徳丸無明のブログ

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R-1ぐらんぷり2020 優勝予想

2020-02-19 22:55:16 | 雑文
暖冬とはいえ、新型コロナウイルスの終息もまだ見えない中、ひとりの油断が家族のピンチにつながる、だからR-1は・・・愛だ!
ってちがうよナオ君!ぐらんぷりのほう!
3年連続同じボケが決まったところで、昨日準決勝が行われ、3月8日に決勝が放送される、ひとり芸の祭典R-1ぐらんぷりの優勝予想をさせていただきます。

決勝に残ったのは以下の11人。


メルヘン須長
守谷日和
SAKURAI
野田クリスタル(マヂカルラブリー)
ルシファー吉岡
ななまがり森下
ほしのディスコ
すゑひろがりず南條
ヒューマン中村
おいでやす小田
ワタリ119


この11人に、敗者復活の1人を加えた12人で優勝が争われます。
僕の優勝予想は次の通り。


①ルシファー吉岡・・・下ネタが多いルシファーだが、年々下ネタがマイルドになり(つまり世間に広く受け入れられやすくなり)、かつセリフのセンスが上がってきてる印象。そろそろテッペン獲るのではないかと。

②ヒューマン中村・・・おもにフリップネタの、作りこんだセンスが光る知的なタイプの中村。推測ですけど、もはや劇場ではスベり知らずの実力者なはず。ネタのチョイスを間違えなければいいとこ行けると思います。

③守谷日和・・・正直ネタちゃんと観たことなくて、大阪で活躍してる若手という知識ぐらいしかないんですけど、でもたまに知らない人が優勝することもあるので、博打で第3候補。


他の出場者にも一言。


メルヘン須長・SAKURAI・・・知らないですごめんなさい。

野田クリスタル(マヂカルラブリー)・・・野田のキャラクターは好き。好みがわかれる芸風でどこまで評価を広げることができるか。

ななまがり森下・・・コンビのコントはけっこう面白いですよね。ピンだとどうかな。

ほしのディスコ・・・ほしのは解散してピンになるか、ほかの芸人と組んだほうがいいのかもしれないな、って気がしてたんですよね。このステージが将来を計る試金石となるでしょう。

すゑひろがりず南條・・・去年のM-1にも出場した南條。ピンでも古典芸能キャラでやるの?

おいでやす小田・・・僕はずっとおいでやすを推してきたんですけど、最近のネタの傾向を見てると、僕の好みとは違う方向に行こうとしてるのかな、という感じなんですよね。申し訳ないけど今年は候補から外させてもらって様子見します。

ワタリ119・・・テレビ向きのキャラなので、ほっといても売れると思います。できればネタをやり続けてほしいです。


続きまして、敗者復活予想。最後の一枠を争うのは以下の21人。


カベポスター 永見
kento fukaya
アインシュタイン 稲田
クロスバー直撃 前野悠介
弓川信男
アポロン高佐
だーりんず 松本りんす
野田ちゃん
紺野ぶるま
4000年に一度咲く金指
MORIYAMA
大谷健太
ZAZY
どんぐりたけし
ウエストランド井口
たつろう
オジンオズボーン篠宮
ベルサイユ
サンシャイン池崎
マツモトクラブ
三浦マイルド


去年のしっとりしたハゲネタが忘れられない松本りんすや、R-1でもThe Wでも決勝行くのに惨敗してしまう紺野ぶるま、「ネタパレ」で一度だけ観たことあるけどすごく面白かった4000年に一度咲く金指あたりが捨てがたいんですけど、今回はZAZYにBet。最近では珍しい不条理ネタで高いセンスを発揮しているピン芸人。
不条理ネタは20~30年ほど前に流行ったことがありまして、『セクシーコマンドー外伝 すごいよ‼マサルさん』の影響によるものだったと記憶してるんですけど(ひょっとしたら『伝染るんです。』だったかもしれない)、当時の不条理ネタの多くは、ただデタラメな内容を適当につなぎ合わせただけのものだったんですよね。ただデタラメなだけじゃダメだろうと。笑いに昇華するにはひと工夫必要だろうと思ってました。
じゃあそのひと工夫は何だと訊かれてもうまく答えられないんですけど、ZAZYがその課題をクリアしていることは間違いありません。ユーミンも好きだというZAZY。もっと評価されていいと思います。

