徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

2018年を振り返って

2018-12-31 18:03:14 | お知らせ
皆さん、こんにちは。徳丸無明です。
今年1年間のまとめと、年越しのご挨拶をさせていただきます。
当ブログの今年の変化といえば、前回のお知らせでお伝えした通り、マンガの記事が4コマ中心から1ページネタ中心になったことですね。
そして、そのお知らせの中で、ネタは現在考えているものではなく、アイディアのストックがあって、そこから引っぱりだしてきている、とも書きました。そうすると当然、「じゃあ今はアイディアを思いつくことはないのか」という疑問がわくでしょう。ありていにお答えしますと、今も思いつくことはあるにはあるのですが、昔ほどには思いつくことはなく、その頻度が減ってきているんですね。なので、アイディアのストックが溜まる割合より、減る方が早いのです。ということはつまり、いつかはストックが尽きてゼロになってしまう、ということです。それはいつの日のことか・・・。たぶんあと1年くらいは持つんじゃないかと見込んでますけどね。
なんか後ろ向きなあいさつになっちゃって申し訳ないんですけど、でも始まりがあれば終わりもある。僕だって無限に描き続けられるわけではありませんし、突然ネタ切れを告げるよりは事前にお伝えしといたほうがいいかなと。それにネタ切れになったとしても、ブログそのものが終わるわけではありませんからね。

あと、新しいカテゴリーがふたつ増えましたね。雑文の投稿頻度もだいぶ少なくなってきましたが、かたっくるしい論考まとめあげるのもなかなかしんどいもので、先日のポスト・トゥルースの記事なんか、たいした文字数あるわけでもないのに、仕上げるのにかなり時間がかかっちゃいました。今後はもっと変なカテゴリー作って、内容ゼロの馬鹿ブログに変貌させていくのも悪くないかな、なんて考えています。もともとこのブログは政治や社会の中心を論じてたわけでもありませんしね。

それから、すでにお気付きの方もおられるでしょうが、前回のお知らせ以降、僕はマンガ投稿サイトで作品の公開を始めました。マンガ投稿サイトは(基本的に)だれでも自由に自分のマンガを投稿できるサイトです。そっちに投稿しているのは、すでにこのブログで発表済みの作品ばかりなので、あえて公表する必要もない気がして、黙っていました。
ただ、gooブログって記事の並べ替えができないから、過去記事を頭にして読めないっていう不便がありますよね。マンガ投稿サイトはその短所がないぶん読みやすくはあるかな、と思います。


代表的なところをリンクしときますんで、もし興味がありましたらご一読を。ユーザー登録しないと利用できないサイトもありますが、いずれも登録無料です。

・pixiv
https://www.pixiv.net/member.php?id=33622662

・ニコニコ静画
http://seiga.nicovideo.jp/manga/list?user_id=84723438&?track=verticalwatch_userinfo1

・マンガハック
https://mangahack.com/users/43590/comics


今から僕は去年と同じく「RIZIN」と「笑ってはいけない」を並行して観ます。年明けには観戦記をお届けできるはずですので、お暇があればいらしてください。
それでは、良いお年を。

絵のような現実・写真のような現実

2018-12-29 21:21:53 | 雑考
前回に引き続き飯沢耕太郎の『写真の力〔増補新版〕』より。
本書収録の「旅の眼・旅のテクスト――「横浜写真」をめぐって」の中で、飯沢は「横浜写真」に触れている。横浜写真とは、「幕末から明治末に至る時期に、主に横浜にスタジオを構えていた写真家たちによって撮影・製作され」、「旅行者(特に外国人)向けの土産物として売り出されたもの」である。その中の一人「イタリア・ヴェネチア出身の帰化イギリス人フェリックス・ベアト」によって撮影された「その一枚一枚の写真には横浜在住の軍人ジェイムズ・ウィリアム・マレーによる解説シートがつけられていた」という。
以下に引用するのはその解説シートの特徴分析。文中にはルビがふられている箇所があるが、ここではルビ入力ができないので、その文字の後に括弧〔 〕で記載する。


