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主権の二極——支配から自由へ至るための中間報告

2022-03-07 19:18:00 | Note
《法学における非常事態は、神学における奇蹟に比すべき意味をもっている。》
——カール・シュミット
 
 

Sovereignty の訳語として、日本では「主権権力」という用いられ方が一般的に定着しつつある。だが、至高性 sovereignty としての主権には、そもそも過去からの伝統と今という時において、それ自体に分裂を持ち込む契機 (1)* を宿している。

注: (1)*→主権的 sovereign であることは、法 law の外側も内側も“同時に”示している。また、それは広義に“危機”という事態でもある。また、sovereignty を「主権権力」と訳すことは、主権そのもののプロブレマティックを一方に偏らせることになりかねない。また、近代のアカデミズムならびに政治的な省察と実践の「混同」を踏襲してしまうことにもなる。
 
Sovereignty に対する二つの態度、それらをポジティブ-ネガティブと呼ぶことを受け入れるにせよ、中間性に立ち停まるという第三のあり方が当初からアガンベンにはあった。〔soglia〕
 
しかし、この概念に二つの契機が、実際的にであれ潜在的にであれ、絡み合ったままだという認識は見過ごされいる。言い換えるならそれは、〔法の〕権威と権力の問題である。(2)*(故に、私はある種の還元主義には同意できない)
 
注: (2)*→事実、ジョルジョ・アガンベン『例外状態』の第6章はそれらの分析に捧げられている。
 
権威は既に、それに連なる過去と、あるいはラカン派の用語法を再び導入するなら〈父の名〉という正統性の問題(正当化)を前提とし、〔主体に〕服従を強いる、あるいは、〔主体の側が〕そのような服従の意志を持つ(どちらにせよ、そこでのファルスのシニフィアンは主体に対してはポジティブな作用としてある)。(3)*
 
注: (3)*→ここではまだ、そのような正当化が合法的なのか、伝統的なのか、カリスマ的なのかは問わないでおく。だが、それは唯ひとつの人格に結びつく時には、重大な帰結を伴うことは示唆しておいていい。
 
一方で、権力とはそもそもが潜在的なものであるが、そのような権威を介することで生に対して実定的な傾向を帯び、それは容易に否定的なものへと転じる。(生政治から死政治への反転)
 
ラカンが分離の根源に見た〈父の名〉、そして、コミュニティの紐帯にある正統性の問題。それは、アーレント的に翻訳するなら、前政治的な家族という領域〔必要性=必然性〕であり、系譜の連続性の問題である。
 
いずれにせよ、導きの糸となるのは、sovereignty における «auctoritas» (authority) と «potestas» (power) の分裂の様相——relegare から religio の派生、ラカンの破門、キリストの情熱——である。故に、政治的な身振りは宗教的なそれと不可分であり、その複雑さは宗教や信仰のテーマ(sacro や santo)として反覆される。〔サントーム〕
 
 
■アーレントにおける「権威 authority」の問題
 
《権威は常に服従を要求するので、それは一般に権力や暴力のある種の形態と間違えられる。権威は抑圧の外的手段の使用を排するが、強制力が使われるところでは権威は失敗し続ける。他方で権威は、平等を前提にし議論の過程を経る説得と両立しない。議論が用いられるところでは、権威は停止した状態にある。常にヒエラルキー的である権威主義的な秩序は、説得の平等主義的な秩序と対置している。仮にともかく、権威が定義されるなら、それは力による強制と議論を通じた説得の両方と矛盾しているはずである。》(4)*
 
注: (4)*→ハンナ・アーレント『過去と未来の間』邦訳p.125参照。尚、ここでの訳文は引用者が原著から改めてした。
 
これをどう考えるべきか? アーレントにおける権威は、服従と強制力、平等と議論のあいだでダブルバインドの状況に置かれている。些か早急な結論に思われるかもしれないが、この事態はアガンベンの例外状態の問題と相同性を描きながらも通底しないだろうか? つまり、主権における例外状態は、法の“権威を”宙吊りにすることで、その“無力”を明らかにするというそれである。〔iustitium〕(5)*
 
注: (5)*→《ユースティティウムは——すでに見てきたとおり——法秩序のまがうことなき停止を生み出す》『例外状態』邦訳p.159
 
例外状態を産出することでに主権が作動し続ける。この面のみを見て強調すると、法という観点のパラドックスが抜け落ちる。主権が法の内側と外側を“同時に”指示しているとするなら、法の観点(宙吊りや停止)はそこに時間的な差異を持ち込むであろうことに留意がいる。両者は叙述の複雑さに惑わされなければ、異なる操作子でもある。〔ここに、legitimacy と legality を区別する論拠をみてもいい。例えば、Homo Sacer 全著作においても、その両方が複雑に絡み合ったまま分析される場合もあれば、どちらかの観点から論述される場合もあるだろう〕
 
つまり、近代の主権の根本的なパラドックスはその混同によって、過去からの伝統と現在の強制力の行使が同時性の下に実定的に置かれるということに表れている。故に、そのような“権力と思われている強制力ないし暴力”は、過去の伝統を必要〔必然〕とし、それが法においてはある種の空白を導き入れると仮定できる。
 
先のアーレントの引用は、主権-権威-権力の区別を導入すれば、難なく受け入れることができるだろう。また、「抑圧の外的手段の使用」を為すのは、“主権的ではありうる”が権威の側ではない。そしておそらくは、アーレントにとっての権威は“近代の政治学”のアポリアを構成していた何かではあった。(そして当初、アーレントが近代における権威の喪失を嘆いたのは、他ならぬ“権威の輝き”についてであり、ローマに特有の権威という用語はギリシア語に翻訳する際には単一の意味に還元することは不可能にも関わらず、アーレントはそれを古代ギリシャの政治体に現れていたものとして認めていたのではないだろうか?)
 
 
■アガンベン『例外状態』における権威 auctoritas
 
《権威と権限とは、互いにはっきりと区別されている。しかしまた、それと同時に両者は一体となって二項からなるひとつの体系を形成しているのである。》ibid., p.158
 
《極限的な事例——すなわち、もし例外と極限的状況こそがつねにある法的制度のもっとも本来的な性格を定義するというのが本当であるとするならば、その本性をよりよく定義する事例——の場合には、権威は、“権限が生じているところではそれを停止させ、権限がもはや効力をもたなくなってしまったところではそれを復活させる力”として作用しているように思われる。それは法を停止したり復活させたりするが、形式的には法としての効力を発揮することがないひとつの力なのだ。》ibid., pp.159-160
 
《権威が法の停止というその特殊な機能を発揮する第三の制度は、……》ibid., p.161
 
《ここで権威は、一瞬の間だけ、その本質を明らかにする。「適法性を授与する」と同時に法を停止することのできる潜勢力は、その法的無効性が最大限に到達した時点でもっとも本来的な性格を露呈するのである。これこそは、法が全面的に停止された場合にも法に残っているもの(ciò che resta del diritto)なのだ(この意味では、それはカフカの寓話のベンヤミンによる読解のなかで、法ではなくて生であると言われているもの、あらゆる点で生と判別不能になってしまった法にほかならない)。》ibid., pp.162-163
 
ここで、特筆すべき問いは、アガンベンにおいて権威は、もはや法と区別がつかなくなった生を“構成する”ということである。これは、《生-の-形式 forma-di-vita》や『いと高き貧しさ』において展開されたそれに繋がる。いずれにせよ、『例外状態』における auctoritas の扱いは、アガンベンの著作を読み解く上で重要なキー概念であることは押さえておくべきだろう。
 
また、アーレントとの違いを述べておくなら、権威は権力がもはや効力をもたなくなってしまったところで、それを復活される力としても機能するということである。そのような権威の様態を法秩序の中でも潜勢力に留まる何かと言い添えておくことは無駄にはならない。(6)*
 
注: (6)*→このことについては、後の叙述で明らかになる。
 
 
■シュミットにおける「権威の介入 auctoritatis interpositio」pp.24-26
 
《従って、いっさいの変形には「権威の介入 auctoritatis interpositio」が存在する。そのような権威をどの個人や機関が主張しうるかは、その法規の法的実質のみからでは明らかとならない。》「政治神学——主権論四章——」(『カール・シュミット著作集I』p.25)
 
 
■ヴェーバーにおける「支配」と「権威」——正当性の信念と要求として
 
《この意味での支配(「権威 Autorität」)は、個々の場合についてみれば、従順性の種々さまざまのな動機——漠然とした慣れから始まって、純粋に目的合理的な考量にいたるまでの——にもとづいたものでありうる。一定最小限の服従“意欲”、すなわち服従することに対する(外的または内的な)“利害関心”があるということが、あらゆる真正な支配関係の要件である。》(マックス・ヴェーバー『支配の諸類型』p.3)
 
これは、マックス・ヴェーバー『経済と社会』第三章第一節からの引用 (7)* である。ここでは先ず最初に、“支配の側から”見れば服従を見出しうることがチャンスであると定義され、そのすぐ後に、“服従の側から”の意欲や利害関心が問題にされている。だが、それらの動機のみでは、支配の信頼しうる基礎を形成できない。通常はもう一つ別の要素、「正当性の信仰 Legitimitätsglaube」が付け加わっている。
 
注: (7)*→この引用に関しては邦訳『支配の諸類型』から為した。だが、ヴェーバーの『経済と社会』は旧稿と新稿の間で、権威や支配の概念の用い方において、ある相違が見受けられる。このことについては、「マックス・ヴェーバー『経済と社会』における旧稿から新稿への概念変更について 「支配」概念と「家父長制」概念」(三笘利幸, 2016年)を参照されたい。また、引用者はそのことを考慮に入れて、ここでの論述を解釈している。
 
《すべての支配は、その「正当性」に対する信仰を喚起し、それを育成しようと努めている。》(ibid., p.4)
 
ここで先に、ヴェーバーが支配を権威とも言い換えていた意味が明らかになる。ヴェーバーにおいて権威は、支配の“正当性の信仰ならびに要求”と繋がる。そして、どのような種類の正当性が要求されるのかに応じて支配の諸類型も変化する。支配の種類は、それぞれの支配に典型的な“正当性の要求 Legitimitätsanspruch”に基づいて区別されるのが目的に適うと述べられ、次によく知られる正当的支配の三つの純粋型が導出される。(この分類型は機能便宜的にも解釈され、ある特定の政体について言われる時は複合的でありうる)
 
1. 合理的な性格をもつ、合法的支配 legale Herrschaft
2. 伝統的な性格をもつ伝統的支配 traditionale Herrschaft
3. カリスマ的な性格をもつ、カリスマ的支配 charismatische Herrschaft
 
〔支配する側からの〕正当性の要求←→支配(権威)←→〔服従する側からの〕正当性の信念
 
それぞれの支配は、正当性の要求——つまりは、この要求こそが「正当化」の努力の賜でもある——に基づき区別されるのだから、合理的な性格、伝統的な性格、カリスマ的な性格のそれぞれに権威についての信念を喚起し、正当性の要求をする何かがあると断定できる。(8)*
 
注: (8)→それぞれの支配の形態の権威性を端的に言い表せば、形式的な合理性、時間観念の連続性、超自然性に求められよう。また、この中でもカリスマ的支配のみが“非日常的な”性格をもつことにも留意がいる。
 
 
再び主権の問題に戻ろう——。主権概念に付随する臆断 (9)* とその機能のあり方について、我々は最初に伝統との兼ね合いから推論を働かせてきた。だが、主権が限界において、非常事態についての決断を下すのだとすれば (10)*、それは“日常性において機能する伝統的な権威”に訴えるだけでは何かがまだ欠けている。主権それ自体の「源泉」において、元来は“非日常的であったカリスマティックな権威”が想定されている。つまり、主権に冠せられる神聖さの源泉は、カリスマ的であると同定していい。言い換えるなら、非常時に主権が法秩序の停止(例外状態)を産出するのは、それが通常時には包摂されていない“主権のカリスマ的な源泉”(カリスマの権威)を呼び覚ますからである。
 
注: (9)*→カール・シュミットの言葉を借りれば、その臆断とは、純粋な決断とは区別されるところの決断主義・決断の回避(決断しないことの決断)・独裁のことである。
 
注: (10)* →《主権者とは非常事態についての決断者である。》(Schmitt, op.cit., p.2)、《……私は伝統的歴史記述図式に反し、十七世紀の自然法論者たちも、主権の問題を非常事態の決断の問題と解していたことを示した。》(ibid., p.5)
 
 
■再びヴェーバーによるカリスマ理論の特異性へ——支配から自由への扉
 
《“カリスマ的な”性格のものであることがある。すなわち、ある人と彼によって啓示されあるいは作られた諸秩序との神聖性・または英雄的力・または模範性、に対する非日常的な帰依にもとづいたものでありうる(カリスマ的支配)。》(Weber, op.cit., p.10)
 
ここまでの考察から我々が得たことは、ヴェーバーの正当性支配の類型においてカリスマ——特に「純粋 rein」や「真正 genuin」という形容詞つきで呼ばれた形態のそれ——は、例外的な地位を持っているのではないかという問いである。カリスマは古代ギリシャ語のカリス Χάρις, Charis——それは、ギリシャ神話に登場する美や優雅さを司る女神たちを指示する——に由来し、“神の恩寵の賜(賜物)”という意味で用いられる。そして、ヴェーバーにおいてカリスマ的な権威性は、その信奉者たちによる自由な「承認」を必要とする。
 
《カリスマの妥当を決定するものは、“証し Bewährung”によって——始原的には、常に奇跡によって——保証された、啓示への帰依、英雄崇拝、指導者への信頼から生まれるところの、被支配者による自由な“承認 Anerkennung”である。しかし、この承認は、(真正カリスマにおいては)、正当性の“根拠”なのではなく、むしろ、それは、召命と証しとによってこの資質を承認すべく呼び迎えられた者たちの“義務”なのである。この「承認」は、心理学的には、熱狂〔法悦〕やあるいは苦悩と希望とから生まれた・敬虔な・全く人格的な帰依〔献身〕である。》(ibid., p.71)
 
《というのは、カリスマ的な権威の事実上の妥当は、一にかかって、「証し」にもとづく被支配者による“承認”に依存しているからである。この承認は、有資格者——“したがって”正当性をもつ者——に対しては、いうまでもなく“義務的”である。》(ibid., p.138)
 
このような見地に立って、我々はようやくアーレントによる活動論の評価を“正当に”下すことができる。アーレントにおいて、「始まり」を為すところの行為者は既にある人間関係の編み目、あるいは人々の間に依存していた。そして、ヴェーバーにおけるカリスマ的支配の正当性や権威は、その信奉者たちによって自由に“承認”されることに依存している。(また、両者は厳密には異なる様相にあるが、共通していることはどちらも脆く儚いあり方をしているということである)(11)*

注: (11)*→更に踏み込みで、両方の違いについて言及するなら、それは「奇跡」についての捉え方である。アーレントにとって奇跡は、日常性の中で経験されるものとしてある。詳しくは、→参照のこと。

 
それらの問題は、単に“非日常的なカリスマ的支配が日常化した形態”とは区別されるべき問題を叙述することになる。つまり、総じて述べておくならば、主権のパラダイムはその法との関わりの中で、日常性と非日常性の間の可変的な様態を構成しているという事態である。

日本社会成立の前史的な諸問題(公共性の概念を手がかりに)

2022-01-30 17:06:00 | Note
■公とオオヤケ——その言語的な翻訳推移と二つの欠落
 
まず初めに、日本に「公」の概念がもたらせられたのは中国からである。中国語の「公(コン)」はヤマト言葉の「オホヤケ」と近接関係に置かれ包含される。(言語推移的な“翻訳”としての包含)

古事記にはオオヤケという言葉は登場しないが、それは「大屋処」、つまり「大いなる屋のある所」の意味であり、この「大」は量的な大きさのことではなく偉大、尊貴、第一などを表し、「屋」は人間の住む俗なる住居としての「家」とは本質的に異なり、天つ神の住居である。この「屋」は「政(マツリゴト)」の場としても据えることができる。これを見ただけでも既に、日本における「公」の思想には古くから政治的な問題があることは肯首できる。また逆に、この「公」概念の変遷が日本の政治概念の変遷と何らかの相同性を描くことになることも予見可能だろう。

また、強調しておくなら“共同性としての”公は、古代日本においては血縁関係を“決して意味してはいなかった”ことも敷衍すべきだろう。最初の言語的な推移が引き金になり、後の「公」概念の変遷や異同となり、また政治的な場に何らかの影響を与えたことは、想像に難くはない。オオヤケと公を厳密に区別するなら、おそらくは中国から日本へと流入した公が多様な変化を被る一方で、日本語古来からオオヤケの原義は見失われたことも推論できる。(また、中国語の公には背私平分に基づく「利己を排すること、公平に処すること」という意味があるが、日本のオオヤケにはなかったと言われている)

つまり、公の中国語の原義と日本に元々あったオオヤケ概念のその翻訳的な推移には二つのある欠落が生じている。中国語の公からは背私平分の意義の伝達の欠如が、そして翻訳の推移に基づいてと仮定されるが、元来の日本語のオオヤケからは超越性の審級の忘却が。これら両方が今日に至るまで日本の政治的な思考にある影——それは、その聖俗の弁証法を決定づけてもいるだろうし、もちろん個人のレベルにも深く浸透している——をもたらしていると、ここでは想定していい。

 

■私と個人の様相——ワタクシとは何か・誰か・何処か? あるいは日本人は、ペルソナとプライベートの意味を理解できたか?