皆さんもよろしければコメント欄から優勝予想にご参加ください。第1~第3候補まで予想可とさせていただきます。今回も当たっても何も出ません。
gooブログのコメントフォームには名前とタイトルとURLの入力欄がありますが、これらは必須じゃなくて、コメントだけでも投稿できるはずですので、お気軽にお寄せください。
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マンガ・1ページ・『生き埋めくん』

2020-02-18 23:34:56 | マンガ
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これが薬物中毒者の生きる道?

2020-02-15 21:36:48 | 時事
2月13日、槇原敬之が覚醒剤と危険ドラッグのRushを所持していた容疑で逮捕された。この一報に触れたとき、「ああ、そういえばこの人前にもやってたな」と思い出した。
前回の逮捕が99年。今回の所持は2018年の容疑らしい。仮にその間、薬物を一切絶っていたとするなら、約19年間は使用していなかったことになる。
「19年ガマンしていたのなら、まあ上出来じゃないかな」。ぼんやりとそう思った。
去年の11月に田代まさしが覚醒剤で4度目の逮捕をされたときにも似たような感想が起こった。
「田代さんはもう、たまに薬をやって逮捕されて、を繰り返してるのが本人的には一番いいんじゃないかな」と。
非常にナイーブな問題なので、慎重に言葉を選ばないと誤解を招いてしまうだろう。もちろん僕は薬物を推奨するつもりはない。
ただ、一度覚醒剤に手を出してしまうと、その誘惑に取りつかれてしまい、やりたいという衝動から一生逃れられないという。田代さんは、今回の逮捕前に出演したテレビで、「毎朝起きるたびにやりたいと思う」「1日1日、やめ続けるのを積み重ねるしかない」と話していた。
それって、すごく苦しいことだと思う。だったら、ガマンにガマンを重ねて、できうる限りガマンし続けて、どうしても耐えられなくなったらまたやって、逮捕されて獄中で薬抜いて、出所してまたガマンに臨む・・・。死ぬまでそれを繰り返すのが、本人にとっては健康的なんじゃないだろうか。
もちろんすっぱりやめるのが一番いいに決まっているのだが、それがなかなかできないのが一度覚醒剤を覚えた体なわけで、「周囲の人々を悲しませてしまうのが想像できないのか」といった紋切り型の非難があるが、それがわかっていても手を出してしまうのが中毒者なわけだよね。「周りの人たちが悲しむ」とか「迷惑がかかる」なんて、言われるまでもなくわかっているはずだ。そんなお気楽な非難は、薬物中毒の衝動を知らない人の、能天気な言い草だ。
そもそも、なんで周囲を悲しませたり迷惑をかけたりしてしまうかと言えば、麻薬の使用が法律で禁止されているからに他ならない。もし刑法で罰せられることなく、野放しにされているならば、大酒飲みやギャンブル狂いなんかと同じように、「ちょっと困ったところのある人」と認識される程度で、よっぽどの社会的逸脱がない限りは周囲に許容されてなんとか生きていけるはずだ。
ここでまた大急ぎでお断り。僕は麻薬を合法化すべきだと訴えているわけではない。薬物がもたらす悲しみや迷惑の多くは、「薬物の使用そのもの」ではなく、「刑法に基づく処罰」によってもたらされている、という話をしているのである。