マレーの文章に特徴的なのは、ひんぱんに「絵のような」〔ピクチュアレスク〕という形容詞が登場してくることである。たとえば「ビケット・フォースター(イギリスの風景画家)がじっと見つめたくなるような緑の小道が見え、簡素な鄙びた橋と全体が絵のように美しい前景がある」(飯山 VIEW AT EIYAMA)、「この素晴らしい場所の絵のような美しさは、間違いなく、夏に訪れる多くの人々を魅了する」(十二社の滝 CASCADE AT JIU‐NI‐SO)といった具合である。
高山宏の詳細で華麗な分析を引くまでもなくピクチュアレスクは十八世紀から十九世紀にかけての大英帝国の美意識を支配した「感受システム」であった。この「文字通り絵になる風景を自然の中に見出していこうとする――つまりはつくり出していこうとする――アントロポモルフィックな〈視〉のモード」は、写真という新しい視覚システムの中にも浸透していた。ベアトの写真の風景は、幕末の日本をそのままコピーしたものではなく、あらかじめピクチュアレスクの美学に適合するように選択され「つくり出された」ものなのである。


そもそも絵や写真のほうが現実の模倣としてあるものである。それなのに、人は現実の風景を見て、「絵のようだ」「写真のようだ」と感じてしまう。(そしてここには、現実そのものではなく、現実を切り取った風景写真に「絵のような風景」という解説が付されているという転倒もある)
以前「爆笑レッドカーペット」というお笑いネタ番組があって、ある時、誰だったか忘れてしまったが、一組の芸人がネタ披露した後、ゲストの矢口真里が「衝撃映像でしたね」と感想を漏らしていたことがあった。目の前で起きた出来事に対して、である。
もちろんタレントの愚かしさを言挙げしているのではない。人間の認識能力とはそのようなものだという話をしているのである。(ただし、矢口が肉眼ではなく、モニターでネタを鑑賞していた可能性も排除できないし、意図的に視聴者の立場に合わせた言葉使いをしていたのかもしれない)
我々は新しいメディアに接することで、それまでになかったフレームワークを手に入れる。絵画に触れることで「絵画の見方」を、写真に触れることで「写真の見方」を身に付ける。そして、そのフレームワークで現実を眺めるようになるのだ。映画やテレビのなどの動画もまた人類にフレームワークを提供した。
人間は絵画や写真に触れてのち、絵画や写真を見る目で現実を見るようになり、映画やテレビに触れてのち、映画やテレビを見る目で現実を見るようになる。だから、「絵画を見る目で現実を見る」のみならず、「絵画を見る目で映画を見」たり、「映画を見る目で絵画を見」たりすることだって日常当たり前のように起こっている。
多くのメディアに接するほどフレームワークは増えてゆき、その視点は重層化・多層化されてゆく。今では「ニコニコ動画のフレームワーク」や「Tik Tokのフレームワーク」もあるだろうか。
視点が増えるということは、現実を見る目が豊かになるということである。「虚構と現実の区別がつかない云々」といった、退屈で非生産的な繰り言をつぶやいている暇があったら、増えた視点をどう有効に扱うかを考えたほうが遥かに前向きだろう。

人はいつでも信じたいものしか信じない――ポスト・トゥルースの時代に・後編

2018-12-20 23:19:54 | 雑文
(前編からの続き)

