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徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

彼女とAV問題

2015-09-20 21:19:25 | 雑文
幾度も人々の口の端に上がる、男女間における問題に、
「男はなぜ彼女がいるのにAVを観るのか問題」がある。
おもに女性の側からの怒りの表明といて提出されがちだ。
これに小生なりの回答を与えたい。
彼女を牛肉、AVをジャンクフードに例えるとわかりやすいと思う。
牛肉が手に入らないとき――すなわち、彼女がいないとき――は、ジャンクフードばかり食べている。で、「ああ、牛肉が食べたいなー」なんて考えている。
そいつに彼女ができるとする。大喜びで牛肉を頂く。たいへん旨いので、毎日毎日食べる。最初のうちはそれでハッピーなのだが、だんだん飽きてくる。上等な食材であるのは間違いないのだが、調理法にせよ味付けにせよ、ごく限られている。思い切って変わった調理法を提案してみたりもするが、大抵の場合「そんな変態的なこと、イヤよ」と断られるので、あまり幅が広がらない。
すると、ジャンクフードが懐かしくなってくる。
ジャンクフードは牛肉と比べて遥かに多種多様で、味付けアレンジも思いのままだ。牛肉が食べられない時は、さほど美味しいとは思っていなかった。早くこんな物を食べなくてもいい暮らしを手に入れたい、早くこの状況から脱出したい、と思っていた。
そんなジャンクフードが、無性に食べたくなってくるのである。
「いろいろ文句言ってたけど、アレはアレでけっこう美味しかったよな」
で、フラフラと手が伸びるのである。
これが「彼女=牛肉、AV=ジャンクフード理論」である。
この考えを理論武装することにより、女性にAV鑑賞を受認させられるかどうかは、保証の限りではないので念のため。
あとついでにひとつ。
「AVにテクニックを学ぶ男はヘタクソ問題」について。
なぜこのような問題が発生するのか。
そもそも、AVとは、どのような狙いで作られているか。
視覚的に興奮させることを第一義に作られているのである。視聴者に興奮してもらうため、視覚に訴えかける作りをしているのである。
なので、その中で演者が選択的に取り交わす行為は、最も視覚を刺激する行為、となる。それは、必ずしも演者自身が気持ちのいい行為とは限らない。プライベートではなく、仕事でセックスをしているのである。いかに自分達が気持ちよくなるか、ではなく、いかに視聴者に喜んでもらうか、を考えて行為をおこなっている。
それは、「魅せる」ための行為である。自分達が気持ちいいかどうかは二の次、三の次。「劣情を掻き立てる映像」をカメラに収めることが最優先になるので、自分達にはあまり気持ちのよくない行為も、あえて行う、ということもあるだろう。
それをそっくりそのまま真似をすると、どうなるのか、ということだ。
男子諸君は、この点よくよく胸に刻まれたい。


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SかMか議論の不毛さ

2015-09-20 15:36:06 | 雑文
テレビの影響だろうか、若年層の間で「性癖はSかMか?」という話題が上がることが珍しくなくなった。
それは単なるおしゃべりのネタであることもあれば、合コンなどで、意中の相手を品定めする手段として用いられることもある。
いずれにせよ嘆かわしいことだと思う。
いや、小生はなにも性的な事柄をおおっぴらに取り交わすのが下品でよくない、ということが言いたいのではない。
自分の性癖を規定することを問題視しているのである。
Sはサディストで加虐性愛、Mはマゾヒストで被虐性愛であり、S同士、M同士は相性が悪く、SとMの組み合わせが望ましい、とされている。とすると、大雑把に考えて、SとMの人口比率は半々程であろうから、パートナー候補となる異性は、総数の半分、ということになる。異性の半分を切り捨てているのだ。
これは、すごくもったいない。
もちろん、半分「もある」と考えるか、半分「しかない」と考えるか、の違いはある。「男(女)なんかゴマンといるんだから、そのうちの半分だけで充分、むしろ多すぎるくらいだ」という意見も当然あるだろう。(このような書き方をしているのは、話を判り易くするためであって、同性愛者など、ヘテロ以外の人々を無視しているわけではない)
でも、やっぱりパートナー候補の数は、多いに越したことはないと思う。SかMかを議論していると、自分はS(もしくはM)であり、具体的にはこのような好み、クセ、偏向があり…と自己供述、言語化することにより、自らの性癖を規定してしまう。規定された性癖は固定化され、それに合致した異性しかパートナー候補に挙がらなくなってしまう。
だから、SかMかを決めてはいけない。
どちらもアリ、にしておき、相手によってどう出るかを決める。SにもMにもなれる柔軟性を身に付けるべきではないだろうか。そうすることで、より多くの異性とパートナーになれる可能性が開けてくるはずだ。
そして、これは恋愛、性愛関係のみならず、人付き合い全般に応用できる理論だと思う。
持って産まれた性格、性癖というのはどうしてもあって、それを柔軟に変えろと言われても、そう簡単には行かないよ…と思われるだろうか。
いや、そう言われたら返す言葉がないんだけどね…。


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