Sovereignty の訳語として、日本では「主権権力」という用いられ方が一般的に定着しつつある。だが、至高性 sovereignty としての主権には、そもそも過去からの伝統と今という時において、それ自体に分裂を持ち込む契機 (1)* を宿している。
古事記にはオオヤケという言葉は登場しないが、それは「大屋処」、つまり「大いなる屋のある所」の意味であり、この「大」は量的な大きさのことではなく偉大、尊貴、第一などを表し、「屋」は人間の住む俗なる住居としての「家」とは本質的に異なり、天つ神の住居である。この「屋」は「政(マツリゴト)」の場としても据えることができる。これを見ただけでも既に、日本における「公」の思想には古くから政治的な問題があることは肯首できる。また逆に、この「公」概念の変遷が日本の政治概念の変遷と何らかの相同性を描くことになることも予見可能だろう。
また、強調しておくなら“共同性としての”公は、古代日本においては血縁関係を“決して意味してはいなかった”ことも敷衍すべきだろう。最初の言語的な推移が引き金になり、後の「公」概念の変遷や異同となり、また政治的な場に何らかの影響を与えたことは、想像に難くはない。オオヤケと公を厳密に区別するなら、おそらくは中国から日本へと流入した公が多様な変化を被る一方で、日本語古来からオオヤケの原義は見失われたことも推論できる。(また、中国語の公には背私平分に基づく「利己を排すること、公平に処すること」という意味があるが、日本のオオヤケにはなかったと言われている)
つまり、公の中国語の原義と日本に元々あったオオヤケ概念のその翻訳的な推移には二つのある欠落が生じている。中国語の公からは背私平分の意義の伝達の欠如が、そして翻訳の推移に基づいてと仮定されるが、元来の日本語のオオヤケからは超越性の審級の忘却が。これら両方が今日に至るまで日本の政治的な思考にある影——それは、その聖俗の弁証法を決定づけてもいるだろうし、もちろん個人のレベルにも深く浸透している——をもたらしていると、ここでは想定していい。
■私と個人の様相——ワタクシとは何か・誰か・何処か? あるいは日本人は、ペルソナとプライベートの意味を理解できたか?
オオヤケはワタクシの対立概念ではなく、共同体の成員、すなわち「ヤカラ」と、屋の代りという意味の「ヤシロ(屋代=社)」との媒介概念であると、安永寿延 (1976) は説明している。そして、共同体の成員「ヤカラ」は、血族集団の「ウカラ」と異なり、血縁にかかわらず同一の「屋」に集結する集団——同一の神ないしシンボルのもと、ヤシロに集結していた集団——のことである。安永を引用しよう。
《古代では、オオヤケはヤカラ(同族)を統率する族長に代表される場合と、この族長に従う人びとの間の共同性を意味する場合とに、微妙に分岐する。むろん共同性としてのオオヤケは族長としてのオオヤケと接合していて、単独に自立することはない。このように、家から族長へという、オオヤケの観念の実体的な展開に媒介されて、オオヤケという言葉はシンボリックな意味あいをもつようになり、その中身が徐々にふくらんでいく。例えば、族長の発する言葉や、彼が触れる物や人、要するに彼となんらかのかかわりのあるものは、いずれもオオヤケ性をおびるようになる。》(1976: 34)
つまり、〔ヤシロとヤカラの媒介概念である〕オオヤケには族長と共同性という二つのコンテクストがあり、その超越性の審級が忘却されたが故に、その後の「公」概念にはワタクシが癒合・癒着的な関係として、また浸蝕するような形で縫合されている、つまりは《単独に自立することはない》という事態がうかがい知れる。また、この引用内に見られるオオヤケという言葉の《シンボリックな意味あい》はフェティシズムの要素を孕み、“超越性としてのシンボル”—— 先に挙げたオオヤケの原義に従えば、「屋」はこの地上の「家」のことではなく天つ神の住居である——と区別すべき現象である。
そのような、原初の忘却とシンボル性の遷移(超越性からフェティッシュへの)、そしてオオヤケ概念のトポスの異同(屋から家、そして族長への)は天皇制の構造や国家の機構にまで色濃く反映され、ワタクシを規定していく。(1)*
《したがって、「私」は、……上位者から賜ったもであり、したがってそれは「公」の影にすぎないが、……「公」に対するひそかな浸蝕である》(1976: 41)
我々、日本人が私という時。それは半ば無意識的に、あるいは自動的に複雑奇怪な複数のコンテキスト——公に対して、また対外的には英語圏やヨーロッパに対しても——を巻き込んでしまうのは、歴史言語論的な問題に属している。(おそらくそれは、インド・ヨーロッパ語族の言葉の一人称のようには扱えまい。そして、それらの言語の根底に影響を及ぼしているキリスト教思想の概念装置に無自覚であることは、大多数の日本人に当てはまることも否定できまい)
その事実は、「公-私」の縫合的な癒着関係が「官-民」の間にも持ち込まれるという事態を招くようになる。換言すれば、オフィシャルな問題に対して私情を挟み込むことになる。(その最後には、「天下り」という問題が待ち構え、当事者はその私情によって公務を維持することを半ば強要される)
ヨーロッパではキリスト教という伝統が根づき、その装置によって個人 persona がパブリック public なものとプライベート private なものを峻厳に区別することで分離し、その精神は市民社会 citizenship として受け継がれている。日本にはおそらく、マージナルで中性的な人びと people はいる。だが、中間性——ここでの中間性は、公私の区分というよりは、人々の間の共通 common という性質を含意している——としての citizenship を理解しそれを実行する人間性は育まれにくい実情がある。
また、日本的な公私の包含的かつ重層的な癒着の構造は、ヨーロッパ的パブリックとプライベートの区別を理解しないばかりか、コモンという公共の性質をも脇に追いやりがちなことは指摘すべきだろう(歴史や現代の日本社会でもごく僅かな人たちが、このコモンを重視していることまで私は否定するつもりはない)。現代の日本を覆っている問題は、私的領域の欠乏ではもはやない。むしろ、その過剰と未成熟に他ならない。
注: (1)*→溝口雄三 (1996: 30-31) は「私」の文字の起源を甲骨・金文の中にまで探っているが、「私」の意味に解釈される文字は発見されていないという。また、大野晋 (1999: 152-153) によれば「私(ワタクシ)」は語源未群の訓読語のようである。両者を併せて考えるなら、おそらくは日本におけるワタクシの構造は独自の形成過程を保存している。また慣用表現においてワタクシをウチと呼ぶことは日本人にとってはほぼ当然のことでもある。
■「オオ(オ、ヲ)」から「ミ」への変換(御→宮→官→君)ともう一人のワタクシ、即ちキミへ
続けてまた語源的な話をする。オオヤケ概念に原初的な忘却とそれに伴うトポスの変容があったと省察したのは、先述の通りである。では、それらが如何にして日本特有の統治性の概念として、支配構造の文脈(土地や力関係に結びつく大小の関係)へと移行したのだろうか?
