問題の系列を分けて考えてみよう。
まず、物は純粋に我々の“外部”にある。そして、我々の外部にある物とは、我々の認識の把握する論理形式の外部にも“可能性”としてはあり得るということである。
目の前に、ある物が運動しているとする。我々はそれを仮に掴もうとする。ある実験によれば、我々はその物を掴もうとする“以前”に脳の電位変化が生じ、物の運動とは“別の”意志の運動(この場合は、手を伸ばす行為と連動するだろう)が生じるとされる。ここから、我々の行動の過程は、脳の命令に支配されているという主張もなされるが、ここではまず順序の問題を考えたい。
1. まず、最初にあるのは外界にある、我々の意志とは独立した運動のセリーである。(自然界、他者、ウイルス、天体運動といったように様々であるし、場合によっては身体内部の不随意の運動もこれに含まれうる。故に、身体は両義的な場にもなる)
2.次に、その外界の運動に“付随して”生じる、我々の意志≠意図の運動である。(これは、認識の主観=主体の原理と言い換えていい)
1と2の間に、ある連続性が想定されれば、我々は我々の思い通りに現実(外界)をコントロールできるという、精神分析の用語でいうところの「思考の万能」という問題が出てくる。
そして、厄介なのは、それを命ずるのは「脳」だという主張である。というのも、そもそも外界の運動とそれを掴もうとする(あるいは、反応すると言い換えてもいい)運動の間には時間差があり、後者が始まる以前に、脳の電位変化は起きているからである。
つまり、外界の運動—脳の電位変化—意志の運動という時系列の偏差があるのに、我々の意志はそれを区別しないという錯誤がある。そして、抑制ということを考慮すれば、我々は“意志しない”(意志するにせよ、その行動には従属もしないし、反応もしない)ということを選択することもできる。その場合も、推測するなら脳の電位変化は生じているだろうし、恐らくは、それは自由意志の論拠にもなっていた。
しかし、脳の電位変化であるにせよ、自由意志であるにせよ問題なのは、それは〔ある意志に従属された〕認識の主体性原理によって把握されるなら、〔実験の条件によっても措定されている〕三つの時間差は混同されるという事態である。
そう考えるなら、脳か自由意志かという二者択一はある意味では重要ではないし、時間差が導入されているのだから、認識の無限退行も必須ではなくなる(無限退行の論法は大概が時間を考慮してはいない)。つまり、主体性の原理が、認識において時間差を見失っているという事態が重要なのである。(しかしながら、ここでは聴覚の機能は捨象している)
ここから、ある帰結を導くことは可能だろうか? カントが自然原因と自由原因の間にある亀裂を指摘していることは知られている。しかし、先に挙げた実験によれば、時間の位相差は三つに分解されてもいる。自由であるという事態は、〔意志が〕線形的なものであれ循環的なもであれ自然原因に従うことではないということには肯首できるにせよ(それらはせいぜい惰性か解放と呼ばれるに留まる)、ここで自由と名指されているものはまた、意志あるいは意図と行為の間の差にも、その問題の射程を保存しているといえるだろう。
厳密に用語を区別するなら、意図 purpose はある目的を持っており、その行為も目的に従属しているのだから、意図よりも意志 will の方がより根源的であるという違いはある。意志という用語は、意図の方にも、自由の方にも分岐した繋がりを保持しているし、欲望と欲動の問題ともパラレルである。そして、自由意志は、ラテン語では liberum arbitrium、フランス語ではそれに近く libre arbitre、英語では free will と呼ばれてもいる。(問題を整理したにも関わらず、これら自由と意志を巡る用語参照を加味するなら、我々はまたこのテーマがいかに複雑であったかについて思いを巡らすだろう)
そして、この複雑さは物に対する人の利害関心 interest の複雑さでもある。アーレントにおいてそれは、第一の介在 in-between と呼ばれ、物の客観的リアリティを示すのであった。(しかし、美と政治的判断力を考慮するなら、世界は利害関心から離れた公正さを付与されるだろう)