さて、先に「ポスト・トゥルースは高度情報化によってもたらされた」という私見を述べた。しかしながら、「信じたいものだけ信じる」態度は、情報の飽和だけを原因とするものではない。現代思想に多少なりとも詳しい人ならば、「信じたいものだけ信じる」という言葉を聞いて思い出すことがあるはずである。そう、ポストモダンだ。
ポストモダンとは、国民国家の統合の理念としてあった自由主義やマルクス主義などの大きな物語が凋落し、共同体の成員が共通の価値観を信じられることができなくなり、それぞれが個別の価値観(小さな物語)を信奉するようになる、という時代のことである。それは1970年代から始まったとされる。(ポストモダンがなぜ興ったかについてはここでは詳述しない。詳細を知りたい方はジャン=フランソワ・リオタールの『ポスト・モダンの条件』を読まれたし)
大きな物語が機能しなくなり、人々が各々信じられる個別の物語にタコつぼ的に逼塞するその様態は、ポスト・トゥルースとさほど変わりはない。つまり、ポスト・トゥルースは、ポストモダンが進行し始めた1970年代から、約50年の時間をかけてゆっくり準備されていた、ということになる。
また、評論家の東浩紀によると、ポストモダンと高度情報化は相関関係にあるという。


筆者のような現代思想系の研究者から整理すると、二〇世紀後半の先進国社会の変化は、大きく二つの傾向に導かれていたと言える。ひとつは「ポストモダン化」であり、もうひとつは「情報化」である。(中略)
この二つの流れは、一見独立したもののように見える。(中略)ところが実は、この両者は密接に関係している。この二つの変化は、「社会の象徴的統合から工学的統合へ」というひとつの流れの別々の側面なのだ。
(中略)多様な個人の集合をいかにして「ひとつ」にまとめるのか、その方策が人類社会の課題であることは有史以来変わらない。ただそのなかで、産業革命以降の近代社会はいささか特異な方法を採ってきたと言える。というのも、そこでは、多様な群衆を強制的に暴力によって統合するのではなく(それが近代以前の基本的な方法だった)、教育や福祉を通し、各個人に「国家」や「民族」というシンボル=象徴を植え込むことで自発的にまとまるように仕向けていく、という間接的な方法が運用されてきたからだ。これが前述の「社会の象徴的統合」である。
しかしその時代が、二〇世紀の半ばあたりに大きな曲がり角を迎える。消費社会の到来そのほか、さまざまな要因によって象徴的統合のシステムがうまく機能しなくなる。これが「ポストモダン化」である。そして、まさにその欠落の穴を埋めるように、電話、ラジオ、テレビに始まり、最終的にインターネットに行き着いた情報技術の革新運動が現れる。
情報技術によるコミュニケーションの拡大、つまり「共有情報の拡大」は、国家や民族といった象徴を介することなく、直接に群衆をまとめあげることができる。(中略)メディア論や社会学の研究ですでに明らかなように、一九六〇年代以降、マスコミを介したこのような連帯感は、凋落する一方の国家的な象徴やイデオロギーの役割をかなり肩代わりしてきた。二〇世紀末の先進諸国は、すでに、「国家」や「民族」といった理念ではなく、情報技術の力で一体性を保つ国家になっていたのである。
(中略)
筆者が「社会の象徴的統合から工学的統合へ」と呼んでいるのものは、このような変化のことである。
(東浩紀『文学環境論集 東浩紀コレクションL――essays』講談社)


同じく東によれば、「情報」とは、20世紀になって生まれた概念であるという(東浩紀コレクションL――journals)。近代になって誕生した国民国家。その統合の理念としてあった「大きな物語」。「情報=映像」は、やはり国民国家をまとめあげるため、大きな物語の補助具としてあった。それがポストモダン以降、大きな物語の失墜によって情報の役割が肥大し、IT技術の発展と相まって膨張し続け、現在の高度情報化社会に至る、というわけだ。そうすると、国民国家をまとめあげるために用いられていた「情報=映像」が、飽和するにしたがってポスト・トゥルースをもたらし、逆に国民国家を脅かし始めている、ということになる。
また東は、インターネットのフィルタリング機能について次のように述べている。


それは、個人の自由を狭める規制のシステムである一方で、消極的自由の領域(選択肢の数)を制約し、積極的自由(動機)が弱体化していても選択が行えるように、個人の自由を支援する装置だと捉えることもできる。
(中略)
あまりに多くの選択肢を前にし、合理的な選択が困難になってしまうと、ひとはだれかがその選択を肩代わりしてくれることを望む。その「だれか」は、かつては象徴的な「父」として社会的に供給された。それがいまや、ユーザーごとにカスタマイズされ、選択肢をあらかじめ絞り込んでくれるフィルタリングのシステムとして、技術的に供給され始めている。この現象は「自由からの逃走」の新たな形態としても捉えられる。
(同『情報環境論集 東浩紀コレクションS』講談社)


