導入される。

さて、太陽が自然の核融合である以上、地球のソーラーパネルさえあれば事足りる、後はパネ
ル技術と運用技術の開発だけとなる。15年のことしソーラーパワーの実用性が明確になった。
後は、詳細改良のブレークダウン段階に入る。わたし(たち)もそのフィールドワークに参加
する段階にきている。後は決断だけだ。これは大変愉快だ。、
 

 . 

 

                             

                      

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ニュートリノなピタス | トップ | 時代は太陽道を渡る 16 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時事書評」カテゴリの最新記事