オオヤケとは、この地上の家のことではなく「屋」という言葉との関連に置かれていた。だが、それが支配構造へと転化する時、オオヤケは“大きい家”という地上的な、あるいは財力としては量的な意味を獲得し、ヲヤケ=“小さい家”を支配するようになる。ここに「大」が「小」を支配するという包摂的な入れ子の構図ができあがる。見方を変えて言うなら、大は更なる大から見れば小でもあり、小は更なる小から見れば大にもなる。(それは、日本的な曖昧な公私の縫合的区分ともパラレルであるし、家族内では大人と子供の序列的な関係にもなる)
また、オオヤケが大小の包摂的な相互癒着の関係へと変異するに伴い、かつてのその超越性の審級の問題は、ミヤケが“請け負う”ようになる。つまり、日本語の「ミ」とは何らかの形でその超越性の問題を“代理”するようになる。(オフィシャルな領域への変換)
簡単にだが、整理してみよう。
1. 元の超越性の審級としてのオオヤケ
2. 原初の忘却と支配構造への転換
オオヤケ→(支配)→ヲヤケ
オオヤケ→(支配)→ワタクシ
3. ワタクシにとって上(つまり、公的なもの)を意味する事象や人称に対しての「ミ」への変換(請負と代理)、つまりはオフィシャルな領域としての官僚制への分化
→ミヤケ、ミヤ、ミカド、キミ?(二人称の位格へ、もう一つの一人称)
→御、宮、官、君?(君もまた、別の私である)
そして、「公」は訓読みでは「キミ」とも発音され、「君」も同様であり同列の立場にも置かれる。そして、「君」は音読みでは「クン」である。
この推論が正しければ日本語の二人称の関係は相互に道徳的責務(あるいは道義的責任)を負うことにも相当するだろうし、日本人の倫理観——より正確には、道徳観——としての「公-私・官-民」の複雑さを説明することもなる。だが、日本人はそのしがらみに深く従属するあまりに倫理的な“感性”が育まれる余地がないともいえるだろうし、儒教の影響によりそれらの関係性が「正-不正 just-unjust」としても意識されてもいる。(正義 justice としての「公」概念は無論、歴史的に捏造、そして正当化 justification されうるし、また日本人にとっての権威 authority の概念——いわゆる、上からのお墨付き——もその域を出ていないと断定できる)(2)*
注: (2)*→ハンナ・アーレントは論文「権威とは何か?」の中で、《権威は常に服従を要求するので、それは一般に権力 power または暴力 violence の形態と間違えられている》と述べ、続いて《常にヒエラルキー的である権威主義者の秩序は、説得の平等主義者の秩序に対置している》と指摘している。〔ハンナ・アーレント『過去と未来の間』邦訳p.125参照。尚、引用箇所の訳は引用者が原著から改めてした〕
《オホヤケという地名は、コヤケ・ヲヤケではないオホヤケ=大きいヤケ=大きい建物のある領域の呼称として、地方各地に散在していた。そしてそれらは天皇・朝廷にかかわるミヤケとは別のものとみなされていた。このことは、オホヤケがミヤケ(天皇直轄地、機構)より前に、ヲヤケ・コヤケとともに日本に存在していたものではないか、と推量させる。》(溝口1996: 13)
そして、ヤケ(オホヤケ・ミヤケに共通している)はイヘ(イエ)に関連がある語で、イヘが人間の集団や家族と深い関わりを持つのに対し、一方ヤケの側はどちらかといえば施設や機構を指し示している(オホヤケの二つのコンテクスト)。このことは、オホヤケ・ミヤケの側が日本特有の官と公的なものを同一視する傾向と結びつき(事実、「官」という字はミヤケ・ツカサ・オホヤケと訓み分けられていた)、イヘの方は“官に対して”は家族の私的領域を形成しているのは、先に分析した〔原初的忘却以後の〕支配・管理構造の転換を物語る興味深い例証である。だが、ここではそのような「間柄」は依然として二人称的であることを覚えておきたい。(ヨーロッパ社会のペルソナという概念装置は、三人称に関わる問題であり、それはまた聖性の概念とも近くある)
ここまでの考察から、いわゆる日本人にとっての公的なもの(「お上」と呼び換えてもよい)は、アーレント的パブリックの領域とは全く趣きを異にしていると同定できる。それは、その平等主義と対置する権威主義的政治体制であるということもできただろう。
そして仮にだが、日本人的な主体=臣下——公僕や僕、国民と呼び換えてもそのあり方には変わりはない——を想定するなら、その一人称で呼ばれるところの「ワタクシ」は、家政の私的領域にも、また社会集団的な単位としての個においても、あるいはオフィシャルな領域でその実行性を代理する地位や身分、それらの関数=機能においても、曖昧なままで一括りにされているに違いあるまい。それは、「人格」の主体としてはありえず、絶えず公的なものから、あるいはその権威性から承った影としての「身分」を物語ってもいる。(この構造は、日本が近代社会をヨーロッパ社会を模倣することにより形成した際も無批判なままであり続けただろうし、当時の知識人階級ですら気づきえなかった事柄である)
そして、そのワタクシの構造の不分明な曖昧さは、いわゆる「空気」や当然の「約束事」(あるいは「道理」)として、共同体の結束を強化するものとして機能し、時に「滑稽さ」として笑いの対象—そこに自虐的な攻撃性の毒を見取るのは容易い—にもなっている。
歴史的に言い直すなら、このような「ワタクシ」という地位・身分の曖昧な概念規定の特異性 (3)* こそが、日本史の構造の根本的な問題として無自覚なままに受け継がれている事態に相違あるまい。それは、日本人の無知なのであり、その情熱でもある。そして、その特異性のシンボルは日本史的にも、一つの王族の身分——年代的には、公=官=天皇という図式が完成したのは律令制においてである——に“リフレクティブに”収斂するはずだろう。オオヤケのシンボル性が人格に推移することと、日本人がそれを実体論的に捉え、一つの人格にはなりえないことは興味深いパラドックスでもある。要点を先回りして述べておけば、日本人の公私概念がリフレクティブな投射=投影によって互いに入り組みあっている事実は、天皇制という極限の構造を保存し、また必要ともしている。(諸個人の行為性が世界を介在とし公私の分離を生じさせる事とは、まるで異なるあり方を余儀なくされている)
