徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

日清 焼きそばUFO 鶏ネギ塩・カレー

2020-04-24 21:26:02 | 
今回は焼きそば入り未確認飛行物体です。






新型コロナウイルスの流行でマスクの品切れが長期化していますね。ところでマスクと言えば覆面。覆面と言えばライガーですよ、獣神サンダーライガー!
今年1月に引退したライガーですけど、僕はライガーって肥満体系だとばかり思いこんでたんですよ。ほら、ライガーって全身タイツがコスチュームじゃないですか。だからてっきり体つきはちょっとだらしないんじゃないかって思ってたんですよね。
今の若いレスラーはみんなビルドアップしてて肉体美を競ってますけど、ひと昔前はややたるんでたり、ぽっちゃり体型の人多かったじゃないですか。今でもほら、矢野通とかね。だから、ライガーも体の見た目の悪さを隠すための全身タイツだと思ってたんです。
したらですよ。引退の少し前の鈴木みのる戦に、上半身裸のバトルライガーってスタイルで臨んでましたけど、異様に引き締まった体してたじゃないですか。こんないい体、今までタイツの下に隠してたの?もったいねーって思っちゃいましたよ。何言ってんのかわかんねーって人は「バトルライガー」で画像検索よろ!
んでライガーって平成元年デビューなんですってね。長くやってるからてっきり昭和にデビューしてるものとばかり思ってましたよ。平成もずいぶん長く続いた、ってことですかね。
昭和も遠くなりにけり。平成も次第に過去になっていくのでしょう。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
博多祇園山笠は正式に今夏の開催中止が決定しました。山笠ってもともと疫病退散を祈念して始まった祭りなんですけど、それが疫病のせいで中止になるというのはなんとも皮肉な話ではあります。
福岡の感染者は今日までで587人。ソーシャルディスタンスって言いづらいし意味がピンとこないから、日本語の適当な言い回しを考えてほしい今日この頃。

今日は「感染経路」について話しましょうか。「感染経路が特定された」とか「経路不明」とかよく言ってますよね。でも、これらはあくまで「蓋然性の高い低い」の違いでしかないんですよ。
どういうことかわかります?皆さん、ウイルスは目に見えませんよね?目に見えないということは、どういうことか。ウイルスが人の体内に入り込む瞬間を観測することはできない、ということです。
わかりますか?ウイルスが人の体内に入り込む瞬間を観測できるのであれば、感染経路が明確に特定できたと言える。でも、人間はその瞬間を観測できない。だから、「感染経路が特定された」という事例にしたところで、「たぶんそうじゃね?」という推測に基づいて「特定した」とされているだけなのです。あくまで「推測」による「判断」でしかないのです。

例を挙げて説明します。
コロナ陽性と判定されたAさんがいます。BさんがAさんと濃厚接触しました。のちにBさんはコロナに感染したことが判明しました。
この場合、感染経路は「Aさん→Bさん」と「特定」されます。しかし、本当にコロナウイルスはAさんからBさんに移ったと言えるのでしょうか。何せ、「人はウイルスが体内に入り込む瞬間を観測することはできない」んですよ。
ひょっとしたら、BさんはAさんとの濃厚接触以外に、ドアノブを触っていたかもしれない。そのドアノブは、直前にCさんが触れていたかもしれない。Cさんはコロナに感染してはいないものの、たまたま手にコロナウイルスが付着しており、それがドアノブを経由してBさんに感染した、というのが真相なのかもしれない。
でも、Bさんの直近の行動を聞いた人たちは、その中から最も疑わしき「Aさんとの濃厚接触」を「経路」と判断するのです。
ウイルスが肉眼では見えないからこういう誤りが起こりうるんですね。「感染経路の特定」なんて、そんなもんでしかないのです。「たぶんそうじゃね?」という判断(独断と偏見と言ってもいいでしょう)に基づいて、経路は特定(というより決めつけ)されているのです。すべては蓋然性でしかない。
たしかに、濃厚接触していれば感染経路である蓋然性は高い。でも、ウイルスが目に見えない以上、100%の厳密な経路特定は不可能なのです。
ウイルスが目に見えないなんて、言うまでもない当たり前のことですけど、でも「だからウイルスが人の体内に入り込む瞬間は観測できないんだよ」という、これまた当たり前のことには、みんな気づいてないのではないでしょうか。

