徳丸無明のブログ

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恩義を感じるということ・主従関係を築くということ

2024-04-16 23:43:58 | 雑考
大澤真幸の『経済の起源』(岩波書店)を読んだ。
これは社会学者の大澤が、経済とは何か、贈与交換から商品交換(貨幣経済)への転換はどのようにして起こったのか、貨幣はどのようにして生まれたかなど、経済の謎を解くために、幾つもの文献にあたりながら、東西の文化に触れ、歴史を辿った探究の書である。この中の第5章「ヒエラルキーの形成――再分配へ」で、贈与に関して、興味深い事例が紹介されている。


十九世紀から二十世紀の初頭にかけて、アマゾンやアフリカの狩猟採集民の社会に入った宣教師や探検家をたいへん驚かせたことがある。定型的な筋をもっているのだが、その代表として、イギリス人宣教師たちがコンゴで体験したことを紹介しよう。現地人の一人が重い肺炎にかかったので、宣教師たちは、彼を治療し、濃いチキンスープなどを与えた。おかげで、この病人は命をつなぎとめた。宣教師たちが、次の目的地へと向けて旅立つ頃には、彼はすっかり回復していた。宣教師たちが旅支度をしていると、この男がやってきて、なんと宣教師たちに贈り物を要求してきたのだ。宣教師たちはびっくりして、これを拒否すると、男の方も同じくらい驚き、大いに気分を害した。宣教師が、贈り物によって感謝を示すべきはあなたの方ではないかと言うと、彼の方は、「あなた方白人は、恥知らずだ!」と怒って言い返してきた。
このエピソードは、二十世紀前半の哲学者リュシアン・レヴィ゠ブリュールの著書から引いたものである。レヴィ゠ブリュールは、「未開社会」の人々が、「われわれ」とは異なる論理で思考し、行動していることを示す証拠として、似たような報告事例をたくさん蒐集している(Lévy‐Bruhl 1923)。溺れていた男を救ってやったところ、その男から高価な服を要求されたとか、トラに襲われて大けがを負った人を治療してやったところ、さらにナイフを欲しいと言われたとか、である。これらはすべて、西洋人側が現地の人に対して、贈与に相当することを行い、西洋人の観点からは現地の人の方からお返しの贈与があってしかるべき、と思われていたところが、逆に、現地の人の方からさらなる贈与を要求されている。これをどう説明したらよいのだろうか。
とてつもない忘恩のようにも思えるのだが、そうではない。忘恩であれば、わざわざ追加的な贈与を要求したりはしない(単純に無視し、関係を断とうとするはずだ)。次のように解釈すればよい。宣教師によって肺炎を治してもらった男は、当然、宣教師に感謝している。彼は、宣教師との親密な関係を維持したい。とりわけ、彼は、宣教師を自分にとっての「主人」のようなものとして尊敬したいと思っている――そして、そのことは宣教師側にとっても喜ばしいことだと想定している――のではないか。
ここで、主人とは何か、がポイントになる。主人とは、従者に対して、(価値あるものを)与え続ける者である。言い換えれば、従者は、主人に対して、いつまでも消えない負債の感覚をもちたいのだ。彼の方から何かをお返しして、負債を無化してしまえば、宣教師を主人として仰ぎ続けることが不可能になる。彼は、宣教師になおいっそう負債を負い、負債感を維持したいがために、さらなる贈り物を要求したのだ。当然主人たる宣教師が喜んで、何かを贈ってくるだろう、と予期して。