注: (3)*→「公」が“主人一般”を指し示すようになるのは戦国時代以降であり、室町時代辺りから「わたくし」という言葉が“目上の者に対した場合の”一人称に転用されるようになる。両者はほぼ対応しており、「奉公滅私」という言葉はその前身にあたるが、そのような「お上」に尽くし仕える精神性の風土は、近代以降の日本社会においても往々にして見られたことであるし、日本における公私概念がヒエラルキー的秩序として考えられていることの証左でもある。またそのことは日本人にとっての「個人」観が決して単独で独立した者ではありえずに、何らかの社会的コンテクストに従属した単位として以外は想像できない事実をも逆照射している。それはまた、ヨーロッパ由来の「個人 person」という概念がそのまま「わたくし」という言葉の外延的なイメージとしての、つまり日本人的な公私観としての「私」に転じてしまうという奇怪な事態を招くに至る。(両者を媒介したのは日本朱子学であり、日本近代の“伝統的な”個人観もその影響下から展開されるようになる。また日本近代文学の「私」小説の特異な地位は、その曖昧なまま地続きであった「私=個人」の内的な葛藤が表現される場でもあった)
■天皇制成立における歴史的起源の諸事情——力 force を正当化する為の諸制度、あるいは権力なき権威 authority without power の極北として
《最も強いものでも、自身の力 force を権利 droit に、服従 obéissance を義務 devour に転化させない限り、いつまでも主人であり得るほど、強いものではない。》——ルソー『社会契約論』第一編第三章
まずは、日本の「国家」形成の基礎を振り返ってみよう。それは、歴史的には二つの文明との外交や影響とは切り離すことはできない。一つは中国であり、もう一つは欧米である。両者は、日本史・制度上の「日本国家」なる政体のエポック——古代律令制と明治期の近代化、そして戦後——を画定してもいる。故に、そのような政治的な国家体制は、最初に法制学上の問題として立ち現れるはずだろうし、またそれは広義に正当性や適法性の概念——legitimacy ないし legality——に収斂する。(もちろん、それらには特有の経済システムもあるが、そのような管理経営も適法性によって保証ないしは保護された限りで取り仕切られる)
また、言い換えればそれは、日本史制度内における理性支配と正当化の概念史——あるいはその是非は置いとくとして、発達史——と呼ばれうる。(4)*
注: (4)*→水林彪 (2006; 70-71) は、中国の律令制において首尾一貫した論理性や合理的体系的思考の成熟が認められることを指摘している。《律令は、郡県中国において、皇帝の支配の及ぶところにあまねく妥当せしめられた普遍的な性質の刑法・行政法であった》。日本が近代化において引き継ぐ、19世紀ドイツに誕生した刑法・刑法学も同様の《精緻な論理的構築物》である。
話を見失わないよう述べておけば、ここでは日本国家と天皇制の“歴史的”関係に重点を置いている。先に我々は、「オオヤケ」の翻訳語としての中国語の「公」が採用された経緯を見てきた。ヤマト言葉の「オオヤケ」の原義には、人間の住む俗の家とは異なる「天つ神の住居」という意味があった。そして、古代の日本にはまだ、十全な意味における王権が存在していなかったことを考慮に入れれば、中国からの律令制の導入に伴い王権国家としての色彩を帯びてきたことは想像に難くはない。その時に必要になるのが、その支配を権威づける制度上の問題であり、日本は恐らくは、それすらも中国から借りてきている。それは、「天」という規範性を含意する言葉である。(オオヤケ—公—天の人物的な同一視ないしは権威化)(5)*
注: (5)*→この推論に異論が挟まれることは十分に承知している。ヤマト政権・前方後円墳体制が王権成立“以前の”政治秩序であるとは、それが支配者と服従者という質の異なるヒエラルキーを“意味してはいない”ということである。この前方後円墳時代に、既に中国からの影響により、「地」と「天」——「方」形と「円」形はそれらのシンボルである——の観念が出現しているが、単に上下の秩序が成立したのみでは、それが即ち王権であるということにはならない(もちろん、ヤマト時代においてもそれぞれの土地に結びついた盟主はいた)。もう一つの異論は、天皇の“血統上の問題”である。『古事記』においては、天神と天皇の間に血統上の系譜関係〔連続性〕が観念されることになるが、前方後円墳体制においては、歴代の盟主の間にさえ血統上の系譜関係は観念されていない(天皇制における支配構造の正当化と、その重要なファクターとして血統上の問題が担保されていることは、決して無視できない事柄である)。
つまり、ここまでの推論の要旨は、オオヤケが中国語の「公」と翻訳推移されたことを横糸とすれば、縦糸とし超越性としてのアメ——本来は、この概念には生成の原理はあったかもしれないが規範性はなかったであろう——が「天」として中国経由の規範的な性質を帯び、日本人にとっての言説的制度と規範を“同時に”体現するところの(それ故に、フィクションでもあり、天と王〔皇〕の間に連続性を想定するならそれは神話的な次元にも“起源において”接続される)、王権としての天皇制が成立したと読むこともできるだろう。(6)*
《中国皇帝による権威付けなしには、列島において、〈盟主〉が〈王〉に上昇・転化することは困難だったのであろう。前方後円墳に象徴される超世俗的な「天」の観念は、借り物の思考であり、それだけでは王権を創造することができなかったのだと思われる。》(水林2006; 94)