人はあまりに多くの選択肢を前にすると、選ぶことができなくなってしまう。選択肢が多いということは、通常自由度の高さの表れだと理解されている。しかし、その数が飽和してしまうと、自由度の高さ(選択肢の多さ)が自由(主体的な選択)を困難なものにしてしまう。自由度が高くなりすぎると、むしろ不自由になってしまう、という逆説があるのだ。
この図式を本論に当てはめると、ポスト・トゥルースの人々は、政治の言論にフィルタリングをかけている、と見做すことができる。傍から見ると、あまりに偏狭すぎて、言論を絞り込みすぎていると感じてしまうが、彼らは彼らなりに「選択=自由の行使=政治的決定」を行うため、フィルタリングを用いているのだろう。
ポスト・トゥルースは、その顔と目されるドナルド・トランプの影響もあり、ごく最近の社会潮流であると思われている。小生の推察するとおり、高度情報化が大きな要因であるならば、それはインターネットが一般化した2000年代以降ということになるだろう。
だが、それよりもさらに前、ポストモダンがその母体となっているのであれば、まるでトランプがもたらしたかのように観念されているポスト・トゥルースだが、2016年のアメリカ大統領選以前にポスト・トゥルースの起こり、あるいはポスト・トゥルースを希求する時代の空気は既に醸成されていた、ということだ。そして、そのポスト・トゥルースを望む人々が、自分達の願望を正当化するために、錦の御旗として都合よく担ぎ出されたのがトランプだった、もしくは、自覚的にせよ無自覚にせよ、ポスト・トゥルースの流れにうまく乗っかることでトランプは大統領になることができた――つまり、時代の流れとトランプのキャラがたまたま一致していた――ということではないか。だとすれば、トランプは結果的にポスト・トゥルースのアイコンと見做されるようになっただけで、その潮流を創り出したわけではない、ということになる。もちろんアメリカ大統領の社会的影響力は大きいし、メディアへの過度の露出によってポスト・トゥルースをより発展・強化させた、という面はあるにせよ、だが。

では、これから先はどうなるのだろうか。自然に考えれば、高度情報化は、人類のインフラが壊滅的は被害を被るような、よっぽどのことがない限り、今後より強まりこそすれ、弱体化することはあり得ないだろう。ならばポスト・トゥルースの傾向も、それに比例して進行するばかりで、もう「トゥルースの時代」のような、客観性を信頼する社会状況は戻ってこないのではないかと思われる。よくても現状維持ではないだろうか。
だとすると、この潮流に「処方箋」はあるのか、が気になってくる。どんな出鱈目な主義主張であっても、自分達の島宇宙に逼塞し、他者と棲み分けることで共存しているならばさほど問題はないのだが、主義主張の内容によっては他者との衝突を引き起こしてしまう。アメリカにおいてトランプ派と反トランプ派の深刻な対立があるように。その手の摩擦を避けるという最低限度の目的のために、ポスト・トゥルースの解熱剤は処方されねばならない。
しかし、どうやって?
今年の8月にアメリカの新聞や週刊誌400誌以上が、報道の自由を訴える社説を一斉掲載したことがあった。有力紙ボストン・グローブの呼びかけによるもので、メディア批判を繰り返すトランプ大統領に対抗することを狙いとして行われた。その主張自体は至極正当な内容である。
たとえば、ダラス・モーニング・ニュースは「報道の信頼性を傷つけることで、権力者が民衆の監視なしにより強い決定力を得ることになるのは危険だ」と述べており、デンバー・ポストは「記者たちは真実を追求して日々過ごしている。記事に込められているのは政治的意図ではなく、伝えたいという願望だ」と述べている。(2018年8月18日付「朝日新聞」)
まとも過ぎるほどまともな言説である。しかし、「信じたいものだけ信じる」人々とは、信じたくないものには一切耳を貸さない人達のことである。耳を貸さない人達に、いくら耳を貸すよう訴えても、その訴えそのものが遮断されてしまうのだから、なんの効果も得られない。結局これらの「まともな訴え」は、ちゃんとした「聞く耳」を持った反トランプの人々の間でしか流通しない。その結果として起こるのは、報道の自由に対する理解の広がりではなく、トランプ派と反トランプ派の分断と対立の強化である。
聞く耳を持とうとしない人達に、いくら聞く耳を持つよう呼び掛けても意味がない。聞く耳を持とうとしない構造自体を突き崩す働きかけをしないと状況は変化しないのだ。だが、理屈でそうとわかっていても、現実的に実践するとなると容易ではない。それが困難であるからこそポスト・トゥルースはここまで常態化しているのだし、アメリカのメディアも無駄骨とわかっていながら、他に方法が思いつかないから退屈な正論を振りかざしているのかもしれない。
では、ポスト・トゥルースはもうどうしようもないのだろうか。