うーん、面白い。
このような贈与のありかたは、現代の日本にも馴染まない。贈り物をすべきは助けられたほう、というのがゆるぎない常識としてある。
だが、上の事例の狩猟採集民の感覚から眺めてみれば、助けてもらった相手に贈り物をすることは、相手との関係を断つ方向に働いていると言える。贈り物をして、感謝を伝える。そうすればそこで貸し借りは清算され、負い目を感じる必要はなくなる。そうなれば、それ以上相手との関係を維持する必要はなくなるのだ。
もちろんその後も関係を保ち続けることはできる。だが、贈り物をしてしまえば、そこで関係を絶ったとしても非礼とは見做されない。助けてもらった相手への贈り物は、基本的には関係を維持するのではなく、清算する方向に働くのだ。助けてもらった相手に贈り物をしたいと思う、その背後には、「貸し借りをなくしたい」「関係を清算したい」という願望も貼りついているのではないか。
その点を合わせて考えると、助けてもらった相手に贈り物を求める文化圏は、そうでない文化圏よりも、人間関係が密になるのは間違いない。だとすれば、「助けてもらった相手に贈り物を求める習慣」を日本に定着させれば、日本人の人間関係は今よりも密になるだろう。引用文にあるように、それは主従関係を基調としているので、「平等」を原理主義的に追求している日本社会からは反発されるかもしれないが。それに、恐らくは「助けてもらった相手に贈り物をする」のが日本社会の長年の常識だったはずで、それに反する習慣を易々と受け入れられるのか、という問題もある。(平等という点をさらに突っ込んで考えてみると、平等という観念があまり発達していない原始社会ほど、上下関係・主従関係に抵抗がないから、「助けてもらった相手に贈り物を求める」文化的傾向があり、平等の観念が浸透するほど上下関係・主従関係に抵抗が生まれ、「助けてもらった相手に贈り物をする」ほうに逆転していくのかもしれない)
なので、日本社会にこのような贈与の感覚を根付かせるのは難しいかもしれない。それでも、このような贈与のありかたもあるということ、現代日本の贈与のありかただけが唯一の形ではないことを知るのは、ひとつの希望のように感じられるのではないか。
少なくとも、僕はそう感じた。異なる視点を導入することで、自分の属する文化を相対化し、今とは違うありかただってあるのだと知る。こことは違う文化、違う時代には異なる常識があって、それはけっして非現実的なものではなく、自分たちの文化に移植することも可能かもしれないと気づく。それは思考の風通しをよくして、ほんのわずかでも社会の息苦しさを解消してくれる効果があるだろう。
ところで、助けてもらった相手に贈り物をする動因、恩返ししたいという願望は、「負債感」によって基礎づけられるものだ。この負債に関してもまた、大澤は鋭い考察を加えている。


人は長い間、そしてときには今日でも、「金を貸す人間」は邪悪な人物の典型であるかのように考えてきたのだ。もし負債こそが罪の中の罪であるとすれば、貸す者には何の問題もないはずだ。逆に借りながら、まだ返していない者こそが悪い。それなのに、金貸しは、いつも悪人である。
世界文学や民間説話を振り返ってみるとよい。金を貸す善人が描かれていたためしがない。『ヴェニスの商人』のシャイロックのように、金を貸す者は常に邪悪な側にいる。考えてみれば、この戯曲で、負債を清算していないのは、ヴェニスの貿易商人のアントーニオの方なのに、彼は善人として描かれている。『罪と罰』では、金貸しは被害者であって、罪を犯すのは苦学生のラスコーリニコフだが、読者は、ラスコーリニコフによって殺されたのが金貸しであることで、少しだけ安心しているはずだ。あんなババアは殺されても仕方がなかったんだ、と。(中略)
一般には、贈与交換における互酬こそが、正義の原型と見なされている。この通念に従えば、「互酬が未だに実現していない状態に対して責任があること」こそが、要するにお返しをせずに、負債を残していることこそが、罪の原型である。実際、ニーチェをはじめとする多くの思想家・哲学者が罪を、「負債の一般化」として理解してきた。
(中略)
贈与は、他者にとってポジティヴな価値のあるモノを、その他者にもたらすことである。それゆえ、一般に、贈与は、倫理的には善きこととして評価される。しかし、同時に、贈与には否定的な意味も宿る。なぜなら、贈与は、与え手が受け手を支配する力を生み出してしまうからだ。受け手側の負債の意識を媒介にして、贈与は、与え手が受け手を支配することを可能にする。
受け手の方に負債の意識が生ずる原因は、贈与が、一般に、互酬化されることへの強い社会的圧力を伴うことにある。与えた側は、ほとんどの場合、お返しがあって当然だと思っている。そして受け手の側は、お返しすることを義務だと感じている。お返しが実現するまでは――つまり互酬的な交換が未了のうちは――、受け手側は、与え手に対して負い目がある。このとき、受け手はどうしても、与え手が喜ぶように行為しなくてはならない、あるいは少なくとも、与え手に不快なことはできない、と思うことになる。与え手を喜ばすことだけが返済に近づくことであり、逆に、与え手を不快にすることは負債を大きくするからである。
このように、贈与は、他者に価値あるモノをもたらしながら、そのことを通じて、その他者を拘束する力を発生させる。「金を貸す人間」が邪悪な人物として描かれるのはこのためである。