オオヤケはワタクシの対立概念ではなく、共同体の成員、すなわち「ヤカラ」と、屋の代りという意味の「ヤシロ(屋代=社)」との媒介概念であると、安永寿延 (1976) は説明している。そして、共同体の成員「ヤカラ」は、血族集団の「ウカラ」と異なり、血縁にかかわらず同一の「屋」に集結する集団——同一の神ないしシンボルのもと、ヤシロに集結していた集団——のことである。安永を引用しよう。

《古代では、オオヤケはヤカラ(同族)を統率する族長に代表される場合と、この族長に従う人びとの間の共同性を意味する場合とに、微妙に分岐する。むろん共同性としてのオオヤケは族長としてのオオヤケと接合していて、単独に自立することはない。このように、家から族長へという、オオヤケの観念の実体的な展開に媒介されて、オオヤケという言葉はシンボリックな意味あいをもつようになり、その中身が徐々にふくらんでいく。例えば、族長の発する言葉や、彼が触れる物や人、要するに彼となんらかのかかわりのあるものは、いずれもオオヤケ性をおびるようになる。》(1976: 34)

つまり、〔ヤシロとヤカラの媒介概念である〕オオヤケには族長と共同性という二つのコンテクストがあり、その超越性の審級が忘却されたが故に、その後の「公」概念にはワタクシが癒合・癒着的な関係として、また浸蝕するような形で縫合されている、つまりは《単独に自立することはない》という事態がうかがい知れる。また、この引用内に見られるオオヤケという言葉の《シンボリックな意味あい》はフェティシズムの要素を孕み、“超越性としてのシンボル”—— 先に挙げたオオヤケの原義に従えば、「屋」はこの地上の「家」のことではなく天つ神の住居である——と区別すべき現象である。

そのような、原初の忘却とシンボル性の遷移(超越性からフェティッシュへの)、そしてオオヤケ概念のトポスの異同(屋から家、そして族長への)は天皇制の構造や国家の機構にまで色濃く反映され、ワタクシを規定していく。(1)*

《したがって、「私」は、……上位者から賜ったもであり、したがってそれは「公」の影にすぎないが、……「公」に対するひそかな浸蝕である》(1976: 41)

我々、日本人が私という時。それは半ば無意識的に、あるいは自動的に複雑奇怪な複数のコンテキスト——公に対して、また対外的には英語圏やヨーロッパに対しても——を巻き込んでしまうのは、歴史言語論的な問題に属している。(おそらくそれは、インド・ヨーロッパ語族の言葉の一人称のようには扱えまい。そして、それらの言語の根底に影響を及ぼしているキリスト教思想の概念装置に無自覚であることは、大多数の日本人に当てはまることも否定できまい)

その事実は、「公-私」の縫合的な癒着関係が「官-民」の間にも持ち込まれるという事態を招くようになる。換言すれば、オフィシャルな問題に対して私情を挟み込むことになる。(その最後には、「天下り」という問題が待ち構え、当事者はその私情によって公務を維持することを半ば強要される)

ヨーロッパではキリスト教という伝統が根づき、その装置によって個人 persona がパブリック public なものとプライベート private なものを峻厳に区別することで分離し、その精神は市民社会 citizenship として受け継がれている。日本にはおそらく、マージナルで中性的な人びと people はいる。だが、中間性——ここでの中間性は、公私の区分というよりは、人々の間の共通 common という性質を含意している——としての citizenship を理解しそれを実行する人間性は育まれにくい実情がある。

また、日本的な公私の包含的かつ重層的な癒着の構造は、ヨーロッパ的パブリックとプライベートの区別を理解しないばかりか、コモンという公共の性質をも脇に追いやりがちなことは指摘すべきだろう(歴史や現代の日本社会でもごく僅かな人たちが、このコモンを重視していることまで私は否定するつもりはない)。現代の日本を覆っている問題は、私的領域の欠乏ではもはやない。むしろ、その過剰と未成熟に他ならない。

注: (1)*溝口雄三 (1996: 30-31) は「私」の文字の起源を甲骨・金文の中にまで探っているが、「私」の意味に解釈される文字は発見されていないという。また、大野晋 (1999: 152-153) によれば「私(ワタクシ)」は語源未群の訓読語のようである。両者を併せて考えるなら、おそらくは日本におけるワタクシの構造は独自の形成過程を保存している。また慣用表現においてワタクシをウチと呼ぶことは日本人にとってはほぼ当然のことでもある。

 

■「オオ(オ、ヲ)」から「ミ」への変換(御→宮→官→君)ともう一人のワタクシ、即ちキミへ

続けてまた語源的な話をする。オオヤケ概念に原初的な忘却とそれに伴うトポスの変容があったと省察したのは、先述の通りである。では、それらが如何にして日本特有の統治性の概念として、支配構造の文脈(土地や力関係に結びつく大小の関係)へと移行したのだろうか?

オオヤケとは、この地上の家のことではなく「屋」という言葉との関連に置かれていた。だが、それが支配構造へと転化する時、オオヤケは“大きい家”という地上的な、あるいは財力としては量的な意味を獲得し、ヲヤケ=“小さい家”を支配するようになる。ここに「大」が「小」を支配するという包摂的な入れ子の構図ができあがる。見方を変えて言うなら、大は更なる大から見れば小でもあり、小は更なる小から見れば大にもなる。(それは、日本的な曖昧な公私の縫合的区分ともパラレルであるし、家族内では大人と子供の序列的な関係にもなる)

また、オオヤケが大小の包摂的な相互癒着の関係へと変異するに伴い、かつてのその超越性の審級の問題は、ミヤケが請け負うようになる。つまり、日本語の「ミ」とは何らかの形でその超越性の問題を代理するようになる。(オフィシャルな領域への変換)

簡単にだが、整理してみよう。

1. 元の超越性の審級としてのオオヤケ

2. 原初の忘却と支配構造への転換

オオヤケ→(支配)→ヲヤケ

オオヤケ→(支配)→ワタクシ

3. ワタクシにとって上(つまり、公的なもの)を意味する事象や人称に対しての「ミ」への変換(請負と代理)、つまりはオフィシャルな領域としての官僚制への分化

ミヤケ、ミヤ、ミカド、キミ?(二人称の位格へ、もう一つの一人称)

御、宮、官、君?(君もまた、別の私である)

そして、「公」は訓読みでは「キミ」とも発音され、「君」も同様であり同列の立場にも置かれる。そして、「君」は音読みでは「クン」である。

この推論が正しければ日本語の二人称の関係は相互に道徳的責務(あるいは道義的責任)を負うことにも相当するだろうし、日本人の倫理観——より正確には、道徳観——としての「公-私・官-民」の複雑さを説明することもなる。だが、日本人はそのしがらみに深く従属するあまりに倫理的な“感性”が育まれる余地がないともいえるだろうし、儒教の影響によりそれらの関係性が「正-不正 just-unjust」としても意識されてもいる。(正義 justice としての「公」概念は無論、歴史的に捏造、そして正当化 justification されうるし、また日本人にとっての権威 authority の概念——いわゆる、上からのお墨付き——もその域を出ていないと断定できる(2)*

注: (2)*→ハンナ・アーレントは論文「権威とは何か?」の中で、《権威は常に服従を要求するので、それは一般に権力 power または暴力 violence の形態と間違えられている》と述べ、続いて《常にヒエラルキー的である権威主義者の秩序は、説得の平等主義者の秩序に対置している》と指摘している。〔ハンナ・アーレント『過去と未来の間』邦訳p.125参照。尚、引用箇所の訳は引用者が原著から改めてした〕


《オホヤケという地名は、コヤケ・ヲヤケではないオホヤケ=大きいヤケ=大きい建物のある領域の呼称として、地方各地に散在していた。そしてそれらは天皇・朝廷にかかわるミヤケとは別のものとみなされていた。このことは、オホヤケがミヤケ(天皇直轄地、機構)より前に、ヲヤケ・コヤケとともに日本に存在していたものではないか、と推量させる。》(溝口1996: 13)

そして、ヤケ(オホヤケ・ミヤケに共通している)はイヘ(イエ)に関連がある語で、イヘが人間の集団や家族と深い関わりを持つのに対し、一方ヤケの側はどちらかといえば施設や機構を指し示している(オホヤケの二つのコンテクスト)。このことは、オホヤケ・ミヤケの側が日本特有の官と公的なものを同一視する傾向と結びつき(事実、「官」という字はミヤケ・ツカサ・オホヤケと訓み分けられていた)、イヘの方は“官に対して”は家族の私的領域を形成しているのは、先に分析した〔原初的忘却以後の〕支配・管理構造の転換を物語る興味深い例証である。だが、ここではそのような「間柄」は依然として二人称的であることを覚えておきたい。(ヨーロッパ社会のペルソナという概念装置は、三人称に関わる問題であり、それはまた聖性の概念とも近くある)

 

ここまでの考察から、いわゆる日本人にとっての公的なもの(「お上」と呼び換えてもよい)は、アーレント的パブリックの領域とは全く趣きを異にしていると同定できる。それは、その平等主義と対置する権威主義的政治体制であるということもできただろう。

そして仮にだが、日本人的な主体=臣下——公僕や僕、国民と呼び換えてもそのあり方には変わりはない——を想定するなら、その一人称で呼ばれるところの「ワタクシ」は、家政の私的領域にも、また社会集団的な単位としての個においても、あるいはオフィシャルな領域でその実行性を代理する地位や身分、それらの関数=機能においても、曖昧なままで一括りにされているに違いあるまい。それは、「人格」の主体としてはありえず、絶えず公的なものから、あるいはその権威性から承った影としての「身分」を物語ってもいる。(この構造は、日本が近代社会をヨーロッパ社会を模倣することにより形成した際も無批判なままであり続けただろうし、当時の知識人階級ですら気づきえなかった事柄である)

そして、そのワタクシの構造の不分明な曖昧さは、いわゆる「空気」や当然の「約束事」(あるいは「道理」)として、共同体の結束を強化するものとして機能し、時に「滑稽さ」として笑いの対象—そこに自虐的な攻撃性の毒を見取るのは容易い—にもなっている。

歴史的に言い直すなら、このような「ワタクシ」という地位・身分の曖昧な概念規定の特異性 (3)* こそが、日本史の構造の根本的な問題として無自覚なままに受け継がれている事態に相違あるまい。それは、日本人の無知なのであり、その情熱でもある。そして、その特異性のシンボルは日本史的にも、一つの王族の身分——年代的には、公=官=天皇という図式が完成したのは律令制においてである——に“リフレクティブに”収斂するはずだろう。オオヤケのシンボル性が人格に推移することと、日本人がそれを実体論的に捉え、一つの人格にはなりえないことは興味深いパラドックスでもある。要点を先回りして述べておけば、日本人の公私概念がリフレクティブな投射=投影によって互いに入り組みあっている事実は、天皇制という極限の構造を保存し、また必要ともしている。(諸個人の行為性が世界を介在とし公私の分離を生じさせる事とは、まるで異なるあり方を余儀なくされている)

注: (3)*→「公」が“主人一般”を指し示すようになるのは戦国時代以降であり、室町時代辺りから「わたくし」という言葉が“目上の者に対した場合の”一人称に転用されるようになる。両者はほぼ対応しており、「奉公滅私」という言葉はその前身にあたるが、そのような「お上」に尽くし仕える精神性の風土は、近代以降の日本社会においても往々にして見られたことであるし、日本における公私概念がヒエラルキー的秩序として考えられていることの証左でもある。またそのことは日本人にとっての「個人」観が決して単独で独立した者ではありえずに、何らかの社会的コンテクストに従属した単位として以外は想像できない事実をも逆照射している。それはまた、ヨーロッパ由来の「個人 person」という概念がそのまま「わたくし」という言葉の外延的なイメージとしての、つまり日本人的な公私観としての「私」に転じてしまうという奇怪な事態を招くに至る。(両者を媒介したのは日本朱子学であり、日本近代の“伝統的な”個人観もその影響下から展開されるようになる。また日本近代文学の「私」小説の特異な地位は、その曖昧なまま地続きであった「私=個人」の内的な葛藤が表現される場でもあった)

 

■天皇制成立における歴史的起源の諸事情——力 force を正当化する為の諸制度、あるいは権力なき権威 authority without power の極北として

《最も強いものでも、自身の力 force を権利 droit に、服従 obéissance を義務 devour に転化させない限り、いつまでも主人であり得るほど、強いものではない。》——ルソー『社会契約論』第一編第三章

まずは、日本の「国家」形成の基礎を振り返ってみよう。それは、歴史的には二つの文明との外交や影響とは切り離すことはできない。一つは中国であり、もう一つは欧米である。両者は、日本史・制度上の「日本国家」なる政体のエポック——古代律令制と明治期の近代化、そして戦後——を画定してもいる。故に、そのような政治的な国家体制は、最初に法制学上の問題として立ち現れるはずだろうし、またそれは広義に正当性や適法性の概念——legitimacy ないし legality——に収斂する。(もちろん、それらには特有の経済システムもあるが、そのような管理経営も適法性によって保証ないしは保護された限りで取り仕切られる)

また、言い換えればそれは、日本史制度内における理性支配と正当化の概念史——あるいはその是非は置いとくとして、発達史——と呼ばれうる。(4)*

注: (4)*→水林彪 (2006; 70-71) は、中国の律令制において首尾一貫した論理性や合理的体系的思考の成熟が認められることを指摘している。《律令は、郡県中国において、皇帝の支配の及ぶところにあまねく妥当せしめられた普遍的な性質の刑法・行政法であった》。日本が近代化において引き継ぐ、19世紀ドイツに誕生した刑法・刑法学も同様の《精緻な論理的構築物》である。

話を見失わないよう述べておけば、ここでは日本国家と天皇制の“歴史的”関係に重点を置いている。先に我々は、「オオヤケ」の翻訳語としての中国語の「公」が採用された経緯を見てきた。ヤマト言葉の「オオヤケ」の原義には、人間の住む俗の家とは異なる「天つ神の住居」という意味があった。そして、古代の日本にはまだ、十全な意味における王権が存在していなかったことを考慮に入れれば、中国からの律令制の導入に伴い王権国家としての色彩を帯びてきたことは想像に難くはない。その時に必要になるのが、その支配を権威づける制度上の問題であり、日本は恐らくは、それすらも中国から借りてきている。それは、「天」という規範性を含意する言葉である。(オオヤケ—公—天の人物的な同一視ないしは権威化)(5)*

注: (5)*→この推論に異論が挟まれることは十分に承知している。ヤマト政権・前方後円墳体制が王権成立“以前の”政治秩序であるとは、それが支配者と服従者という質の異なるヒエラルキーを“意味してはいない”ということである。この前方後円墳時代に、既に中国からの影響により、「地」と「天」——「方」形と「円」形はそれらのシンボルである——の観念が出現しているが、単に上下の秩序が成立したのみでは、それが即ち王権であるということにはならない(もちろん、ヤマト時代においてもそれぞれの土地に結びついた盟主はいた)。もう一つの異論は、天皇の“血統上の問題”である。『古事記』においては、天神と天皇の間に血統上の系譜関係〔連続性〕が観念されることになるが、前方後円墳体制においては、歴代の盟主の間にさえ血統上の系譜関係は観念されていない(天皇制における支配構造の正当化と、その重要なファクターとして血統上の問題が担保されていることは、決して無視できない事柄である)。

つまり、ここまでの推論の要旨は、オオヤケが中国語の「公」と翻訳推移されたことを横糸とすれば、縦糸とし超越性としてのアメ——本来は、この概念には生成の原理はあったかもしれないが規範性はなかったであろう——が「天」として中国経由の規範的な性質を帯び、日本人にとっての言説的制度と規範を“同時に”体現するところの(それ故に、フィクションでもあり、天と王〔皇〕の間に連続性を想定するならそれは神話的な次元にも“起源において”接続される)、王権としての天皇制が成立したと読むこともできるだろう。(6)*

《中国皇帝による権威付けなしには、列島において、〈盟主〉が〈王〉に上昇・転化することは困難だったのであろう。前方後円墳に象徴される超世俗的な「天」の観念は、借り物の思考であり、それだけでは王権を創造することができなかったのだと思われる。》(水林2006; 94)

注: (6)*→想定として、王号が「大王」から「天皇」に変化した可能性はあるにはある。しかし、「天皇」号の成立時期についてはいまだ定説の確立をみない。仮にヤマト体制を「王権」として考えるにせよ、それは天皇制とは異質なステータスである。

また、中国語の「天」について言及するなら、それは壮大な自然宇宙論と倫理観が結合した概念であることは知られている。だが、それを「アメ」として考えた当時の日本人は、その独自の哲学については頭では理解できたかもしれないが、心として実感されるには及ばず、身近な自然としての「アメ=雨」として享受されたとも推察される。雨は天から降ってくるもの〔物象化〕であり、その観念が天孫降臨神話による天皇王権の正当化に一役買ったという見方も成り立つだろう(事実、日本の芸能にはその名残が今もなお影響力を保持している)。血統上の問題は、その正当化された観念〔=系譜の連続性〕を逆向きに投射することにより、血族や婚姻関係の正統性の問題として、改めて権威化する方策に転化する。つまり、律令国家における天皇制の legtimacy は、血統のそれとして制度化され、権威性を帯びる。(7)*