最近の日本に見受けられることのひとつに、「やたらと消臭・殺菌を気にしている」という傾向がある。テレビCMでは消臭・殺菌商品が昼夜を問わず紹介されており、社会全体の共通認識として、かすかな異臭も、わずかな雑菌も許さないと言わんばかりだ。この過剰なデオドラント社会は一体どこまで行くのだろう、と思わずにはいられない。
もちろんこれら消臭・殺菌商品は、おもに自身に対して使用されるものであり、他人に向けられるものではない。だが、自分が消臭・殺菌を励行することで、暗黙裡に他人にも歩調を合わせることを求めるものでもある。
異臭や雑菌を嫌う心理は、少しでも違和を感じる他者、波長が合わない他者と共存したくない――その思いが強くなれば排除したい――、と願う心理と通底している。
「デオドラント願望」と「排外主義」、そして「ポスト・トゥルース」は、おそらく根っこのところで繋がっている(ついでに言えば、日本人の未婚率と恋人いない率の上昇や、ハラスメントの対象の増加もこれらと相関していると思う)。ならば、排外主義とポスト・トゥルースにはこれといった対抗策が見いだせないならば、デオドラント願望を批判することでわずかながら他の二態を抑制できるのではないだろうか。
「人間なんだから多かれ少なかれ体臭があって当たり前、雑菌なんてそこらじゅうにいて当たり前」。そんな、ごくありきたりといえばありきたりな言葉を訴えかけ続けるしかないのではないだろうか。あまり効果がなさそうではあるが、少なくとも小生には他の方法は思いつかない。
あまり前向きでない結論になってしまった。でもポスト・トゥルースの隆盛はいかんともしがたい気がする。この社会傾向は動かしようのない大前提と捉え、ではそのうえでどうするのか、を考えるよりしょうがないのではないだろうか。