この負債感は、助けてもらった相手を主人として仰ぎ見たい、という負債感とは異なり、ネガティヴなものである。助けてもらった相手に贈り物を求める、狩猟採集民のそれを「ポジティヴな負債感」と定義するなら、金を貸す人間を邪悪な者と感得するのは、「ネガティヴな負債感」と言えるだろう。
このネガティヴな負債感は、金貸しという職業が確立していないと生じない。金融経済がある程度発展し、金貸しが職業として確立していることを前提としている。なのでこの感覚は、金融経済が成り立っていない狩猟採集民などの原始社会には存在しないだろう。
また、この「負債感=金を貸すほうが悪」という感覚は、「助けてもらった相手には贈り物をしないと落ち着かない」という感覚とパラレルだと思われる。「負債を清算する=借金を返す」ということと、「恩返しをする=贈り物をする」という行為は、ともに上下関係・主従関係を均して平等にしたい、という願望によって駆動されているのだ。
だとすると、金を貸すほうを悪と見做すのと同様に、助けてもらった相手に対しても、少なからず嫌悪感を抱いてしまう、ということがあり得るのではないか。「借金=負債感」によって受け手が拘束されるように、「恩義」もまた負債感として感得され、それが返済されないうちは心理的な拘束として働く(世の中には、借りを作ることを極度に嫌う人がいるが、それはこの心理的拘束に対する抵抗感が人一倍強い、ということなのだろう)。だから早く恩を返したい、と思う。恩返しをしないうちは、助けた側は、助けてもらった側を拘束する。そうなると、恩義だけでなく、同時にわずかながら憎しみの感情も抱いてしまうのではないか。
恩人に対する、アンビバレントな感情。恩を返したいと思うそのとき、関係を平等にしたいとも、憎しみを抹消したいとも願っている。恩返しをして、恩義に報いることができたと喜ぶとともに、主従関係を解消できた、もう相手を憎まなくていいと安心してもいるのだ。
人の感情というのは複雑だ。だからこそ面白い。

玉手箱の煙の謎

2023-04-10 22:51:51 | 雑考
三浦佑之の『浦島太郎の文学史――恋愛小説の発生』(五柳書院)を読んでの気付き。
これは、日本文学者で共立女子短期大学助教授(執筆時)の三浦(小説家の三浦しをんの父でもある)が、浦島太郎に関する様々な文献を狩猟し、浦島の物語は時代ごとにどのように語られてきたか、どのようなバリエーションがあるのか、他の神話や昔話との共通点・相違点は何かなど、昔話『浦島太郎』の歴史を深く掘り下げた一冊である。
三浦はこの中の第二章二節「丹後国風土記の浦島子」で、浦島太郎以外の異境を訪問する神話や説話では、異境(仙境)と地上(人間界)の時間の流れが異なっているのは珍しく、竜宮城の3年が地上の300年に当たるような〈超時間〉が描かれるのは例外的であると指摘したうえで、次のように述べている。


浦島子物語の「玉匣」は、こうした仙境と地上との時間差を埋めるための品物として準備されているのである。地上の移ろう時間による風化から人間の肉体を守るための呪宝だったとみればよい。
(中略)
この「玉匣」の「匣」とは箱の意であり、玉匣とは立派な箱という意味に解すればよい。最後に付された歌に音仮名で「たまくしげ」と表記されているし、『万葉集』には「たまくしげ」という枕詞が存するから、この「玉匣」もタマクシゲと訓んでよい。そして、クシゲとは「櫛・笥」の意であり、櫛を入れておく箱のことである。また、「玉」は石玉のタマであり、讃め言葉として接頭語のかたちで付けられる「玉」であるが、タマ(玉)は、古代においては、タマ(魂)とほとんど重なる言葉でもある。そして、櫛という品物が魂を籠もらせる呪的な品物であるということは、『古事記』のヤマトタケル説話において海の神の生贄となって入水したオトタチバナヒメの櫛が浜辺に流れ着いたという伝承に端的に示されてもいる。つまり、古代の人たちにとっては、「玉匣」という言葉は、〈魂の籠められた箱〉という認識を容易に導くものだったはずである。そして、浦島子物語における時間認識を重ねて考えれば、「玉匣」の中には、地上の時間の経過から島子を守るために、島子の魂が封じ籠められていたのだと読むことができるのである。そのおかげで、島子は地上に戻ることができたし、何の変化も被らずに十日余りを過ごせたのである。