僕がなぜこんな細かいことをグジグジ話してるのかというと、感染経路の特定によって引き起こされかねない諍いを、少しでも減らしたいからです。感染経路が特定されると、「お前のせいで感染した!」とか、「自分のせいで感染させてしまった」といった、傷つけたり傷つけられたりが発生しがちです。
でも、先に説明したとおり、感染経路を100%正確に特定することはできません。経路の特定は、けっこう曖昧な「決めつけ」でしかない。
そんな曖昧なもののせいで傷つけ合うのは、とても不毛なことです。僕はそんな不毛な悲しみや苦しみを少しでも減らしたい。だからこんな文章を書いているのです。
皆さんもこの話をできるだけ広めてください。広がれば広がるほど不要な悲しみや苦しみをなくせます。
拡散するのもいいでしょうね。うん、今すぐツイッターで拡散しましょう。さあ、右下にあるツイッターのバナーをクリックするのです!フェイスブックでシェアするのもいいですね。
いや、別に自分の記事をバズらせたいから言ってるんじゃないですよ。世のため人のために言ってるんです。ブログのアクセス数などどうでもいいことです。ほんとですよ。
疑いの目で見るのはやめてください。いいから黙ってツイートかシェアすればいいんですよ!ほらはやく!はやくしなさい!!

ダメ、ゼッタイ?

2020-04-21 22:00:14 | 雑考
鶴見済の『檻のなかのダンス』(太田出版)を読んでの気付き。
これは社会問題にもなった『完全自殺マニュアル』で知られるフリーライター(当時)の鶴見が、自身の覚醒剤所持による逮捕の体験記を中心に、ダンス、レイヴ、ドラッグ、神経症などにかんするルポとコラムを収録したエッセイ集である。その一節「青少年のための覚醒剤入門」の中に、次のような記述がある。


覚醒剤と言えば「一度手を出したらやめられなくなり、いずれ幻覚・妄想や凶悪犯罪に行き着く」恐怖のクスリのはずだ。(中略)なのに錯乱してるヤツとか、覚醒剤凶悪犯なんて全然いないのはなぜなんだ?
実は「覚醒剤=幻覚・妄想・凶悪犯罪」というのは、世界でも日本だけの“常識”なのだ。ヨーロッパへ行ってドラッグの本や雑誌を見て気づいたが、薬害としての「幻覚・妄想」は「不眠」なんかと一緒に「やめて数日寝れば治る」と軽く扱われていた。これが欧米の研究者の一般的な見方なのだ。
しかし日本の研究者だけが、「幻覚・妄想は少しずつ蝕まれた脳の致命的な損傷のせい」という独自の説を主張しつづけて、国際学会でも孤立しているらしい。しかもその説は、50年代のヒロポン・ブームの頃、つまり脳のことなど何もわかっていない時代に、特に根拠もなく提唱されたものだ。
確かに幻覚・妄想が長引いたり再発する人はいるし、それは欧米でも認められている。「パーセンテージ」の問題なのだ。おそらく使用者全体の1%未満であろう幻覚・妄想例や、さらにその1割程度の「再発(フラッシュ・バック)」の症例ばかりを取り上げて発表しまくり(欧米ではむしろ、覚醒剤によるフラッシュ・バックは否定されている)、専門書をよーく見ると「(幻覚・妄想の)80%を超える大部分の患者は断薬により1ヵ月以内(その多くは10日以内)に精神病像が消褪する」なんて書いてあるわけだ。
「再発」ケースにこだわる理由はまず、最初に「脳の損傷説」を唱えた人が、今も日本の覚醒剤研究の神様扱いで、今さらそれが間違いだとは言えないから。引くに引けず、その説に合うような再発例ばかり調べてるわけ。
さらに大きな理由は、そもそも研究者が撲滅運動をやっているから。それなら「寝れば治る」より「致命的」のほうが都合がいい。これはもう研究というより「撲滅運動」の一環なのだ。世界では相手にされない説でも、何も知らない国民に信じさせるのは簡単だ。こうして悲惨な例ばかり、さらに誇張して徹底的に広め、今あるイメージを作り上げたのだ。
(中略)
では、なぜチェック機能が働かないのか?運動組織の構造を見ればわかりやすい。
撲滅運動は、厚生省、警察庁、研究者集団が三位一体となって推進されている。犯罪に関する情報は警察が握り、医学・薬理学的情報は研究者集団が厚生省の研究費で作り出す。つまり覚醒剤に関する情報はここに集中してしまっているため、外からのチェックができず、それを信じるしかなく、自由自在な世論操作、法改正、捜査・逮捕、重罰化・・・等々ができるようになってるのだ。


