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エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』からの抜粋

2016-11-28 21:00:52 | Note
10〈しかしながら、冷静に考えてみれば、ひとりの主君に服従することは、不幸の極みである。その者が善人であるという保証はまったくないからだ。彼はいつでもみずからの権限で悪人になれるわけだ。〉

12〈彼らはみな、巨大な力によって強制されてというのではなく、たんに一者の名の魔力にいくぶんか惑わされ、魅了されて、軛の下に首を垂れているように私には思われる。〉

18《したがって、民衆自身が、抑圧されるがままになっているどころか、あえてみずからを抑圧させているのである。》

22「しかも、このような災難、不幸、破産状態は、いく人もの敵によってではなく、まさしくたったひとりの敵がもたらしている。そしてその敵をあなたがたは、あたかも偉大な人物であるかのように敬い、その者のためなら勇ましく戦争に行き、その威信のためなら、自分の身を死にさらすことも決していとわないのである。」

23「あなたがたは果実を種から育てながら、わざわざ敵が荒らすに任せている。…(略)…あなたがたが身を粉にして働いても、それは結局、敵が贅沢に耽り、不潔で卑しい快楽に溺れるのを助長するばかりなのだ。あなたがたが衰弱すれば、敵はますます強く頑固になり、あなたがたをつなぎ止める手綱をもっと引きしめるようになる。」

30「かくて、感覚をもつあらゆる存在は、それをもつのとまったく同時に、隷従を悪と感じ、自由を追い求めるのだし、また、動物たちも、人間に隷従すべく生まれてくるのに、正反対の欲望による反抗なしには隷従に慣れることができない。それならば、一体いかなる災難が、ひとり真に自由に生きるために生まれてきた人間を、かくも自然の状態から遠ざけ、存在の原初の記憶と、その原初のありかたを取りもどそうという欲望を、人間から失わせてしまったのだろうか。」


33〈というのも、どんな人間でも、人間としてのなにかを保有しているかぎり、隷従させらられるがままになる以前に、それを強制されるか、だまされるかの、いずれかの状態に置かれるはずなのだ。〉

34〈一方、人々はしばしば、あざむかれて自由を失うことがある。しかも、他人によりもむしろ、自分自身にだまされる場合のほうが多いのだ。〉

35“習慣はなによりも、隷従の毒を飲みこんでも、それをまったく苦いと感じなくなるようにしつけるのだ”

43〈人は、手にしたことがないものの喪失を嘆くことは決してないし、哀悼は快のあとにしか生まれない。また、不幸の認識は、つねに過ぎ去った喜びの記憶とともにあるものだ。〉


47“……彼らは、圧政者を追放し、圧政を抑えこむのだと叫びながら、その実王冠を排するのではなく、たんにそれを別の者の頭に載せることを望んでいたのだと、たやすく見てとれる”


48《人間が自発的に隷従する理由の第一は、生まれつき隷従していて、しかも隷従するようにしつけられているから、ということである。そして、このことからまた別の理由が導きだされる。それは、圧政者のもとでは、人々は臆病になりやすく、女々しくなりやすい、ということだ。》


50圧政者の苦悩について
「彼らはみなに悪をなすことで、みなを恐れることになるさだめなのである。」

51「それにしても、圧政者は、自分の下にすぐれた者がひとりもいなくなるまでは、権力をその手にしっかりつかんだとは決して考えないものだ。」

51
おまえがそれほど威勢がいいのも
愚かな獣たちを従えているからだろう
——テレンティウス『宦官』第三幕、第一場の一節


54「愚かな者たちは、もとの所有物の一部を取りもどしたにすぎないことに気づかなかったばかりか、その取りもどしたものすら、以前に自分から奪ったのでなければ、圧政者は与えることなどできないのだと思いいたりもしなかった。」

55「民衆はいつも、素直に受け取るべきではない快楽に対しては開けっぴろげで放埓でありながら、律儀に耐えるべきではない横暴や苦悩に対しては鈍感であったのだ。」

56“……人々がかくもほめたたえる彼の人間味そのものが、歴史上でもっとも野蛮な圧政者のもつ残酷さよりも、さらに弊害が大きかったからだ。彼の毒のあるやさしさが、ローマの民に対して、隷従を甘やかなものに見せかけたのである。”

57“今日でも、いかなる悪を——ときに重大な悪を——なすときにも、かならず公共福祉や公的救済について、なんらかの美辞麗句をあらかじめひねり出しておく連中がいるが、このような者たちも、ローマの皇帝たちと同様、とてもほめられたものではない。”


59「この連中はいつもあまりにもたやすくだまされるので、彼らを馬鹿にすればするほど、うまく隷従させることができるという具合であったのだ。」

60“圧政者たち自身、人々が、自分たちに害悪をもたらしているのがたったひとりの者だというのに、どうして耐えていられるのか、奇妙に思っていた。それゆえ圧政者たちは、人々の宗教心につけこんで身を守ろうとし、あわよくば、自分の邪悪な生活を維持するために、神性のちょっとした片鱗でも拝借したいと考えたのである。”


69「こうして圧政者は、臣民を隷従させる際に、その一部の者をもって他の者を従える手段としている。」


70“邪心をしばらく脇に置いてみよ、貪欲さをほんの少し抑えてみよ、そしてみずからの姿をありのままに見つめてみよ。そうすれば連中は、自分たちが力のかぎり足で踏みつけ、徒刑囚や奴隷よりもひどくあつかっている村人や農民が、それだけ虐げられていてもなお、自分たちよりは幸福であり、少しは自由であることが、はっきりと理解できるであろう。”

71“それなのに、この連中は、まるでなにかを獲得すれば、それが自分のものとなるかのように、財を得ようとして隷従している。自分自身ですら自分のものではないというのに。まるで圧政者のもとでも、自分固有のものをもちうるとでもいうように。カッコ

72“これらのお気に入り連中は、圧政者のまわりにいて多くの財をなした者たちのことではなく、しばらくの間財をかき集めたあと、その財ばかりか命をも失ってしまった者たちのことを思い起こさねばならない。どれほど多くの者が富を得たかではなく、その富を維持できた者がいかにわずかであったかを考えなければならない。”

73“連中は、たいていの場合、圧政者の庇護のもと、他人のもちもので肥え太ったあと、ついには、自分自身のもちものによって圧政者を肥え太らせたのである。”


74「実際のところ、かくも偏狭な心をもつ者から、どんな友愛を期待できるというのだろう。この者は、みずからに従わせている自分の国をも憎み、自分を愛することもできないがゆえに、自分で自分を貧しくし、みずからの帝国を破壊してしまうのである。」

75「愚かな圧政者は、正しくふるまうときにはいつも愚かなままである。それなのに、なぜだかわからないが、残虐さを行使する段になると、とりわけ自分の近しい者たちが相手であるときに、ついに彼らの乏しい知恵が目を覚ますのだ。」

75“そのようなわけで、ほとんどの圧政者はたいてい、彼らのもっとも気に入った連中によって殺された。この連中は、圧政の性質をよくわきまえていて、圧政者の好意などあてにできないと考え、その力に警戒心を抱いたのだ。”

76《したがって、たしかなのは、圧政者は決して愛されることも、愛することもないということだ。》


78「これら哀れな連中は、圧政者のもつ宝が輝いているのを目にし、彼の壮麗さかま放つ光をあっけにとられて見つめる。そしてこの輝きに魅せられて近づいてしまい、自分をまちがいなく焼きつくす炎のなかにみずから飛び込んでしまっていることに気づかない。」