徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

写真と死

2018-11-30 23:46:39 | 雑考
飯沢耕太郎『写真の力〔増補新版〕』(白水社)を読んでの気付き。
この本は、写真評論家の飯沢が写真について書いたコラムをまとめたものである。収録された一編、「Memento Mori――死者たちの肖像」と題された章で、飯沢は写真と死、および死者についての考察を展開している。その中で、写真術は発明以後、生者だけでなく死者もその対象としてきたと述べた後、イギリスの小説家ナイジェル・ニールの「写真」というショートストーリーが紹介されている。
以下にその箇所を引用するが、最初が飯沢の地の文で、一行空けて小説の文となっている。また、ルビがふられている部分があるが、ここではルビ入力ができないので、その文字の後に括弧〔 〕で記載する。


ある母親は、彼女の死にかけた息子を医者や司祭ではなく写真家のところへ連れていこうとする。

どうぞ思い出して下さい、先生。わたしがあの子の母親だってことを。わたしは何よりも、ずっととっておくことができるあの子の記憶〔メモリー〕がほしかったんです。

そして息子は、写真に撮られることで自分が死にかけていることを、もはや彼の「魂が宿る家」が定められた以上、彼の肉体は必要なくなってしまったことを悟る。

涙が彼の目からあふれだした。彼はまるで自分のからだの一部が失われたような怒りと恐れを感じた。

写真は死につつある者(しかし考えてみればわれわれはすべて死につつある者ではないか)から魂を、生命力を奪い去る。それらは矩形の小さな柩のなかに封じこまれ、記憶の蜜蠟によってしっかりと封印される。


本章にはロラン・バルトの「実際、その瞬間〔引用者注・撮影の瞬間〕には、私はもはや主体でも客体でもなく、むしろ、自分が客体になりつつあることを感じている客体である。その瞬間、私は小さな死(括弧入れ)を経験し、本当に幽霊になるのだ。」という言葉や、バルザックの「生きた肉体はいずれも無数のスペクトル(分光)からできている。スペクトルはごく小さな片鱗ないしは薄膜状をして、肉体を四方八方からとり囲んでいる。・・・・・・それゆえダゲレオタイプにあっては、写される肉体の一つの層がつかみとられ、剥ぎとられ、感光板に封じこめられる。」という言葉も紹介されているし、飯沢本人も「考えてみれば、写真は死者たちによく似ている。」と述べている。
写真が日本に入ってきたばかりの頃、撮影されると魂を抜かれるという噂が立ったことがある。また、1980年代だったと思うが、3人で写真を撮ると真ん中の人が早死にする、という都市伝説が流行ったことがあった。これらは、必ずしも根も葉もない迷信とは言えない。
写真の被写体となるということは、多かれ少なかれ死を意識せねばならない、ということだ。写真という無機物にその姿を転じれば、自分の死後も、その空間で生き続けることができる。しかしその代わり、有機体である自身は死ななければならない。それは、自分の生命を、わずかながら写真に刻み付ける、というふうに感じられることだろう。
写真を撮れば、自分の死後も、写真が代わりに生き続けてくれる。それはつまり、自分の命を写真が生きるということ、自分の生を写真にとって代わられるということだ。より強い言い方をすれば、写真が生きるために自分が殺される、ということになるだろう。
写真という物体に印刷されれば、損壊を免れる限りにおいて、永久に生き続けることができる。しかし、生身の肉体を有する自分自身は、死ななければならない。写真の被写体となるということは、自分が死すべき存在であることを否が応にも自覚せねばならないということだ。
「自分が自分の体を離れて生きている」。初めて写真の被写体となった人類の感想は、このようなものだったかもしれない。その衝撃は、如何ばかりであっただろうか。
写真を撮られることを極度に嫌がる人もいるが、彼等は写真によって喚起される死の切迫にとりわけ敏感な人達であるのかもしれない。

不二家 セブンプレミアム 生ミルキー

2018-11-23 21:33:36 | 
新しいカテゴリー「食」始めます。
これは通常のブログ記事で言う「グルメ」のことです。レストランに行ったり、新作のお菓子を買ったりして、その味をお伝えするやつですね。ではなぜ「グルメ」ではなく、あえて「食」と表記するのか。
僕は美食家でもなければ、舌が肥えているわけでもない。食べログをチェックして食べ歩いたり、お取り寄せを行ったりすることもありません。外食するにもチェーン店にしか行かないし、あとはスーパーやコンビニで買ったものばかり食べているような人間です。
なので、グルメと呼ぶのはおこがましい。味にうるさくない男が、それなりの感性で送る食レポ。だから「食」なのです。斜め読みするくらいの感覚でお付き合いください。
それでは記念するほどでもない第一回目、どうぞ。


初回はセブンイレブンで販売されているスイーツ「生ミルキー」です。

画像はガラケーで撮った小さな写真でお届け。文句があるヤツぁ田舎に帰れ!




かつて花畑牧場の生キャラメルが爆発的流行となったことがありました。それまで普通のキャラメルしかなかったところに誕生した“生”キャラメル。テレビでも散々取り上げられましたが、それを食べたタレントや女子アナさんたちはみな口をそろえて「うわぁ~、とけるぅ~、もうなくなっちゃったぁ~」とぬかしておりました。
僕はそれを聞くたびに、「いや、味はどうなんだよ!」と思ったものです。すぐに溶けてなくなるというのは、性質であって、味ではない。誰も生キャラメルの味については一言も伝えてくれなかったので、そこに不満を感じていたのです。もし味は普通のキャラメルと同じならば、長持ちするぶん普通のキャラメルのほうがお得じゃないか、とも思っていました。
そんな田中義剛ブームから幾星霜。いまだに生キャラメルを食べたことがない僕が、生ミルキーを食べてみました。