ほかにも気になった個所をいくつか抜き出しておく。

・鶴見の計算によると、薬物使用者のうち事件や事故を起こすのは全体の0.1%未満で、しかもその大半が「やり取りをめぐって刺したとか、買うカネほしさに盗んだとか」いう、薬物の直接の影響とは言えないものだそう。

・オランダの大学で一般人を対象に毎年行ってるアンケートによれば、覚醒剤の「生涯使用率」は例年4%くらいで、「ここ1年の使用率」は例年0.1%くらい。つまり、クスリを切らさず使い続けてる人は少数派で、大半は休み休み長期間使っているとのこと。酒と同じように「みんな中毒にもならずに一生」使い続けているらしい。

・戦時中に国が軍と工場で半ば強制的にやらせていた覚醒剤の残りが、戦後民間に放出されヒロポンブームになった、という歴史的事実も紹介されている。初めて聞いたぞ、そんなの。

・覚醒剤の依存度はアルコールより高いものの、アルコールは「中毒になると幻覚・妄想や凶悪犯罪も誘発するし、さらには痴呆になったり、内臓がやられたりする」のに、飲酒は禁止されておらず、社会も乱れていないのはなぜなのか、という問いかけもなされている。

・また、精神依存は思い込みに影響されるため、「手を出したらやめられない」と思えばやめられなくなるし、「被害妄想になる」と思えばそうなるという。薬物を遠ざけるために喧伝されてるイメージが精神依存を作り出しているというのだ。


さて、この主張をどう受け止めたらいいのだろう。
僕は以前の時事「これが薬物中毒者の生きる道?」(2・15)の中で、薬物の使用が「もし刑法で罰せられることなく、野放しにされているならば、大酒飲みやギャンブル狂いなんかと同じように、「ちょっと困ったところのある人」と認識される程度で、よっぽどの社会的逸脱がない限りは周囲に許容されてなんとか生きていけるはず」だと述べた。その考えは、基本的に変わらない。
著名人を例に見ればいい。清原和博、ピエール瀧、沢尻エリカ。この3者は、種類は違えど、薬物を長期間使用していた点で共通している。そして、長期間の使用にもかかわらず、錯乱することなく、社会人としてまともな活動を続けていた(キヨとエリカ様は言動に困ったところのある人だったが、それは彼らの性格に起因するもので、薬物の影響ではない)。もし逮捕されていなければ、芸能活動・音楽活動を今も変わらず続けていて、それでなんの問題もなかったはずだ。
ただこれまでは、「薬物使用者」と「薬物中毒者」を混同していたので、そこは訂正したい。お酒が好きな人がみんなアルコール中毒ではないように、薬物使用者の全員が薬物中毒なわけではない。

以上の議論を踏まえても、にわかに「覚醒剤OK!」とは言えまい。鶴見の見解も、あくまで特定の立場の意見に過ぎない。
ただ、ひとつだけはっきり言えることがある。法律だから、決まり事だからといって、無批判的に正しいと信じこむのは馬鹿げている、ということだ。
「悪法も法」と言ったのはソクラテスだが、法律は人為的に作成されたものであり、だからこそ人間と同じように誤りうるし、なんらかの偏向が入り込むことがある。法律で禁止されているというだけで、絶対にその禁を犯してはならず、反した者はみな非難に値すると考えるのは、法律を盲目的に崇拝しているに等しい。
僕は法律の奴隷ではない。国家の奴隷でもない。法律を、法律だからというだけで信奉するつもりはない。
何も考えずに法律を受け入れている人たちは、法律の隷従者である。「法律様、法律様」とペコペコしているのだ。拝跪したい人はしていればいいと思うが、僕はついていけない。
鶴見も指摘していることだが、覚醒剤の使用は50年くらいの間で「強制→合法→微罪→重罪」と変化しているわけで、つまりは為政者の思惑次第でいくらでも改正しうるものなのだ。
麻薬を合法化するか否かといった議論は議論として、それとは別に、法律を批判的・懐疑的なまなざしで注視することは忘れるべきではないだろう。