注: (6)*→想定として、王号が「大王」から「天皇」に変化した可能性はあるにはある。しかし、「天皇」号の成立時期についてはいまだ定説の確立をみない。仮にヤマト体制を「王権」として考えるにせよ、それは天皇制とは異質なステータスである。
また、中国語の「天」について言及するなら、それは壮大な自然宇宙論と倫理観が結合した概念であることは知られている。だが、それを「アメ」として考えた当時の日本人は、その独自の哲学については頭では理解できたかもしれないが、心として実感されるには及ばず、身近な自然としての「アメ=雨」として享受されたとも推察される。雨は天から降ってくるもの〔物象化〕であり、その観念が天孫降臨神話による天皇王権の正当化に一役買ったという見方も成り立つだろう(事実、日本の芸能にはその名残が今もなお影響力を保持している)。血統上の問題は、その正当化された観念〔=系譜の連続性〕を逆向きに投射することにより、血族や婚姻関係の正統性の問題として、改めて権威化する方策に転化する。つまり、律令国家における天皇制の legtimacy は、血統のそれとして制度化され、権威性を帯びる。(7)*
注: (7)*→事実、「天皇」号は日本帝国の君主を「高天原」(日本的な「天」)の権威を背負うものとして表現する称号であり、中国的な「天」はあくまでも借り物に留まり、その規範的な性質は見かけだけのものである。
そのことに伴い、以前の共同体のあり方も変革を遂げる。具体的に述べるなら、それは皇族の“ヤカラ”的編成からイエ(長の直系継承団体)への組み替えである。それ以前〔大化以前〕の共同体の仕組みはウヂと呼ばれていた。ウヂはイエとは異なり画一的に父子直系で相続されたのではなく、政治的経営体にふさわしい人物を求めて傍系の線でも相続された。(中世武士の「家」は、その訓が一般化され、イエとして概念化されるが、本質的にはウヂに近い組織である。ヤカラ的共同性は、古代首長の「氏(ウヂ)」から中世武士の「家」までをも包括する概念である)また、ヤカラ的共同性は緩やかな〈身分契約秩序〉であったが、イエへの組織の再編成は天皇による〈命令的秩序〉への移行でもある。律令制により成立した日本国家の幾つかの特徴は、郡県制、官僚制、君主制、主権的王権体制とも呼ぶことができるが、複雑なのはそれは主に中国との“外交上の関係”により“建前として、あるいは名目上”執行されたということだろう。そのような日本国家“内部における深部と外観の関係”は、いわゆる“内と外、本音と建前”といった二分法により複雑化され、またその後の日本史の運動としても繰り返されるところに、“内政”上の問題点があるといえる。また先に述べたように、オオヤケは〔ワタクシの対立概念ではなく〕ヤカラとヤシロ(屋代=社)とを繋ぐ媒介概念であった。そのことを鑑みるなら、日本の律令天皇制においてそのヤカラがイエへと制度的に変化し“正当化された”経緯は、ヤマト言葉の「オオヤケ」概念の原義が著しく毀損されたと同時に、支配の構造へと歪曲された事実を物語ってもいないだろうか? そしてそれが真実なら、それ以降の日本の共同性の相克は“失われたオオヤケ概念”を巡って生起したのではないかと考えられる。
また、その後の天皇の力 force は事実上、天皇・藤原“家”に移りその存在は単に〔その力を正当化する〕権威のみを意味することなる。ここに、我が国のヨーロッパ由来とは異なる生-政治 (8)* の重大なモーメント——正当性 legitimacy が血統上の正統性に還元されたこと——をみても強ち誇張ではないし、それが死-政治に反転するのはそのような正当性を介してであることも窺い知れる。
(8)*→生-政治という用語をここでは用いたが、実際上の政権について述べる際には、生-権力という用語でも間違いではない。ただ、ここではアーレントを意識して、政治や権力という用語を、通例の使用の仕方とは別の含意に導く狙いもある(例えば、支配とはアーレントにとっては政治の本質ではない)。本文では、煩雑になるので厳密には区別しなかった部分もあるが、各自考えて頂きたい。
アーレントとアガンベンを分つもの。それは、法概念に対する依拠と理解、そして絶対的なものに関わる。
《流派をたてるくらいなら、いっそのこと他の間違いをしでかしたほうがよく、権威や他人の力にすがって身をまっすぐに立てているくらいなら、いっそのこと自分の力の弱さで倒れるほうがましだと思っています。》p.30
《美のいっさいの魔術は、その秘密性にあるので、その本質は諸要素を必然的に結合しても、廃棄されてしまうものです。》p.31
《実際にあの政治的問題を経験の中で解決するためには、美的問題を通ってその道に出なければならないことを、なぜならば、自由にまでたどりつく道が美であることを知って欲しいのです。》p.34
《理性の啓蒙——、これを洗練された階級の人たちが自慢にするのは、べつにさしつかえないことですが、全体からみて、これが思念の高貴化に影響をあたえたことはほとんどなく、むしろ腐敗を格言的に証拠立てているようなものです。》p.44
《…彼らは理性によって自然に帰ることができるのに、誰も彼もが、むやみに理性を振りかざして自然から離れることをよしとしている》p.46
《思弁的精神は観念の国で、失われることのない所有を得ようと努力しているあいだに、いつか感性の世界においては異国人になってしまい、形式のために素材を失わなければならなくなってしまったのです。》p.51
《純粋な知性が感覚の世界にある権威を横領し、経験的な知性がそれを経験の条件下に屈服させようと熱中しているあいだに、両方の素質が成熟しきるところまで発達してしまい、それぞれの領分の全域をすっかり使い果たしてしまうのです。》p.53
《……この神性への道——決して目的地に導かないものを道とよんでよければ、この道は、人間に“とって”感性の中に開かれているのです。》p.77
