牡鹿半島にあった港・月浦(つきのうら)を、遠くイタリア、ローマへ向けて「サン・フアン・
バウティスタ号が出帆したのは、今から四百年前、1613年10月28日(慶長18年9月15日)のこと。
「サン・フアン・バウティスタ」とは、「洗礼者聖ヨハネ」から名づけられ、その由来は造船に
携わったスペイン人ビスカイノと伊達政宗の江戸市中での出会いの日が、洗礼者聖ヨハネの祭日
に当たっていたからだといわれている。サン・フアン・バウティスタ号は「慶長遣欧使節」と称
される総勢180人を乗せ(仙台藩士の支倉六右衛門常長、今泉令史、松木忠作のほか、幕臣向井
将監の家来10人、宣教師ルイス・ソテロ、司令官ビスカイノをはじめとする南蛮人約40人、商人
などが乗り込む)スペイン・ローマを目指す。奥州仙台藩の初代藩主・伊達正宗からスペイン国
王・ローマ教皇にあてた親書に、仙台藩領内でのキリスト教の布教を許可し宣教師派遣の要請と、
スペインの植民地メキシコとの通商許可を目的てした。また、スペイン王国宛の協定案にはスペ
イン人に対する治外法権を認め、スペインと敵対関係にあるイギリス、オランダ人らが領内に渡
来した場合は崇敬しないとすることなどが記されていたという。
1614年10月5日、一行はスペインのサンルカールに無事入港。ソテロの出身地であるセビリアや、
首都マドリードなどでも、大歓迎され盛んなもてなしを受けた。翌1615年1月30日、スペインと
ポルトガル両国に君臨していたフェリーペ3世から、王宮で謁見を賜り、支倉常長は2月17日に
洗礼を受け、フィリッポ・フランシスコ・ファシクラとの洗礼名を受ける。しかしマドリードに
は、日本の宗教弾圧の様子などが伝わっており、フェリーペ3世は、「宣教師の派遣は可。寄宿
舎、神学校の設置に関わる費用負担は不可。通商の件についてはオランダ人との交通や保護をし
ないことを前提に前向きに検討する」と返答し、使節らのローマ行きを許可。ようやく地中海を
イタリアへと船を進めた使節は、ジェノヴァからローマに到着。10月29日、華々しいローマ入市
式の後、11月3日、教皇パウロ5世との謁見を果たしたのは、スペインに上陸してから1年余の
ことだった。
一行は、1618年4月にメキシコのアカプルコ港から、迎えのために再び太平洋を越えてきたサン・
フアン・バウティスタ号に乗ってマニラまで帆走。しかし、マニラについた一行は便船の都合も
つかず、長期間の滞在を余儀なくする。その間、スペインとオランダの衝突にまきこまれ、サン・
フアン・バウティスタ号はスペインに買い上げられ、スペイン艦隊に編成される。1620年9月22日、
政宗への良い知らせを持たないまま、ようやくの思いで支倉は日本にたどりつく。出帆400周年を
控えた2011年、東日本大震災による大津波が復元船サン・フアン・バウティスタ号とミュージア
ムを襲う。復元船の周囲を囲むドック棟が破壊され展示物の多くが流出。さらに復元船は4月末
の暴風の影響でマストが折れ、修復が始まるまでの間に本体の腐食が進み大規模な修復が必要な
状態になる。がれき撤去後の2012年4月には募金活動が始められ、この頃から復旧に向けた取組み
が本格化。同年6月からはサン・ファンパーク、ドック棟の工事が開始、復元船に使用される木
材も次々運び込まれ、ドック棟、復元船は、2013年秋の完成を目標に修復が進められる。同年6
月19日、仙台市博物館が所蔵する国宝「慶長遣欧使節関係資料」のうち3件が、ユネスコ記憶遺
産に登録された。
【シェリー樽熟成純米酒の誕生】
シェリーは世界で唯一、スペイン南部、アンダルシア州の南西の端にあるへレスという町を中心
にした限定地域で造られる白ワイン。へレス一帯で、原産地呼称の規定に従って、パロミノ、ペ
ドロ・ヒメネス、モスカテルの3種類の白ブドウを使い、アメリカン・オークの樽で最低3年、
特有のソレラ・システムによって熟成される酒精強化ワインである。シェリー(Sherry)とは英語
名で、スペイン語ではビノ・デ・へレス(Vino de Jerez)、つまりへレスのワインと呼ばれていた。
ヘレスのワインに関する最初の記述では、ヘレスのぶどうは紀元前1100年頃にフェニキア人によ
りこの地域にもたらされ。現在ヘレスがある地域をフェニキア人はセラと名づけましたが、この
ヘラから商売人のフェニキア人たちはワインを造り、ローマをはじめとする地中海地域全体に広
がる。紀元前138年頃、エスシピオン・エミリアノがベティカ(現在のアンダルシア地方)を平定。
そして、セレット(ローマ時代のヘレスの呼び名)地域と本国の首都ローマとの間の交易の流れ
も重要になり“セレットのワイン”の評判は国境を越える。711年、スペインではアラブの支配が
始まり、ヘレスでは5世紀以上も続くが、シェリシュ=アラブ人がヘレスにつけた名前=は、コ
ーランで禁止されていたにもかかわらず、ワイン生産の重要な中心地であり続ける。干しぶどう
の生産と医療目的のアルコール確保がある意味でぶどう栽培とワイン生産を維持がその口実とな
っていたという。1264年に賢王といわれたアルフォンソ10世がヘレスを奪回し、ヘレスのワイン
は劇的に変化する。国王はヘレス・デ・ラ・フロンテラに自営のぶどう畑を持ち、自身で手入れ