サンヨー食品 ラッキーマヨネーズおかき味 油そば

2020-04-17 21:38:50 | 
今回はラッキーマヨネーズをイメージした油そばです。




最近このラッキーマヨネーズが勢力を拡大してますね。
拡大と言えば天神です。福岡で一番の商業地は天神っつーところなんですけど、そこで今「天神ビッグバン」と銘打った再開発が進められていまして、具体的には航空法に基づく建築物の高さ制限の緩和によって、今よりも高層のビルが建てられることになったんですね。で、建て替えのために、これまで市民に親しまれてきた商業ビルがいくつかなくなることになったんです。
そのうちのひとつが「天神コア」っていうところでして、ここはおもにファッションのテナントがいっぱい入ってる、ナウでヤングな若者が集うオシャレスポットなのですね。東京でいうたら渋谷109にあたります。ここが今年の3月に閉館になったんですけど、僕はひとつこの場所に思い出がありまして。
もう10年ぐらい前になりますかね、ある日何かの用で天神に出たとき、僕は天神コアのメンズフロアに足を向けました。僕はオシャレにはまったく興味のない人間でして、服を買うのはユニクロか無印良品、せいぜいがRight‐onといったところ。普段なら天神コアのようなオシャレビルには目を向けることもないのです。
しかし、なぜかその日は天神コアの中にいた。なぜなのか、今となってはまったく思い出せないのですが、とにかくメンズフロアを、店先のディスプレイを眺めながら歩いていたのです。
そして、とあるテナントのマネキンが目にとまりました。オシャレに興味がないはずなのに、何か惹かれるものがあったのか、ふと足を止めて、マネキン人形のコーディネートを上から下までまじまじと眺め出したのです。
数秒後、突然気づきました。マネキンと思っていたそれは、マネキンではなかったのです。マネキンのように微動だにせず直立していた、黒人の店員さんだったのです!
目を合わせることはしませんでしたが、店員さんはニコニコしながらパントマイマーのように身動きひとつせず、こちらを見ていました。僕は気づいて「あっ!」となってからも、どうしていいかわからず、気づいてないふりをしました。そして「どうしようどうしよう」と激しく混乱した挙げ句、結局最後まで気づかないふりをし、無言でその場を後にしたのです。
思い出すだに恥ずかしい話です。黒人の店員さんにはすごく失礼なことをしてしまいました。謝れるものなら謝りたい・・・。
皆さんにもありませんか?取り返しのつかない切ないメモリー・・・。人生というのはそんな出来事の積み重ねで出来ているのかもしれませんね。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
不祥事起こした政治家の無責任な発言に対して「まるで他人事ですね」と批判していた「報道ステーション」が、まるで他人事みたいに富川悠太のコロナ感染を伝えていたのには笑いましたね。
人との接触をできるだけ少なくということで、スーパーなんかの買い物も、子供を連れずにひとりで行きましょう、って言われてますけど、これあくまで「努力目標」と考えるべきです。ひとりで買い物いけるなら、それがベスト。でも中には、どうしても子供を家に置いとけないとか、時間がなくてお迎えの帰りにスーパー寄るしかない、って人もいるはずです。「買い物はひとりで」を義務化してしまうと、そんなやむを得ず子連れで買い物来てるママさんを、口やかましいオバサンが説教する、っていうイヤな光景が頻出しかねない。
ことは「買い物はひとりで」だけにとどまりません。感染拡大を防ぐためのあれこれを、「義務化」するか「努力目標」にするか、というのはけっこう重要です。みんなが合わせられるものは義務にするけど、そうでないものは努力目標にとどめる。そんな冷静な線引きをすべきでしょう。
努力目標を守れていないからといって、「何やってるんだ!」と叱責するようなことは慎まないといけません。

福岡ではどんたくに続いて7月の祇園山笠も中止が検討されています。どんたくは「集客」の祭りで、山笠は「伝統」の祭りという感じで、地元じゃ断然山笠のほうが重視されてるんですよね。これ中止になったらショック受ける人多いんじゃないかな。ねぶたやよさこいも中止ですし、しょうがない流れではありますけども。
福岡の感染者は今日までで479人。僕はもともとインドア派なんで、家でおとなしくしてんのは平気なんですけど、ひとり暮らしで自炊もしないから、飲食店の営業時間短縮は困りますね。ファミレスとか、だいたい7時か7時半にオーダーストップで8時閉店。はやすぎる。
松屋は8時以降テイクアウトのみで開いてますけどね。コンビニ弁当の頻度が増えそう・・・。
行きつけのインドカレーの店で「営業時間どうなった?」って聞いたら、「もともとは11時までだったけど、今は8時か9時」という曖昧な答えが返ってきました。インド人はテキトーです。