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per l/a psicoanalisi

ヴァッティモに関するノート(途中)

2015-08-12 17:00:23 | Note
——Gianni Vattimo, La società trasparente (1989, 2000)


16-17《事実、ニーチェは、現実が一つの土台に基づいて合理的に秩序づけられているというイメージ(形而上学がつねに築き上げてきた世界像)が、未開でいまだに野蛮な人類特有の「気休め」の神話にすぎないことを暴き出した。すなわち、形而上学とは、危険や暴力に充ちた状況に対処するための、なおも暴力的な方法なのである。》

60《……つまり、夢を見ていると知ることと、夢を見続けること、である。近代のヨーロッパ精神の世俗化は、理性が犯した誤謬の発見と客観視というだけではなく、むしろ、さまざまなかたちでの、ある意味では、堕落したかたちでの、こうした「誤謬」の温存でもあった。世俗化した文化とは、宗教的伝統の内容をただたんに追放しただけの文化ではなく、むしろ、そうした内容を、歪められてはいるが奥深くに通底する隠れたモデルや痕跡として、活かしつづける文化なのである。》

79《とはいえ存在は、(ハイデガーが「物」に関するその論文で述べているように)その出来事の本質を「世界という鏡のいたずら」で歪められ「剥奪された」存在のうちにもっている。》

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