Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2011年5月21日(土) 早朝に多良間より電話 ゴットマザー“ヒデさん”

2011-05-21 | 日本の旅
2011年1月23日のブログに、
多良間島の神秘的な
無数の星が
水平線から水平線まで広がる大空に隙間なく(と感じるほどに)
眩しいほどキラキラ輝く漆黒の夜について書いた。


私の旅・たび・旅の中で、
これほど印象的なワンシーンは、なかったかな~と思うほど
であった。


芭蕉を育て、糸を作り、芭蕉布を織るヒデさんの所に泊まっていた時だった。
それは、八月踊り・海風・サトウキビ畑・シャコ貝・泡盛・満天星の夏だった。
漁師さんと舟を漕ぎ出し、シュノーケルでシャコ貝を採り、八月踊りで島の人と泡盛で飲み明かし…“様々のこと思い出す もの凄い夏”であった


すると、
今朝8時過ぎ、土曜の朝に一体誰から電話かしら・・・と受話器を取ると、

「恭子さん?そうでしょ?」 と女性の声。

思わず、
私 「どちら様でしょうか?」

・・・「多良間島のヒデです」

私 「まあ、ヒデさん!!! 私も電話しようと思ってたんですよ」

東日本大震災の後、私がどうして居るだろうかと心配で、電話しようとしたが、電話番号が見つからなくて、今になってしまったという。
気に掛けてくださって、とても嬉しい。

ヒデさんは、たしか今年、米寿である。
若々しさと、力強さと、しなやかな気力、大きな優しさは、まさに沖縄のゴットマザーだ。


私が今までに出会った女性(年齢国籍を問わず)の中で、
忘れられない人ベストスリーに入ることは間違いない。

「そうさ、これからだよ」
「これからさ」


と、一日に何度も言っていた。
芭蕉布を若い人に伝えようと学校を作ろうとしていた。

私は
その言葉の美しさと、
そういう心のあり方の人が、
たった一人で芭蕉を植えるところから始め、育て、収穫し、繊維を取り出し、糸をつむぎ、芭蕉布を織るという、
真摯な姿勢に魅せられて、
多良間島へ何度か旅した。
その黙々とした心の集中と作業風景は、祈りにも思えたのだ

(特に、芭蕉を育てて糸を作るまでは、筆舌には尽くしがたい手間隙と集中力が必要である。常人にはできない作業だ。それは、観た人にしか、想像さえもつかないだろう。)

ヒデさんが、
「『八月踊りになると、恭子さん、来るんかなあ』と、毎年思ってるのよ」と話してくれた。

実は私も毎年、旅の予定がなくても、『八月踊り』の日程を密かに調べて手帳に記しているのである。

そうさ、また多良間へ行こう。
そして、三線(さんしん)を弾こう。

→ 多良間町役場で、島の人と三線を習った。その音が忘れられず、後に私も三線を買った。三味線に似ているので、調子はすぐに合わせられるが、単純な唄しかまだ弾けない。





  


2011年5月20日(金) 会食愉し さらに 「芸妓さん・舞妓さんの団扇」に遭遇

2011-05-21 | 京都花街
今日は、東京の某所で、出版社の方々と会食。
お誘いくださって、ありがとうございました!

皆さん博学。
お話は、各地の旅、ダイビング、山登り、音楽、オペラ、ドイツ、聖歌隊、三味線、能、映画、時事問題(?)、小説、ビール、人との縁・・・お話に花が咲き、4時間以上もおしゃべり続き。本当に良い時でした。


その店に、良く知っている京都の芸妓さんや、親しくしている芸妓さん・舞妓さんの団扇が飾ってあって、びっくり。

「まあ、懐かしい!」
東京で遭遇すると、そんな気になる。

下の写真は、京都で撮影
したものです。実際は、さらにたくさんならんでいて、「壮観」でした。