オススメ関連本・國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学』医学書院

人はいつでも信じたいものしか信じない――ポスト・トゥルースの時代に・前編

2018-12-19 22:54:18 | 雑文
近年の社会潮流を表す用語のひとつに「ポスト・トゥルース」がある。ポスト・トゥルースとは、客観的な証拠や、データ上の裏付けに基づかない、予断や偏見にまみれた社会的信念のことを指す。平たく言えば、「誰が何と言おうが、一般常識がどうあろうが、自分が信じたいものだけを信じる態度」のことである。
2016年のアメリカ大統領選の際にデマ情報が大量に飛び回り、しかもそれを安易に信じる人が数多く出現したことで、その事態を説明する言葉として頻繁に取り上げられるようになった。その大統領選挙で選出されたドナルド・トランプは、自身に都合の悪い情報はすべてフェイクの一言で片付けているが、彼の支持層は気にもとめない。
小生は、この潮流の原因は「高度情報化社会における情報量の飽和」にあると考えている。インターネットが普及する以前、情報とは、特定の社会的立場にいる者にしか発信することが許されなかった。それが、ネット及びSNSの一般化によって、誰でも情報の発信者になれる社会が到来した。
もちろんそれには良い面も多分にあった。情報の発信権を独占していたメディアが、自社にとって都合の悪い事実(営利を損なう、社是に反する等)を報じずにいる、といった問題点があり、既得権益だの業界のしがらみだのといった束縛とは無縁な在野の立場からの情報発信が、既存のメディアの相対化を図る、という役割を果たしたからだ。
しかし、「誰でも発信者」の情報インフラは、極度の情報量の肥大化をももたらしてしまった。情報の発信源が多すぎると、どことどこを押さえておけばいいのか、信頼に足る発信者は誰なのかがわからなくなる。ネットの普及以前であれば、たとえば新聞なら朝日・毎日・産経・読売の4紙に目を通しておけば、それで事足りた。その4紙だけで左右のバランスの取れた、社会の全体が見渡せる最低限のポイントを押さえておけると――錯覚ではあるにせよ――思い込むことができた。
だが、今ではそういうわけにはいかない。マスメディアのダメさ加減がいやというほど暴き立てられ、一個人のSNSから真相が暴露されることも珍しくない現状において、「これだけ押さえておけばOK」という普遍的な最低基準など存在しない。
何を信じればいいのかわからず、どれだけ情報を取り込んでも事足りたことにはならない。そんな情報環境下に、我々は生きている。
その結果、「何を信じればいいんだ!」という苦悶は、「だったらもう自分が信じたいものだけ信じるよ」という開き直りに転じる。それがポスト・トゥルースである。今となってはポスト・トゥルース的現象は、国内外問わず様々な局面で散見されるので、誰しもその実態をある程度知悉しているはずだ。
都合の悪い真実からは目を背け、耳に心地の良い情報ばかりを選択的に吸収し、同じ主義主張の者ばかりで徒党を組む。そんな様態を眺めていると、「世も末だ」とか、「人間は史上かつてないほど馬鹿になった」などど思われるかもしれない。確かに、そのように感じてしまいがちなのは無理からぬことではあるが、しかし事はそう単純ではない。
「信じたいものだけを信じる」現在を「ポスト・トゥルースの時代」とするならば、それ以前は「トゥルースの時代」であったことになる。「トゥルースの時代」は、その定義上「個人的感覚で正しいと思われるものよりも客観的な真実のほうを是とする」のが基本的態度の時代のことになるだろう。人類が「トゥルースの時代」を生きていた頃、自分達が今「トゥルースの時代」にある、ということは自覚できていなかった。「トゥルースの時代」とは、「ポスト・トゥルースの時代」がおとずれた後、崩れ去ってしまった社会通念を過去に照射することで浮かび上がってきた時代区分なのである。
さてそうすると、当然のことながら「人類の歴史とは、誕生してからこのかた、つい最近まではずっとトゥルースの時代であったのか」という疑問がわく。そして、その答えは否である。人類はこれまでずっと客観的な真実を信じられるほど理知的であったわけでもないし、ここ最近で急激に馬鹿になったわけでもない。
結論を先に言えば、「トゥルースの時代」とは、人類の歴史の一時期にのみ成立し得た、はかない陽炎のような時間帯だったのである。それを説明するために、少し過去に遡ってみていこう。
以下に引用するのは、秋田県の無形民俗文化財に指定されている猿倉人形芝居の人形遣い木内勇吉の身に実際に降りかかった出来事である。