していたという。ヘレスのワインの輸出は増加し続け、ヨーロッパだけでなく、アメリカ発見に
ともない、ジェノバの商人たちは新大陸との交易目的ににヘレスのワイン産地に居を定め、マゼ
ランにヘレスのワイン=シェリーを417袋と253樽買い込み旅立たせが、その結果シェリーが世界
を一周した最初のワインとなる。
ぶどう栽培者に支配されたワイン関係業者のギルドは異なる収穫年のワインの貯蔵を規則で禁じ
ていたため、ワイン熟成できすにいたが、1775年、出荷業者の訴訟が起こり、何10年もかけた後、
ギルドによる厳しい活動制限規則が消滅し、これがワインの製産と交易上、最もこの地域のワイ
ンのアイデンティティを決定つけることとなった。シェリーの需要は19世紀を通して増加の一途
をたどり、1933年には原産地呼称統制委員会が生まれた。
【七本鎗 セブンスピアズ】
賤ヶ岳合戦の武勇伝として語られる七本槍。これ以外にも、日本槍柱七本とか、小豆坂七本槍な
どあるが、賤ヶ岳七本槍以前にも、この近江には姉川の七本槍というものもあったとか。これは
浅井・朝倉軍と織田・徳川軍の間で大規模な戦闘が展開され、多数の死者が出たという激戦で、
地元では「三田村合戦」「野村合戦」と呼ばれていたものが、徳川時代になってから「姉川合戦」
と変えられているが「姉川合戦」の2ヶ月後、浅井・朝倉軍は大津まで遠征し「志賀の陣」を戦
っていることなどからこの戦いは小競り合い程度だったととの見方もある。ところで、徳川軍の
先陣を切った酒井隊に続いて、小笠原隊が姉川を渡り、朝倉軍へと突入。その中で渡辺金大夫が
合戦も終った夜、信長は金大夫を呼び寄せ、褒美を手渡たすが、その他の六名の門奈左近右衛門
・伊達与兵衛・伏木久内・中山是非之助・吉原又兵衛・林平六が抗議し、結局、信長は後日この
六人にも褒美を出したといわれこれが先行し広まったとの説がある。このように七本槍伝説はこ
の地方から広まったことには違いがないが、長浜は木之本町の冨田酒造の『七本槍』、特に山田
錦40%の袋吊り斗瓶取り、タンクの両端に棒を渡し、モロミの入った酒袋をその棒に括りつけて、
酒袋から滴り落ちる雫だけを18リットル瓶に集める手間隙の掛かる方法)大吟醸はメロンの芳香
があり「日本酒の会」も一押しだという。創業が天保年間、創業450年以上という歴史のある蔵で、
かの北大路魯山人も愛しラベルの文字も彼の篆刻を使っている。
【七本鎗 「純米 シェリー樽熟成 2010 純米」を注文!】
清酒「七本鎗」シチホンヤリは、天文年間(16世紀半ば)より地元の江州米を使った酒造りをし
てきました。今で言う地産地消、スローライフを地で行くような酒蔵の歴史。21世紀の今、井の
中の蛙も15代目となり漸く外界へ目を向けなんとしていると当主が語る七本鎗。手間のかかる木
槽で搾ってこその旨さが七本鎗にある。共通しているのは香りを押さえてふくよかな味わいと切
れの良さ。そして冷やでもお燗でも美味しい辛口タイプで純米酒は幅広く料理に合う。
その冨田酒造が三年前、スペインから輸入したシェリー樽(オロロソ)に火入れの七本鎗純米を
入れ熟成させる。洋酒のBARのオーナーと話をしていた時に出た話題をきっかけにスタートした
挑戦だという。シェリーの香りと純米酒の旨味がバランスよく融合し新たな感覚のお酒になった
ということだ。純米酒は2011年6月より数ヶ月の間樽熟成しその後瓶貯蔵していたもの。早速、
通販「酒のかわしま」にワンクリック注文する。配達され早速開封し頂く。辛口だが甘い!それ
が第一印象、そして、ボデガス テレサ・リベロ社のマンサニージャサンケーニャのようなワイ
ンの表面に浮かぶ酵母の膜独特のフロール香と酸味がしスムーズかだが、どのように表現して良
いのか独特の刺激が残る(少し改良の余地があるかな?)。勿論、ワインではなく、淡い琥珀色
の冨田酒造産日本酒であるが、シェリー酒と日本酒のコラボ意図の創作日本酒は成功したと思う。
これで日本酒のイメージが変わりアジアだけでなく欧米にも拡販できるだろう。
この創作日本酒に合う料理はと考えてみたが、冷蔵庫から市販のプロセスチーズとおかめ納豆を
とりだし肴として試食。チーズは想像していた通り違和感なし。納豆は出汁と芥子を和えて飲ん
でみたが、これは想像以上に美味いという感想だ。また、このお酒にはオリーブオイル(キャノ
ールオイルでも良い)たっぷりのスペイン料理のアヒージョや日本の一夜干しなどの魚介類の干
物との相性は良いだろう。左下の写真は、定番のエビのアヒージョだが、ブラックタイガー、に
んにく、鷹の爪、アンチョビー、オリーブオイル、ローズマリー(タイム)、塩コショウ、パセ
リで簡単に調理できちゃうから、冷蔵庫にストックしておけば楽しめる。また、そのアレンジで
「味噌アヒージョ」(右下の写真)である。アンチョビ・塩胡・椒の替わりに八丁味噌の味をつ
けた和風アヒージョ。
勿論、特に近江の国の地酒は滋賀あふるる銘酒揃いだから日本酒に事欠かないことも大きな特徴
だが、今夜は。七本鎗 「純米 シェリー樽熟成 2010 純米」を1本頂きました。
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