さて、“生真面目な”ラカン派は何故「ピエロ」を演じるように命令されてしまうのだろうか? 現在の生権力は勉強会や主体的なグループでも働いているのだと廣瀬浩司氏は言っている。そして、生権力は何よりもわれわれの「しないでいることができる」ことを搾取する旨をアガンベンは指摘していた。
「しないでいることができる」という能力を奪う権力による搾取を具体的に挙げるなら、ラカンを学ぶにはフランス語をしなければならないや、精神分析をするならフランス語とドイツ語をしなければないらないという凝り固まった言説に現れ出ている。
勿論、それは彼らの利益や得になるし、何よりも「しないでいることのできる」力を奪うことによって、人の自由を操ることを可能にしてしまう。(彼らはそれにより「ピエロ」になる。操る者は実は操られてもいる)
簡単に考えよう。もし彼らのその「要求」に従うなら、彼らは必ず優位に立つとは思わないだろうか? そうやって、日本社会にも蔓延る悪しき負の連鎖にまだ彼らは無意識では加担しているわけだ。(残念だが、こうなると精神分析はラカンだろうが、形骸化し腐敗する)
僕はそれを嫌というほど知っているから、自分自身の精神分析の根幹に「非の潜勢力 -Φ」を位置づけた。そして、それはそのような自由を奪い、われわれを貧しくしようとしている“ガキによる”精神分析(もはや反‐精神分析)に「抵抗」することを可能にしてくれる。
精神分析は、愛に学ぶものだしセクシュアリティの問題がその魅力であることは確かだろう。だけど、権力による「しないでいられること」の搾取は、我々のセクシュアリティすら枯渇させてしまう結果になる。(現在の日本を鑑みて見て頂きたい)
つまり、彼らは自己を憎しみと防衛から発達させたわけだ。それで勝つことを覚え始めた。僕は、それを大敗北でしかないと思うし、それから戻るのが大変なのも知っている。
これが、西洋の生政治や人格の問題でもある。反動から発展したものが、それを存続させ、延命させることを目的としてしまう。
歴史を見ても、支配とはまず言語に働きかけるものではなかったか?——残念だが、“生真面目な”ラカン派がしていることの内実は、ヨーロッパの“愚かさの反復”でしかない。
「しないでいることができる」という能力を奪う権力による搾取を具体的に挙げるなら、ラカンを学ぶにはフランス語をしなければならないや、精神分析をするならフランス語とドイツ語をしなければないらないという凝り固まった言説に現れ出ている。
勿論、それは彼らの利益や得になるし、何よりも「しないでいることのできる」力を奪うことによって、人の自由を操ることを可能にしてしまう。(彼らはそれにより「ピエロ」になる。操る者は実は操られてもいる)
簡単に考えよう。もし彼らのその「要求」に従うなら、彼らは必ず優位に立つとは思わないだろうか? そうやって、日本社会にも蔓延る悪しき負の連鎖にまだ彼らは無意識では加担しているわけだ。(残念だが、こうなると精神分析はラカンだろうが、形骸化し腐敗する)
僕はそれを嫌というほど知っているから、自分自身の精神分析の根幹に「非の潜勢力 -Φ」を位置づけた。そして、それはそのような自由を奪い、われわれを貧しくしようとしている“ガキによる”精神分析(もはや反‐精神分析)に「抵抗」することを可能にしてくれる。
精神分析は、愛に学ぶものだしセクシュアリティの問題がその魅力であることは確かだろう。だけど、権力による「しないでいられること」の搾取は、我々のセクシュアリティすら枯渇させてしまう結果になる。(現在の日本を鑑みて見て頂きたい)
つまり、彼らは自己を憎しみと防衛から発達させたわけだ。それで勝つことを覚え始めた。僕は、それを大敗北でしかないと思うし、それから戻るのが大変なのも知っている。
これが、西洋の生政治や人格の問題でもある。反動から発展したものが、それを存続させ、延命させることを目的としてしまう。
歴史を見ても、支配とはまず言語に働きかけるものではなかったか?——残念だが、“生真面目な”ラカン派がしていることの内実は、ヨーロッパの“愚かさの反復”でしかない。