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per l/a psicoanalisi

陰性転移:治療学から症状へ

2016-08-18 21:03:02 | 試訳
--Il transfert negativo: dalla terapeutica al sintomo, Alejandro Reinoso

フロイトにとって、陰性転移 il transfert negativo は第一に、分析すなわち無意識の解読に障害をなしていた、ある敵対〔敵意〕の感情だった。しかしながら、それは治療への抵抗、つまり連想の中断 arresto delle associazioni として、恋愛性転移 il transfert erotico を用いるようにして、私たちに働きうるということを告げるだろう。フロイトは、陰性転移は“治療しうる”精神神経症 le psiconevrosi “curabili” における愛情転移 il transfert tenero と一緒に生じることを明確にするため、ブロイラー Breuler の“両価性=アンビヴァレンス ambivalenza”の用語を再び取る [1]。転移の取り扱い〔使用、操作〕に関しては、それは基本的な動因として、解釈とセッティングの条件を参照させる。そのために、フロイトが『終わりある分析と終わりなき分析』の中で述べるだろう、陰性転移の白熱した地帯を通過しない、最後まで導かれた分析はない [2]。したがって、フロイトにとってこの転移は、袋小路の類いに属するある現象ではなく、むしろ構造的である。

ラカンは、知の想定された主体から転移を定義する。しかし何が、陰性転移の中で知によって生じるのか? 陰性転移は、誰かの目の特徴を受け継ぎながら(この場合は、分析家の)、つまり点検し、または疑いながら、縮減〔退引〕する。このように初期のラカンは、転移における攻撃性の想像的ライバル意識〔競争、対抗意識〕の眺望のさらに先に進む。

ミレールは、私たちに知らせる。


“疑念は知の低い段階〔水準〕であり、証言が利用できないので証明できないある知である。まさにこの理由により、疑念はとても固執する〔しつこい、頑固である〕。人が証言を自由にする時、問題は完結したと見なされる。反対に、疑念は開かれたある縁〔余白、欄外〕を残す” [3]。


“疑念の下の sotto sospetto”分析家は、開かれた縁にあるこの知の照合〔確認〕の帰結である一方、解釈は常によこしまな〔悪い〕斜面の上にあり、神経症的信念の流れの上でもあり、パラノイアの確信の流れの上でもある。陰性転移は分析家の知に向かってはないが、分析家の存在(それは、憎しみの対象になりうる)と関係がある。しかし何故、憎しみは分析家の存在へ向きなおるのか? 主体の眺望から、(アガルマ的対象としての)分析家は主体を存在欠如 la mancanza-a-essere に対決させる。

症状と陰性転移の関係はどのようなものか? 分析家は症状の治療上の機能を解き放ち、同様の症状のエゴ〔自我〕同調的な egosintonico 均衡をかき乱す [4]。このように、享楽の安定性のズレ、つづいて招来する喪失により、大他者への敵対〔敵意〕が浮かび上がる。

知についての愛、無意識における信、そして話す症状の場は分析の旅立ちを開き、“分析的ドラマの開始の結び目 il nodo inaugurale del dramma analitico”を入り込ませる。ラカンが陰性転移を、精神分析における攻撃性でもって in L'aggresività nella psicoanalisi 定義するように。その中で“知の想定された主体 il soggetto-supposto-sapere が‘パロールを想定された症状 sintomo-supposto-parola’であり、そして分析的実践が症状の言葉を検証させることに由来する” [5]一つの論理によって。

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