いやー、なるほどなるほど。子供の頃、浦島太郎の物語を聞いて、理不尽に思っていた。乙姫様は、なぜあんな物騒な物を持たせたのかと。
「玉手箱の中から煙が出てきて、太郎はたちまち白髪のおじいさんになってしまいました」という箇所を読んで、玉手箱の煙には、人を老化させる作用があると解釈したからだ。浦島がかわいそうじゃないかと。
しかし、そうではなかった。玉手箱の中には、人間(浦島)の若さを維持するための呪術、もしくはエネルギーのようなものが籠められていたのだ。
浦島が白髪のおじいさんになったのは、煙の老化作用の影響によるものではなく、箱を開封したことで呪力、もしくはエネルギーが四散し、若さを保てなくなって老化したのだ。
そのように考えれば、乙姫が玉手箱を持たせたのも、持たせたうえで「絶対に開けてはいけません」と注意したのも合点がいく。すべては浦島のためだったのだ。仮に浦島が玉手箱を持たずに帰郷していたら、陸に上がった瞬間に300年という時間の風雪に晒されて白髪のおじいさんになっていたわけだ。
でも、それならそうと言ってくれればいいのにな、とも思うけど。
それと、もし玉手箱の中身が呪術やエネルギーではなく、浦島の魂そのものだったとすれば、『魔法少女まどか☆マギカ』のソウルジェムみたいなものだということになる。『まどマギ』の元ネタは浦島太郎にあった。
三浦は上の引用文のあとで、浦島が300年も歳を取ったにもかかわらず、老人になっただけで死去しないという不自然さを指摘。浦島が仙人になった可能性があると示唆している。
玉手箱の開封によって仙人に転じた浦島太郎と、ソウルジェムの消尽によって魔女に転じる魔法少女。この変化の点でも共通しているように見えるが、どうだろう。


・この手の話がお好きな方は、「桃太郎はなぜ桃から生まれたのか」(2019・2・28)も併せてお読みください。
https://blog.goo.ne.jp/gokudo0339/e/7964c0f1054f8295ac626723f1e9974a

足と靴のエロティシズム

2022-10-18 22:25:15 | 雑考
ウィリアム・A・ロッシの『エロチックな足――足と靴の文化誌』(筑摩書房)を読んでの気付き。
これは足病医学博士で、履物業界のコンサルタントも務めるロッシが、「足はエロチックな器官であり、靴はセクシュアルなその覆いにほかならない」ことを示すために、足と靴はそれぞれどのように認識されてきたか、靴のデザインにはどんなメッセージが隠されているか、足の生理学・解剖学・心理学における知見、足をセクシーに見せるために積み重ねられてきた試行錯誤、その他、足と靴に関する様々なエピソードなど、セクシュアリティの視点で足、及び靴を記述した一冊である。
長くなるが、印象に残った箇所を抜粋する。


こうした足=ファルス観は、私たちの性心理の構造に組みこまれて、潜在意識に「現前」している。ストレーカーがいうように、「私自身の診断でも、足が性器の代置であることは夢分析では一貫して明らかである。夢のなかで足を傷つけることは、しばしば性器を傷つけることを象徴している」。一例として彼は、性的不能に悩む若い男の症状をあげている。調べてゆくと不能の原因は、足の親指を怪我して切断しなければならなかったときの「心理的ショック」だった。足の親指の喪失は、ペニスの喪失ないし去勢に等しい。

フロイトはこう注釈している。「足とはきわめて根源的なセックス・シンボルである。・・・・・・したがって靴や上履きは、しばしば女性性器の象徴とされている。」
ブルックリン博物館のデザイン・コンサルタントであり、服飾史の権威でもあるロバート・ライリーは、いう。「足のセクシュアリティについては、明確な所見をいくつか思い浮かべてみることができます。何よりも明白なのは足の親指が男性のファルスを、足の指のあいだの割れ目が女性を象徴するという考え方でしょう。刀を鞘に納めるように、靴に足をすべりこませる行為もまたそうでしょう。こうした無意識のビジョンは日々私たちと同居しているのです。」
アイグレモントはもっとあけすけにこう語っている。「足と靴の性的象徴主義は、きわめて広範に遍在しており、その起源は太古にまで遡る。靴は女陰や女性性器の象徴であり、一方足はペニスの象徴である(このことについては民族誌や民俗学的研究に無数の確証がある)。人は靴やブーツ、上履きに足を「突っこむ」。この種の履物には、開口部、穴があり、しかもその周囲に毛皮やそれに似た縁飾りが時としてついている。そして人間の足ないし肉がこの穴を塞ぐ。足を靴に入れるのは、ペニスを女陰に入れるまねなのだ。」

