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per l/a psicoanalisi

アーレント試訳2

2021-09-20 19:00:03 | 試訳
«Between Past and Future»所収、“TRADITION AND MODERN AGE”の最後の節から。

《近代科学(その精神は疑念と不信のデカルト哲学において表現される)の発生以来、伝統の概念的枠組みは確実ではなくなっている。観照と活動の二分法(真理は究極的には、無言で活動の伴わない見ることにおいてのみ把握されることを規定する伝統的ヒエラルキー)は、その中で科学=知が活動的になり、また知るためになした条件の下では支持されえなかった。事物が真にあるものとして現れるという信頼が消えた時、啓示=暴露としての真理の概念そして、それに伴う啓示された神への無条件の信仰は疑わしくなっていった。理論=学説 theory”の概念はその意味を変えた。それはもはや、〔それ自体〕作られなかったものとして、しかし理性と諸感覚に与えられたものとしての、推論にかなうように連結された諸真理のシステムを意味しなかった。むしろそれは、それが産出する結果に応じて変わり、また、それが明らかにする reveals”ことではなく、それが作動する works”かどうかについての有効性に依拠することで、近代科学理論それは、基礎となる=実用的な仮説 working hypothesis であるとなった。同様のプロセスによって、プラトンの諸イデアは世界と宇宙を照らす自律的な力を失った。最初に、それらはプラトンにとって政治的領域(標準と測定法)、あるいは調整(それらがカントにおいて出現するように、人間特有の推論する精神の強制力の制限)への関係性においてのみ何であったのかということになった。それから、為すこと doing に対する推論 reason の(人間-人々 men の諸活動に規則を課す精神の規定の)優位の後から、産業革命による全世界のトランスフォーメーション(人間 man の為すこと doings と製作 fabrications がそれらの規則に推論することを命じるのを示すように思われた成功へのトランスフォーメーション)においてそれらイデアは失われ、最終的にそれらは、それらの有効性が一人または多数の人間たちにより決定されるのではなく、それらの絶え間なく変化する機能的な必要=要求 needs における全体としての社会により決定される、単なる価値に変化した。

それらの外部そして内部の可変性における価値は、社会化された人間-人々 socialized men”に任された(そして、理解された)だけのイデア ideas”である。それらの人々は、プラトンにとって日常の人間事象の洞窟 the cave”であることから決して離れないことを決めた人々であり、また、おそらくは、近代社会の至る所にある機能化が、その最も基本の諸特徴の一つ——あるがままのものに対し驚きをもって触れること——を奪いとった世界、そして生へ単独で冒険しないことを決めた人々である。この極めて現実的な発展はマルクスの政治的思考の中で反響され、予示されている。その独特の枠組みの中で伝統を転倒させることで、彼は実際にプラトンのイデアを取り除いたのではなく、しかしながら彼は、それらのイデアが(他の存在の多くと同様に)人々の目に一度見えるようになったその場所、つまり透明な空が徐々に暗くなることを記録したのである。》