--DALLA PSICOSI ORDINARIA AL “BENEFICIO PERVERSO”, Amelia Barbui
〔番号は、文章の纏まりと区切りに応じて、訳者が示した。〕
1.
私は Miller のこの引用を、“倒錯の利得 beneficio perverso”が享楽することのモードについて“少なくとも一つの理念 almeno un'idea”を持つことに関わることを強調しつつ、ふつうの精神病の近似的論理へ、そのファジーな論理へ送り返すために、図案の下として選択しました。
《ふつうの精神病とフローな臨床 Psicosi ordinaria e clinica flou》で Miller は、近似(“確実ではない non è sicuro”、“およそ più o meno”)を導入しつつ、“享楽することの諸モード modi di godere”について語ることを私は記憶しています。その近似は、二分法的で不連続な方法で、人間的な諸事象 le cose umane の現実または真理を(諸階層により)分割することに、私たちが同意するあの組織的な原則がなくなるようになる瞬間において関係する、私たちの獲得です。
2.
要するに私は、Miller により1988年に精神病の主題へ案出された、“ふつうの ordinario”の用語を、倒錯によって、享楽が前景にあり、大他者が存在しない、要するに、無意識からエスへ、象徴的なものの優位から、現実的なものの意味の外へアクセントが移された、同時代性に関してそれを問いただすため、検証できればと思います。
このため私は、ファジー論理 la logica fazzy について、不確定な縁による諸集合 gli insiemi dai contorni incerti の理論について何か述べるでしょう。そこにおいて、女性的なポジションは固有なゆとり proprio agio を持つに至ります。
3.
女性的なポジションはしたがって、ファジー論理において位置を見出し、その諸集合は(ある連続性により)非所属 non appartenenza から完全な所属 appartenenza completa へ進む、ある“所属の度合 grado di appartenenza ”を規定し、そして、各々の要素が〔複数の〕他 gli altri からの差異において定義される場です。極値 le estremità で、そして、(Miller が私たちに言及するように)そこにおいて“人間的な諸事物の真理 la verità delle cose umane”と、私たちの日々のパンである“確実ではない non è sicuro”の場を見出す、ガウス曲線におけるような、およその半鐘形で、“根本的に反対 radicalmente opposti”が見出されます。
ファジー論理は、ある二値の論理ではありません。反対の二つの価(例えば真/偽)のあいだで、多数の値(0 と 1 のあいだに連続性がある)が定義され得ます。多数の値 valori multipli にある一つの論理であり、そこで真理の異なった度合が位置を見出します。ファジーな諸集合の理論において、無矛盾の、そしてここで要約された結果のような排除された第三項の、アリストテレス的諸原則は有効ではありません。
4.
古典的諸集合が私たちに、所属と同時に排除の正確なある定義を与えることを許す一方、不確定な縁の諸集合は、違った方法で、(ある所有からその補足への移行の)境界 la frontiera の問題について、そして、秩序=順序 l'ordine が根拠をおく所属 appartenenza についてよく定義された、あの基準の欠如を評価することに同意しながら、極限 il limite の問題についての疑問に合致します。
Lacan は、そこでは想像的なもの、象徴的なもの、そして現実的なものが、ヒエラルキー的に異ならない結び目 i nodi を導入しつつ、秩序=順序 l'ordine を問いただし、それを審議に付します。このように“秩序=順序の効果から結び目の効果へ Dall'effetto ordine all'effetto nodo”(※) の移行を提出します。そして、記します。“ordine の概念—後に言うように、それは独創性 l'originalità を承諾しない—は、私を妨害し、そして私は、他の何か(それは、結節点 la nodalità に存する)を示すことで、それから脱しようと試みる”。
※J. Lacan, Le non-dupes, lezione del 15/1/74
さらに、セミネール R.S.I. —75年2月11日の講義—の中で Lacan は、(一 uno に他 l'altro をもたらす穴における、一 uno の移行の相互関係はないという意味で)一 uno が他 l'altro に結ばれない、連鎖しないことを明確にします。象徴界、想像界、現実界のあいだの関係はこれです。ボロメオの結び目は、このように分離における結び目、結び目における分離の一つのモデルを提供します。
5.
2008年3月の講義において J.-A. Miller は言います。“結節〔交点〕の精神分析 la psicoanalisi nodale は、私たちが流体の精神分析 psicoanalisi liquida と呼ぶことから、再び位置づけられることにたどり着くでしょう”。そして、続けます。“結び目 il nodo は、精神分析の流体の状態に適合する構造が持続することを思考できるようにすると言われ得るでしょう。結び目は、流体に属することと構造のあいだのある分節を私たちに提供します”。“Lacan が示唆するように、もし結び目が流体の精神分析に相応しいなら、解読を(享楽の出来事についてのある外科的作用の)切れ目の効果と相対的とみなす必要があります”。
こうして、ランガージュとララングの差〔開き〕の、無意識の諸形成物と身体の出来事の差異の、欲望と享楽の意味の、流体のパロールについて言及した後、講義を締めくくります。
続く講義においては、満足の経験 esperienza di soddisfacimento として精神分析について話すでしょう。
ここで私は、図案の下に私が置いた引用の“倒錯の利得 beneficio perverso”に再び結びつきます。“人が享楽することのできるモードについて、少なくとも一つの理念—近似的論理 logica approssimativa—を少なくとも持つこと”。
そういうわけで、流体の精神分析にうまく適うある他の論理 un'altra logica—ファジー論理のような—によって、大他者 l'Altro の介入のない、しかし構造なしではない同時代性に合致することが問題です。
〔番号は、文章の纏まりと区切りに応じて、訳者が示した。〕
1.