セントルイスの心理学者ネイサン・コーンはこういっている。「足と靴はつねにファルスの象徴だった。したがってたとえばハイヒールや「素足の見える」サンダルはエロチシズムを表現している。なぜ人は結婚してしまうと、以前ほど靴を買わなくなるのか。それは、異性をひきつける役割を、靴が果しているからだ。」
性意識とファッションへの気づかいのこうした積極的な関連は、中高年期をつうじてずっとその力を失いはしない。しかし老年期が訪れて、リビドーがその攻撃的な衝動の多くを失ってゆくにつれ、ファッションへの関心もしだいに重要性を減少させてゆく。靴のスタイルは若い頃よりも保守的となり、ヒールも低くなり、靴もだんだん買わなくなってゆく。だから、人がどのような種類の靴をはいているかをみれば、かなり確実にその人の「リビドーの強弱の度合いを読みとれる」わけである。

アジアで今日もよく使われる、こぶのついた木靴風サンダルの起源は古い。アフリカ人はそれを婚礼用の靴に用いているが、大きなマッシュルームのようなこぶが靴底の前部からつきでていて、親指と第二指の間にくるようになっている。(中略)このこぶは元来ファルスの象徴で、今でもそうである。足の指二本の間にファルスがぴたっとおさまるということが、何を意味しているかは明らかだろう。(中略)この靴を花嫁がはくとき、ファルスと豊饒の約束とを結びつけているわけである。

蛇皮も婦人靴に長い間つかわれてきた、きわめてエキゾチックなレザーの一つである。(中略)いずれにせよ、そこには明らかに蛇皮をファルスと結びつける性心理学的なつながりがみられ、昔からヘビそのものがファルスと結びつけられてきたのだから、蛇皮の靴は強烈なエロチシズムと関係していることになる。ここでも面白いことには、男性はほとんど蛇皮の靴をはかない。ヘビのもつファルスの象徴性はひとえに女性だけの領域だといえるだろう。

「最も未開な種族のなかでさえ、裸の人々はいても、装飾をしていない人々はいない」と、フリューゲルはいう。このことは間違いなく足にも当てはまるだろう。(中略)素足のばあいでも、その裸形を覆うように装飾がほどこされたり、あるいはエロチックな目的で利用することが多いし、靴のようなものをつけている時には、性的魅力を発揮するためそこに装飾がほどこされているのである。
何もつけず、装飾されていない足は、常に何か奪われた状態ないし貧弱な状態と結びつけられてきた。プルタルコスは書いている、「素足は、奴隷のみじめな境遇を表わす」と。

アメリカ先住民もまた、モカシンを装飾して手のこんだ意匠的効果をあげているし、アフリカや南米の先住部族は、豊饒や求愛の儀礼ダンスの際に足の甲に性的なシンボルを描くか、しばしばはっきりとファルス的な意味を伝えるものがある。

今日靴についている飾りの多くは、かつて幾世紀もの間靴の装飾に使われてきたあけすけな性器のシンボルの末裔だといえるだろう。たとえば、大きな二つセットになっているボタンや球飾りはしばしば睾丸を表わしているし、大きくてやや硬く、垂れ下がる飾り房はときにペニスを意味している。靴のヘリの毛皮の飾りは明らかにヨニを象徴する靴の陰毛を示唆している。

ルネサンスの時代、おおっぴらに「上半身の美」をあらわすために胸をはだけるのは、ヨーロッパの上流階級の女性のあいだでは当り前のことだった。肖像画を描かせる時には胸を露出したし、家で仲間をもてなす時や友人を訪ねる時、あるいは舞踏会でダンスする際にも、胸を完全に、ないしはほぼ完全に堂々と見せたのである。中にはドレスに穴をあけ、そこから乳首をのぞかせる女性まであった。しかし、ドレスのほうは床に届くほど長いのを着ていたが、それというのも足や足首、脚をみせるのは「淫らな」ことだと考えられていたからにほかならない。

靴屋が初めて商業の舞台に登場した時(アメリカの最初の靴商店がオープンしたのは、マサチューセッツ州のウェーマスで一七九四年のことだった。もっともこうした靴屋が一般的になるにはその後一世紀ほどかかったが)、大抵の女性は足のサイズにフィットさせるためにこうした商店に行こうとはしなかった。そんなことをすれば店員に足首をちらりとでも見られることになるし、実際に足を手で触られることになったからである。そこで何か紐を使って足のサイズを測り、それを親戚の男性に渡して靴屋に買いに行ってもらったのである。