注: (7)*→事実、「天皇」号は日本帝国の君主を「高天原」(日本的な「天」)の権威を背負うものとして表現する称号であり、中国的な「天」はあくまでも借り物に留まり、その規範的な性質は見かけだけのものである。

そのことに伴い、以前の共同体のあり方も変革を遂げる。具体的に述べるなら、それは皇族の“ヤカラ”的編成からイエ(長の直系継承団体)への組み替えである。それ以前〔大化以前〕の共同体の仕組みはウヂと呼ばれていた。ウヂはイエとは異なり画一的に父子直系で相続されたのではなく、政治的経営体にふさわしい人物を求めて傍系の線でも相続された。(中世武士の「家」は、その訓が一般化され、イエとして概念化されるが、本質的にはウヂに近い組織である。ヤカラ的共同性は、古代首長の「氏(ウヂ)」から中世武士の「家」までをも包括する概念である)また、ヤカラ的共同性は緩やかな〈身分契約秩序〉であったが、イエへの組織の再編成は天皇による〈命令的秩序〉への移行でもある。律令制により成立した日本国家の幾つかの特徴は、郡県制、官僚制、君主制、主権的王権体制とも呼ぶことができるが、複雑なのはそれは主に中国との“外交上の関係”により“建前として、あるいは名目上”執行されたということだろう。そのような日本国家“内部における深部と外観の関係”は、いわゆる“内と外、本音と建前”といった二分法により複雑化され、またその後の日本史の運動としても繰り返されるところに、“内政”上の問題点があるといえる。また先に述べたように、オオヤケは〔ワタクシの対立概念ではなく〕ヤカラとヤシロ(屋代=社)とを繋ぐ媒介概念であった。そのことを鑑みるなら、日本の律令天皇制においてそのヤカラがイエへと制度的に変化し“正当化された”経緯は、ヤマト言葉の「オオヤケ」概念の原義が著しく毀損されたと同時に、支配の構造へと歪曲された事実を物語ってもいないだろうか? そしてそれが真実なら、それ以降の日本の共同性の相克は“失われたオオヤケ概念”を巡って生起したのではないかと考えられる。

また、その後の天皇の力 force は事実上、天皇・藤原“家”に移りその存在は単に〔その力を正当化する〕権威のみを意味することなる。ここに、我が国のヨーロッパ由来とは異なる生-政治 (8)* の重大なモーメント——正当性 legitimacy が血統上の正統性に還元されたこと——をみても強ち誇張ではないし、それが死-政治に反転するのはそのような正当性を介してであることも窺い知れる。

(8)*→生-政治という用語をここでは用いたが、実際上の政権について述べる際には、生-権力という用語でも間違いではない。ただ、ここではアーレントを意識して、政治や権力という用語を、通例の使用の仕方とは別の含意に導く狙いもある(例えば、支配とはアーレントにとっては政治の本質ではない)。本文では、煩雑になるので厳密には区別しなかった部分もあるが、各自考えて頂きたい。


アーレント的パラドックスの根源について

2021-06-29 18:45:00 | Note
それは、どこに求めればいいのだろうか? 例えば、革命論においては“始まりの暴力性”が指摘され、革命における“創設的な行為”においては「自由」がそこになければならない。(つまり、アーレントにおいて始まりは矛盾点でもあり、躓きの印でもある)
 
アーレントに足りなかったのは、おそらくは円環の運動(循環運動)の回帰の必然性と論理的な直線運動の必然性の区別だった。彼女のマルクス解釈において、それは「自然的強制力」として理解されるに至る。しかし、それは正確にいうなら自然の強制力 force と“過去の始まりの”暴力 violence との結合・結び目としてある。自然的強制力が常に暴力としてあるとは限らないことが、この全体主義批判を企図した文脈においては見えない故に、ルソーの自然状態に“始まりの暴力”を見てしまっている。
 
そして、それら二つの運動の必然性の区別がないということは、回帰的な時間性と直線的に進む時間性との弁別が失われていることに等しい。
 
そう考えると、アーレント的なパラドックスを解く方法というのは、ある種の時間論の導入だということになる。(あるいは、回帰的な時間と直線的な時間の“間”に留まるということ)
 
あるいは、精神分析の用語にパラフレーズしてみるとどうだろうか? エスには強制力があるとも言える。だがそれは決して、その回帰的な性格が暴力であるとは限らない。その僅かで微小な偏差。そこに、自由や新しさの「経験」がある。こういってよければ、ある意図 purpose における目的=終わり end と目標 goal の位相差。
 
 
★アーレントの全体主義主義批判の文脈は、政治的な領域を手段—目的のカテゴリーとして捉えてしまうことへの警戒と結びついている。つまり、そのレベルでの〔制作のカテゴリーの〕政治化への企図は、自由ではなく支配にたどり着く以外にない。始まりは“予め”特定の目的=終わり end に結びついている。(これが、〈工作人〉の仕事 work の領域のあり方であり、それは道具的理性としての性格を保持している。工作人の力 strength とは、自然にある種の改変を加える物理的強制力 force でもあるが、それは活動の権力 power ではない。そして、その力 strength が支配に利用されれば、暴力 violence になりうる)
 
一方で、アーレントが全体主義への批判から本来の政治的領域を描こうととしたのは、その活動 action—正確には、活動の権力 power—には、目標 goal はあるが目的=終わり end があるわけではないことを指示するためでもある。
 
始まり beginning において、仕事=制作 work の領域と活動 action の領域は力動的に相入れない。始まりが暴力でもあり、自由でもあるという事態は、アーレント的なパラドックスの一つとして挙げられるだろう。(暴力は支配の一形態であり、自由でも権力でもないのだから、アーレントの困難はそれらの隔たりや移行にあったといえる)
 
《始めに行為があった。始めに暴力があった。始まりの権力や暴力は権威になった。》
 
 
■第二のパラドックス—世界の始まりと現れ
 
アーレントにおいて政治的な場を構成する「世界」はどのように現れるのだろうか?(また、その「世界」は全体主義によってどのような危機を迎えていたのだろうか?)
 
アーレントにおいて「世界」は、人間の「活動」のみならず、政治的および公的な空間を構成する要素であることは認められる。また、別の言い方をすれば、人間の“活動なき”世界は、公的とは呼べず私的な欲望—貪欲さや傲慢—によって“消費”あるいは“破壊”されることは著作からも窺い知ることができる。
 
政治的自由とは先ず、世界への現れとして実現する。(なお、先に述べたアーレントにおける始まりの暴力性の問題を、その英雄主義的で闘技主義的な特性に求めるむきもあるが、私はそれには与しない。活動にも、活動により生じる権力自体にも暴力はない。というのも、暴力は権力とはそもそも相入れないだろうからだ。そして、暴力による支配が向かう先は、その道具的な手段—目的論の偏向性からいって、人間の活動というよりは、“活動なき世界”とそれに甘んじる“労働する動物”の方だろう。)
 
では、人間の活動の世界への現れ—それは「勇気」による暴露的特性を保持している—は、どのような状態にあるのか?
 
アーレント政治学におけるギリシャ的な特性は、政治的自由の「現実化」がそもそも共通世界に結びつき、そのような共通性を保持したまた世界に現れることにある。(そのような事実に立脚したあり方を、アーレントは「ユニークな存在の逆説的な複数性」と呼び、その事実性こそが、政治的自由の基本要素としてあることが認められる)
 
また、そこでの自由の現実化は、アリストテレスの定義に従えば共通善を目標 goal にした、エネルゲイアとして考えられるだろう。(一方で、活動によって生じる権力 power は、そのような現れに対して、ポテンシャルとしての状態にある)
 
世界におけるエネルゲイアとデュナミス。この両者を同義として、あるいは同時に論じるところに、アーレント的なパラドックスは潜伏している。言い換えるなら、アーレントにおける「世界」は、公的である限りでは、既に“複数の”人々の「間」にある。
 
《エネルゲイアに対し、その目標を指示するデュナミスは文字通りポテンシャルの状態にある。行為と権威の源泉の違いとして。
 
古代からの主権権力 sovereignty の問題は、行為と権威の源泉を同一視することにより、人間の複数性の事実を傍に追いやり、自由意志を活動の中心に持ち込むことにある。これは後に、宗教的な葛藤としても浮上することになる。一方で、権威を構想力として、超越的な審級によらず構成するという問題もある。後者については、アーレントはカントの美感的判断力を参照にし、おそらくは約束や赦しの働きとして論述しているだろう。(我々はここでも、美の問題が人間同士の信頼や絆に結びつくことを確認する。全体主義における根源悪の問題が、この人間の繋がりを破壊し超え出てしまうことについては、また折を見て扱いたい。全体主義の罪とは、人間事象を超え出ており、人間の活動力としては扱えなくなることに注意が要る。おそらくは、メシアニズムが未だなお考察されなければならないのは、この根源悪の文脈においてだろう)
 
★アーレントにおいて、“共通感覚に根ざした”美感的構想力の政治的意図の問題は、自由や世界の/への「現れ」の一契機として、重要な側面を持っている。それは、活動に先立って、超越的な審級によらずに——故に、それは「生き生きとした経験」でもある——世界を判断する自由でもある。行為者 actor が世界に現れる以前に、世界は行為者の感性に潜在的に現れている。
 
 
■第三のパラドックス
 
カントの美感的判断力の政治性と物の世界の「間にある inter-est」こと(interest とは「利害-関心」の意でもある)、あるいは人間関係の「網の目 web」としての世界。
 
アーレントにおいて、活動と言論は人々の間で進行する。それは先ず、人々がその中を動く物の世界に関係し、物理的に人々の間にある。それは第一の介在 in-between であるともいわれ、利害関心 interest にも関係するのだった。しかし、この介在 in-between でさえ、全く異なる介在 in-between によって圧倒され、圧制されている。後者は、人間関係の網の目 web と呼ばれる。
 
そう考えると、アーレントにおける活動の暴露的なあり方は先ず、物の世界の客観的なリアリティの上で演じられ(故に、それは暴力とは異なる意味で危険なのである)、その活動と言論の過程は後者の触知できない網の目に影響を及ぼすということが理解される。(後者にももちろんリアリティがある)
 
最初のリアリティは物の世界の間にあるというそれであり、後者のは活動や言論が“既にある”人間関係に関わっているというそれである。
 
そして、言論による「正体=誰 who」(何 what ではない)の暴露と活動による新しい「始まり」は、常にこの“既に存在している”網の目の中で行なわれ、その直接的な結果も網の目の中で感じられるといわれる。そして、その活動の網の目への遡及効果には際限がない。(その際限なき遡及効果が、活動それ自体の“暴力とは異なる意味での”危険であり、その危険性故に活動にはある救済策 remedy が必要なのである)
 
 
ここに先ず、矛盾がある。アーレントは後にカントの美感的判断力に、カントは気づいてないかもしれないが極めて政治的な問題があるということを指摘していた。だが、カントにおける美感的判断力、その中でもとりわけ趣味判断における美の判定には“主観(主体)の利害関心の停止”という契機(カント自身の言葉では「関心なき満足」)が認められる。
 
私は先に、「行為者 actor が世界に現れる以前に、世界は行為者の感性に潜在的に現れている」と述べた。行為者が現れる世界性は人間関係の網の目の方であり、その現れ以前に行為者の感性に現れる世界は、“共通感覚や共通世界に繋がる”物の世界の客観的リアリティのことである。(しかしそれは、厳密にカントに従えば、“趣味判断においては”「主観的普遍妥当性」のことだともいえる)
 
つまり、『人間の条件』の頃のアーレントの活動と言論についての叙述は、二つのリアリティの間に連続性がまだあるとは言えないだろうか?
 
では、その両者を分離した意味で考える活動とその救済策は、如何なる関係があるのか? 活動以前の判断、それは物の世界のリアリティとして行為者の感性に現れているのだが、その判断こそが既に、活動に対して約束や赦しという救済策を“構成する”というあり方は考えられないだろうか?
 
私はここでアーレントの叙述に対し、あるアナクロニズムを導入している。通常、人間は過去に行ったことについて赦し、未来に約束する。そして、物の世界のリアリティを美の世界—しかし、美は対象の性質ではない—に置き換えてもいる。物の世界のリアリティが永続化され、記憶という意味で人間の生よりも長く残るためには、そのリアリティの変化が必須であるよう思われる。(美は有用性という尺度からは独立しており、物の手段—目的というカテゴリーからは離れた価値がある)

そして、活動が始める過程の不可逆性と予言不可能性に対する救済は、活動そのものの潜在能力の一つであるということは、アーレント自身が述べていることでもある。(『人間の条件』邦訳p.371)

★繰り返しになるが、仮にアーレント的な“活動の主体”という問題を構成するなら、それは美と自由の関わりにおいて考えられるだろうが、未だ理性に根拠を持っている“自由意志の主体”とは区別されるということに他ならない。また、このことは精神分析における「自由連想法」と関係があることも、別のところで示唆している。そして、アーレント的な活動の主体と自由連想を行う主体—分析主体—に共通なのは、理性的な伝達なのではなく、心情や感情の伝達なのである。ここで我々は、精神分析における自由連想の方法が、アーレント的な意味での活動に繋がるという奇妙な結論を得るに至る。分析主体になることは、既に“共通感覚 common sense に根を持った”活動の一環なのである。より踏み込んで言うなら、精神分析のもう一つの基本原則たる分析家の「平等に漂いわたる注意」こそが、カントのいう“共通感覚”の想定ないし効果—無規定の規範—でもある。(他方で、“自由意志の主体”によって論文作成術化に陥った精神分析のあり方は、その始まりから言って、支配や画一化といった問題と地続きなままであり続けるだろう)
 
 
ここまでの考察で、我々はアーレントが用いる「世界 world」という言葉、つまりはその「世界性 worldliness」に、様々な複合した形態があることを認めることができるだろう。その用いられ方は例えば、端的に「世界」という場合や、「世界への愛 amor mundi」、共通感覚の論点をも折り込んでいるだろう「共通世界 common world」、そしてその喪失である「世界疎外 world alienation」のように分節化が可能だろうし、アーレントはそれらを様々な文脈において、同時に(矛盾した形でも)使うこともある。つまり、アーレントにおいて「世界性」—そして、その「始まり」—とは様々なモードを持つ政治的な場のことでもあり、彼女の政治概念の根底にある問題だともいえる。またアーレントの政治思想は、その研究で名高いヴィラの表現を借りれば、皮肉交じりにも「ロールシャッハ・テスト」とも呼ばれる。「現れ appearance」の政治学と形容してもいいアーレントの思想を、私は世界の「物」の視点から移し替えて見ているとも言えるだろう。
 
しばしばその「活動」概念は人と人の間で行われることが重要視されるが、その舞台でもある「世界」は、物によっても成立している。世界の耐久性は、物が〔消費材ではなく〕使用対象物として存在することに由来したのだし、それは工作人が制作した世界でもあった。だが、活動においてその工作人の有用性の概念や手段—目的のカテゴリーを持ち込むことはできない(それは始まりの暴力にも転化しうる)。かといって、労働する動物のように消費することが、世界に安定性をもたらすわけでもない。そこで、美感的判断力が考察されたのだし、活動における永遠性のテーマが不死性とは異なる形で、美として、あるいは人間の記憶へと変換される形で保存-救済されるのだともいえる。
 
そう考えると、趣味判断は“現われの以前と以後”を架橋しているのではないかという疑問が浮かんでくる。美において、人間の活動力は世界に現われつつも、永遠として消え去る。だが、それは記憶として残り、その活動の物語や歴史として語られる。
 
『人間の条件 The Human Condition』のタイトルが当初、『世界への愛 Amor Mundi』になる予定だったことは知られている。ラテン語の mundus とは、ギリシャ語の κόσμος, cosmos の翻訳でもある。この含意を汲み取るなら、また我々はアーレントとアガンベンの思索における神学的なものの問題に出逢うことになる。
 
 
■第四のパラドックス—始めに愛があった?—公共性における赦し

アーレント vs. アガンベン

2021-05-30 21:24:00 | Note
《不正の極地とは、実際には正しい人間ではないのに、正しい人間だと思われることなのです。》——プラトン『国家』第二巻631A
 
《すべての人は善人か悪人かではなく、正しいか正しくないかではなく、その中間である。》——アリストテレス『形而上学』第五巻 22(1023a5)
 
 

アーレントとアガンベンを分つもの。それは、法概念に対する依拠と理解、そして絶対的なものに関わる。

しかし、哲学者の系譜でいうなら、それはプラトンやアリストテレスによって用意された。それは、「活動」の領域を「制作」のカテゴリーによって置き換えるという「始まり」の転倒であった。(その問題の発見によって、アーレントがプラトンからマルクスに至る「伝統」を批判したことは既に紹介した)
 
では、活動を制作に置き換えることの何が問題なのだろうか?(それは、人間事象の偶然性をあたかも必然であるかのように見せかけ取り扱い始めるだろうし、そのことに付随して「労働」が人間の活動的生 vita activa の上位に置かれるというヒエラルキーの転倒をも招き、それが近代社会——つまりは、労働者たちの大衆社会——の特色となり、公的な領域の消失や破壊に至る。そのイデオロギー化が全体主義なのだった)
 
そして、アーレントにとって私的領域はというと、支配-被支配の関係——家長、家族、奴隷の関係——であり、“前政治的な場”なのだった。もう一方で、“善”は公にされるのなら腐敗を撒き散らし、それは公的な領域からは隠されなければならなかった。(ここに我々は、政治的な“行為のパラドックス”という問題を先に見た)
 
では、アーレントが依拠した古代ポリスにおける政治的参加への自由と平等——両者を潜在的に印付け、死すべき運命の人間に永続性を与えるものこそ、アーレントが理解したギリシア的な法である——と、ローマ法を参照にもつアガンベンの何が違うのだろうか?(アーレントにおいても、古代ローマ法の参照はないわけではないが、それはアガンベンとは趣きを異にしている)
 
確かに、両者とも法における“絶対的なもの”の問題は保持している。アーレントにおいて、絶対的なものの掛け金は「卓越性 excellence」のそれであり、その活動力が公的な領域に自由と平等をもたらすのだった。(このようなアーレントのスタンスが理想論的すぎるという批判は数多くある)
 
一方で、アガンベンにおける古代ローマ法は「例外状態 stato d’eccezione」としても分析されたし、それはおそらくは至高の絶対者の声や命令を前提としていた。そして、この当初にアガンベンが“暗黙に”前提とする垂直方向の絶対性(アーレントのそれは水平方向だといえる)が依拠している哲学的な問題は、始まりと終わりをもつアリストテレス的なカテゴリーと交差するのだった(それは、世界性 worldliness というよりはコスモス kosmos, κόσμος と呼ばれ、神の被造物の領域でもある)。そして、アーレントにとって“始まりと終わり”を持つのは活動ではなく制作の方なのであるから(活動は始まりがあるが予見できる終わりはない)、アガンベンとアーレントを分かつののは、神的な問題と人間的な問題を巡っての「制作」というカテゴリーの問題でもある。ただし、アーレントによる“人間の政治的活動の制作化”への批判は、それが用意する支配-被支配関係に向けられただろうし(その意味では、その批判は否定的である)、アガンベンの場合は、有限であり偶然性により絶えずおびやかされている人間的事象(そこにはコスモスのみならず世界性も含まれる)やそれらの破壊に対する神的な「秩序」と毀損の回復—つまり、摂理や救済—という意味合いを持っている。(もちろん、アーレントにも救済—許しや約束—というテーマはあるが、それは人間的な活動の一環として考えられている)
 
人間の活動の場(公共性とも言い換えられる)を用意する世界が、人間の手によるものなのか、あるいはそこに神によって造られたという被造物の問題や神的な秩序を見るのか?
 