勇吉が八歳だった明治三十九年の正月、村の豪家P家の作業所から出火、近所の家数軒が類焼した。勇吉の家もそのなかに含まれていた。ところが、本荘警察からきた取調べ官が祖母を放火犯と判断して警察へ引っぱったのである。放火は怨恨によるもので、たまたまP家との縁談がこじれており、P家の当主が祖母が犯人らしいと示唆したこともあって、縁談の仲介をしていた祖母がP家を恨んで放火した、とされたのだ。祖母は否認し続けたが、業をにやした警察は勇吉の父をも警察に連行して拷問したので、ついに祖母も放火したという偽りの自白をしてしまった。
こうして、勇吉の一家は「火つけ」をしたということで、当時の金で二百円の罰金を村に取られたうえ、向う五年間は村でいっさいの交際が断絶という「村離れ」に処せられることになった。「村の山でも草も薪木も取ることができず、村祭りに加入することもだめ、祝儀や葬式の出入もいっさい断つという厳しいものであった。そして祖母は、一年間本荘警察の拘置所に置かれて働かされたのである」。
この事件にひどいショックを受けた父は、心配のあまり今日でいう精神分裂病にかかってしまった。当時はそんなことがわかるわけがなく、狐がついたと悪評され、家では祈禱師を呼んでいろいろと祈禱をしたが、なかなか父の病はおさまらなかった。このため父は離縁となり、勇吉も村離れの子だということで子どもたちの間でも仲間はずれにされ、しかも父に狐がついたというので「つき」という渾名までつけられたのだ。一年後に、別の放火事件で捕まった者が、P家の放火も自供して、祖母の放火犯の嫌疑は晴れ、村に取られた二百円も返されたが、この罰金を調達するために売った田畑は買い戻すことはできず、また一度たてられた悪評はなかなか消えなかった。
(小松和彦『悪霊論』ちくま学芸文庫)


怒りや悲しみを通り越してあきれ果ててしまうほど出鱈目な話だが、このような裁きが通例であった時代があったのだ。我々の感覚では、事件や事故の判定、犯人の特定のためには「客観的な証拠」が必要とされる。客観的な証拠とは、理想的には写真や動画といった記録物、さもなくば犯行に用いられた物品である。
しかし、当然のことながら写真や動画は人類の歴史の中ではごく最近になって確立された技術である。それらが発明・普及される以前には、目の前で犯行が行われる現行犯を除けば、客観的な証拠に基づいて犯人を特定することなど、望むべくもなかった。
また、警察のような公的で中立的な(厳密には警察は必ずしも価値中立的ではないのだが)捜査組織があったわけでもない。つまり、そのような背景を持つ社会において、現代の我々が理想とする方法で犯人探しをしていたら、検挙率が極めて低くなってしまうのである。
これだと、被害者は泣き寝入りで、やったもん勝ちになってしまう。秩序を保つことができない。
そこで近代以前の人々は、「客観的な証拠に基づく」以外の手段で秩序を回復することを選んだ。それは、共同体内部の弱者(おもに被差別者・貧者などの、普段から虐げられている者たち)に罪を押し付け、裁きを下すことによって、正義が執行されたと見做す、というやり方である。たとえ無理筋であったとしても、犯人が特定され、裁きを受ければ、秩序は回復される。少なくとも、回復されたと思い込むことはできる。
現代の感覚ではあまりに理不尽に感じるだろうが、共同体を維持するためには一定の秩序が必要であり、その秩序維持のために、でっち上げでもいいからとにかく犯人を特定する、という手段が選好されたわけだ。「個」よりも「公」のほうが優遇されていたのである。だから被差別者というのは、このような事態に備えて、人身御供とするためにあらかじめ共同体内に組み込まれていた存在だということができる。被差別者は、秩序維持の供物として生み出されたのである。
上に引用した木内勇吉の話は明治の出来事だが、前近代の習慣を引きずっていることが見て取れる。このような態度が、「信じたいものだけ信じる」ポスト・トゥルースと親和的であることは明瞭である。
そう、人類は21世紀に入ってから急激に偏向的になったのではない。もともと客観的な証拠を信じるということが稀だったのだ。木内の話は放火事件に関する例だが、このような犯罪行為に限らず、様々な局面で客観性を重視しない態度は見られたはずである。
では、客観的な証拠を信じるという態度・習慣はどのようにして定着したのか。それは、先程述べたように、写真や動画といった映像技術の確立が大きく寄与している。そう、「映像の世紀」と呼ばれた20世紀に客観的な物証は生まれ、人々はそれに基づいて考え、かつ行動するようになったのである。