■二つの自由:古代人の自由の実践と近代人の自由の享受(享楽?)、あるいは公的自由と私的自由の様相を巡って
近代自由主義の源流に位置するだろう思想家バンジャマン・コンスタンは、1819年の講演の冒頭で、次のように切り出している。
《これから二種類の自由にまつわるいまだ耳慣れぬ区別について、皆さんにお考えいただこうと思っております。これらの自由の違いは今日にいたるまで見過ごされてきたか、少なくとも十分な注目を受けぬままでありました。一つは古代人のあいだでその実践が非常に重視されていた自由、またいま一つはそれを享受することが近代の諸国民にとって特別な価値を持っているような自由です。》
この二つの自由を、イギリスの哲学者アイザィア・バーリンは「積極的自由 positive liberty」と「消極的自由 negative liberty」という概念に読み替えて提示することで、コンスタンを「消極的自由」の代表的論客として紹介し、そのイメージの流布に一役買っている。バーリンはそもそも freedom と liberty を同じ意味でも用い、積極的自由を「〜への自由 freedom to」、消極的自由を「〜からの自由 freedom from」と言い換えてもいる。バーリンにおいて自由 freedom or liberty は、その定義からして既に目的論の視点を無批判に抱え込んでいるし、我々が先に区別した論点でいうなら、意図 purpose と意志 will を分けてはいない。そして恐らくは、彼が想定した積極的自由は、古代人のそれというよりは、カントの「目的の王国」を基礎にし、アーレントが古代ギリシャ・ポリスに見ている自由——それは、理性的支配ないし理性による自己支配〔統治〕の自由ではないことは明らかであるし、また理性による自己統治の問題は、自己を支配する程度に応じて他者を支配するようにも向かうと言い換えられる——とも厳密には異なるだろう。
断っておくなら、ある特定の政治的なコンテクストにおいて、バーリンの議論が有益であることまで私は否定するつもりはない。もしかしたら、彼の消極的自由の評価は、アーレントにおける「自由であるための自由 freedom to be free」(ここでの自由は、自由がある目的からは解放され、自由それ自体に向き変わることが言葉の上からは見てとれる)に近いのかもしれないという示唆に留めたい。
ここでは、コンスタンやバーリンの議論に深く立ち入る時間はない。ただ一つ言えるのは、アーレントが古代ポリスに見ていた自由とは、理想というよりは実践的なそれであり、それは「善く生きる」というアクチュアルな問題と不可分ではなかったか? しかし、近代人の自由は、自由それ自体の行為性というよりは、自由の「価値」の享受に力点が移っている。アーレントにとっての自由は支配—被支配とは関係がない領域を動くことであったが(無論、奴隷制はあったが、奴隷には政治参加の自由は許されていなかったし、家族の私的な領域も前政治的な場として据えられていた)、コンスタンにせよバーリンにせよ、自由の問題が支配ないしそのコンテクストを前提にしている。「積極的自由」が産み出そうとするものとは、自由の価値に向かってであり(故にそれは、全体化や絶対化に流れ込む危険がある)、それ自体自由故に行為するわけではない。したがって、「消極的自由」の方に自由の「価値の縮減」を見取り、評価したのがバーリンだったともいえる。そして、精神分析でいうところの「対象の優位」こそ、まさに「消極的自由」のことでもあり、先に私はこのバーリン流の二つの自由の問題を、「性目標倒錯」と「性対象倒錯」の違いとしても提示していた(分析家は、対象の優位〔性対象倒錯〕というポジションのあり方を、現実的に代理している)。また、キリスト教の文脈においてもこれら両者の対立は、自由意志と恩寵という言葉によって分け隔てられ、救済論の問題を投げかけていた。
■potentiality としての意志、あるいは appearance ではないものとして?