僕は、自分の「薬物と薬物中毒者」に対する考えが、世間のそれと大きくずれていることを感じる。沢尻エリカの逮捕の時にも同じことを感じた。
エリカ様の逮捕後、「尿検査で薬物が検出されなかったら使用の罪を立件できない。本人がやったと認めていても証明できなければシロになってしまう」という声が散見された。まるで、「薬物中毒者にとって一番重要なのは処罰を与えることだ」と言わんばかりであった。僕はその意見に、世間の酷薄さを感じずにはいられない。
処罰など、はっきり言ってどうでもいい。一番大事なのは、本人が薬物を断ち切り、健康で幸せな人生を送ることだ。処罰が必要だとしても、本人の立ち直りと幸せを中心に据えたうえで、それを阻害しない範囲で罰するべきだ。日本人の多くは、「法を犯したのだからとにかく罰すればいい。罰は重ければ重いほどいい」と考えているふしがある。本人の立ち直りのことなど全く眼中にないようだ。あるいは、罰が重いほど立ち直りやすくなるとでも思っているのだろうか。
ひょっとしたら、犯罪であるというだけで罵倒に値すると考えているのかもしれない。以前の雑文「国家が対峙する――ドラッグと国民とグローバル企業」(2019・7・16)でも書いたことだが、薬物の使用とは、基本的に自分自身を傷つける行為である。殺人や強盗のように、他人を傷つけ苦しめる行為とは性格を異にしている。だから、刑法で罰せられるとはいえ、他人を傷つけるその他の犯罪と横並びにとらえるのは間違っている。
僕には、日本人の多くは、本人の立ち直りなど考えず、ただ単にバカ者のレッテルを張り、重い処罰を求めているだけにしか見えない。一言でいえば、「ざまあみろ」と言いたいだけにしか思えないのだ。
でも、薬物中毒者を安易にバカ呼ばわりしている人たちだって、彼らが立ち直るためには周囲の支えが必要不可欠であることぐらいは知ってるはずだ。支えがなければ、日々の苦しみからまた薬物に手を出してしまいかねない。
そして、「周囲の支え」となるのは、必ずしも薬物中毒者に近しい人々だけではない。広く「世間の人々」も含まれるのだ。世間の人々が、自身を罵倒するのではなく、温かい目で見守ってくれていると感じることができれば、薬物を断つ取り組みの励みとなるだろう。逆に、世間が自分を応援しておらず、薄情な態度で接してくると感じられれば、そのつらさから逃れるために薬物に頼りたくなってしまうはずだ。芸能人・著名人であればなおのこと。
単純に、厳しい態度で接していれば薬物中毒者は立ち直ることができるというなら、それでいい。だが、実際はそうではない。広く世間も含めた「周囲の人々」の支え・励ましがあってこその立ち直りなのだ。
厳しい態度で接することは、薬物中毒者を精神的に追い詰め、追い詰められることでまた薬物に手を出す、という悪循環をもたらしてしまう。負のスパイラルを生み出している人たちに薬物中毒者を非難する資格などあるだろうか。