おそらくは、アーレントがおかした過ちは、自らが活動の問題を制作に置き換えるというプラトンからマルクスに至る伝統批判をしたものの、その公共性を用意する世界性の樹立が、人間の手によるものという循環論法を免れていない点にある。アガンベンは、そこに人間の無為の能力(非の潜勢力)や神学的な思考を挿入する。(確かに、アーレントが批判するプラトンの政治性—哲人王支配—は、その転倒によって vita activa から vita contemplativa に優越性が移ったという見方は一面の真理を言い当ててはいるし、それによって革命がまた新たな支配-被支配の関係を必要としていまう事態も生じている。だが、アリストテレスによるプラトン批判は、それとは別の領域に vita contemplativa の優位性を見取ったのではないか?)
 
政治をも含めた公共性の領域は、人間のみの活動の領域なのか? あるいは、そこに神的なものを認めなければならないのか? そこでの始まりと終わり(だが、活動には予見できるような明確な終わり=目的はない)は、どのような時の問題を孕んでいるのか? このような難問はまた、政治的なものの掛け金や善悪の問題でもあるし、それぞれの真理観にも影響を及ぼしている。一つ言えるのは、「現れ appearance」とは常に善であるとは限らないという事実の真理 factual truth—イデアの真理ではなく—である。そして、事実の真理とは、理性による信仰や信念では最早なく、“感覚の基盤”という共有されうる現実—中間領域—である。

《私たちはここで、プラトンとプロタゴラスのどちらかを選択する必要もないし、万物の尺度が人間であるのか神であるのか決定する必要もない。確かなことは、その尺度は、生物学的生命と労働の強制的な必然でもありえないし、製作と使用の功利主義的な手段主義でもありえないということである。》——アーレント『人間の条件』(ちくま学芸文庫版p.273)
 
 
★この覚書は、言うまでもなく精神分析について私がした批判(論文作成術化と労働運動化)と繋がっているし、語の十全な意味において、理論と実践の問題点が考察されていなかったことも指示している。また、別のところで人間の“最初の”道具の使用が自尊心の問題と結びつくことも、ルソーを通じて既に指摘していた。
 
尚、アーレントは行為から支配への逃亡をギリシア語とラテン語の二種類の「行為する」という動詞の用法の変遷としても分析する。第一に、一人の人物が行う「始まり」を表す archein, agere があり(これらは、アルケーと語源を同じにし、エージェントという動因を表す用語も示唆している)、第二に、複数者からなる、行為の企図とその達成までを表す prattein, gerere である。今出敏彦 (2013, pp.122-123) によれば、第二のものが行為一般を指すものとなり、第一のものが政治的用語として「始まり」から「導く」、「支配する」へと意味が特殊化された経緯がある。
 
以下は、今出からの引用である。《行為の持つ意味が分離して後者の政治的用語としての意味〔引用者注:「導く」、「支配する」のことだと思われる〕が強調されると、さらに第二の意味がその内部において、一方では支配者の命令と、他方では服従者の命令実行へと機能分化を遂げて、行為の重要な側面である、複数者からなる生きた行為の流れの過程的性格が脱落する。こうして、行為を放棄して制作を採用することで生じる変形により、行為の概念は支配の概念に置換される。》(ibid., pp.122-123)
 
アガンベンもまた、違った文脈からラテン語の agere, facere, gerere の区別を分析しているが、このことについてはまた別所にて確認したい。そして、アーレントとアガンベンを別つ決定的な差異は、「始まり」や「起源」を巡った“制作(製作)のカテゴリーの”問題系でもあるが、両者はまた、行為や活動というアリストテレス的政治学——それは、演劇モデルを採用している——において、補完し合っているとも見ることができるだろう。(余談になるが、アウグスティヌスにとって根本的だったのは、人間の始まりを示す initium であり、世界の始まりを示す principium の方ではなかったということは敷衍すべきだろう)

シラー『人間の美的教育について』

2020-07-01 21:55:00 | Note

《流派をたてるくらいなら、いっそのこと他の間違いをしでかしたほうがよく、権威や他人の力にすがって身をまっすぐに立てているくらいなら、いっそのこと自分の力の弱さで倒れるほうがましだと思っています。》p.30

《美のいっさいの魔術は、その秘密性にあるので、その本質は諸要素を必然的に結合しても、廃棄されてしまうものです。》p.31

《実際にあの政治的問題を経験の中で解決するためには、美的問題を通ってその道に出なければならないことを、なぜならば、自由にまでたどりつく道が美であることを知って欲しいのです。》p.34


《理性の啓蒙——、これを洗練された階級の人たちが自慢にするのは、べつにさしつかえないことですが、全体からみて、これが思念の高貴化に影響をあたえたことはほとんどなく、むしろ腐敗を格言的に証拠立てているようなものです。》p.44

《…彼らは理性によって自然に帰ることができるのに、誰も彼もが、むやみに理性を振りかざして自然から離れることをよしとしている》p.46

《思弁的精神は観念の国で、失われることのない所有を得ようと努力しているあいだに、いつか感性の世界においては異国人になってしまい、形式のために素材を失わなければならなくなってしまったのです。》p.51

《純粋な知性が感覚の世界にある権威を横領し、経験的な知性がそれを経験の条件下に屈服させようと熱中しているあいだに、両方の素質が成熟しきるところまで発達してしまい、それぞれの領分の全域をすっかり使い果たしてしまうのです。》p.53

《……この神性への道——決して目的地に導かないものを道とよんでよければ、この道は、人間に“とって”感性の中に開かれているのです。》p.77

《……ただ、その形式が私たちの感覚の中で生き、その生命が私たちの理性の中で形となってこそ、人間は生命ある形態であり、そして、いかなるときでも常に私たあちが、美と評価するところのものです。》p.95

《美によって、感性的な人間は形式に導かれ、そして思索に導かれるのです。美によって、精神的な人間は質料 Materie に還元され、そして再び感覚世界が与えられるのです。》p.108

《ところで美について、美は人間に対し、感ずることから考えることに移行する道をひらくものといわれているにしても、決してこれを、あたかも美によって間隙が——感覚を思考から分離し、受け身を能動から分離する溝が——満たされるように考えてはなりません。この間隙は無限なのです。》p.114

《思想とは、この絶対的な能力の直接行動です。》p,114


《事実、美というものは知性のためにも意志のためにも、絶対になに一つ成果をあたえず、なに一つとして知的な目的も道徳的な目的もしとげていません。美はただ一つの真理をも見つけず、なに一つ私たちが義務を履行するのを助けてくれず、そして一言でいえば、性格を築くにも、頭脳を啓発するにも不適当なものです。》p.124

《しかし正にそれによって、ある無限なものが獲得されるのです。事実、感ずるさいの自然の一方的な強要によって、また考えるさいの理性の排他的な立法によって、人間からまったくその自由が奪い去られていることを想いうかべてみさえすれば、当然私たちは、美的情調の中で取りもどされる能力を、あらゆる贈り物の中の最高のもの——人間性の贈与——とみなすことができます。》p.125

131情熱の美しい芸術は存在しますが、

《美的情調の人間には、彼が欲すればそれが直ちに普遍妥当的な判断となり、普遍妥当的な行動となるのです。》p.135

《それゆえに、義務に対する道徳的優越はまったく存在しませんが、しかしそれに対する美的優越は存在するので、そうした振舞いが高貴といえるのです。》p137〔原注〕

《人間は欲求を、“いっそう高貴に”することを習って、それによって“崇高になろうとする”必要をなくさなくてはなりません。このことは、美的教養によって果たされるもので、美的教養は、それについては自然律も理性の法則も人間の随意に任せているいっさいのものを、美の法則に服従させ、そして美が外的生命に与えている形式の中に、内的生命を開いてくれるのです。》p.138

141結局のところ人間にとって、

《美はたしかに私たちにとって“対象”なのです。なぜならば反省は、私たちが美についての感覚をもつことのできる条件であるからです。同時に、しかし美は“私たちの主観の一状態”なのです。なぜならば感情は、私たちが美についての表象をもつことのできる条件であるからです。したがって美は、私たちが観察するものゆえに形式であり、同時に美は、私たちが感ずるものゆえに生命なのです。“一言”でいえば、美は、私たちの状態であると同時に私たちの行為なのです。》pp.150-151


★途中


アーレントからルソーへ

2020-05-15 23:50:46 | Note

《…強欲と野心とがありすぎて、長い間、主人なしではすませなかったのだ。だれもかれも自分の自由を確保するつもりで、自分の鉄鎖へむかって駆けつけた。》——ルソー『人間不平等起原論』岩波文庫版p.106

 

■ルソー的な動物と無意識(手段としての仮説 / 仮設)

何故、アーレントは社会的なものの背後に《自然なものの不自然な成長》を見据えたのか? また何故、ルソーは社会における理性的な能力が悪徳を生じさせることを見過ごさなかったのか? それらは未だに今日的な問題であり続ける。

あるいは、無意識を仮定しても、そこにはまだ知られていない意志があり、その意志は意識的な意志によっても克服はできない。だが、別のパッションをもってなら抗することができる。

ルソーの《自然状態》とフロイト的な《無意識》を仮設作業として〔別所にて〕提示したが、起原を観念による仮説的実験によって再構成することは、18世紀の思想家・学者の間で流行していたといわれる。この場合、この仮設作業あるいは仮説的実験はそれ自体としては既に、思考の目的というよりは手段として扱われるべき問題を構成している。ある観念を目的として扱わずに、あるいは実証的な性質を与えずに、そこから問題を提出する手段、あるいは主題を探求する方法。

しかも、ルソーが指摘するところによれば、「人類のあらゆる進歩が原始状態から人間をたえず遠ざけるために、われわれが新しい知識を蓄積すればするほど、ますますわれわれはあらゆる知識のなかでもっとも重要なものを獲得する手段をみずから棄てる」(ibid., p.26) ということである。つまり、このような仮設作業・仮説的実験に必要なのは、有用で新しいと思えるような知識を獲得することではない。それを放棄することで、その仮説作業・仮説的実験を手段として行使するということに向かうことだろう。

但し、ルソーが措定しているのは、理性に先立つ二つの原理である。それは、自己愛 amour de soi と哀れみの情 pitié を指す。これらは、自然人の「感性」や「動物」においても見られる原理だということに留意がいる。このルソー的な仮説 / 仮設においてもまた、われわれは「動物」(あるいは、動物としての人間)というテーマを見出す。

「実際、私が同胞に対してなんらの悪をもしてはならない義務があるとしたら、それは彼が理性的存在であるからというよりは、むしろ彼が感性的な存在であるからだと思われる。この特質は動物と人間とに共通であるから、これが少くとも前者が後者によって無用に虐待されないという権利を前者に与えているはずである。」ibid.,pp.31-32

裏を返せば、“人間は社会状態から生れる残酷な感情を動物に移し変えて、いたずらに動物に狂暴性を認めている”と言える。この事実は、理性的な無意識が感性的な無意識——感性的な側は、欲動や動物性にも関わるだろう——に自らの冷酷で残忍な側面を移し変えて“見ている”と言い換えても、恐らくは的外れではあるまい。

アーレントによるギリシャ・ポリスへの参照の限界は、そのロゴス〔理性〕への依拠の限界と言い換えていいかも知れない。そして、そこから政治的な領域に回帰する感性論—感覚的存在—の射程を浮き彫りにしたい。それは、不平等という尚も今日的な問題に一石を投じるはずだ。しかし、この感性的存在というテーマ設定は、自己保存から同胞への愛に向かうものだったとも言えまいか? もし、これがルソーの社会契約の限界なら、われわれは再びニーチェの〈約束することのできる動物〉を引き合いに出さなければなるまい。

 

■自尊心 amour propre の問題

自尊心こそが使用に結びついた感情なように思われる。自尊心とは本来は中立的なものであるが、良くもなれば悪くもなる。自尊心が悪く働けば、それは不正や不公平を生み出し、人も悪くなるだろうが、良く働くなら、それは徳や公正さも生み出し、人も好ましくなる。

では、それはアーレントの議論と何処が重なるのか? 「自尊心の最初の動き」が生じるのは、『不平等論』の「第二部」において、人類が原始的な道具や技術を持つようになり、人間が他の動物に対する優越性を感じるようになってからである。ここに、何らかの人間の支配性の確立を見るのは容易であろう。自然に対する技術的な支配であれ、また他人に対する優越性であれ。(アーレントにおいては、ホモ・ファーベルこそが世界性の主人たりえたし、彼女の政治モデルの依拠は、そもそも奴隷制を下敷きにしていた。)

つまり、何らかの自尊心の感情の問題が、中立的にか、あるいは良い方向にも悪い方向にも働き、それが公共性の問題、あるいは政治思想の問題にもなりうるということである。(ルソーにおいて当初、自己愛が徳と結びつき、自尊心が名誉と悪徳の源泉になってはいたが、むしろルソーの論述の揺れ動きから帰結するのは、自尊心の側は徳の“使用”に関わるのではないかという問いである。故に、公共性や政治の問題に変わりうる。)

あるいは、精神分析的には道徳的な感情の結び目に位置するのが、自尊心の問題といえる。つまり、自我理想や超自我の中間性や使用。

 

■アーレントが見取らなかったもの

では、ギリシャ的な主人は奴隷を差別していたのか? 自らを統治し得ない者たちの統治ないしは支配。己を訓育し得る者が、そうできない者を忌み嫌うのは、差別か区別か?

主人と奴隷の違いは、政治的不平等ではある。だが、これが差別とは一概には言い切れない。これを差別とし、ある種の平等ないし一様化を認めるなら、両者の“区別”が見失われる。では、主人とは何故にして主人であり、奴隷は何故にして奴隷なのか?

アーレントによるギリシャ・ポリスへの参照は、理性的という意味においてはまだ問題を残していた。なのでここでは、ルソーを参照にしてみよう。

彼が言うところによれば、動物たちは我々の家にいるときより、森にいるときの方が大抵は背が高く体格はより頑丈、いっそう元気で力も勇気もあるという。動物たちは家畜になると、これらの長所の半分を失ってしまう。(念の為、断っておくならアーレントの議論とは違い、動物=奴隷ではない。アーレントにおいて奴隷は、自らの動物的な生命過程や新陳代謝に従うこと、つまりは労働 labor を言うのだった。)

《そこでこれらの動物をたいせつに取り扱い、養おうとするわれわれのすべての心遣いが、かえって彼らを退化させる結果になっているといってもいいくらいである。人間の場合も同様である。社交的となり、奴隷になると、人間は弱く臆病で卑屈になる、そしてついに彼の柔弱で女性化した生活様式は彼の力をも勇気をもすっかり衰弱させてしまう。》ibid., p.49

つまり、ルソーの場合は動物が家畜になった状態を、人間が奴隷になった状態と対照している。自然状態においては、動物も人間もある意味では同等である。動物の家畜化と人間の奴隷化が対照され、両者の差異は、人間の奴隷化の方が大きいとされる。

《なぜなら、動物と人間とは自然によっては同等に取り扱われたのだから、人間がその飼い馴らす動物よりもよけいに自分に与える便宜は、そっくりそのまま人間をはっきりと堕落させる特殊な原因となっているからである。》ibid., p.49

ここで言わなければならないのは、アーレントはこのルソーのいう差異こそ見過ごしているという事態だろう。

動物の家畜化よりも人間の奴隷化の方が、その便宜からして堕落の程度が大きい。もし、これを真に受けるなら、われわれは理性の自由な行使の有無で主人と奴隷を分けるだけでなく、その自然状態—感性的存在—から鑑みた場合も、その堕落の程度を伺えるのかもしれない。その場合、人間の動物化ということで問題なのは、動物の家畜化以上のことになる。では、人間と動物の違いはどこに求められるのか?