フロイトやまたユングによれば、靴をむりやり誰かに脱がされる夢は、去勢を象徴している。女性のばあいには、性的能力や生殖力の喪失を意味し、男性のばあいは、精力の喪失や男らしさが骨抜きにされたことを意味する。重要なのは、むりやり足を露出されることが、何らかの影響で性的な喪失と結びついていることにほかならない。

古代ローマ人、ギリシア人、エトルリア人、さらに後にはゲルマン人のあいだでは、処女神の彫像の足は「純潔を守るため」に覆われていなければならなかったが、にもかかわらず身体は丸裸ということがよくあった。一九世紀の画家たちが足を「絵具で塗りつぶす」のは普通のことだったし、写真家たちは焦点を足首から上にしか合わせなかった。だから、ヴィクトリア朝の女性の足は、まるで空中浮遊術を使っているかのように、突然途中から現われていたわけである。
(中略)スペインの芸術では昔からこうしたことが行われてきたのは明白で、たとえば一七世紀スペインの宗教裁判の時代には、聖母の絵や彫像でその足を敢えて露出した芸術家は、破門の脅威にさらされるのを知っていた。ムリーリョは処女マリアの足指をあらわに描いたことで異端審問所からきびしく咎められた――ところが、胸の片肌が露出していることについては、何のお咎めもなかったのである。


ちなみに、引用文中のファルスとヨニは、精神分析学の用語で、それぞれペニスとヴァギナを指す。
僕は以前の雑考「靴と婚姻と二足歩行」(2022・5・10)で、中国の少数民族、海南島に住む黎族(リー族)の風習に触れた。それは年頃の女の子が「靴合わせ」という儀式によって結婚相手をきめるというものであったのだが、それに対して僕は、「靴以外にも衣服や装飾品やら、身に着けるものは色々あるのに、なぜ用いるのが靴なのか」という疑問を提出していた。
上の引用文の中に、その答えが示されていると言えるだろう。足と靴は、ともに「性」に関わる。だから、「靴が合う」ということは、「性の相性がいい」という判断になるのだ。
これはあくまで仮説にすぎないし、仮に正しいにしても、これだけですべてが言い尽くされているわけではないだろう。靴合わせの儀式には、もっと多くの文化的意味が込められている可能性がある。

またロッシは、靴はあくまで足を飾り立てる装飾品であり、足を保護するためのものではない、と主張する。その証拠に挙げているのが、靴を履かない原始社会の人々。彼らの足裏は硬く、靴を必要としないほど発達しているという。つまり、人間の足は本来、靴を履かなくても問題がないほどの強靭性を備えている、ということなのだ。
装飾のために誕生した靴が、いつしかその起源を忘却され、足を保護するという2次的な機能が主な役割であると誤解されるようになってしまった、というのがロッシの見解である。人間以外の動物が靴を必要としないように、人間も本来的には靴がなくてもなんの不都合もない、ということらしい。
この説が正しいとするならば、僕が「靴と婚姻と二足歩行」の中で展開した推論は誤っていたことになる。僕は、二足歩行が人類の繁栄を決定づけたから、体全体を支える足を尊重するようになり、その足を保護する靴にもまた特別な意味合いを見出すようになった、と考えた。だから結婚相手選びの儀式に用いるのが靴なのだと。しかし、靴は足を保護するためのものではないとすると、この理論が破綻してしまう。
では、ロッシが正しいのだろうか。そうは思わない。僕には反論がある。
人類が長年苦しまされてきた感染症のひとつに、破傷風がある。おもに足の切り傷から侵入する細菌で、感染者の大多数を子供が占めており、致死率は高い。
現在ではワクチンによって怖い病気ではなくなっているが、ワクチンが開発される前、人類にとって、それは常に身近な危機であった。その時代において靴は、身を守るための命綱も同然であったはずだ。足を飾り立てるためだけの、単なる装飾品であったはずがない。
破傷風菌は土中に潜んでおり、人間の場合はおもに足裏の付着から体内に侵入する。であれば、それに対する防衛手段は、もっぱら靴になるはずだ。
近代以前、顕微鏡も発明されていない時代の人々が、細菌の存在を知っていたはずがない、という反論があるかもしれない。しかし近代以前の人々は、靴を履いた時とそうでない時で感染率が違うということを、長年の経験則によって学んでいたはずだ。因果関係はよくわからないけど、靴を履くことで破傷風に罹りにくくなる、というのは知識としてあったと見ていいのではないか。むしろ、その知識があったからこそ靴が広く人類に普及した、と考えることもできる。原初の靴は装飾のためのものであったかもしれないが、次第に感染症から身を守れるという有用性に気づき、そちらのほうが身に着ける主な理由になっていった、という歴史的推移もありうるだろう。
ロッシの主張は、破傷風が過去のものとなった現代社会の、お気楽な立場から発せられているようにしか思えない。破傷風を知らない社会にどっぷり浸かっているせいで、過去に存在した脅威がわからなくなっているのだ。
さて、僕とロッシ、どちらが正しいでしょうか。
考古学や文化人類学に詳しい方のご教示を乞う。

