徳丸無明のブログ

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テロリストとは誰のことか――「実体」と「現象」

2017-03-28 21:08:22 | 雑文
2017年1月27日、ドナルド・トランプ米大統領は、中東・アフリカの7か国からの入国を禁じる大統領令に署名を行った。
市民の抗議デモが沸き起こる中、30日にはワシントン州がこれを違憲として連邦地裁に提訴。地裁が翌月3日に大統領令の一時差し止めの命令を下したのに対し、政権側は控訴裁判所に即時効力の停止を求めた。今もなお混乱が続いている。
トランプ大統領に対しては、理論的な反対意見よりも、感情的な反発が先行しているきらいがある。なので、感情論に流れる反トランプ派が、トランプ支持派に対して、説得力のある理論的な反論を行えていないのではないかと思う。
小生は、対テロリスト対策に少し思うところがあるので、それについて私見を述べてみたい。(一口にテロリストと言っても、その帰属は様々なわけだが、ここでは特に断りがない限り、イスラム系テロリストだけを対象とする)
トランプ政権の、対テロリスト政策の瑕疵、第一の問題点は、テロリストという存在を捉え損なっている点にある、と思う。ひとことで言えば、「実体」と「現象」を取り違えているのである。
トランプ政権は、テロリストを「実体」として捉えている。つまり、「人殺しは産まれた時から人殺しだった」と言うかのごとく、あたかもテロリストという「実体」が最初から存在していたように考えているのだ。
だが、それは正しいのか。
よく知られているように、元々アルカイダを育てたのはアメリカである。
1979年にアフガニスタンに侵攻したソ連に抗するために、アメリカが支援した義勇軍がのちのアルカイダとなった。
そのアルカイダの首謀と目される同時多発テロを受けて行われたアフガニスタン戦争、そしてそれに次ぐイラク戦争。いずれも独裁政権を打ち倒した後に傀儡政権を樹立し、民主制を定着させようとして失敗。紛争の絶えない政治的混乱をもたらす結果となってしまった。
混迷をもたらしたアメリカに対し、ルサンチマンを抱いているのは、当事国のムスリムだけではないはずだ。アメリカの、対中東政策の失敗こそがテロリストの基である。
出生地や生い立ち、家庭環境や歴史的背景、教育や思想状況など、様々な要件を背骨として、テロリストはテロリストに「なる」。最初からテロリストであった者など、一人もいない。
様々な要素の絡み合い・集積の結果としてテロリストは生み出される。だから、テロリストは「実体」ではなく「現象」なのだ。
アメリカの対イスラム政策によってテロリストが醸成されてきたのであれば、仮にアメリカが180度舵を切り、イスラム社会、及びイスラム教徒を厚遇する融和策を採るならば、現在アメリカに対してテロを画策している者も、計画を中止するだろう。
もっと単純に考えてもいい。テロリストとは、テロを行った者のことだ。実際にテロを起こして初めて、テロリストはテロリストとなる。それ以前は、「テロリスト予備軍」である。
どれだけ緻密にテロを計画・準備しようとも、テロが実行される直前までは、彼はテロリストではない。自らがもたらしたテロ行為が、事後的にテロリストをテロリストと認定する。「テロそれ自体」もまた現象であるが、その現象がテロリストという存在を生み出すのである。
「テロ」に先立って「テロリスト」は存在しない。テロの発生とともにテロリストは誕生する。
テロリストとは「実体」ではなく「現象」であるとは、そういうことだ。
これはただ単に言葉の厳密な定義を試みているわけではない。原理的な確認をしているのである。
行為(テロ)が主体(テロリスト)を規定する。主体は行為に先立って存在し得ない。
だから、「まず主体ありき」で対処しようとすべきではないのだ。テロという行為を発生させないことが、同時にテロリストを生み出さないことになるのだから。
トランプ政権が決定的に欠いているのが、このテロリストという対象に対する理解力である。テロリストを「実体」ではなく、「現象」として捉えて対策を考慮すべきなのだ。
「現象」であるからこそ、対イスラム政策・対テロリスト政策の変更(融和)が、テロ、及びテロリストの減少に繋がるわけだ。このことがわかっていないと、国境に壁を築いたり、渡航を禁じたりするなどの「物理的な封鎖」によってテロリストが排除できる、という誤解が生じる。
確かに、それらの対策は全くの無駄とまでは言えない。一定の効果はあるだろう。しかし、イスラム教徒はすでに大勢アメリカ国内に暮らしているのである。アメリカの、過度な対イスラム政策・対テロリスト政策への反発心から、彼等がテロリストに転じる可能性は、ゼロではない。
また、問題はイスラム教徒だけに限らない。「虐げられたイスラム教徒」に同調する「非イスラム教徒」がテロリストになる可能性だってあるのだ(実際、そのように目される事件が起きている)。

そして、もう一つの問題は――これはトランプ政権のみならず、これまでのアメリカにも共通して言えることなのだが――、アメリカも、それに対するアルカイダなどのテロリストグループも、「やられたらやり返せ」を旨としている点である。
「やられたらやり返せ」を信条としている限り、報復の連鎖は終わらない。終わるのは、どちらかが絶滅した時だけである。
アメリカは現在3億の人口を抱えている。3億を絶滅させることなど不可能。では、テロリスト側は?
テロリストは現象であるゆえに、その存在は流動的である。諜報機関などの専門家であっても、正確には捉えきれていないだろう(また、流動的であるということは、その正確な数を把握することにあまり意味はない、ということでもある)。
イスラム教徒の数は現在16億人。もちろんその大半は、暴力を忌み嫌う穏やかな人々なわけだが、仮にそのうちの0,01%がテロに親和的だとすると、およそ16万人。
世界中に散らばる――それ故に、捕縛も隔離も不可能な――イスラム教徒のうちの16万人がテロリスト予備軍なのだ。
0,01%は多すぎるだろうか。しかしそれより一桁少ないとしても、1万6000人。数字だけ見れば大したことないように思えるだろうが、これだけでも相当なものだ。なにせ、たった一人で何十人、何百人を殺傷することができるのがテロなのだから。
今現在何らかのテロ活動に従事しているテロリストを、アメリカが一人一人潰していくうちに、テロに親和的な0,01%(ないしは0,001%)の中から新たにテロリストに転じる者が出てくるだろう。そして、その新しいテロリストを一人一人潰していくうちに、その背後に控えるイスラム教徒16億の中から、新たにテロに親和的な者が出てくるだろう。
つまり、テロリスト側も絶滅させることができないのである。
だから、「やられたらやり返せ」を続けている以上、終わりのない報復がただひたすら繰り返されるだけである。テロ行為は無くならない。
だとすれば、ここから言えることは、テロ対策は「やられてもやり返さない」ということに尽きるだろう。
どんなに理不尽に思えようとも、決して拳を振り上げないこと。そして、テロの動機となる社会的背景そのものを解消させる方策をとること。
そうやって、報復の連鎖を少しずつ断ち切っていくしかないのだ。
こんなことは、ちょっと考えれば小学生でもわかることである。この単純な理屈を、アメリカが理解する日は、いつになったら来るのだろう。