徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

2022年とはなんだったのか

2022-12-31 18:41:25 | お知らせ
皆さん、こんにちは。徳丸無明です。
一年の終わりに、今年のまとめと年越しのご挨拶をさせていただきます。
今年はどのような一年だったか。
去年の6月にマンガのネタが尽きてからイラストを描くようになり、ブログの記事はほぼイラストと食の2本立てとなりました。今年はひたすらその継続を心がけた年でしたね。
とにかくやめない。ひたすら続ける。
そんな思いでコツコツやってきました。マンガを読んでくれてた人や、社会派の記事を期待してる人には物足りなく感じられるでしょうけど、それでも今書けるものを書くしかありません。
なので、継続です。おそらくイラストと食の2本立ては当面の間続くでしょうから、来年も継続です。抱負は「継続」。
え?マンガの新作はいつになったら発表するのかって?そんなことは未来のオレに訊いてくれ。
アクセス数もね、もう気にしたってしょうがないですよ。いや、気にはするんですけどね。気にせずにはいられないんですけどね。でもいくら気にしようが増えるものでもないし、こちらの意志とは無関係に増えたり減ったりする。それに増えたからといって、ブログが何か変わるのかと言えば、何も変わらない。数字が変化しただけです。僕個人に対する影響もほぼ皆無。
だから極力気にしないよう心がけることにしました。目指すは明鏡止水。不動心です。淡々と継続するのです。

今年の6月から、Tシャツトリニティというサイトで自作のイラストのグッズ販売を始めました。これは自分としてはけっこう大きな転換点だったのですが、何か人生に変化があったかというと、まったく何もありません。「いちおうネットビジネスやってる人」という肩書きを手に入れただけです。
え、「売れ行きは好調なのか」ですって?
全然ですよ!まったくと言っていいほど売れてません。
それもこれも皆さんのせいです。ブログを「タダ見」するばかりで1円も落そうとしない皆さんのせいで、全然儲かっていないのです。
でももういいです。もう無理に買ってくれとは言いません。
その代わり呪いをかけることにしました。そのうち不幸が訪れるはずですので楽しみにしといてください。

食の記事のワンコーナーとして新型コロナについて書き続けてきましたけど、徐々に書くこともなくなり、関心も薄れてしまいました。まだまだ気にかけなくてはいけないんでしょうけど、どうしても危機意識は弱まっています。
感染症って時間が経つにつれて必ず弱毒化するそうで、コロナの致死率もだいぶ下がってますよね。政府がコロナを、感染症法の2類相当から5類に引き下げることを検討しているじゃないですか。来春あたりに見直されそうだと。だからまだ影響大きいにしても、インフルエンザとかと一緒じゃない?って思っちゃうんですよね。でももし何か思うことがあれば、また食の記事の中で書くつもりです。
なんにせよ、来年はもっと落ち着いていくといいですね。5類になったら、マスク生活は全面解除されるのでしょうか。

僕はこれから「昭和芸人vs平成・令和芸人」を観ます。今年はRIZINの放送ありませんからね。せっかく復活したと思った大晦日格闘技の伝統が途絶えてしまいましたよ。地上波で放送しないってだけで、開催はされてるんですけどね。
RIZINはもう大晦日だけでなく、これからもずっと地上波での放送が行われないのかもしれません。どんな大人の事情が働いているのでしょうね?
放送されないのであれば、観戦記ももうお伝えすることができませんね。楽しみにしている方、申し訳ありません。え?ひとりもいない?
観戦記を書かなくなるというのも、また変化。少しずつ変わっていきながらも、ブログは続けます。
開設当初とはまったく違ったものになっていくのかもしれません。自分ではその変化が楽しみでもあります。よろしければ皆さんも変わりゆく様にお付き合いくださいませ。

それでは、よいお年を。

カルビー サッポロポテト つぶつぶベジタブル・バーベQあじ

2022-12-30 23:28:17 | 
今日は北の大地の芋です。






同じサッポロポテトでありながら、かくも形状が違うのはなぜなのか。これは高度に量子力学的・現象学的問題であるうえ、真相を暴こうとしたジャーナリストはいずれも行方不明になっており、本当に札幌産のジャガイモを原材料としているかどうかも定かではないため、深入りするのは得策ではなく、ただこの口の中がパサパサになりやすいスナック菓子は美味しく、子供のころからずっと食べているとだけ言っておきましょう。

前回お話ししましたが、福岡は在住外国人が増えています。最近はコロナによる減少傾向があるにせよ、旅行者も多く、外国人と接する機会は、かつてないほど増加していると言えるでしょう。
僕は基本的に、彼ら外国人と話す際には、タメ口で話すようにしています。そのほうが相手に伝わりやすいからです。
きっかけはだいぶ前に、カタコトの外国人と話したときのこと。あやふやな日本語で、道を尋ねられました。
僕はそのとき、とにかくわかってもらわなきゃ、伝えなきゃと懸命になり、自分の持っている情報を総動員して説明しました。訊かれたその場所について、こと細かな描写で、多くの言葉を費やして説明したのです。
するとその人は、ポカンとしてしまいました。そして「こういうことですか」と、改めて要点だけを端的に確認してきたのです。
僕が伝えようとした多くの情報は、聞き流されてしまったのです。いや、「聞き流した」というよりは、「処理することができなかった」と言ったほうが正確でしょう。
ほとんど日本語がしゃべれない外国人にとって、基本中の基本の日本語、日常でよく使う日本語以外は、ほぼノイズでしかないのです。こちらがどんなに懸命になって伝えようとしても、伝わるものではない。相手の語学力に合わせた話し方でないと、無意味なのです。

僕はこの件で反省しました。カタコトの外国人に対し、しゃべりすぎるのはよくない。情報量が多すぎるのはよくないのです。
なので、極力情報量の削ぎ落しを心がけるようになりました。
単語は少なく、文章は短く簡潔に。小学生レベルの話し方で。二字熟語など、ある程度知識がないとわからない言葉は使わない。相手によっては接続詞も排除し、単語で話す。
これらのことを意識するようになりました。
もちろん外国人だからといってみんなひとくくりにするのではなく、相手の語学力、どの程度日本語を話せるかによって「言葉の噛み砕き具合」「情報の削ぎ落し具合」「話し方の単純化具合」を加減します。上手くやれているかどうかはわかりませんが、とにかく心がけてはいるのです。
日本人の多くは、「外国人であっても敬語で」と考えがちです。それは、「在日外国人に対する差別はよくない」という意識からきています。
平等に扱うべきだから敬語で。差別意識はないことを示すためにこそ敬語で、という考え方です。
そのように考えている人たちにしてみたら、タメ口で話す僕の姿は、傲慢に映るかもしれません。しかし僕は、敬語のほうが不親切だと思っています。
日本語があまり堪能ではない外国人にとっては、敬語よりタメ口のほうが断然わかりやすいのです。なので僕は、彼らに対する思いやりとしてタメ口で話すようにしているのです。それは、差別意識でもなんでもありません。むしろ敬語という過剰な気遣いのほうが、在日外国人の懐に入り込もうとせず、変に距離を取っているという意味で排除的な態度なのではないでしょうか。
細かい礼儀より、伝えること、伝わることが優先です。