おそらく、私は聴いたことはないが、動物は自ら家畜になるように意志することはあるまい。だが、人間は、自ら奴隷になることを意志することがある。この意志という意味では、動物と人間は区別できる。単なる感覚の機械的な過程に従うのみなら、それは本能と呼ばれる。だが、人間にはそれに従わないことも理性的には可能だろうし、従うことを選択する場合もある。妙なことをいうなら、アーレントは確かに言論と行為の側面を言ってはいる。だが、感覚の問題を低く見積もったのではないか?

アリストテレスが政治的動物という時に既に、このような自然の感性の側からのポリティクスという側面はあるように思われる。あるいは、端的にルソーの述べる自然人 l'homme naturel は、アリストテレスの政治的動物のアンチの可能性がある。そして、“知性的な”言語コードは、そもそもが戦争状態のように思われる。では如何にして、そうではない政治は可能なのか?

 

■ルソーの言語論と精神分析
 
ある観念が“感覚に”呼び起こされる時に、つまり想起される時に、それは知性による比較の概念を必ず経由しているのだろうか? むしろ、知性の働きこそが純粋な感覚における想起を遮断しているというのは、精神分析的にも言えるのではないか?

もちろん、この場合の知性は一般概念を語によって把握する。語表象と物表象の区別はここで重要になる。動物にはシニフィアン連鎖ということはあり得ない。あるいは、人間の動物的な側面、動物としての人間にはシニフィアン連鎖は見受けられない。(あくまでそれは、語による知性の比較と理性の改善能力を前提にする。つまり、知性の働きと精神の結び付きに限定される。その原動力としては、情動の働きがあるにせよ。)
 
つまり、ルソーは自然言語ないし人間の叫び声や身振りから、一般言語に向かう問題を問いかける。この移行は、連続してもいなければ滑らかでもない。

 

■ニーチェとの距離と神学への架橋

ルソーの場合、自己愛 amour de soi と憐れみ pitié の感情は、人間の意志に拠らない。(動物的な面であり、自然生成的で、おそらく神学で恩寵=恩恵と呼ばれるものはこの優しさのことである。故に、優美さにも結びつく。)

一方で、本来は中立的なものだが、悪にも傾きやすく、善に導く性質もある自尊心は、人間の意志の圏内にまだある。故に、ニーチェは力の意志から共感を禁じたはいいが、それは一面では正しいのだが、意志によらない自然な感情としての憐れみを捉え損ねている。彼の狂気は、それを物語る。確かに、悪に傾いた—それは社会的な美德や善を纏っている—自尊心の示す優しさは危険である。その意味でのニーチェの警戒は正しい。だからといって、自然な感情そのものが否定されてもなるまい。(力の意志はその両方に引き裂かれる)
 
精神分析においても自我理想と超自我のあいだの問題は、欲望と享楽—それらは未だに無意識の意志的な部分との繋がりが残されている—と呼んでもかまわないのだが、ルソー的な自己愛と自尊心のテーマにも変奏できる。
 
だが、自己愛による“憐れみの感情“とは、意識であれ無意識であれ、人間の意志には依らない=拠らない(依存もしなければ、根拠もない)。つまり、本来なら“憐れみの意志“ということは、他者に向けるのであれ、あり得ない。ニーチェはそれを問題化した。あるいは、ニーチェはキリスト教の道徳性—司牧権力的—を批判したのはいいのだが、恩寵と救済論の射程—時間論と経済論—までは、捉えることがなかった。

精神分析においても、自我理想と超自我を、無意識を含めた意志的なものとしてだけ捉えるなら、それらの「感情」としての側面は切り捨てることになり兼ねない。
 
 
(そう考えれば、アーレント的な政治学が、ギリシャのポリスに依拠した“徳性の政治学”と、既に初期の頃からテーマにある“キリスト教的な愛の概念”に源泉をもっていることが見えてくる。)

 


動物とヒト、社会化された人間への疑問符として

2020-02-15 23:01:01 | Note

 政治的動物 zōon politikon(アリストテレス)
 社会的動物 animal socialis(セネカ)
 「人間は本性上政治的、すなわち社会的である homo est naturaliter politicus, id est, socialis」(トマス・アクィナス)


これらは、翻訳上の推移である。これについてのアーレントの判断は次のようになる。

《しかしこのように、政治的なものを、無意識のうちに社会的なものに置き代えたということは、政治にかんするもともとのギリシア的理解がどの程度失われたかということを、どんな精緻な理論よりもはっきりと暴露している。》——アーレント『人間の条件』邦訳版p.44

ここで目を惹くのは、人間は動物 zōon, animal であるということでもある。近代になるとこの労働もする動物は、種としてのヒトとして扱われるようになる。

「ヒトの社会 societas generis humani」という概念と共に、「社会的」という用語が、基本的な人間の条件という一般的な意味を獲得する。ここでのヒトは既に何らかの具体的な活動をする動物とは違う、ある種の概念化が起きているように思える。

動物性の軽視とヒトという種の優性。これらは同じコインの裏と表である。そして、種としてのヒトとは“科学的対象”にも変化する。

あるいは、フロイトも『性理論三篇』において古代人と近代人の違いを述べるにあたり、後者の側の欲動への蔑みを挙げていたことを思い起こそう。


アリストテレスによる人間の第二の定義は「言葉を発することのできる動物 zōon logon ekhon 」であるとされ、このラテン語訳は「理性的動物 animal rationale」になるが、これも先の「社会的動物」同様の基本的誤解に基づいているとアーレントは述べる。

そして、アリストテレスにとっての人間の最高の能力は、logos ではなく nous の観照の能力である。アリストテレスはあくまでも政治的領域とその生活様式を定義して、人間をそう定式化したに過ぎない。

《政治的領域と社会的領域とを同一視するという誤解は、たしかに、ギリシア語をラテン語に翻訳し、それをローマ=キリスト教思想に取り入れたときからすでに始まっている。しかし、社会という言葉の近代的使用法と近代的理解になると、事態はいっそう混乱している。》ibid., p.49

最初のシニフィアンとそれへの同一化にもそれはある。だが、それを如何にして公的なものに開かせるかという問題は、言語活動の出来事の次元に求められた。だが、この事実性の水準に我々は知性によっては接近できないことも既に見てきた。

問題は、この最初の同一性は“聖性”の領域をも保存しているということでもある。公的なものに対して私的なもの。政治的なものに対して家族的なもの。しかし、「社会」という枠組みにあって両者は混乱している。つまり、そのエコノミーは躓きにもなっている。

《私的なものでもなく公的なものでもない社会的領域の出現は、比較的新しい現象であって、その起源は近代の出現と時を同じくし、その政治形態は国民国家に見られる。》ibid., p.49


近代の個人主義的な人間は、プライベートなもの(私的なもの)をもはや、その語源的な意味である「剥奪 privation」としては考えない。この語は古代人にとってはまず、公的なものに参加する能力の欠如の徴候を帯びている。

《…人間の能力のうちで最も高く、最も人間的な能力さえ奪われている状態を意味した。》ibid., p.60

こう考えると、通常我々が考える社会生活におけるプライバシーとは、公的なものとはもはや完全に隔たってしまった状況と解釈できる。(私的領域が著しく豊かになったにも関わらず)

アーレントが指摘するところによれば、それは政治的なものと対立しているだけではなく、社会的なもの—そもそも近代社会とは、公的なものと私的なものの区別が消失し、曖昧化している—とも対立しているということである。つまり、我々の親密さの領域が社会においてそれ自身と対立している事態とは、何よりも近代人特有の葛藤を物語ってもいる。

《この近代人は果てしのない葛藤を続けながら、社会の中で気楽でいることもできなければ、その外側で生きることもできない。そして彼の気分はたえまなく変化し、その情緒生活は過激な主観主義に満ちている。》ibid., p.61

このような状況にあって、人間の親密圏の地勢図は変化している。おそらく、ラカンが「外密 ex-timaté」という造語を発案したのはこのような事情も汲んでいる。


社会的 social という言葉ないし概念は、フランスでは18世紀半ばに至るまで殆ど用いられてはいなかった(英語としては既に17世紀末にJ. ロックによって用いられている)。そして恐らく—仮説としてでもいいが—、この社会という言葉が結託したのは“科学的な意味における”「自然 nature」概念であるということはできるように思える。そのような土壌があったからこそ、両者は「運動」として性質を持ち得、その「過程」が重要視されるようにもなった。


資本主義をも含むだろう全体主義化のイデオロギーが拠って立つのは、「自然」と「歴史」である。前者には成長力やその増大が含まれ、後者にはその過程〔プロセス〕や進歩が含まれる。社会やそこから資本主義社会(つまりは、高度消費社会)が発生した根拠を問えば、如何にそれらが問題含みであるかは掘り崩すことはできる。

精神分析「運動」という事態にも否を唱えることになるだろう。その政治化は、目的論の外部で「政治」や「活動」を考えるならまだしも、未だに目的論の連関の内部に捉えられてしまう。

フロイトの時代にも科学の問題や性の生物ないしは自然主義的な残滓があった。科学の用意した「自然 nature」概念は無限の性質を持っている。これは古代の「自然 physis」の循環性とは異なるあり方をしている。そして恐らく、欲動概念には無限の問題も循環性の問題も入り込む。故に、享楽 jouissance は身体にも有機体にも働きかけるわけだし、無限の問題としても精神に亀裂を入れる。

フロイトの炯眼は、欲動を中間的で曖昧なものとして示しえたことだ。そして、アーレントの炯眼は、社会を私的なものと公的なものの区別の曖昧化(蒙昧化でもありうる)として捉えられたことだ。故に、欲動は我々の内側からも外側からも影響を及ぼしてくる。社会も同じように、私的で親密なものにも、公的で開かれたものにも影響を与える。


ノモス nomos とは本来はその両者の間の「壁」である。(ポリスの領域はこのノモスにより囲まれている)

だが、全体主義において法 law は、本来なら自由の原因でもある法が必然性という法則に変質したかのように「運動法則」に転化する。社会が我々の世界を守るとら限らない。本来、世界に安定性を与えるのは法の側である。だが、社会は往々にして運動法則に転化した法則に忠実になる。(アガンベンが法の不活性化を説く時も、それは単にネガティヴだというよりは、運動法則に転化した法を問題にしているのだと推測できる)

要するに、社会的なものを無条件的に、あるいは無媒介的に称揚することは、全体主義の運動を許容し推進するに等しく、結果は死を招く。また、そのような暴力は種の優生とも容易に結びつくし、自然と歴史というイデオロギーは、種の全体を保存するためにいわゆる生権力=死権力を行使する。

今日、いわゆる社会 society で自己主張をしているのは、“種としての”生命なのだ。

《…社会の勃興のなかで自己主張したのは究極的には“種の生命”であった。近代初期には、個体の「エゴイスティックな」生命が主張され、近代後期になると、「社会的」生命や「社会化された人間」(マルクス)が強調された。……残されたものは「自然力」、つまり生命過程そのものの力であって、すべての人、すべての人間的活動力は、等しくその力に屈服した(「思考過程そのものが自然過程である」)。この力の唯一の目的は——目的がともかくあるとして——“動物の種としての人間の生存”であった。》ibid., pp.498-499


このアーレントが引いた「思考過程そのものが自然過程である」(1868年7月、マルクスがクーゲルマンあてに書いた書簡)という言葉の「過程」ということに注意するなら、彼女がマルクスを批判する時には、恐らくだが「労働」と「社会化」という用法の中に既に“動物化の兆候”を見ていた節はある。そして、“過程の運動”はこれらを直接的にか結び付ける項となる。

繰り返しになるが、アーレントにおいて“社会化された”人間の労働は、その中に人間の動物化を招くという論点が内包されている。つまり、社会化という“過程や運動”において、既に私的なものが拡大し、公的なものが衰退していく兆候をアーレントは見ている。この“過程 process”は、“訴訟 process ”でもある。

そしてこれも誤解されてはならないが、アーレントは私的なものや必要性=必然性 necessity を軽視したわけではない。アーレントは、逆にそれらを「解放」することを警戒していた。つまり、労働そのものというよりは労働の解放を。社会化された労働は既に公私の区別を失っているわけだから、その労働の運動-過程は解放されやすい。
 

†労働、仕事、運動-過程、リズム

アーレント版・主-奴の弁証法は、〈工作人 Homo Faber〉と〈労働する動物 Animal Laborans〉の関係である。その理論の射程は、間違いなり誤読の批判を考慮に入れても、マルクスのそれと引けを取らない。それは、資本主義のディスクールの循環性—生命過程—によって見えなくなっている目的-手段のカテゴリーをしっかりと据えている。

労働とは違い、仕事=制作は世界性の樹立の主人たりうる。だか、問題はその工作人も自らの利益(名誉といっても同じだが)を、症状の疾病利得とほぼ同様なこととして勘定し出すことにある。そして、人は悪く(つまり、悪い意図をもって)作ることがあるし、そう“できる”。

《目的と手段をはっきりと区別することができなくなっているこのような状態を、人間行動の側から考えてみよう。そうすると、これは、特定の最終生産物を得るために道具を自由に取り扱い使用しているという状態ではなく、むしろ、労働する肉体が道具とリズミカルに統合されている状態である。そして、労働の運動そのものが、このような統合する力として働いているといえる。》ibid., p.235

“労働の運動”ということに注意を喚起する。ここにも、“過程”という問題が二重に入り込む。労働の運動の過程(労働する肉体と道具がリズミカルに統合されている継起)において既に、目的と手段は見失われている。


《この運動の中で、道具はその手段的性格を失い、人間と用具の間の区別、用具と目的の間の明白な差異は曖昧になる。労働過程を支配し、労働の様式で行なわれるすべての仕事過程を支配しているのは、人間の目的ある努力でもなければ、人間が欲している生産物でもなく、実にこの過程そのものの運動であり、それが労働者に押しつけるリズムなのである。》ibid., p.236

そう考えれば、我々は如何にしてその労働の運動リズム-弁証法的過程から離れ、別の問いを発することができるかということが頭をもたげてくるようになる。

《労働過程のリズム以上にたやすく自然に機械化できるものはない》ibid., p.236

《この労働過程のリズムは、同じように自動的で反復的な生命過程のリズムと、生命過程と自然との新陳代謝のリズムに対応している》ibid., p.236

 

†“animal civile”(礼儀正しい動物)——?

冒頭にて、アーレントが示した翻訳上の推移の問題を掲げた。だが、これは間違いではないにしても不正確であると、市野川は『社会 the social』(2006) の中で述べている。

《というのも、アリストテレスの“politikon”に対して、アクィナスは“socialis”の他に、もう一つ別の訳語をあてているからだ。》——市野川容孝『社会』p.90

 quod politicum idem est quod civile〔政治的なものは civilis なものと同じである〕

 quod homo est naturaliter animal civile〔人間というものは、その本性からして civilis な動物である〕

 politicus enim facit hominem civilem〔政治的なものは、すなわち人間を civilis にする〕

《これらの箇所では、アリストテレスの“politikon”は、一貫して“civilis”というラテン語に訳されている。この“civilis”という言葉は、“civis”(市民)という名詞から派生した形容詞であり、さらに“civitas”(都市、国家)とも関連している。》ibid., p.92

この civilis というラテン語の形容詞から、中世ヨーロッパの各世俗語では、“civil”(英語、仏語)、“zivil”(独語)という言葉が生まれている。これらはいずれも「礼儀正しさ」や「礼儀作法」をも意味する。(ちなみに、伊語では“civile”である)

アーレント的な問題が、〈政治的動物〉(アリストテレス)から〈労働する動物〉(マルクス)の伝統との対決に向かうのだとすれば、市野川はトマス・アクィナスによる訳語から〈礼儀正しい動物 animal civile〉を探求しようとする。

ここで断っておきたいのは、市野川はこの politikon から civilis の系譜をも手放しで賞賛しているわけではないということだろう。

《この礼儀正しさは、そのまま宮廷社会の内と外を境界づけていた。》ibid., p.93

《それはまた「宮廷社会」という、一般人から隔離された特権的空間を意味したのであり、アリストテレスの政治的な動物も、この宮廷社会の中で、礼儀正しく振る舞う動物たちを意味するようになった。あるいは、そのような動物を意味するまでに堕落したのである。そして重要なのは、この宮廷社会が何に支えられていたかである。言うまでもなく、それは中世以来の身分制にほかならない。》ibid., p.93

“politikon”の訳語から出発し、中世以降のヨーロッパでは宮廷社会と身分制の別名となった“civilis”・“civil”は、何よりも不平等の装置を意味している。

ここから、アーレントの問題点を逆照射するなら、アーレントの理想とする古代ギリシャ・ポリスのモデルも、既に奴隷制を前提としている。(しかし、アーレントは別段に奴隷という存在を“無視”しているわけではない。労働と奴隷の繋がりを寧ろ、必然=必要的なものとして彼女は捉えている)