マーシーは逮捕前、PUFFYの「アジアの純真」の替え歌をうたっていた。その歌詞は次の通り。

「アヘン コカイン マリファナ ヘロイン/たまにやって/パーになって/やらんふりしてたまにはやらないか」

うん、それでいいんじゃないかな。できるだけガマンして、薬物をやめ続ける努力を重ねて、それでもどうしてもガマンできなくなったら、またやる。そして逮捕されて、薬抜いて、シャバに出てまたやめる努力を始める。一生それを繰り返していけば、そこそこ健康に暮らしていけるんじゃないだろうか。
一生やらないのが一番。でも、それができないならやったりやらなかったりがセカンドベスト。そう考えたほうが建設的なんじゃないだろうか。
そんで人生を終える際には、自分を罵倒してきた人たちに向かって、「お前ら俺をバカにしてたけど、覚醒剤の気持ちよさを知らないだろ。俺は知ってんだぞ、ざまあみろ」と思いながら死んでほしい。子供のころ「志村けんのだいじょぶだあ」と「バカ殿様」を観ていた身としては、そうでもしないと浮かばれない気がする。
そういえば、マッキーが最初に逮捕されたときにも「もうシャブなんてしないなんて/言わないよ絶対」という替え歌を耳にした。
マッキーに対しても、「立ち直れていたと思ってたけどそうじゃなかった。ミュージシャンのキャリアが台無しだ」ではなく、「よく19年もガマンできたね!次はもうちょっと長くやめられるよう頑張ってみようか!」って声掛けしたほうがずっと前向きだと思う。19年に1回くらいならそこまで体に悪影響ないでしょうしね。
薬物中毒者は、“やらかして”しまった人たちである。だが、麻薬と無縁な我々平凡な一般市民も、やらかしてしまうことはある。酒、博打、異性関係、ビジネス、友達付き合い、家族関係・・・。ありとあらゆる場面で「やらかし」は起きる。そして、やらかしてしまったときには、救いの手を欲するものだ。
我々がやらかしからの立ち直りのために助けを求めるように、薬物中毒者にも何かしらの支えが必要だ。「ったく、しょうがねーな」って苦笑いしながら差し伸べられる救いの手が。
我々一般ピーポーも、なんらかの理想を追い求めることがあるが、必ずしも最良の目的にたどり着けるわけではない。第二志望・第三志望で妥協することが、ままある。薬物中毒者だって同じことだ。薬物中毒者だけが第一志望しか許されないという道理など、あろうはずがない。
僕は、自分が住む社会は、手触りの良い暖かい社会であってほしいと思う。手触りの良い暖かい社会とは、何度やらかしてもそのたび救いの手が差し伸べられる社会のことだ。だから、薬物中毒者が何度やらかそうとも、シャバに戻ってくるたびに受け入れてあげるべきだと思う。
「またイチから始めよう。できるだけガマンしてみよう」。そうやって何度でも助けてあげればいい。
以上、クスリにまつわるエトセトラでした・・・ってあれ?
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ロッテ 練乳ミルクバー プレーン・いちご

2020-02-14 22:08:38 | 
今回はロッテの練乳ミルクバーです。






君はペコよろしく練乳のチューブを直吸いしたいと思ったことはないか?それはちっとやりすぎだから、このアイスでガマンしとこう!
そんでもって今回もまた福岡ドームのバイトの思い出話だ!今日は「医務室案内」について。
お客さんが観戦中に気分が悪くなったり、ケガをしたりすることがあります。そんなときにドーム内の医務室にお連れするのも僕らの仕事なんですね。
歩ける人には歩いてもらいますが、歩けなくなる人もいます。そんなときには、車椅子か担架を使います。
担架には持ち手が4つついてまして、4人で担ぐんですね。つまり、1人当たりの負担は体重の4分の1になるわけですけど、それでもけっこう重たいです。
医務室は、だいたいホームベースの近くにあります。僕は配置が外野になることが多かったんですけど、外野から具合の悪くなったお客さんを運ぶとなると、ドームを半周しなくてはならないんですね。担架を担いでドームを半周するのは、かなりしんどいです。
あるとき、お客さんの頭にホームランボールが当たって出血したことがありました。あとでそんなに深い傷ではないことがわかったのですが、最初はえらいこっちゃと焦りまして、担架に乗せて医務室までダッシュしました。
それがまあしんどかったこと。歩きで担ぐだけでもしんどいのに、走るとなると相当きつい。しかも外野だったので、走って半周です。それと通路上には、売店やトイレに向かうお客さんがいるから、「通路開けて下さーい」と叫びながら走らないといけない。最後のほうには足がもつれて転びそうになりました。もし転んだら担架の上のお客さんがゴロリと落っこちて、コンクリートの床に叩きつけられてしまいます。気力で持ちこたえました。
皆さんに見てもらいたかったですね、そのときの僕の勇姿を。あの瞬間の僕はキラキラ輝いていましたよ(遠い目)。
僕ら従業員は、ファウルボールとホームランボールにつねに警戒してまして、ボールがスタンドに入るときは笛を吹いて警告します。素早い反応が求められるわけですが、最初のうちは入る打球と入らない打球の区別がつきません。ほかの人の笛の音を聞いて、追っかけで吹くのが精一杯です。
だんだん慣れてくるとゲーム感覚になってきて、誰よりも早く吹くことに熱中します。注意喚起のために吹くので、とにかく大きい音を出さないといけないのですが、音が大きすぎると近くのお客さんがびっくりして「もっと控えめにしてくれ」と苦情がくるので難しいところです。
ボールが当たって痛いけど医務室に行くほどではないという人には、売店から氷をもらってきて氷嚢を差し上げます。お客さんのために走り回っているのです。
あ、それとね、配置の近くにホームランが入ったときは、テレビに映りこむことがあるんですね。なので、仕事が終わって家帰って、飯食いながらスポーツニュース観て、「ああ映ってる」って自分の姿確認してました。
ホームランボールはほんとに恐ろしいですよ。聞いた話では前歯が4本折れたお客さんもいたそうです。野球場というのはそういう場所なんですね。行くなら覚悟して行きましょう。
コメント