《……ただ、その形式が私たちの感覚の中で生き、その生命が私たちの理性の中で形となってこそ、人間は生命ある形態であり、そして、いかなるときでも常に私たあちが、美と評価するところのものです。》p.95
《美によって、感性的な人間は形式に導かれ、そして思索に導かれるのです。美によって、精神的な人間は質料 Materie に還元され、そして再び感覚世界が与えられるのです。》p.108
《ところで美について、美は人間に対し、感ずることから考えることに移行する道をひらくものといわれているにしても、決してこれを、あたかも美によって間隙が——感覚を思考から分離し、受け身を能動から分離する溝が——満たされるように考えてはなりません。この間隙は無限なのです。》p.114
《思想とは、この絶対的な能力の直接行動です。》p,114
《事実、美というものは知性のためにも意志のためにも、絶対になに一つ成果をあたえず、なに一つとして知的な目的も道徳的な目的もしとげていません。美はただ一つの真理をも見つけず、なに一つ私たちが義務を履行するのを助けてくれず、そして一言でいえば、性格を築くにも、頭脳を啓発するにも不適当なものです。》p.124
《しかし正にそれによって、ある無限なものが獲得されるのです。事実、感ずるさいの自然の一方的な強要によって、また考えるさいの理性の排他的な立法によって、人間からまったくその自由が奪い去られていることを想いうかべてみさえすれば、当然私たちは、美的情調の中で取りもどされる能力を、あらゆる贈り物の中の最高のもの——人間性の贈与——とみなすことができます。》p.125
131情熱の美しい芸術は存在しますが、
《美的情調の人間には、彼が欲すればそれが直ちに普遍妥当的な判断となり、普遍妥当的な行動となるのです。》p.135
《それゆえに、義務に対する道徳的優越はまったく存在しませんが、しかしそれに対する美的優越は存在するので、そうした振舞いが高貴といえるのです。》p137〔原注〕
《人間は欲求を、“いっそう高貴に”することを習って、それによって“崇高になろうとする”必要をなくさなくてはなりません。このことは、美的教養によって果たされるもので、美的教養は、それについては自然律も理性の法則も人間の随意に任せているいっさいのものを、美の法則に服従させ、そして美が外的生命に与えている形式の中に、内的生命を開いてくれるのです。》p.138
141結局のところ人間にとって、
《美はたしかに私たちにとって“対象”なのです。なぜならば反省は、私たちが美についての感覚をもつことのできる条件であるからです。同時に、しかし美は“私たちの主観の一状態”なのです。なぜならば感情は、私たちが美についての表象をもつことのできる条件であるからです。したがって美は、私たちが観察するものゆえに形式であり、同時に美は、私たちが感ずるものゆえに生命なのです。“一言”でいえば、美は、私たちの状態であると同時に私たちの行為なのです。》pp.150-151
★途中
《…強欲と野心とがありすぎて、長い間、主人なしではすませなかったのだ。だれもかれも自分の自由を確保するつもりで、自分の鉄鎖へむかって駆けつけた。》——ルソー『人間不平等起原論』岩波文庫版p.106
■ルソー的な動物と無意識(手段としての仮説 / 仮設)
何故、アーレントは社会的なものの背後に《自然なものの不自然な成長》を見据えたのか? また何故、ルソーは社会における理性的な能力が悪徳を生じさせることを見過ごさなかったのか? それらは未だに今日的な問題であり続ける。
あるいは、無意識を仮定しても、そこにはまだ知られていない意志があり、その意志は意識的な意志によっても克服はできない。だが、別のパッションをもってなら抗することができる。
ルソーの《自然状態》とフロイト的な《無意識》を仮設作業として〔別所にて〕提示したが、起原を観念による仮説的実験によって再構成することは、18世紀の思想家・学者の間で流行していたといわれる。この場合、この仮設作業あるいは仮説的実験はそれ自体としては既に、思考の目的というよりは手段として扱われるべき問題を構成している。ある観念を目的として扱わずに、あるいは実証的な性質を与えずに、そこから問題を提出する手段、あるいは主題を探求する方法。
しかも、ルソーが指摘するところによれば、「人類のあらゆる進歩が原始状態から人間をたえず遠ざけるために、われわれが新しい知識を蓄積すればするほど、ますますわれわれはあらゆる知識のなかでもっとも重要なものを獲得する手段をみずから棄てる」(ibid., p.26) ということである。つまり、このような仮設作業・仮説的実験に必要なのは、有用で新しいと思えるような知識を獲得することではない。それを放棄することで、その仮説作業・仮説的実験を手段として行使するということに向かうことだろう。
但し、ルソーが措定しているのは、理性に先立つ二つの原理である。それは、自己愛 amour de soi と哀れみの情 pitié を指す。これらは、自然人の「感性」や「動物」においても見られる原理だということに留意がいる。このルソー的な仮説 / 仮設においてもまた、われわれは「動物」(あるいは、動物としての人間)というテーマを見出す。
「実際、私が同胞に対してなんらの悪をもしてはならない義務があるとしたら、それは彼が理性的存在であるからというよりは、むしろ彼が感性的な存在であるからだと思われる。この特質は動物と人間とに共通であるから、これが少くとも前者が後者によって無用に虐待されないという権利を前者に与えているはずである。」ibid.,pp.31-32
裏を返せば、“人間は社会状態から生れる残酷な感情を動物に移し変えて、いたずらに動物に狂暴性を認めている”と言える。この事実は、理性的な無意識が感性的な無意識——感性的な側は、欲動や動物性にも関わるだろう——に自らの冷酷で残忍な側面を移し変えて“見ている”と言い換えても、恐らくは的外れではあるまい。