市野川の場合は、animal civile における civilis の側に不平等の起源の問題(ルソー)を見出しているが、アーレントの場合は、動物 animal の生命循環の過程がそもそも必然性=必要性 necessity の様相にあり、その循環過程に繋ぎ止められている状態を奴隷と表現しているという違いはある。

故に、政治的動物 zōon politikon という時のアリストテレス的なテーマは、生政治の問題—この場合、bios による zoe の締め出しという重大の契機が共同体の起源に措定ないし刻印される—に変遷されることもあれば、自己の主人となることの統治性の主題にもなりうるだろう。

あるいは、ここからマルクス的なテーマを指摘しておけば、civilis の側は階級やそれらの闘争の政治=社会的運動として、animal の側は物質代謝の論点を内属させているといえるかもしれない。


ここまでで、我々は翻訳上の推移の問題から幾つかの論点を手にしたことになる。

politikon からは、socialis における動物化と、その労働と運動の肥大化の過程—広義には、全体主義運動における自然と歴史のイデオロギー化—を、civilis からは政治的な起源における不平等の問題—中世以降の身分制や古代の奴隷制—を。

そして、zōon (animal) には、その両者に跨ったある種の人間性=ヒューマニティを揺るがすような問いを。


イロニーへの緒言

2019-05-04 02:21:17 | Note
1. 『イロニーの精神』(ウラディミール・ジャンケレヴィッチ)

■gramma と pneuma

《思考が媒介による遅れをも承認するのは、遠慮しているからではなく、思考自身の命題が良質になるためである。》

gramma が知らないことは、否定の否定が元の肯定とは全く質の異なるような肯定であり、直裁であることよりも迂回を経る方がより大きな効力を持つことの表現の妙味だ。それは、pneuma の身振りですらある。

《……苦悩と不幸とを混同してしまう人たちは、神聖なイロニーの擬装を理解できない人と同じである。》


■美における停止と知性の病気(知性の目標それ自体がその障害物であること)

掴む掴まないのはやはり、当人の問題だろう。掴まない者を助けることは誰もできない。天使すら。

ましてや、他人に余計なお世話をする馬鹿者は尚更。人を助ける必要はなく、自分が助からなければならないのに。掴まない者については、どうしようもならない。天使 l'angolo とは、必要なイロニー l'ironia bisognosa の謂い。

そして、救済とは厳密には、人助けとは無縁だが、現実に対する時間との関わり方においてその都度要請される何かだ。

イロニーは、それが惑わす者を同時に助けようともする。だが、掴む掴まないは惑わされた者の圏内で、イロニカーの側ではない。

だが、惑う者は文字 gramma から霊 pneuma に跳躍するからこそ助かるのであり、再び意味に戻るなら、それは元の木阿弥でしかない。書くことが「目的」にある人は、やはり見せかけに留まらずを得ない。


■分析家がイロニカーなのか、分析家の運命がイロニーなのか?

(運命の十字架があたかもイロニーのように振る舞うこともある。)

あるいは、ソクラテスとキリストの違い。ソクラテスはイロニカーであり、キリストはそうではない。

ソクラテスがエゾテリックであるなら、キリストはミステリックである。それらは、広義にはスキャンダラスでもある。

(こう言うべきかも知れない。片や、理性のイロニーである。片や、運命のイロニーであると。理性のイロニーはペルソナのマスクであり、運命のイロニーはペルソナの十字架のミステリーであると。)

「好ましく、しかも偉大なものは、すべて逆説的である、とフリードリッヒ・シュレーゲルは書いている」という。

いずれにせよ、gramma が pneuma に跳躍するとは、エゾテリックかミステリックかではあり得る。その道は分析家すら分からない。だが、道は目標ではない。道を渡ることそれ自体(つまり、行為)が目標である。

《イロニーは唐草模様である。イロニーのおかげで、同じものはすでに同じではなく、別のものとなり、意識はみずからの伝統に背をむける。》


■レゾン v.s. 身振り

レゾンに対しノンを示すのは、イロニーの身振りなのか? その時、意志はパラドックスとして転倒される。

ある種の才能は、自分の才能を決して見せはしない。それは、最大限の能力を発揮させる為の配慮でもある。だが、見せかけの才能を弄ぶような輩は、半ばでいつも折れてしまう。これも、イロニカルな身振りではある。示さないことにより、かえって示し、また逆もありうる。だが、イロニーは欺瞞(虚偽意識)ではない。欺瞞をやり過ごす術すら、イロニーにはある。

一方で、見せかけの才能が弄ぶのは、虚偽意識においてである。確かに、それにもレゾンは働く。

つまり、イロニーは一段上手でもある。欺瞞の論理を逆手にとり(パラドックスとして呈示し)、その論理をかえって自らの意志として手段化する。

だが、それが何故、犠牲や死としてのドラマを伴うのか?

それが、犠牲のための犠牲ではなく(それは計らずしてより大きな利益を得る)、死のための死ではない(それは、復活する)にも関わらず。

あるいは、この上なく器用な不器用さ。

《キルケゴールによれば、偽善者とは自分を善人にみせようとする悪人であるとすれば、他方イロニストとは自分を悪人にみせかける善人のことであろう。》

「きわめて明白にあらわれた弱さは、すべて力である」——パスカル

《ひとり強者のみが、弱くなる権利をもっている。》

《否定は、判断に対する判断であり、したがって肯定の遠回しな言い方、あるいは迂言法であるゆえに、間接的で副次的なのではないだろうか。否定は肯定することへの羞恥であり、それは、常に突進しようとまちかまえており、絶対的になろうとしているわれわれの生来の独我論的傾向をおさえるエポケー〔判断中止〕である。》

つまり、「ではないかのように」とは、遠回しの「イエス」なのだ。これ見よがしに知者ぶる連中には、注意しよう。

ここでも、虚偽(意識)の連続性に対し、イロニー(的な身振り)の不連続性という問題を、我々は見出す。


2. 精神分析におけるイロニー

「感じる能力のない者に、わからせるなど出来るものではないのである。」——カフカ「断食芸人」

■無意識のイロニーと偶像崇拝

精神分析の概念は、頭で理解するものではないし、それが頭で理解しても全く役には立たない。それは、イロニーを通じて教え導く以外に方策はない。

だから、情熱のない人間、知識で教えようとする人間は実際は教師にはなれない。彼らは不甲斐なさという在り方しか示さない。

例えば、精神分析の解釈はある意味を狙っているわけではないということを承知しつつも、自らの論文作成においては充実した意味を目指している輩もいる。——この不甲斐なさとは一体?

解釈が目指すのは、意味の空虚のはずである。これを別名、「否定性」と呼んでもいい。だが、自らの論文作成術において「享楽の肯定」(あるいは、物質性)のような詭弁に堕する人間がいる。——この不甲斐なさは一体?


■師と弟子

例えば、師が示すものは何か? 弟子は、師に対し、自らの願望や空想により、ある肯定的な概念を付け加え、身勝手な物語をでっち上げ、それに安心し胡座をかく。だが、師が示すのは、自らの「否定性」の根拠以外ではないのだとしたら?

だが、否定性は忘却されるか穴埋めされるかして、様々な偶像とその崇拝が捻出される。

翻って、こう問うこともできる。我々は、仮に師と称する者の教えと導きを「直接的な確実性」の下に把握し、理解することができるのかと。だが、それはただの誘惑でしかなく、その教えや導きを歪めることにならないのかと。

仮に、無意識の「概念」を措定してもいい。それは、主体の内で「イロニー」として再現される以外ではないのだとすれば? そう考えれば、師の教えはある意味では、そのような無意識のあり方に忠実だということにもなる。だが、早急な連中はそれを実体化し、肯定的な外観を与える努力をする。

そう、それも努力ではある。我々は、根拠なきものの根拠のために、努力すらするのだ。それが見る者からすれば、虚しいにも関わらず。

キルケゴールは「イロニーは愛における否定的なもの」という見解を述べている。それは、エロスにとっては“抽象的な規定”と呼べる何かだろう。


■分析におけるイロニーの二重分節

解釈が、言語として構造化されている無意識をイロニー化し、同時に分析家の空虚の場としてもイロニーを導くというべきか? その場合、イロニーは二重化される。方や、反語としての記号的なイロニー。方や、その場として否定性としてしか顕現できないイロニー。〔言葉の身振りとしてのイロニーとソクラテス的な立場としてのイロニー〕

前者の記号的なイロニー、レトリックは無意識における複数のコンテクストを認める立場に主体を置く。だが、後者の否定性のイロニーは、それらコンテクストの成立が実際は根拠がないことを明かす。この揺れ動きこそ、実際の分析の場面において主体を反復的にドラマ化してもいる。

分析における解釈と沈黙。これを二つのイロニー的な分節化と呼んでもいい。(ここではまだ、フモールについては触れない。)

それは、アルカイックなものの符牒でもある。外部から見るなら神秘的にも写る秘密の蝶番。レトリック的なものとソクラテス的なもの。——アルカイック、欲動の太古性。

(結局、論文作成術化—その目的論化—という道はある種のコードに逃げ込んでいる姿なのではないか?

もちろん、イロニーと冷笑は区別されなければならない。イロニーは、単なる皮肉屋の冷笑—その袋小路における躓き—とは全く違う相貌がある。また、イロニーは嘘でもない。イロニーが真に敵にするものこそが、生真面目な連中の嘘である。)


■ラカン的主体の主体化

主体とは、何らかの根拠や理由があって主体になるのではない。もはや根拠や理由がない地平で「決断」することにより主体になる。

その意味では、ラカン的主体こそが主体にならなければならない。こういう逆説は“論理の弄び”とは違う。それは「行為」である。

では、ラカン的主体は如何にして主体になるか? 決断だと先に言った。以前までの考察で、私は既にヒントは出している。宗教的には「向き変え」や「回心」、精神分析的には「退行の作業」、あるいは両者に共通しそうな言葉で言うなら「断続的な覚醒」(連続的な蒙昧化ではない)。

真理とは、客観的な真理のことではない。客観的な真理が“説明”される時、人は主体的な真理が何たるかを忘れ去り、「内面化」がどういう事態であるかも気づかなくなる。実は、フロイトにおいてもこの問題は残されていた。死の欲動が思弁のままなのか、あるいは主体化の真理として(超自我として)内面化されるのかというテーマとして……

ここから、悟性的な認識—理論の問題—と信仰—実践や行為の問題—の関係を問うことは有益だろう。両者は連続などしてはいない。それは、キルケゴールの言葉においては「パラドックス」と呼ばれ、「客観的に不確かなものを無限の情熱をもって選びとる冒険」とも言い換えられる。

(ヘーゲルにおいては、有限精神と無限精神の関係は連続的であり、同質的であるが故に、「直接的」である。キルケゴールの場合は、有限者と無限者との間には“質的差異”がある。)


「信仰のくだす結論は、推論 Schluß ではなくて決断 Entschluß である」——キルケゴール『哲学的断片』


悟性的推論の力では最早把握できないパラドックスを主体的に選び取るところに真理があり、信仰が存在する。それを、ラカン的な“真理のパトス”と呼んでもいい。つまり、ラカンにおける“真理のパトス”は、その「イロニー」や「パラドックス(という冒険や選択)」と不可分である。


3. 実定性と装置

実定性 la positività と装置 il dispositivo は、イロニーの関係にある。

実定性とは、自然現象の有限な〈一〉への外在的な措定(肯定)としてある。それは、未だ内面化されていないという意味においては、根源現象であろうと同じである。

だが、装置 il dis-positivo(否-肯定的なもの)において、それはどのような様態に置かれるのか?(ラテン語の接頭辞 dis- には、「分離」の意もある)

これが、アガンベンにおいては神学的救済論の射程になることは言うまでもない。だが、実定性と装置の問題は、広義には有限のものと無限のものの間のある関係を問いに付してもいる。方や、始まりと終わりがあるもの。方や、永遠に属するもの。(永遠においては、始まりも終わりもないのは明白だろう)

つまり、享楽の肯定性あるいは物質性といってみたところで、それは有限の“人間の”享楽—その現象的な制限—なのだ。だが、それが“神的なもの”と真に向き合った時に、我々は実存の問題に真に導かれ、主体的な立場を再び選び取る。

ここにおいて、我々は現象と本質が、ある差異を伴ったものとして“経験”され、単なる自動的で同一的な反復としての“愚かさ”から自由になる。あるいは、両者のオイコノミア oikonomia の“質的な”差異としての、経験=試練 experimentum の道を通る。

(その意味では、終わりある分析と終わりなき分析の問題は、実存的な要請を絶えず神的なものとの関係において、開いておくことになるだろう。)

「イロニーは否定的なものとしてある道である。真理ではなく道である」——キルケゴール『イロニーの概念』


4. “キルケゴールにとっての”イロニーの道

キルケゴールにおけるイロニーは、彼の実存思想とキリスト教的な問題の両面に渡ってもいる。この二面性を我々は「例外」(聖なるものの犠牲≒死)と「救済」(イメージの理念性)として、アガンベン的テーマに引き寄せて考えることができるかもしれない。

絶対的無限否定としてのイロニーは、主体を例外の立場におき、倫理的段階に導くことを許す。だが、このような倫理的な主体は、法の「犠牲」にもなる。しかし、倫理的な問題の犠牲になる主体は、如何にして贖われ、救済されるのか? イロニーを通じて、倫理的なものと宗教的なものの極限が予見される。ここに我々は、ソクラテスとイエスを顧慮しなければならない。

(イロニーはキルケゴールの位置付けでは正確には、審美的なものと倫理的なものの矛盾を明かすのだった。しかし、“イロニカー=ソクラテス“の立場にとっては、極限では法の犠牲という問題が付き纏う。)

審美的段階、倫理的段階、宗教的段階。——これらも、直線運動のように進展・進歩すると考えてはならないだろう。これらは、ボロメオの結び目のような入り組み方をしているに違いない。


キルケゴールによれば、ソクラテスはイロニーにその身を捧げ、犠牲になった最初の哲学者である。その師のあり方は、審美的な段階にあるエロスの魂に、倫理的なものの覚醒を導くのだった。

だが、ソクラテスは法の犠牲になる。

“絶対的な“無限否定の道。その意味では、ソクラテスとドイツ・ロマン派は、“批判的な”立場としては共通のテーマがある。ソクラテスにおいては、“主体性の運動”が前景にあり、ロマン派においては“理念の客観性”が主体を滅却させることに重要性が置かれる。

犠牲という意味では、このようなイロニーの主体性の運動—ソクラテスの立場—と客観性の優位—ロマン派的にはそれはイデーである—は矛盾していない。実は、キルケゴールはこの両者を“内的に” 折衷させる必要性があったのではないだろうか? それがあたかも、ヘーゲルを論敵にするという外観を呈してはいても。


5. 美のイメージの二極性と信仰上の闘い

美のイメージにおいて既に、倫理的なものと宗教的なものは交叉している。それは、只のイメージではなく、根源のイメージである。分離の根源として機能するイメージは約束、つまり名である。

だから、論理や議論ばかりで名を自らの体系に包摂させることに腐心する連中は、救いようがない。名の機能は本来、言語活動の論理とは別の地平—本来の歴史性、現実の歴史—を開く。

君の名に賭けてとは、神(の名)への誓約に等しい。そういうイメージは、絶対的に否定的である以外にない。そう、歴史は頭の中のイメージ—言うなれば、ポジティヴなイメージ—ではないということに、錯覚の世界の住人は気づかない。そして、その論理で歴史をでっち上げる。

イロニカーの敵は、論理でいつも身の潔白を証明しようとしている。(だが、そのような腐心の裏には既に嘘がある。意図的な嘘が。)

「信仰は証明を必要としない。否、証明を自らの敵とすらみなさなければならない。」——キルケゴール『後書』

名とイマージュの問題への布石(もしくは、敷居の躓き)

2018-02-13 18:32:06 | Note
ベンヤミンの感覚としての敷居——。これは単に空間的なのではない。時間が絡んだパッサージュの問題でもある。つまり、そのようなモーメントはそれ以前とそれ以後の二極を備えている。初期からベンヤミンを捕らえた問題は、その神話的でもあり魔術的なモティーフがパッサージュとしても負荷を帯びているということだった。

《事象世界の神話的な形象性格はその世界が次の事象世界によって分解されたときにはじめて現れる》——ヴィンフリート・メニングハウス『敷居学 ベンヤミンの神話のパッサージュ』p.99

つまり、こう言って差し支えない。現に事象として現れ出ている神話世界は、もはや既に、次の事象によって分解が進んでいる。事物のイマージュには、この時間の二極が極度に緊張を帯びた負荷として印されている。われわれが名前の“中に”持つイマージュ。これこそが、歴史的だ。

それは、神話や魔術との繋がりを保持しながらも、それ以後の事象世界との繋がりも保存している。しかし、それが現れ出る時には、次のものによって崩壊しているかのように。イマージュと名の問題。

名だけの人間、つまり死者は、生前と死後という二極を担っている。それは、われわれの記憶に名を持つ者として呼びかける。名の中で、密かに変転する事物の生。


アガンベンの『言語活動の秘蹟——宣誓の考古学』(2008) は、このベンヤミンの固有名に関する洞察を引き受け、ある形で名声や呪詛に纏わる政治神学的な議論として、展開させたものと言っていい。

秘蹟 sacramento というからには、これは言語活動の(仮に論理のとしてもよい)“秘密 segreto”の問題になる。言語活動の“奥義=謎 mistero”だとしたら、それは問いや知の形式があくまでも前提され、探究され得る。だが、言語活動の“秘蹟 sacramento”といった時には、それとは構えが異なってくる。

こう考えると、アガンベンの政治神学上の問題は、経済学としての奥義=謎 mistero と純粋に政治神学的な秘密 segreto として分裂していると、措定することができる。(『王国と栄光』(初版2007)ではこの亀裂が問題になったと読めるが、このような問題は最初期のアガンベンにも見受けられる)

神話的な美の仮象は確かに、そのエコノミーに捕らえられていると言えそうだ。だが、純粋に論理の仮象に至ってはどうだろうか? ベンヤミンにおいてもこの両者は錯綜している。だが、精神分析は幻想の論理を扱えるが故に、ここでは強みがある。

“象徴”とは魔術的な要素(名)があり、“アレゴリー”には神話的な要素(イマージュ)があると区分けすべきか? 両者は交錯しているが、この線で神学的なアガンベンと美学的なアガンベンの線引きはできないだろうか? 安易な要約は許さないが、ベンヤミンにおける錯綜が、アガンベンにも踏襲されている。

《ベンヤミンはすなわちカッシーラーと同じく…〔略〕…結局は魔術的象徴と神話的象徴の明確な意味論的区別を断念したのである。》(ibid., p.108)


〔仮象としての美の宥和的形式—アウラ—から救済論へ。そう考えると、幻想においては神話的な形式が強制力と恐怖を失い—つまり、大文字のファルス的なものは失墜し—、既に衰退している。〕


†ここで私が、かろうじて据えたのは、敷居に潜むヒエラルキーの秩序(閾の配置転換の構造)である。諸事物 le cose には、昼と夜のファザードがある。昼には見えていた事物のイマージュは、夜には声として囁く。‪〔古代人は、天上の星の囁きを聴いていたに違いない。〕

忘れられているのは、文字を“聴くように”読むということだ。つまり、“書かれていないこと”を読むということ。

過去とメシア的記憶〜根源の渦と名〜声の経験

2018-02-01 12:19:01 | Note
(無秩序な断片的な覚書きとして…)


“L'immemorare viene definito da Bloch anche come «esperienza massimamente integrale del soggetto morale-logico».”