銀色の包みを開け、口に含んでみると・・・。うわぁ~、とけるぅ~、もうなくなっちゃったぁ~。
え、何?それじゃ味が伝わらないって?皆さんには行間を読むという能力がないのですか?
しかたないですね。それじゃもうちょっと詳しく解説しますと・・・。
まず感じるのがバターの風味ですね。原材料にはバターとは記されていないので、バターに近い成分が使用されているようです。おそらく生キャラメルもそのようなものなのでしょうね。油分は熱に溶けやすいので、油分の割合が高い生キャラメルおよびミルキーはすぐ溶けると。そしてそれが“生”の味を特徴づけてもいる。してみると、包み紙が銀色なのは熱を遮断するためですね。
これはこれでおいしいですけど、個人的には普通のミルキーのほうが好きですかね。バター好きの人にはお勧めかと。

思い起こせば子供のころ、よくミルキーを食べていたのですが、ピンクの包み紙10個の割合に対し、黄色のやつが1個入っていましたね。黄色のミルキーはピンクの10倍おいしく感じられたものです。
・・・いやちがう、「感じられた」じゃない。実際黄色は10倍おいしかったんだ!
ああ、瞼に浮かぶあの日々。ビバノスタルジー!
甦る少年時代。お元気ですかぁ?
収拾がつかなくなったところでおしまい。

M‐1グランプリ2018 優勝予想

2018-11-16 22:23:21 | 雑文
今年はエルニーニョ現象が起きているそうで、あまり気温が冷えこまずにいますね。冷え性の僕としてはありがたい限り。このまま暖冬であってくれればなあ、なんて願わずにはいられません。
・・・というわけでM‐1です。漫才の頂点を決めるM‐1グランプリ。今年も優勝予想を行います。


決勝進出を決めたのは以下の9組。

霜降り明星
スーパーマラドーナ
トム・ブラウン
和牛
ギャロップ
見取り図
かまいたち
ゆにばーす
ジャルジャル


この中から僕が予想する優勝第一~第三候補は次のとおり。

①和牛・・・満を持して、という感じではないでしょうか。おととしに確かな手応えをつかみ、去年は優勝に紙一重のところまで行った。チャンピオンに一番近い位置にいるという自負と、次こそはという悔しさが、頂点へと導くのではないか・・・。ガチガチの本命ですね。

②スーパーマラドーナ・・・ちょっと前の「アメトーーク」観て知りましたけど、田中って優勝する気ないんですね。でも、ヤル気がないからダメということはなくて、要はヤル気があるほう、つまり武智がいかに手綱を取るか、の問題だと思います。

③かまいたち・・・コントも漫才もできるかまいたち。賞レース獲っても売れっ子になれない芸人にはせめてタイトル(栄冠)だけでも、という気持ちになってしまう。目指せ第二のパンクブーブー?


他の出場者にも一言。

霜降り明星・・・今年のR‐1にもふたりそろって出場。吉本興業の強烈なプッシュを感じる・・・。もちろん面白いし、勢いがあるのは認めますけど、まだ優勝まではいかないんじゃないでしょうか。個人的には彼らのピンネタのほうが好き。

トム・ブラウン・・・知らないのでノーコメント。

ギャロップ・・・すでに過当競争であるにもかかわらず、毎年多くの新人が現れる芸人市場は、そこそこの実力者であっても新しい売れっ子の誕生とともに仕事を奪い取られていく運命にある。ゆえに、実力があっても東京進出に踏み出せない状況も強まりつつある(だからこそ千鳥のブレイクは大きな希望となったわけだが、対してダイアンは・・・)。そんな「実力があるのに関西圏にとどまっている」芸人の一組がこのギャロップだ。正直、今どれだけのネタができるのかはわからないけど、関西の意地を見せてほしい。

見取り図・・・一回くらい見たことあるような・・・。でも覚えてない。

ゆにばーす・・・M‐1で優勝するために芸人になり、優勝を果たしたら芸人を引退すると公言している「M‐1の申し子」川瀬名人。今年も無事決勝進出。でももうちょっと早いかな、という気がします。審査員にも「まだゆにばーす観ときたいから引退させないために厳しめで評価しとこ」っていう思惑が働くのではないかと。

ジャルジャル・・・実力は申し分なし。でも尖りぐあいが気になる。「面白さ」よりも「センス」を見せることを優先しているような気がするんですよね。尖っている部分を削って丸くし、「面白さ」のほうを引き立てることができるか、が鍵になると思います。


敗者復活の予想もしときます。
準決勝まで残り、敗者復活に挑むのは次の17組。

からし蓮根
ニッポンの社長
マユリカ
ダンビラムーチョ
マヂカルラブリー
プラス・マイナス
侍スライス
アキナ
ミキ
たくろう
ウエストランド
インディアンス
三四郎
金属バット
さらば青春の光
東京ホテイソン
魔人無骨


マヂカルラブリーにはもう一度決勝に出ることで世間と上沼恵美子の鼻を明かしてほしいと思うし、くすぶり続けてるウエストランドに光が当たってほしい、という思いもある。順当にいけばミキが選ばれるのではないか、とも。
でもここはプラス・マイナスにBET。芸達者な兼光とエキセントリックな岩橋。ここまで芸人らしい芸人もいない。「にちようチャップリン」で100点満点取ったことあったけど、彼らの漫才はある種の完成形に到達している。復活枠からの優勝、充分ありえると思います。


皆さんもよろしければコメント欄から優勝予想にご参加ください。第一~第三候補まで予想可とさせていただきます。今回も当たっても何も出ませんので念のため。
gooブログのコメントフォームには名前とタイトルとURLの入力欄がありますが、これらは必須じゃなくて、コメントだけでも投稿できるはずですので、お気軽にお寄せください。