アーレントによるギリシャ・ポリスへの参照の限界は、そのロゴス〔理性〕への依拠の限界と言い換えていいかも知れない。そして、そこから政治的な領域に回帰する感性論—感覚的存在—の射程を浮き彫りにしたい。それは、不平等という尚も今日的な問題に一石を投じるはずだ。しかし、この感性的存在というテーマ設定は、自己保存から同胞への愛に向かうものだったとも言えまいか? もし、これがルソーの社会契約の限界なら、われわれは再びニーチェの〈約束することのできる動物〉を引き合いに出さなければなるまい。
■自尊心 amour propre の問題
自尊心こそが使用に結びついた感情なように思われる。自尊心とは本来は中立的なものであるが、良くもなれば悪くもなる。自尊心が悪く働けば、それは不正や不公平を生み出し、人も悪くなるだろうが、良く働くなら、それは徳や公正さも生み出し、人も好ましくなる。
では、それはアーレントの議論と何処が重なるのか? 「自尊心の最初の動き」が生じるのは、『不平等論』の「第二部」において、人類が原始的な道具や技術を持つようになり、人間が他の動物に対する優越性を感じるようになってからである。ここに、何らかの人間の支配性の確立を見るのは容易であろう。自然に対する技術的な支配であれ、また他人に対する優越性であれ。(アーレントにおいては、ホモ・ファーベルこそが世界性の主人たりえたし、彼女の政治モデルの依拠は、そもそも奴隷制を下敷きにしていた。)
つまり、何らかの自尊心の感情の問題が、中立的にか、あるいは良い方向にも悪い方向にも働き、それが公共性の問題、あるいは政治思想の問題にもなりうるということである。(ルソーにおいて当初、自己愛が徳と結びつき、自尊心が名誉と悪徳の源泉になってはいたが、むしろルソーの論述の揺れ動きから帰結するのは、自尊心の側は徳の“使用”に関わるのではないかという問いである。故に、公共性や政治の問題に変わりうる。)
あるいは、精神分析的には道徳的な感情の結び目に位置するのが、自尊心の問題といえる。つまり、自我理想や超自我の中間性や使用。
■アーレントが見取らなかったもの
では、ギリシャ的な主人は奴隷を差別していたのか? 自らを統治し得ない者たちの統治ないしは支配。己を訓育し得る者が、そうできない者を忌み嫌うのは、差別か区別か?
主人と奴隷の違いは、政治的不平等ではある。だが、これが差別とは一概には言い切れない。これを差別とし、ある種の平等ないし一様化を認めるなら、両者の“区別”が見失われる。では、主人とは何故にして主人であり、奴隷は何故にして奴隷なのか?
アーレントによるギリシャ・ポリスへの参照は、理性的という意味においてはまだ問題を残していた。なのでここでは、ルソーを参照にしてみよう。
彼が言うところによれば、動物たちは我々の家にいるときより、森にいるときの方が大抵は背が高く体格はより頑丈、いっそう元気で力も勇気もあるという。動物たちは家畜になると、これらの長所の半分を失ってしまう。(念の為、断っておくならアーレントの議論とは違い、動物=奴隷ではない。アーレントにおいて奴隷は、自らの動物的な生命過程や新陳代謝に従うこと、つまりは労働 labor を言うのだった。)
《そこでこれらの動物をたいせつに取り扱い、養おうとするわれわれのすべての心遣いが、かえって彼らを退化させる結果になっているといってもいいくらいである。人間の場合も同様である。社交的となり、奴隷になると、人間は弱く臆病で卑屈になる、そしてついに彼の柔弱で女性化した生活様式は彼の力をも勇気をもすっかり衰弱させてしまう。》ibid., p.49
つまり、ルソーの場合は動物が家畜になった状態を、人間が奴隷になった状態と対照している。自然状態においては、動物も人間もある意味では同等である。動物の家畜化と人間の奴隷化が対照され、両者の差異は、人間の奴隷化の方が大きいとされる。
《なぜなら、動物と人間とは自然によっては同等に取り扱われたのだから、人間がその飼い馴らす動物よりもよけいに自分に与える便宜は、そっくりそのまま人間をはっきりと堕落させる特殊な原因となっているからである。》ibid., p.49
ここで言わなければならないのは、アーレントはこのルソーのいう差異こそ見過ごしているという事態だろう。
動物の家畜化よりも人間の奴隷化の方が、その便宜からして堕落の程度が大きい。もし、これを真に受けるなら、われわれは理性の自由な行使の有無で主人と奴隷を分けるだけでなく、その自然状態—感性的存在—から鑑みた場合も、その堕落の程度を伺えるのかもしれない。その場合、人間の動物化ということで問題なのは、動物の家畜化以上のことになる。では、人間と動物の違いはどこに求められるのか?
おそらく、私は聴いたことはないが、動物は自ら家畜になるように意志することはあるまい。だが、人間は、自ら奴隷になることを意志することがある。この意志という意味では、動物と人間は区別できる。単なる感覚の機械的な過程に従うのみなら、それは本能と呼ばれる。だが、人間にはそれに従わないことも理性的には可能だろうし、従うことを選択する場合もある。妙なことをいうなら、アーレントは確かに言論と行為の側面を言ってはいる。だが、感覚の問題を低く見積もったのではないか?
アリストテレスが政治的動物という時に既に、このような自然の感性の側からのポリティクスという側面はあるように思われる。あるいは、端的にルソーの述べる自然人 l'homme naturel は、アリストテレスの政治的動物のアンチの可能性がある。そして、“知性的な”言語コードは、そもそもが戦争状態のように思われる。では如何にして、そうではない政治は可能なのか?
■ルソーの言語論と精神分析
ある観念が“感覚に”呼び起こされる時に、つまり想起される時に、それは知性による比較の概念を必ず経由しているのだろうか? むしろ、知性の働きこそが純粋な感覚における想起を遮断しているというのは、精神分析的にも言えるのではないか?