“Immemorare [Eingedenken] はブロッホによって、《道徳-論理学的主体の主要に欠かせない経験》としても定義されるだろう。”

“Un simile atto di redenzione è in gioco nell'immemorare: quell'Eingedenken che deve avere profondamente colpito Benjamin, attento lettore dello Spirito dell'utopia all'epoca del suo esilio volontario in Svizzera nel 1919.”

“贖いのそのような行為は immemorare、1919年にスイスへ自ら亡命した時期に『ユートピアの精神』の注意深い読者であったベンヤミンが深く感銘を与えられただろう、この Eingedenken において賭かっている。”

(Stefano Marchesoni)



ベンヤミンのメシアニズムの問題の源流に、エルンスト・ブロッホがいる。つまり、そこには記憶の問題がある。メシア的記憶とも呼べる何か。君自身が君自身を救う。だが、どの場所でどこに向かい、どうやって?


“Indubbiamente la questione della memoria e del ricordo rappresenta uno dei fili conduttori del pensiero maturo di Benjamin.” (Stefano Marchesoni)

“疑いなく想起と記憶の問題は、ベンヤミンの成熟した思考の導きの糸の一つを表している。”


«Struttura dialettica del risveglio: ricordo [Erinnerung] e risveglio [Erwachen] sono strettamente affini. Il risveglio è cioè la svolta dialettica, copernicana dell'immemorare» Benjamin

《覚醒の弁証法的構造:記憶と覚醒は緊密に相似している。覚醒はつまり、弁証法的転換点、immemorare [Eingedenken] のコペルニクス的な転換点である》ベンヤミン


“È evidente come qui non si tratta di un semplice ricordo, di una mera presentificazione o rievocazione del passato.” (Stefano Marchesoni)

“ここでのように、単なる記憶(過去の純粋なある現前化ないし想起の)が問題ではないことは明らかである。”

つまり、精神分析も単に過去を思い出すということが問われているわけではない。現在との関係におかれた覚醒の問題としての記憶が問われていて、単なる想起とは違う問題があると指摘したい。

“La «svolta dialettica» consiste nel ripensare da cima a fondo il rapporto tra passato e presente, nonché lo statuto stesso del passato.” ibid.

“《弁証法的転換点》は、過去の同様の規定はもちろん、過去と現在の関係を徹頭徹尾再考することに根拠がある。”


君を覚醒するように促す過去の弁証法的イメージ群(と名?)、それらは現在を当に“呼びかけて”いると結論づけるのは早急だろうか? この問題は、更に検討する価値がある。また、アガンベンが過去こそが現在に繋がる唯一の道と述べるにあたり、ベンヤミンの考察がもちろん潜んでいることも忘れてはならない。


バロック的ドラマトゥルギーから渦の根源。

“Notoriamente Benjamin pensa questo scarto improvviso come un vortice nel flusso del tempo...” (Stefano Marchesoni)

“周知なようにベンヤミンはこの予期できない開き〔引用者注・過去と現在のあいだの差〕を時間の流れにおけるある渦巻として考える…”

これは、アガンベンの小論でも名との関連で論究されていた。そして、名とは渦の極北として、それ自体が方向を持ち示されていた。また、別の場所では、名は“呼びかける chiama”言語活動における声の問題を孕んでいた。


«L'origine sta nel flusso del divenire come un vortice [Strudel], e trascina dentro il suo ritmo il materiale della propria nascita» Benjamin, Il dramma barocco tedesco

《根源は一つの渦として生成の流れの中に存し、そのリズムの内部に固有の始まりの物質的なものを引きずる》ベンヤミン

つまり、ここでは名によって方向づけられたリズムと声の側〔広義のフォネーや詩的韻律〕が根源として、マテリアルな享楽をも引き入れると解する方が妥当だろう。

イタリア現代哲学の宗教的ともいえる問題は、フランス現代思想の躓きをある意味で凌駕する。そして、この根源と起源の配置転換 la dislocazione がイタリア的とも呼べる思考—イタリアン・セオリー—を特徴づける。


《要請は道徳的カテゴリーではないという事実からは、要請からはなんら命令も出てはこないということ、すなわち、それは当為となんの関係もないということが帰結する。》——アガンベン『哲学とはなにか』p.55

文頭で、ブロッホの“道徳-論理学的主体の主要に欠かせない経験”という言葉を紹介した。だが、逆説的にそのような主体が経験するのは、もはや道徳的カテゴリーには属さず、命じられることもない、ただ“呼びかけられる”経験なのだとしたらどうだろうか? ここに眼差しの問題から声の呼びかけへの転換点を見出せないだろうか?


†ここで、精神分析のパロールの実践における詩的韻律と言葉の問題を再定義するのも無駄ではないだろう。身体の出来事という時も、これは言語活動との遭遇という言葉のショックの側面が強調されているに過ぎない。では、パロールの詩的韻律と欲動ならびに身体は、どのように関わるのか?

それは、通常のロゴス(理性、比率)によっては掬えない欲動の問題や身体性を備えている。それをたんに身体 corpus と呼んでいいかは、私は分からない。むしろ、そのような問題は、肉感性に近い何かではないだろうか?

以前に別所でではあるが、メルロ=ポンティにまで迂回しながら、シニフィアンには既に肉の両義性が絡み合っていることを指摘した。仮に、シニフィアンにもセクシュアリティの問題を認めるなら、シニフィアンの感性論は避けては通れまい。それは、ロゴスとセンスのあいだに一つのパッサージュを描くことになる。

私がイタリア的な問題に向き合ったのは、その“あいだの”構造に何らかの配置転換の装置が働いているということを突き詰めるためでもあった。アガンベンならそれを、“閾の思考 il pensiero della soglia”と呼んだだろう。

もう一点、重要な問題は、“言語においても”眼差しと声の差異を明確にすることだった。エクリチュールとパロールのあいだに、“無限の距離”を測定することでもあった。

私が過程でぶつかった問題は、臨床実践においてもぶつかる抵抗点でもあろう。


プルタルコス『似て非なる友について』から抜粋

2017-11-24 00:45:17 | Note
8《……プラトンは、自分を大いに愛していると公言する人を世間では大目に見ている、と言っておりますが、しかし、そこからいろいろ困ったことも生じ、ことに、それでは自分自身を偏見なく正しく判断できなくなるというのははなはだ重大だとも言っております。》

8《この自己愛ゆえに、人間誰しも、自分自身がまっさきに最大の追従者になります。こうなればあとはわけないことで、自分が何を思い何を欲しているかについて、自分ばかりでなく他人までが、証人となることを許してしまうのです。》

8-9《自分自身を好意的な目で見るために、自分にはあらゆる特性があるようにと欲したり、現にあると思ったりするのです。あらゆる特性があるようにと欲するのは別に不都合ではありませんが、現にあると思う方は危険であり、大いに警戒を必要とします。》

9《……追従者は神々、わけても神託をたまわるデルポイのアポロンを敵にする危険があります。と申しますのは、およそ追従者というのは自分自身を欺き、自分に関して何が善で何が悪であるかを気がつかなくさせ、つまり「汝自身を知れ」というアポロンの教えにつねに背いて、そのために善はまっとうされずに放置され、悪はまったく矯正することもできない、という事態にたちいたるからです。》


9《……名誉心の強い性格の人、有為の人、穏当な人ほど追従者を受け入れ、ひとたびとりつかれるとそれを育てることになりやすいのです。》

10《追従者たちも乾いたもの、冷えて固くなったものには近づきません。名声や権力のあるところにとりついて自分を肥やします。ですが、事情が変わるとたちまちそこから姿を消してしまいます。》

16《そしてそれゆえに追従者は、召使いのごとくに人様に仕え、つねに至誠勤勉、何でも喜んでやる、と人の目には映るよう気負いたちます。》


23《次に、本当の友人と追従者では、まねの仕方に次のような違いがあるということによく注意しなければなりません。すなわち、真の友というものは何もかもまねるとか、何もかもあっさり認めるとかいうことはせず、本当に良い点だけをまねもし認めもするものだということです。》

24《しかし追従者の場合はまったくカメレオンと同じです。》

28《つまり追従者は、自分が模倣することによって相手の志を立派に見せ、模倣してはみても結局は劣ると見せて、その能力とても及びがたしと映らせる、そう思えます。》

30《‪しかし追従者のやること、そして彼らが狙いとすることといったら、遊びであれ振舞いであれ言葉であれ、ただひたすら、とにかく楽しいならばそれでいい、楽しむことだけが目的だとばかり、たっぷりこってり味つけをすることなのです。》‬


34《しかし、私にはなぜかよく分かりませんが、不運に見舞われた時などは、たいていの人は、もし追従者から慰めの言葉をかけられると、じっと耐えぬいて彼らを寄せつけずにおくことができず、いっしょに涙を流して嘆いてくれる者がいれば、その者に引きずられてしまいます。》

35-36《へつらいお世辞に関しても我々は目を開いて、

“ただの浪費にすぎないことが気前のよさなどと呼ばれてはいないか”
“臆病にすぎないのが危険を避ける配慮とされていないか”
“軽率な行動が明敏な判断で、けちな物おしみが節倹の美徳”
“浮気な色男が人づきあいのよい人、やさしい人”
“怒りっぽい男や尊大な男が強い人”
“卑しく、人の言うことを何でも聞く者が親切な人”

などと言われていないか監視する必要があります。》

36《しかし人の悪徳を褒めたてて、悪を徳のように思う癖をつけてしまうと、その悪徳をもっていることを本人が、厭うどころか喜んだりすることになり、これはまた、自分の犯した過ちを恥じる心を彼から奪い去ってしまうことにもなります。》


46《……人間は、へつらい屋どもが偽りの称賛を与えたり過度の称賛を浴びたりすれば、間違いなく精神を狂わされてだめになるからです。》


46《こうして追従者たることが暴露されて進退きわまると、彼らは笑ってごまかしたり酒に逃げたり、冗談にまぎらしたりふざけてその場をやりすごしたりしますが、やがて今度は事を眉をつりあげるような重大問題に仕立て、深刻な顔をして叱責は諫言をまじえつつ追従いたしますから、この点も見逃さず調べておくことにしましょう。》

48《次に彼らは、本当の、大きな過ちは見て見ぬふりをする、あるいは気がつかないふりをしますが、小さなうわべのことで何か欠陥を見つけるとえらい勢いで襲いかかります。》


57《こうして我々は、自分が欲張りだとか恥知らずだとか臆病だとかとは、自分で気がつかないことはあっても、追従者に気がつかないということはないでしょう。彼らはいつもこういう気持の味方として現われ、その点に関しては無遠慮にはっきりと物を言うからです。》


62《しかし、人に尽くすその尽くし方を見ると、さらにはっきりいたします。友人の好意というものは生物に似ていて、その最も強いところは奥深く潜んでいます。決して表面に出てこれ見よがしになることはありません。……》

64《一般に相手にありがた迷惑を感じさせる好意というのはわずらわしく、好意とも思えなくて我慢できないものですが、追従者のなすことはまさにこのありがた迷惑で、しかもあとでそう感じるのではなく、彼らが何かをするかたそばから迷惑至極に感じます。》


71《自己愛と自己過信を断てということです。自分のこういう気持にへつらわれておりますと、もう地盤ができているわけですから、外から訪れてくるへつらいに対して毅然としていられなくなるのです。》


80《何ごとにせよ、時宜を失するというのは由々しいことですが、ことに率直な言葉の場合は、もし時を誤れば率直であることが何の役にも立たなくなります。》

美しい仮象

2017-05-19 01:46:02 | Note
《……模倣 Nachahmung するのであれ、あるいは偽造 Nachmachung するのであれ、いずれにしても反復されている。》Derrida, Economimesis


美しい仮象のレトリック的偽造の性格。仮面愛への幻惑と変身願望。

表層/深さの愛は、物の犠牲のナルシシズム的イメージを、表面/高さに映し出す。(incorporation)
レトリック仮面劇。その時、享楽は自己-触発的なエコノミーの循環-閉域に嵌り込む。

一方、“純粋な”表面においては、S1 は既に、喪失の代償のイメージである。それは、失われていく限りで、知を横切る。 その時、主体は自らの経験を知り得ない。(introjection)
主体の変身ではなく、変化を支えるような、無意味な知。


■欲望の根源と幻想の起源の分岐

「欲望の根源」とは、そもそも真理の出来事性のレベル(発話行為を含む)にあるが、それは美的仮象を纏って現れる。純粋な見せかけ・ミメーシス〔模倣〕の次元。詩人と神のアナロジー。

「幻想の起源」とは、忘却により論理的仮象を纏って発生する。ソフィズム。しかし、ソフィストにおいては、論理的仮象の方が“美的”であると幻惑されている。

両者は、欲動の辿る運命が異なる。
後者は、特に享楽によって、喪=哀悼の作業の機会が阻まれる。


■しるしと痕跡

カントは「しるし」や「痕跡」について、「自然がその美しいフォルムにおいて象形的にわれわれに語りかけるところの暗号化された文字表記」と述べている。そして、この自然が示すしるしや痕跡は、概念に基づく学知によってコントロールされる必要がない。

もともと、カントにおける美的な趣味判断は、享受については無関心である。かといってそれが、共通感覚による伝達から阻まれているわけでもない。さて、こういう問いを発してもいいだろう。

ララング=エコノミメーシスにおいては、享楽は断念されて、失われており、それは喪に服する可能性を得ている。つまり、これは“範例的な”口唇性だが、そのような口は、対象の消費=飲食を諦め、それによって味わうこと=趣味の可能性を持つ。

ベンヤミンを通じた引用と断片 (2)

2017-04-30 18:09:19 | Note
《美の本来の時代は神話の凋落からその粉砕までと定められる。そうした時代は、民族大移動の時代に初めて生じた。凋落前の神話は、その粉砕後と同様に、美になじみがない。美は神話の潜在的な作用を前提条件とする。》——ベンヤミン「美の理念についての一構想」

ベンヤミンにおいて、神話的なものと美の関係は、未だに運命や法といった強制力(暴力)を備えている。時代が進むにつれ、神話的なもの拘束が衰え、代わって「美しい仮象」という仮面を身につける。そのような神話的暴力が、近代の法概念にも引き継がれていて、人間の生を規定し犠牲を強いるというのが、ベンヤミンの批判でもある。これは、啓蒙主義や合理主義によって“取り払われない”。


□美と真理(その迷路)

ベンヤミンが、美と真理の結び付きを断とうとするのは、それが“美しい仮象から美しい犠牲へ至るという帰結”に繋がるからだと言う。ここから、聖なるものへの「観念」までは近い。だが、この聖なるものの「観念」には準ぜずに(つまり、殉教などという誤った美化に陥らずに)、「世俗化」の問題を導入したら、どうだろうか?