蛇と生命、その語源

2022-05-24 23:21:24 | 雑考
みたび、金関丈夫の『考古と古代――発掘から推理する』(法政大学出版局)から。
この中の一章「十六島名称考」で、島根県の、十六島と書いて「ウップルイ」と読む地名の由来が考察されている。金関はその語源を朝鮮のほうに求めているのだが、話はほかの地名にも及んでおり、かつて壱岐に「於路布留」という地名があったが、読みは「オロプル」だったという推論を述べたあと、話題は蛇に転じる。


壱岐の於路布留はオロプルだったとわかりましたが、このオロはまた、出雲に現われたヤマタのヲロチのヲロと共通かも知れません。
いったい蛇には「ヘビ」「ハミ」「ハブ」の系統の名称の他に「チ」という名があり、水に住むものが「ミヅチ」(水の蛇、竜)、野にいるものが、「ノヅチ」(野の蛇、野槌)などといわれています。(中略)
蛇の一名であるこの「チ」は、アルタイ語系の語であることが近ごろの国語学者のあいだでは通説になっているようです。例えば土井忠生氏の『日本語の歴史』(一九五九)という概説書には、朝鮮語と日本語のあいだにおいても、t音とl・r音とが対応することの一例として日本語の「ミヅチ」(竜)と、朝鮮語の竜「ミリ」とを同語として挙げています。これは同じアルタイ語系の満州語(ツングース語)では「ムゾリ」であり、これらの語の最後の「リ」が、日本の蛇の「チ」に対応するのであります。水の「ミヅ」も同様の操作で比較すると、朝鮮語の「ミリ」と一致してきます。
すると、当然、ヲロチのチも、朝鮮語と共通のチだということになり、したがってヲロチのヲロのほうも、その対応語を朝鮮に求むべきだということになります。私はこの「ヲロ」も、やはりさきのウルに対応するのではないか、と考えるのです。日本語のワレ(我)はオレ(俺)でもあり、オラからウラでもありますが、朝鮮のウリ(我)と対応することが、さきの土井氏の書物に挙げられています。ヲロがオロ、ウルに対応することはきわめて可能です。
ところが、朝鮮語のほうでは、この地名や人名の頭のウルの語の意味が、まだよくわかっていないそうです。もしこのヲロチのヲロが、朝鮮のウルと同様だとしますと、このヲロは「巨大な」という意味らしいので――というのは、『古事記』の「遠呂智」は、『日本書紀』では「大蛇」と書いて、ヲロチと読ませているところから考えて、ヲロは大きい意があると思われるのですが――したがって古代朝鮮のウルも、やはり「大きい」という意味をもっていたのではないか、と考えられるのです。


