徳丸無明のブログ

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1・2・3と4・5・ロク

2016-05-31 21:19:21 | 雑文
森田真生の『数学する身体』を読んだ。
森田によれば、人間には、少数の物については、その個数を瞬時に把握できる、心理学の世界で「スービタイゼイション」と呼ばれる能力が備わっているのだが、三個以下の物の個数を把握する時と、それ以上の個数を把握する時とでは、違うメカニズムが働いているらしい。
「三個以下の物については、数えなくてもその個数を、認識できる」のだが、「四個あたりを境にして、この能力は消えてい」き、「見ただけで個数を把握することは難しくなり、数える必要が出てくる」という。で、人類は数を数えるために数字を発明したのだが、元々は「木や骨に傷をつけたり、粘土の塊を並べたりしていた延長線上で、1を表す記号を二個あるいは三個並べて2や3を表すのが基本である」のだが、ならば「4や5も、同じ記号を四個並べたり五個並べたりすればよいかというと、そうはいかない。人間の認知能力の限界のために、同じ記号が四個や五個並んでいることを、正確に把握することが一苦労」なのだ。
「そこで多くの文明は、4もしくは5を境に、独自の記号を編み出すことにした。たとえば漢数字の場合には、一、二、三の次が「四」になる」し、「ローマ数字もⅠ、Ⅱ、Ⅲの次が「Ⅳ」になる」のだそうだ。
おお、そういうことか。
「Why Japanese people!?」と叫んでいた厚切りジェイソンの疑問――本来ならチャイニーズピープルにぶつけるべき疑問――が、これでひとつ解けた。よかったよかった。
3というのはバランスのいい数字で、何かの数を揃えなければならない時には、よく3が選ばれる、という話も聞いたことがあるような気がする(確か「3の倍数」ネタでブレイクした世界のナベアツ[現・桂三度]が、『やりすぎコージー 都市伝説スペシャル』で披露していたような)。
そういえばお笑い芸人も、トリオまではいるけれど、4人以上のグループってほぼいないね(横山ホットブラザーズ、東京ボーイズ、ザ・プラン9、超新塾、キュートン、夜ふかしの会ぐらいか)。
とにかく、この「3まで」と「4以上」では認識の仕方が違う、というメカニズムは、いろんなモノを見るときに使えそうな視点だと思う。