これは、考えてみる価値がある。世俗化とは、端的に言えば、ニヒリズムの完遂であろう。真理の真理はないという“経験”、あるいは、美が覆う秘密は、もはや隠される秘密などないという“経験”。現に、イタリアには次のような考え方がある。美と凋落、あるいは世俗化との切り離せない結び付き。

真理についても美についてもだが、それを観念論的(つまりは、現象学的という意味でもあるが)に把握することへの限界があるように思われる。ヘーゲルの『美学講義』は、ある意味でその限界に位置している。

身体の内部からとはいえ、外部からとはいえ、もはや感性的なものの境域が、問題になる。源泉が目標である。では、何故、迷路になるのか? 目的にたどり着く(想起する)ことを恐れるからだ。案じて迷えば、迷路にもなるというのは、至極当然だ。(裏を返せば、案ずるより産むが易し)


□アレゴリー(壊死)

「アレゴリーには多くの謎 Rätsel はあるが、いかなる秘密 Geheumnis もない」Benjamin

真理を信仰する悪趣味(物事を明らかにしようとする意志も含む)に、美的に自由な嘘が異議申し立てをする。だが、ここには循環性と共犯関係がある。ハイデガーとニーチェは、実のところは裏では手を取り合っている。アレゴリーが要求するもの、それはまさに、美のニヒリズムだろう。

「アレゴリーは、大衆が自分自身の自己疎外を見、歴史の断片化された過酷な状況を認識することを可能にするのである。」Michael Jennings, Dialectical Images


□類似性と模倣(イメージ-言語への同一化)

《類似性を知覚するということは、いずれにせよ、一瞬の閃きに結びついている。それはさっと過ぎ去る。これを再び手にすることはできるかもしれないが、他の知覚のようにしっかりととどめておくことは本来できない。類似性の知覚は、星の配置と同じように、束の間、眼前に現れ、そして過ぎ去ってゆく。さまざまな類似性を知覚するということは、つまり時間の契機と結びついているように思われる。》——ベンヤミン「類似性の理論」

この類似性の知覚の過ぎ去るイメージが、メシア的時間の問題にもなる。
《〈いま〉とは〈かつて〉についてのもっとも内奥のイメージである。》——ベンヤミン『パサージュ論』

ベンヤミンは、模倣の能力やオノマトペ、占星術の星の配置などを、この類似性の具体例として挙げるが、これが人間の言語にも影響を与えているとするのが、彼の歴史哲学の妙味だろう。

〈このように文字は、言語と並んで、非感性的なさまざまな類似、非感性的な照応関係〔コレスポンデンツ〕の書庫となったのである。〉

〈そうだとすれば、言語とは次のような意味で、模倣の能力を最高度に用いたものということができるだろう。つまり言語はひとつの媒質〔メディウム〕であり、類似的なものを知覚するあの昔の能力は、この媒質のなかへあますところなく入り込んでいったのである。〉

《そして、その力は最終的には、魔術の力を清算することとなる。》——ベンヤミン「模倣の能力について」

ベンヤミンを通じた引用と断片 (1)

2017-04-30 17:24:37 | Note
《歴史観におけるコペルニクス的転回はこうである。ひとびとは〈過去のもの〉を一種の定点と考え、現在をみるときには、この定点のほうへと手探りしながら、認識をみちびこうと努力していた。この関係は、いまや逆転されなければならない。過去が、めざめた意識の弁証法的な変換に、思いがけぬ意想に、ならねばならないのだ。》——ベンヤミンの遺稿より



■「経験と貧困」

《経験をとおしてわれわれがそれに結びつくことのできない文化財など、何の価値があろう。ここで経験を衒ったり、横領したりしても、しかたがあるまい。》

《そうだ。率直に認めよう。この経験の貧困は、単に私的なものだけにとどまらない。人類の経験そのものが貧困におちいっているのだ。そして、これはそのまま、一種の新しい野蛮状態を意味する。》


■「認識批判的序説」

ベンヤミンは「認識批判的序説」の中で、プラトンの『饗宴』を優れたドキュメントとして評し、このことに関する決定的な二つの発言を含むという。

《それは真理を——諸理念の領域を——美の本質的内在として展開してみせるとともに、真理を美しいと明言する。》

私見だが、認識における美的な次元への停止という問題は、救済の条件や予兆としても、考えられるだろう。

〈真理が美しいといわれる場合、このことは、エロス的な願望の諸段階を記述している『饗宴』篇の関連のなかで、理解されなくてはならない。〉

〈真理は、それ自体において美しいよりも以上に、エロスにたいして美しい。〉

美は、悟性が覆いを取り去ることで顕現するのではない。それは、結局のところ、享楽の露出や、その野蛮状態を新たに産み出すことにしかならない。美は、むしろ悟性が形式化する覆いを炎上させることで明示される。そこでの悟性の対象は、美の真理的な次元との“距離”を打ち立てる。


〈真理と美とのこの関係は、ひとが真理と等置することに慣れてきている認識の対象が、真理といかにかけ離れているかを、ほかの何よりも明瞭に示している。そしてこの関係のなかに、単純なのにひとが見たがらない事実への鍵が、宿されている。〉

真理は、認識の対象でもないし、認識が意図し志向することの問題なのでもない。真理は、認識がその意図や志向と共に消滅する極点を“語る”。認識の意図や志向性が、理念の星座に分散されること。これが、真理と美が、救済の名のもとに啓示されることに近い問題であることは、把握できる。


〈概念的な意図において規定される認識の対象は、真理ではない。真理は意図とは無縁に、諸理念から構成された存在である。だから、真理にふさわしい態度は、認識における志向性ではなくて、真理へはいりこんで消滅することだ。真理とは意図の死にほかならぬ。〉

ベンヤミンは、理念における根源的な“聴取”ということを命名(諸理念の所与性)において見出している。そう考えると、どうだろう? ベンヤミンにおける、美と真理の次元と、理念における距離は、音響と聴取において感受されていると明言したくなる。ベンヤミンの立場は、カント的な構想力の問題(悟性と感性の眼差しの亀裂)を、イメージと理念性の距離(感性と理性の聴覚的な把握)へと昇華させる。

結局どういうことか? 悟性が認識において、意図や志向性を存続させ、享楽しようとする魂胆が、既に〈貧しい〉。悟性は、美に学ぶ(真似ぶ)べし。享楽というのが、観念論的な仮象における、自己実現になってしまっている。


〈他人の財産を掠めるときの性急な手つきでもって作品や形式を扱うことは、惰性的な批評家に特有の態度だが、そんな態度は俗物の愚直さと、少しも変わりばえがしない。〉

〈事実的なものだけがいくら見やすく並べられていても、根源的なものはけっして認識されはしない。〉

《言語の隠喩法は、特定する力をもちながらもやんわりしたところがあるものだが、この隠喩法のみなもとである内奥の形象喚起力を、詩人たちは自分のものにしようと努力した。》

この隠喩法における形象喚起力、これを出来事の発生に結び付け、素材にし、想起を目的にする記憶との媒介におかれる問題が、無意識である。

表象は、何らかの形で形象を代理しているとは言え、悟性や志向性が存続し、享楽が目的化されれば、この無意識の記憶や想起との結び付きは、やはり疎外される。その結果は、(経験の)貧困と野蛮状態がもれなく付いてくる。

内面や深さという想定における無意識というのは、悟性のレベルにおける錯誤だ。フロイトの発見のコペルニクス的転回の革新性は、カントの超越論的な問題に比肩されるが、深みにそれを見出すという錯誤は、多分だが、ハイデガーによるカント読解の影響下にある証拠だろう。

表象が、形象力を代理しているのか、あるいは歴史的イメージの根源まで遡る問題なのかは、検討がいる。だが、言語のレトリック的回転で据えられるのは、メタファーや比喩、概念のレベルの仮象のみだろう。出来事の生起自体が、そこではレトリカルな仮象と不可分なのだ。だから、発生的な形象力を代理する、悟性レベルの表象は、対象—真理—美という問題について、ある種の臆断を免れ得ない。

このような取り違えに気づくには、感覚の側の美的対象と、理性がアンチノミーとして見出す真/偽とのあいだの距離を通じてではないだろうか? あえて言えば、悟性が認識するような対象は、美的なものと宗教的なものを巡って、経験の彼岸として与えられる以外にない。初期のベンヤミンの芸術批評は、このような問題意識を巡っている。美がヴェールとして機能し、対象が真/偽のレベルで分裂するのは、悟性の見かけにおいてのみだろう。


■「一方通行路」

《じっさい、ぼくらが十五歳ですでに知っていたか実行していたかしたことだけが、やがてぼくらの魅力を形成するのだ。》

〈……自分が「できる」ものに固執してはならない。力は即興にある。決定的な打撃はすべて、左の手でなされるだろう。〉

〈理由あって美しいと呼ばれるものすべてにあっては、それが出現していることが、背理のように思われる。〉


ラカンが面白いのは、多分、予めの前提としての主体—客体図式を、それが成立する与件としての他者とその異物に分解してみせたことだろう。主体—客体という問題は、実体として与えられるわけではなく、そもそも欲望の構成的な平面で演繹される。それが、無意識の文字の問題だった。

だとすれば、その文字と記憶痕跡の問題は、出来事の発生の印に先立って、既にそれを廃絶するような力に晒されているに違いない。言語活動の経験とは、故に、言語活動の廃絶の経験、その主体と客体の“貧しさ”の経験に他ならない。主体にせよ、対象にせよ、言語活動の構成的な平面と経験の貧しさにおいて、落下する。

何故、象徴界は“穴 trou”なのか?


■「文学史と文芸学」

《「価値」を大きくうんぬんすることによって近代主義は、歴史を思いどおりに偽造しはじめた。》

《近代主義は、このように認識と実践との間の緊張を博物館的教養概念で均してしまったのとひとしく、歴史の領域では現在と過去との緊張を、いうならば批評と文学史との緊張を、均してしまった。》

《相手が同時代のものとなると大学の学問は、あきれるほどに、見さかいなく何とでも同調する。…〔略〕…どんな大都市の新聞にも劣らない消息通たろうとする功名心が、学問にとりついている。》


経験の貧しさから、壮大なものに流れていく。認識から認識へ。ある意味で、ここから感性的なもののプロブレマティックを取り出したのは、重要だろう。

悟性が陥る、真理と美のヴェールと接近という錯視(観念論的仮象)と、理性が陥る、超越論的仮象(純粋な真偽なき見せかけ)という、意志と行為(人間の行動一般)への批判的な問題。


「超越論的仮象は(……)それがすでに暴かれ、その取るに足らなさが超越論的批判によって明らかに見抜かれたとしても、それにもかかわらず止むことはないのである」——カント『純粋理性批判』

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』からの抜粋

2016-11-28 21:00:52 | Note
10〈しかしながら、冷静に考えてみれば、ひとりの主君に服従することは、不幸の極みである。その者が善人であるという保証はまったくないからだ。彼はいつでもみずからの権限で悪人になれるわけだ。〉

12〈彼らはみな、巨大な力によって強制されてというのではなく、たんに一者の名の魔力にいくぶんか惑わされ、魅了されて、軛の下に首を垂れているように私には思われる。〉

18《したがって、民衆自身が、抑圧されるがままになっているどころか、あえてみずからを抑圧させているのである。》

22「しかも、このような災難、不幸、破産状態は、いく人もの敵によってではなく、まさしくたったひとりの敵がもたらしている。そしてその敵をあなたがたは、あたかも偉大な人物であるかのように敬い、その者のためなら勇ましく戦争に行き、その威信のためなら、自分の身を死にさらすことも決していとわないのである。」

23「あなたがたは果実を種から育てながら、わざわざ敵が荒らすに任せている。…(略)…あなたがたが身を粉にして働いても、それは結局、敵が贅沢に耽り、不潔で卑しい快楽に溺れるのを助長するばかりなのだ。あなたがたが衰弱すれば、敵はますます強く頑固になり、あなたがたをつなぎ止める手綱をもっと引きしめるようになる。」

30「かくて、感覚をもつあらゆる存在は、それをもつのとまったく同時に、隷従を悪と感じ、自由を追い求めるのだし、また、動物たちも、人間に隷従すべく生まれてくるのに、正反対の欲望による反抗なしには隷従に慣れることができない。それならば、一体いかなる災難が、ひとり真に自由に生きるために生まれてきた人間を、かくも自然の状態から遠ざけ、存在の原初の記憶と、その原初のありかたを取りもどそうという欲望を、人間から失わせてしまったのだろうか。」


33〈というのも、どんな人間でも、人間としてのなにかを保有しているかぎり、隷従させらられるがままになる以前に、それを強制されるか、だまされるかの、いずれかの状態に置かれるはずなのだ。〉

34〈一方、人々はしばしば、あざむかれて自由を失うことがある。しかも、他人によりもむしろ、自分自身にだまされる場合のほうが多いのだ。〉

35“習慣はなによりも、隷従の毒を飲みこんでも、それをまったく苦いと感じなくなるようにしつけるのだ”

43〈人は、手にしたことがないものの喪失を嘆くことは決してないし、哀悼は快のあとにしか生まれない。また、不幸の認識は、つねに過ぎ去った喜びの記憶とともにあるものだ。〉


47“……彼らは、圧政者を追放し、圧政を抑えこむのだと叫びながら、その実王冠を排するのではなく、たんにそれを別の者の頭に載せることを望んでいたのだと、たやすく見てとれる”


48《人間が自発的に隷従する理由の第一は、生まれつき隷従していて、しかも隷従するようにしつけられているから、ということである。そして、このことからまた別の理由が導きだされる。それは、圧政者のもとでは、人々は臆病になりやすく、女々しくなりやすい、ということだ。》


50圧政者の苦悩について
「彼らはみなに悪をなすことで、みなを恐れることになるさだめなのである。」

51「それにしても、圧政者は、自分の下にすぐれた者がひとりもいなくなるまでは、権力をその手にしっかりつかんだとは決して考えないものだ。」

51
おまえがそれほど威勢がいいのも
愚かな獣たちを従えているからだろう
——テレンティウス『宦官』第三幕、第一場の一節


54「愚かな者たちは、もとの所有物の一部を取りもどしたにすぎないことに気づかなかったばかりか、その取りもどしたものすら、以前に自分から奪ったのでなければ、圧政者は与えることなどできないのだと思いいたりもしなかった。」

55「民衆はいつも、素直に受け取るべきではない快楽に対しては開けっぴろげで放埓でありながら、律儀に耐えるべきではない横暴や苦悩に対しては鈍感であったのだ。」

56“……人々がかくもほめたたえる彼の人間味そのものが、歴史上でもっとも野蛮な圧政者のもつ残酷さよりも、さらに弊害が大きかったからだ。彼の毒のあるやさしさが、ローマの民に対して、隷従を甘やかなものに見せかけたのである。”

57“今日でも、いかなる悪を——ときに重大な悪を——なすときにも、かならず公共福祉や公的救済について、なんらかの美辞麗句をあらかじめひねり出しておく連中がいるが、このような者たちも、ローマの皇帝たちと同様、とてもほめられたものではない。”


59「この連中はいつもあまりにもたやすくだまされるので、彼らを馬鹿にすればするほど、うまく隷従させることができるという具合であったのだ。」

60“圧政者たち自身、人々が、自分たちに害悪をもたらしているのがたったひとりの者だというのに、どうして耐えていられるのか、奇妙に思っていた。それゆえ圧政者たちは、人々の宗教心につけこんで身を守ろうとし、あわよくば、自分の邪悪な生活を維持するために、神性のちょっとした片鱗でも拝借したいと考えたのである。”


69「こうして圧政者は、臣民を隷従させる際に、その一部の者をもって他の者を従える手段としている。」


70“邪心をしばらく脇に置いてみよ、貪欲さをほんの少し抑えてみよ、そしてみずからの姿をありのままに見つめてみよ。そうすれば連中は、自分たちが力のかぎり足で踏みつけ、徒刑囚や奴隷よりもひどくあつかっている村人や農民が、それだけ虐げられていてもなお、自分たちよりは幸福であり、少しは自由であることが、はっきりと理解できるであろう。”

71“それなのに、この連中は、まるでなにかを獲得すれば、それが自分のものとなるかのように、財を得ようとして隷従している。自分自身ですら自分のものではないというのに。まるで圧政者のもとでも、自分固有のものをもちうるとでもいうように。カッコ

72“これらのお気に入り連中は、圧政者のまわりにいて多くの財をなした者たちのことではなく、しばらくの間財をかき集めたあと、その財ばかりか命をも失ってしまった者たちのことを思い起こさねばならない。どれほど多くの者が富を得たかではなく、その富を維持できた者がいかにわずかであったかを考えなければならない。”

73“連中は、たいていの場合、圧政者の庇護のもと、他人のもちもので肥え太ったあと、ついには、自分自身のもちものによって圧政者を肥え太らせたのである。”


74「実際のところ、かくも偏狭な心をもつ者から、どんな友愛を期待できるというのだろう。この者は、みずからに従わせている自分の国をも憎み、自分を愛することもできないがゆえに、自分で自分を貧しくし、みずからの帝国を破壊してしまうのである。」

75「愚かな圧政者は、正しくふるまうときにはいつも愚かなままである。それなのに、なぜだかわからないが、残虐さを行使する段になると、とりわけ自分の近しい者たちが相手であるときに、ついに彼らの乏しい知恵が目を覚ますのだ。」

75“そのようなわけで、ほとんどの圧政者はたいてい、彼らのもっとも気に入った連中によって殺された。この連中は、圧政の性質をよくわきまえていて、圧政者の好意などあてにできないと考え、その力に警戒心を抱いたのだ。”

76《したがって、たしかなのは、圧政者は決して愛されることも、愛することもないということだ。》


78「これら哀れな連中は、圧政者のもつ宝が輝いているのを目にし、彼の壮麗さかま放つ光をあっけにとられて見つめる。そしてこの輝きに魅せられて近づいてしまい、自分をまちがいなく焼きつくす炎のなかにみずから飛び込んでしまっていることに気づかない。」