そもそも映像とは、パースペクティブという西洋近代の礎となった発想の完成形だった。特定の狭い共同体の中の文脈の理解を経なければ共有は不可能である実空間=三次元の体験に対し一度それを二次元に焼き直すことで、つまり虚構化することで共有可能なものに整理する思想の究極形――もっとも人間を受動的にするもの――が映像という装置であり、映像メディアというものが生まれたことによって今までにない規模で社会というものを運営することができるようになっていったのが20世紀という「映像の世紀」だった。
(宇野常寛『母性のディストピア』集英社)


「映像の世紀」が訪れるまで、人類は、「物証に基づく客観的な証拠」に触れることができなかった。もし、真実というものが「物証に基づく客観的な証拠」によって規定されるとするならば、人類は20世紀まで真実を知らなかった、ということになる。もちろん真実と呼ばれる考え方はあったわけだが、そこでは「厳密な証拠がない場合はもっともらしい人物を犯人に仕立て上げる」手段が真実を構成していた。
これは、真実の定義が20世紀とそれ以前では違っていた、と言うこともできるし、現代の我々が定義する「物証に基づく客観的な証拠」だけが真実なのだとすれば、映像の世紀以前は真実よりも秩序維持のほうが重要と判断されていた、ということになるだろう。
ここまでの議論をまとめると、21世紀の現在が「ポスト・トゥルースの時代」で、映像の世紀と呼ばれた20世紀が「トゥルースの時代」、そしてそれ以前、人類の誕生から19世紀までが「プレ・トゥルースの時代」ということになる。(ただし、厳密には20世紀が最初から最後まで映像の世紀であったというわけではない。ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールがダゲレオタイプを発表したのが1839年。リュミエール兄弟のシネマトグラフによる世界初の映画『工場の出口』の公開が1895年である。写真と動画の発明には時間差があるし、発明から普及までにはいくらか時間がかかることを考慮すると、写真が一般化するのは19世紀中葉で、動画の一般化は20世紀に入ってしばらくしてからということになる。また、すぐあとに述べる理由によって、20世紀の終盤にはすでに映像の世紀は過ぎ去っていたことになる。そのため、20世紀がまるまる映像の世紀と言うことはできないのだが、ここでは議論をわかりやすくするために「20世紀=映像の世紀=トゥルースの時代」と定義させていただく)
客観的な証拠(あるいは情報)を重視しないという点において、「ポスト・トゥルースの時代」と「プレ・トゥルースの時代」は相似している。「人類は21世紀になって急激に馬鹿になったわけではない」というのは、そういうことである。
ただし、近代以前は宗教の力が強かった時代でもあるため、神や宗教の教義や宗教者が部分的に客観性を担っていた、という面もある。なので、「プレ・トゥルースの時代」には主観しかなかった、というわけではない。「ポスト・トゥルースの時代」と「プレ・トゥルースの時代」には、宗教的影響力の有無という差異がある。宗教的影響力が希薄なぶん「ポスト・トゥルースの時代」のほうが主観が強くなる、と言えるだろう。
そもそも人間は、自分にとって都合のいい話を選好する傾向がある。どんなに客観的・中立的であろうと心掛けていたとしても、そのような心の動きが兆してしまうのは、いかんともしがたい人間心理なのである。
人間心理がかように自己中心的に編成されているとするならば、人が「信じたいものだけを信じる」のもごく当然の成り行きである。だから、「トゥルースの時代=20世紀」は、映像技術によって確立された客観的な物証によって、自分にとって都合のいいことばかりを信じがちな心的傾向を、なんとか押さえつけることに成功していた例外的な時代だった、ということになるだろう。そうしてみると、20世紀が人類の歴史の中で極めて特異な時代であったことがわかる。

(後編に続く)