徳丸無明のブログ

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マンガ・四コマ・『渇きくん』

2017-04-28 21:10:06 | マンガ
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自虐なき世界――理想国家はどこにあるのか・後編

2017-04-25 21:33:20 | 雑文
(前編からの続き)

次に自虐史観の問題を、具体例に沿って考えてみたい。
自虐史観関連で一番言及の対象とされるのは、南京虐殺だろう。反自虐史観論者は、虐殺が確実に行われたとする証拠がないとか、中国政府が公式発表している死者の数はあまりに多すぎて、物理的にそれだけ殺害するのは不可能だし、そもそも当時の南京の人口より多いから出鱈目だ、と言っている。
まず、虐殺の証拠についてだが、証拠がなければ虐殺行為があったとは認められない、とするのは、どれだけ正当性があるのだろうか。
戦争というのは、破壊行為である。交戦国の人間のみならず、住居、インフラ、その他建築物もまとめて破壊されるのが常である。だからその過程で、記録媒体も一緒くたに破壊・焼却されてしまうのが自然な成り行きのはずだ。
当時は今とちがい、カメラなどの撮影機器は高価で、所有できる者は少数であった。また、現代のように、一人一台所持している携帯電話にカメラ機能が付いているとか、町内の至る所に防犯カメラが設置されているという状況でもなかった。記録媒体自体がごく限られている時代の、しかも侵略・破壊行為を蒙っているさなかに、「今何が起きているか」を正確に記録しておくことは、極めて困難だろう。
だから、「証拠がなければ虐殺が行われたとは断言できない」と言うのは一面の真理であるかもしれないが、「証拠がないので虐殺は起こっていない」と断ずるのも無体な話だと思う。
戦争の渦中に、都市の制圧という侵略行為が行われたのであれば、その過程で少なからず虐殺が起きたと考えるのが自然ではないのか。つまり“推定有罪”が成り立つとみていいのではないか。(虐殺が起きたと推察される状況証拠がある程度出揃っているにも関わらず、それでも明確な根拠がないからと虐殺を否定するのは、自分達にとって都合のいい証言ばかりを集めて「アウシュビッツでは虐殺は起きていなかった」と強弁する新ナチスの言い草に酷似している)
仮に百歩譲って、虐殺行為は一件も起きていなかったとしよう。しかしそれでも、日本軍は南京を侵略したのである。この事実は動かせない。非侵略行為は、現地の住民には耐えがたい屈辱を与えたはずだ。だから、いずれにせよ日本は、南京に関して中国に謝罪しなくていい、ということにはならない。
日本側が反証していいのは、殺害者数の多さが不自然であるという点ぐらいだが、それだって事実とかけ離れていれば中国のほうが勝手に恥をかくだけだから、好きなように言わせておけばいい、という気もする。いずれにせよ、殺害者数が間違っていることを以て、謝罪を回避しようとする態度は許されないだろう。

確かに、過度な自虐は病的かもしれない。そこだけは反自虐史観論者に同意してもいい。だが、自虐を完全に排してしまえば健全な国家が確立できる、という見立てには首肯できない。自虐が一切存在しない国家というのも、それはそれで病的だと思うからだ。
「日本の若者は、アメリカや中国などの他国の若者に比べて、自分に自信を持っていない」といったデータが、たまにメディアで開示される。アンケートに基づくこの種の調査結果は、必ずと言っていいほど「日本の若者は情けない」という文脈で紹介される。
だが、過剰な自信を持つことの危険性こそ、もっと強調されてしかるべきである。
アメリカがこれまでにどんなことをしてきたか。現在の中国が、周辺諸国にどんな振る舞いをしているか。自分の行為に何の疑いも差し挟まない者が、過去の言動を内省的にふり返ることをしない者が、周囲にどんなことをしでかすか。むしろ問題視すべきはそちらの方である。
過剰な自信を持つ者は、反省しない。過ちに気付くこともないし、欠点を直すこともできない。それは、過度な自虐とは対極に位置する、一種の病態である。
そして、「過度な自虐家」と「過度な自信家」とでは、周囲に迷惑をかけまくるという点に鑑みて、後者の方が害悪の度合いが高いと言っていいのではないだろうか。
国家は、ちょっと自虐的なくらいがちょうどいい。小生は、そう思っている。
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自虐なき世界――理想国家はどこにあるのか・前編

2017-04-24 21:08:00 | 雑文
「自虐史観」なる語を創出したのは漫画家の小林よしのりであったろうか。
『教科書が教えかねない自虐』によれば、小林は自虐史観の持ち主を「自国の罪を発見し暴露し、自国民に反省を迫ることが好き」で「韓国や中国や東南アジアに出ていって被害者を探」したり、「自国民に罪悪感を植えつけ反省・謝罪させるためには自国の罪(戦争犯罪)をでっち上げることだってする」し、「反日ナショナリズムで国内をまとめている中国や朝鮮の言い分をそのまま日本に流通させる」ような者だとしている。この定義に従えば、史実に反していない事柄であっても、過去を反省するそぶりは皆すべて「自虐史観」となり、過ちを一切反省しない在り様こそが自虐ではない、あるべき歴史観だということになってしまう。
実際、「自虐史観」が一般的な言葉遣いとして定着した現在、その意味が拡大解釈され続けた結果として、とにかく日本の過去を反省的に捉えることはすべて自虐と見做す者も少なくないようだ。この「反自虐史観論者」たちは、自虐史観を一掃できれば、今よりもずっと立派で気高く、幸福度もより高い、理想的な日本国をもたらすことができる、と考えているようである。
さて、「過去の過ちを反省しないこと」が、本当に理想社会の実現に寄与するのだろうか。
思想家の内田樹は、現代のフランスが抱えるある種の歪みが、第二次世界大戦の総括の仕方に起因すると指摘している。少し長くなるが、複数の著作から以下に引用する。