日本の古語において、「チ」は、生命、及びそれに付随するものを指していた。生命、つまり命(イノチ)のチ。パワー、力のチ。植物を芽吹かせる大地、土地のチ。人の体を流れ、その動力となる血液のチ。人が誕生してまず最初に栄養源とする母乳、乳(チチ)のチ。このように、「チ」を含む古語は、直接的にせよ間接的にせよ命を指し示す言葉である。
少し話がそれるが、「血」と「乳」の言葉の上でのつながりは大変面白い。現代の我々は、母乳が血液から出来ているという生理学的事実を知っている。血液を薄めて作られるのが母乳。しかし解剖学が確立していない古代日本で、そんなことがわかるはずがない。
なのに、わかっていた。血液と母乳が同じ「チ」で表されていたということは、母乳の元が血液であることを、古代の日本人が見抜いていたということである。この洞察力は素晴らしいと言うほかない。ひょっとしたら、残虐な権力者が、産婦を生きたまま解剖させた、といった血生臭い出来事があったのかもしれないが。
話を戻す。言葉とは、なんとなくの音の響きで決められてきたと思われているかもしれない。たしかにそのような言葉もあるし、現代では「音の響きのカッコよさ」だけで作られている言葉も数限りなく存在する。しかし、元々はそうではなかった。言葉は、一音一音に意味があり、それらの意味を有機的に組み合わせることによって言葉(=単語)は作られていたのだ。
この歴史言語学の知見と、金関の考察を合わせて考えると、「ヲロチ」とは「大きな命」という意味になる。
蛇は、交尾が長時間に及ぶことから、繁殖力が強いとされ、豊饒の象徴であった。蛇の頭部がペニスに似ていることも繁殖のイメージを強くした。神社のしめ縄は、交尾中の蛇を模したものであるという。
蛇に大いなる生命を、あるいはその源を見出していた古代の日本人。だとすれば、「チ」を含む古語には、命だけでなく、蛇の意も込められているのかもしれない。もしくは、命と蛇は古語の中で二重写しになっている、という見方もできるだろう。
現代の日本人がその起源を忘却してしまっていても、まさに大地に潜むかのごとく、蛇は古語に伏在し、変わらずこちらのほうを見つめているのではないか・・・と言ったら妄想に過ぎるだろうか。

靴と婚姻と二足歩行

2022-05-10 22:22:31 | 雑考
前回に引き続き、金関丈夫の『考古と古代――発掘から推理する』(法政大学出版局)から。
この中の一章「海南島の黎族」で、中国の少数民族、海南島に住む黎族(リー族)の、独特な文化が紹介されている。特に僕の目を引いたのは、靴に関する風習。


女の子が十四歳くらい、つまり見るものを見るころになると、両親は住家をはなれた畑の中に、娘のための小屋をつくってやる。(中略)日がくれると、村の若い衆がこれを訪問する。女よりさきにはいって待っている。一番乗りの男に、その夜の優先権がある。
こうした交際でできた幾人かのボーイフレンドの中から、結婚の相手をきめる方法がおもしろい。娘が下駄の片方をつくる。ボーイたちもそれぞれ片方の下駄をつくる。それを合せてピッタリとサイズの合うものが選ばれる。歌合せでなくて、下駄合せだ。(中略)
この下駄合せの方法は、きわめて賢明な方法で、娘は自分の好きだと思う男と、あらかじめ下駄のサイズをしめし合せておけばいいわけだ。自分のもっている片方の履物にピッタリ合うのが結婚の相手だ、というのは、シンデレラの話をはじめとして、古来いろいろな物語にある。案外こうした原始民族の風習を反映しているのかも知れない。現に唐代の『酉陽雑俎』には南方シナの話としてこの履き合せのシンデレラ譚があった。


実に興味深い。なんとなく、サイズをしめし合わせるのは後代になってから、つまり儀式が形骸化してからで、当初はしめし合わせなしで伴侶を選んでいたのではないか、という気がするのだが、同時に、なぜ合わせるのが靴なのか、という疑問もわく。
衣服にせよ装飾品にせよ、人が身に着ける品は色々ある。なのになぜ、結婚相手選びのサイズ合わせに用いられるのが靴なのか。それは単なる偶然ではなく、何かしらの必然があるように思うのだ。
その理由はなんなのか。僕の知識の範囲で思いつくのは次の説明。
人類は、四足歩行から二足歩行に進化したことで、大きな発展を勝ち取った。前足は手となり、様々な道具を高度に使いこなせるようになった。そのことが現在の人類の繁栄に貢献したわけで、つまり、二足歩行が重大なターニングポイントであった。
文字通り二足歩行を支えるのは、2本の足である。大いなる繁栄を手に入れた人類は、両足に感謝した。足は、己の上体だけでなく、文明をも支えているのだ。
であれば、その足を保護する靴に対しても、特別な意味を付与せずにはいられないだろう。
人の体と文明を共に支える足。その足を守りいたわる靴。
共同体によっては、ほかの衣服や装飾品よりも、靴に重要性を見出した。両足の支えがあって、今の人類がある。その両足を保護する靴は、文明をも保護している、と考えることもできる。
だから、ほかの衣服や装飾品より靴に高い価値を置く共同体も生まれた・・・とまあこういう解釈。
この推測が当たっているかどうかはともかく、靴はなかなか興味深い。オシャレとしてではなく、文化としての靴。人類史の反映としての靴。
そこには、我々が忘れてしまった意味がいくつも込められているのではないか。興味は尽きない。