つまらない正しさと楽しい嘘

2020-02-11 22:32:03 | 雑考
宮台真司の『正義から享楽へ――映画は近代の幻を暴く』(blueprint)を読んでの気付き。
これは以前の雑考「「懐かしさ」の正体」(2019・11・19)で取り上げた『絶望 断念 福音 映画』に続く、――間に『〈世界〉はそもそもデタラメである』を挟んだ――宮台の実存映画批評シリーズ第3弾である。
本書のあとがきで、宮台は2016年のアメリカ大統領選の際、ドナルド・トランプの当選を希望していたと明かす。そしてその理由のひとつが「正しいだけで楽しくないリベラルの愚昧への気付き」であったとして、詳細を次のように述べている。


世界中でリベラルや左翼が退潮する理由は簡単だ。「正しいけど、つまらない」からである。「正義」の軸と「享楽」の軸がある。「正しさ」と「楽しさ」と言ってもいい。昨今のリベラルは「正しいけど、つまらない」。享楽が欠けているという事実に鈍感なのだ。
河野太郎と洋平の区別も付かずに河野談話問題で太郎を批判するウヨ豚や、発言の75%が事実無根との調査もあるトランプを支持するオルタナ右翼を持ち出す迄もなく、享楽に向けた(疑似)共同性の樹立が賭けられている以上、「正しくない!」との批判は痛くも痒くもない。
正義と享楽の一致は稀だというこの問題を、伝統的な大衆社会論が主題化してきた。一致の条件は分厚い中間層が支えるソーシャル・キャピタル(人間関係資本)だ。仲間に自分が埋め込まれているという感覚があれば、仲間を傷つける連中に憤ることが、正義であり享楽になる。
中間層が空洞化し、個人が分断され孤立した状態で、貧困化「しつつある」との脅えがある場合、正義と享楽は分離し、正義ならぬ享楽へとコミットするようになる。「権威主義的パーソナリティ」を論じたフロムが、絶対的貧困度とは別に見出した全体主義の主観的条件だ。
だから、中間層が分解「していく」過程では、自動的にリベラルよりもウヨクが有利になる。この流れの中で「正しさ」に固執すると、“「正しさ」を口実にマウンティングしたいだけの浅ましい輩”に見える。それが分からずに「正しくない!」と批判し続けるだけならば、能天気だ。
夏の参院選で解散したSEALDsの奥田愛基氏――大学入学前から知り合い――に言ってきたのは、人々が「正しさ」から離れているのは、「正しさ」をベースにマウンティングするだけで、周囲に少しも「享楽」の輪を拡げられない〈クソ左翼〉のせいだ、ということだ。
私は言ってきた。必要なのは「正義」と「享楽」の一致だ。でも「正しいけど、楽しくもある」じゃ駄目。「楽しいけど、正しくもある」が必要だ。多くの人は鬱屈して「享楽」が欲しいのだから「同じ楽しむなら、正しい方がいいぜ、続くし」と巻き込むのがベストだ、と。


ポスト・トゥルースが進行する理由がまたひとつわかった気がする。フェイクニュースなんて楽しさ満載だもんね。
でもさ・・・楽しさと正しさの両立って難しくない?
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