もちろん、この場合の知性は一般概念を語によって把握する。語表象と物表象の区別はここで重要になる。動物にはシニフィアン連鎖ということはあり得ない。あるいは、人間の動物的な側面、動物としての人間にはシニフィアン連鎖は見受けられない。(あくまでそれは、語による知性の比較と理性の改善能力を前提にする。つまり、知性の働きと精神の結び付きに限定される。その原動力としては、情動の働きがあるにせよ。)
つまり、ルソーは自然言語ないし人間の叫び声や身振りから、一般言語に向かう問題を問いかける。この移行は、連続してもいなければ滑らかでもない。
■ニーチェとの距離と神学への架橋
ルソーの場合、自己愛 amour de soi と憐れみ pitié の感情は、人間の意志に拠らない。(動物的な面であり、自然生成的で、おそらく神学で恩寵=恩恵と呼ばれるものはこの優しさのことである。故に、優美さにも結びつく。)
一方で、本来は中立的なものだが、悪にも傾きやすく、善に導く性質もある自尊心は、人間の意志の圏内にまだある。故に、ニーチェは力の意志から共感を禁じたはいいが、それは一面では正しいのだが、意志によらない自然な感情としての憐れみを捉え損ねている。彼の狂気は、それを物語る。確かに、悪に傾いた—それは社会的な美德や善を纏っている—自尊心の示す優しさは危険である。その意味でのニーチェの警戒は正しい。だからといって、自然な感情そのものが否定されてもなるまい。(力の意志はその両方に引き裂かれる)
精神分析においても自我理想と超自我のあいだの問題は、欲望と享楽—それらは未だに無意識の意志的な部分との繋がりが残されている—と呼んでもかまわないのだが、ルソー的な自己愛と自尊心のテーマにも変奏できる。
だが、自己愛による“憐れみの感情“とは、意識であれ無意識であれ、人間の意志には依らない=拠らない(依存もしなければ、根拠もない)。つまり、本来なら“憐れみの意志“ということは、他者に向けるのであれ、あり得ない。ニーチェはそれを問題化した。あるいは、ニーチェはキリスト教の道徳性—司牧権力的—を批判したのはいいのだが、恩寵と救済論の射程—時間論と経済論—までは、捉えることがなかった。
精神分析においても、自我理想と超自我を、無意識を含めた意志的なものとしてだけ捉えるなら、それらの「感情」としての側面は切り捨てることになり兼ねない。
(そう考えれば、アーレント的な政治学が、ギリシャのポリスに依拠した“徳性の政治学”と、既に初期の頃からテーマにある“キリスト教的な愛の概念”に源泉をもっていることが見えてくる。)
政治的動物 zōon politikon(アリストテレス)
社会的動物 animal socialis(セネカ)
「人間は本性上政治的、すなわち社会的である homo est naturaliter politicus, id est, socialis」(トマス・アクィナス)
これらは、翻訳上の推移である。これについてのアーレントの判断は次のようになる。
《しかしこのように、政治的なものを、無意識のうちに社会的なものに置き代えたということは、政治にかんするもともとのギリシア的理解がどの程度失われたかということを、どんな精緻な理論よりもはっきりと暴露している。》——アーレント『人間の条件』邦訳版p.44
ここで目を惹くのは、人間は動物 zōon, animal であるということでもある。近代になるとこの労働もする動物は、種としてのヒトとして扱われるようになる。
「ヒトの社会 societas generis humani」という概念と共に、「社会的」という用語が、基本的な人間の条件という一般的な意味を獲得する。ここでのヒトは既に何らかの具体的な活動をする動物とは違う、ある種の概念化が起きているように思える。
動物性の軽視とヒトという種の優性。これらは同じコインの裏と表である。そして、種としてのヒトとは“科学的対象”にも変化する。
あるいは、フロイトも『性理論三篇』において古代人と近代人の違いを述べるにあたり、後者の側の欲動への蔑みを挙げていたことを思い起こそう。
アリストテレスによる人間の第二の定義は「言葉を発することのできる動物 zōon logon ekhon 」であるとされ、このラテン語訳は「理性的動物 animal rationale」になるが、これも先の「社会的動物」同様の基本的誤解に基づいているとアーレントは述べる。
そして、アリストテレスにとっての人間の最高の能力は、logos ではなく nous の観照の能力である。アリストテレスはあくまでも政治的領域とその生活様式を定義して、人間をそう定式化したに過ぎない。
《政治的領域と社会的領域とを同一視するという誤解は、たしかに、ギリシア語をラテン語に翻訳し、それをローマ=キリスト教思想に取り入れたときからすでに始まっている。しかし、社会という言葉の近代的使用法と近代的理解になると、事態はいっそう混乱している。》ibid., p.49
最初のシニフィアンとそれへの同一化にもそれはある。だが、それを如何にして公的なものに開かせるかという問題は、言語活動の出来事の次元に求められた。だが、この事実性の水準に我々は知性によっては接近できないことも既に見てきた。
問題は、この最初の同一性は“聖性”の領域をも保存しているということでもある。公的なものに対して私的なもの。政治的なものに対して家族的なもの。しかし、「社会」という枠組みにあって両者は混乱している。つまり、そのエコノミーは躓きにもなっている。
《私的なものでもなく公的なものでもない社会的領域の出現は、比較的新しい現象であって、その起源は近代の出現と時を同じくし、その政治形態は国民国家に見られる。》ibid., p.49
近代の個人主義的な人間は、プライベートなもの(私的なもの)をもはや、その語源的な意味である「剥奪 privation」としては考えない。この語は古代人にとってはまず、公的なものに参加する能力の欠如の徴候を帯びている。
《…人間の能力のうちで最も高く、最も人間的な能力さえ奪われている状態を意味した。》ibid., p.60
こう考えると、通常我々が考える社会生活におけるプライバシーとは、公的なものとはもはや完全に隔たってしまった状況と解釈できる。(私的領域が著しく豊かになったにも関わらず)