「ほとんどの人は「フランスが第二次世界大戦の敗戦国」だとは思っていない。でも、フランスはほんとうは敗戦国なのです。四四年までドイツの属国であり、連合国に宣戦布告だけはしていないものの、ドイツの後方支援国として事実上の枢軸国だったのです(中略)。敗戦国があたかも戦勝国であるかのような顔をして戦後の国際社会に登場できたのは、すさまじい力業によって「対独協力政権」を「かっこに入れて」、戦前のフランスと戦後のフランスをつないでしまった人物がいたからです。
それはシャルル・ド・ゴール将軍です。(中略)彼のロンドンの亡命政府は実体はないに等しかった。法理的には対独協力をしたヴィシーのペタン政権のほうが正統な政府なのです。(中略)でも、ヨーロッパ戦線で戦況がドイツに不利に変わると、それまでドイツに協力していたフランス人たちも掌を返すようにレジスタンスに加担して、最終的にはフランス人たちが敗走するドイツ軍を痛撃した。(中略)戦争が終わった時点では「ドイツに勝った」と勝利の美酒を掲げていたフランス人たちがたくさんいました。(中略)でも、フランスは一九四〇年に連合国を離脱しています。ドイツと戦った自由フランスは一「交戦団体」に過ぎませんでした。でも、ド・ゴールがいわば身を以て架橋したことによって、戦前のフランスと戦後のフランスの同一性は保たれたのです。
もちろん無理をすれば、どこかで「ひずみ」も出ます。それだけの無理をしたせいで、一九八〇年代までヴィシー政府についての史料公開も歴史研究もフランスではつよく抑圧されていました。フランスがドイツ占領下でどのように対独協力してきたのかが暴露されてしまうと、「フランスは連合国側の戦勝国であった」という国民的規模で作り上げた「物語」が保たなくなるからです。ドイツの支配に協力した戦前の政治家や官僚たちが第四共和政に流れ込んで、戦後の支配層に食い込んでいる事実が暴露されてしまうからです。」(『街場の戦争論』)
「そういう歴史的事実は抑圧されていて、それを開示するような歴史研究はまさに日本における歴史修正主義者たちの言い分と同じく「自虐史観」として排撃されている。
(中略)
今、フランスであれだけ移民の問題や貧富格差の問題や極右の進出が起きているのも、元を辿ればフランスなりの「敗戦の否認」の帰結なんです。
(中略)
八〇年になってから、最初はカナダやイスラエルやアメリカの研究者が隠蔽を逃れた歴史史料を使って、ヴィシー政府が何をしたのかを明らかにしてきた。
(中略)
フランス人がヴィシーのことを体系的に書いたのはたぶんベルナール・アンリ=レヴィの『フランス・イデオロギー』という本が最初だったと思いますけれど、それが八一年です。出たときは保守論壇から袋叩きになりました。」(『日本戦後史論』)
「今のフランスの知識人の文章は、立場はリベラルでも、保守でも、すごく読みにくいでしょう。(中略)フランス知識人の書く文章がある時期から「何を言っているのかさっぱりわからない」複雑怪奇な文体になった。
(中略)
フランスの知識人たちが、クリアカットで倫理的にすっきりしたテクストが書けなくなったのは「敗戦の否認」の後遺症なのだと思います。」(『世界「最終」戦争論』)


仮に戦後の日本社会に、一切の自虐史観が存在しなかったとしたらどうだろう。このフランスと同じような有様になっていなかっただろうか。反自虐史観論者たちは、この問いかけに反証する義務があると思うが、どうだろう。
また、「自虐なき国家」と言えば、やはりどうしても2000年代前半までのアメリカを思い浮かべずにはいられない。
「世界の警察」を自任し、「自由と民主主義」という自国の掲げる理念こそが最良の政治形態と信じて疑わず、その伝導のために他国の政治に介入し続け、場合によっては戦争も厭わなかったアメリカ。自分達の振る舞いこそが世界平和の実現に繋がると、他の国々もそれに共鳴し、いずれ必ず感謝されると固く信じていたアメリカ。そして、結果的には多くの政治的混乱と反米意識を世界中にばら撒くことになってしまったアメリカ。
自らが正義であると信じて疑わないという点において、この2000年代前半までのアメリカこそが「自虐なき国家」と呼ぶにふさわしいと思うが、こんなのが本当に理想的な国と言えるのだろうか。
反自虐史観論者は、原爆投下や東京裁判や日米安保条約の絡みから、反米思想でもあるはずだが、そのアメリカこそが理想を体現している国ということになるのではないか。自らの思想信条に反する国家こそが、実は自らの理想を体現しているという矛盾。この矛盾を、反自虐史観論者はどう説明するのか。(厳密に言えば、アメリカには一切自虐史観がないというわけではない。ヒッピーのような反社会反体制の勢力は今も昔も一定数存在するし、ベトナム反戦運動をピークとするカウンターカルチャーは常にあった。ただ、アメリカの国力の高さゆえ、メインカルチャーの強さゆえに、カウンターカルチャーはその有力な対抗勢力とはなりえず、自虐はあってないようなものでしかなかったのだ)

(後編に続く)
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