私は Miller のこの引用を、“倒錯の利得 beneficio perverso”が享楽することのモードについて“少なくとも一つの理念 almeno un'idea”を持つことに関わることを強調しつつ、ふつうの精神病の近似的論理へ、そのファジーな論理へ送り返すために、図案の下として選択しました。
《ふつうの精神病とフローな臨床 Psicosi ordinaria e clinica flou》で Miller は、近似(“確実ではない non è sicuro”、“およそ più o meno”)を導入しつつ、“享楽することの諸モード modi di godere”について語ることを私は記憶しています。その近似は、二分法的で不連続な方法で、人間的な諸事象 le cose umane の現実または真理を(諸階層により)分割することに、私たちが同意するあの組織的な原則がなくなるようになる瞬間において関係する、私たちの獲得です。
2.
要するに私は、Miller により1988年に精神病の主題へ案出された、“ふつうの ordinario”の用語を、倒錯によって、享楽が前景にあり、大他者が存在しない、要するに、無意識からエスへ、象徴的なものの優位から、現実的なものの意味の外へアクセントが移された、同時代性に関してそれを問いただすため、検証できればと思います。
このため私は、ファジー論理 la logica fazzy について、不確定な縁による諸集合 gli insiemi dai contorni incerti の理論について何か述べるでしょう。そこにおいて、女性的なポジションは固有なゆとり proprio agio を持つに至ります。
3.
女性的なポジションはしたがって、ファジー論理において位置を見出し、その諸集合は(ある連続性により)非所属 non appartenenza から完全な所属 appartenenza completa へ進む、ある“所属の度合 grado di appartenenza ”を規定し、そして、各々の要素が〔複数の〕他 gli altri からの差異において定義される場です。極値 le estremità で、そして、(Miller が私たちに言及するように)そこにおいて“人間的な諸事物の真理 la verità delle cose umane”と、私たちの日々のパンである“確実ではない non è sicuro”の場を見出す、ガウス曲線におけるような、およその半鐘形で、“根本的に反対 radicalmente opposti”が見出されます。
ファジー論理は、ある二値の論理ではありません。反対の二つの価(例えば真/偽)のあいだで、多数の値(0 と 1 のあいだに連続性がある)が定義され得ます。多数の値 valori multipli にある一つの論理であり、そこで真理の異なった度合が位置を見出します。ファジーな諸集合の理論において、無矛盾の、そしてここで要約された結果のような排除された第三項の、アリストテレス的諸原則は有効ではありません。
4.
古典的諸集合が私たちに、所属と同時に排除の正確なある定義を与えることを許す一方、不確定な縁の諸集合は、違った方法で、(ある所有からその補足への移行の)境界 la frontiera の問題について、そして、秩序=順序 l'ordine が根拠をおく所属 appartenenza についてよく定義された、あの基準の欠如を評価することに同意しながら、極限 il limite の問題についての疑問に合致します。
Lacan は、そこでは想像的なもの、象徴的なもの、そして現実的なものが、ヒエラルキー的に異ならない結び目 i nodi を導入しつつ、秩序=順序 l'ordine を問いただし、それを審議に付します。このように“秩序=順序の効果から結び目の効果へ Dall'effetto ordine all'effetto nodo”(※) の移行を提出します。そして、記します。“ordine の概念—後に言うように、それは独創性 l'originalità を承諾しない—は、私を妨害し、そして私は、他の何か(それは、結節点 la nodalità に存する)を示すことで、それから脱しようと試みる”。
※J. Lacan, Le non-dupes, lezione del 15/1/74
さらに、セミネール R.S.I. —75年2月11日の講義—の中で Lacan は、(一 uno に他 l'altro をもたらす穴における、一 uno の移行の相互関係はないという意味で)一 uno が他 l'altro に結ばれない、連鎖しないことを明確にします。象徴界、想像界、現実界のあいだの関係はこれです。ボロメオの結び目は、このように分離における結び目、結び目における分離の一つのモデルを提供します。
5.
2008年3月の講義において J.-A. Miller は言います。“結節〔交点〕の精神分析 la psicoanalisi nodale は、私たちが流体の精神分析 psicoanalisi liquida と呼ぶことから、再び位置づけられることにたどり着くでしょう”。そして、続けます。“結び目 il nodo は、精神分析の流体の状態に適合する構造が持続することを思考できるようにすると言われ得るでしょう。結び目は、流体に属することと構造のあいだのある分節を私たちに提供します”。“Lacan が示唆するように、もし結び目が流体の精神分析に相応しいなら、解読を(享楽の出来事についてのある外科的作用の)切れ目の効果と相対的とみなす必要があります”。
こうして、ランガージュとララングの差〔開き〕の、無意識の諸形成物と身体の出来事の差異の、欲望と享楽の意味の、流体のパロールについて言及した後、講義を締めくくります。
続く講義においては、満足の経験 esperienza di soddisfacimento として精神分析について話すでしょう。
ここで私は、図案の下に私が置いた引用の“倒錯の利得 beneficio perverso”に再び結びつきます。“人が享楽することのできるモードについて、少なくとも一つの理念—近似的論理 logica approssimativa—を少なくとも持つこと”。
そういうわけで、流体の精神分析にうまく適うある他の論理 un'altra logica—ファジー論理のような—によって、大他者 l'Altro の介入のない、しかし構造なしではない同時代性に合致することが問題です。