アーレントが指摘するところによれば、それは政治的なものと対立しているだけではなく、社会的なもの—そもそも近代社会とは、公的なものと私的なものの区別が消失し、曖昧化している—とも対立しているということである。つまり、我々の親密さの領域が社会においてそれ自身と対立している事態とは、何よりも近代人特有の葛藤を物語ってもいる。
《この近代人は果てしのない葛藤を続けながら、社会の中で気楽でいることもできなければ、その外側で生きることもできない。そして彼の気分はたえまなく変化し、その情緒生活は過激な主観主義に満ちている。》ibid., p.61
このような状況にあって、人間の親密圏の地勢図は変化している。おそらく、ラカンが「外密 ex-timaté」という造語を発案したのはこのような事情も汲んでいる。
社会的 social という言葉ないし概念は、フランスでは18世紀半ばに至るまで殆ど用いられてはいなかった(英語としては既に17世紀末にJ. ロックによって用いられている)。そして恐らく—仮説としてでもいいが—、この社会という言葉が結託したのは“科学的な意味における”「自然 nature」概念であるということはできるように思える。そのような土壌があったからこそ、両者は「運動」として性質を持ち得、その「過程」が重要視されるようにもなった。
資本主義をも含むだろう全体主義化のイデオロギーが拠って立つのは、「自然」と「歴史」である。前者には成長力やその増大が含まれ、後者にはその過程〔プロセス〕や進歩が含まれる。社会やそこから資本主義社会(つまりは、高度消費社会)が発生した根拠を問えば、如何にそれらが問題含みであるかは掘り崩すことはできる。
精神分析「運動」という事態にも否を唱えることになるだろう。その政治化は、目的論の外部で「政治」や「活動」を考えるならまだしも、未だに目的論の連関の内部に捉えられてしまう。
フロイトの時代にも科学の問題や性の生物ないしは自然主義的な残滓があった。科学の用意した「自然 nature」概念は無限の性質を持っている。これは古代の「自然 physis」の循環性とは異なるあり方をしている。そして恐らく、欲動概念には無限の問題も循環性の問題も入り込む。故に、享楽 jouissance は身体にも有機体にも働きかけるわけだし、無限の問題としても精神に亀裂を入れる。
フロイトの炯眼は、欲動を中間的で曖昧なものとして示しえたことだ。そして、アーレントの炯眼は、社会を私的なものと公的なものの区別の曖昧化(蒙昧化でもありうる)として捉えられたことだ。故に、欲動は我々の内側からも外側からも影響を及ぼしてくる。社会も同じように、私的で親密なものにも、公的で開かれたものにも影響を与える。
ノモス nomos とは本来はその両者の間の「壁」である。(ポリスの領域はこのノモスにより囲まれている)
だが、全体主義において法 law は、本来なら自由の原因でもある法が必然性という法則に変質したかのように「運動法則」に転化する。社会が我々の世界を守るとら限らない。本来、世界に安定性を与えるのは法の側である。だが、社会は往々にして運動法則に転化した法則に忠実になる。(アガンベンが法の不活性化を説く時も、それは単にネガティヴだというよりは、運動法則に転化した法を問題にしているのだと推測できる)
要するに、社会的なものを無条件的に、あるいは無媒介的に称揚することは、全体主義の運動を許容し推進するに等しく、結果は死を招く。また、そのような暴力は種の優生とも容易に結びつくし、自然と歴史というイデオロギーは、種の全体を保存するためにいわゆる生権力=死権力を行使する。
今日、いわゆる社会 society で自己主張をしているのは、“種としての”生命なのだ。
《…社会の勃興のなかで自己主張したのは究極的には“種の生命”であった。近代初期には、個体の「エゴイスティックな」生命が主張され、近代後期になると、「社会的」生命や「社会化された人間」(マルクス)が強調された。……残されたものは「自然力」、つまり生命過程そのものの力であって、すべての人、すべての人間的活動力は、等しくその力に屈服した(「思考過程そのものが自然過程である」)。この力の唯一の目的は——目的がともかくあるとして——“動物の種としての人間の生存”であった。》ibid., pp.498-499
このアーレントが引いた「思考過程そのものが自然過程である」(1868年7月、マルクスがクーゲルマンあてに書いた書簡)という言葉の「過程」ということに注意するなら、彼女がマルクスを批判する時には、恐らくだが「労働」と「社会化」という用法の中に既に“動物化の兆候”を見ていた節はある。そして、“過程の運動”はこれらを直接的にか結び付ける項となる。
繰り返しになるが、アーレントにおいて“社会化された”人間の労働は、その中に人間の動物化を招くという論点が内包されている。つまり、社会化という“過程や運動”において、既に私的なものが拡大し、公的なものが衰退していく兆候をアーレントは見ている。この“過程 process”は、“訴訟 process ”でもある。
そしてこれも誤解されてはならないが、アーレントは私的なものや必要性=必然性 necessity を軽視したわけではない。アーレントは、逆にそれらを「解放」することを警戒していた。つまり、労働そのものというよりは労働の解放を。社会化された労働は既に公私の区別を失っているわけだから、その労働の運動-過程は解放されやすい。
†労働、仕事、運動-過程、リズム
アーレント版・主-奴の弁証法は、〈工作人 Homo Faber〉と〈労働する動物 Animal Laborans〉の関係である。その理論の射程は、間違いなり誤読の批判を考慮に入れても、マルクスのそれと引けを取らない。それは、資本主義のディスクールの循環性—生命過程—によって見えなくなっている目的-手段のカテゴリーをしっかりと据えている。
労働とは違い、仕事=制作は世界性の樹立の主人たりうる。だか、問題はその工作人も自らの利益(名誉といっても同じだが)を、症状の疾病利得とほぼ同様なこととして勘定し出すことにある。そして、人は悪く(つまり、悪い意図をもって)作ることがあるし、そう“できる”。
《目的と手段をはっきりと区別することができなくなっているこのような状態を、人間行動の側から考えてみよう。そうすると、これは、特定の最終生産物を得るために道具を自由に取り扱い使用しているという状態ではなく、むしろ、労働する肉体が道具とリズミカルに統合されている状態である。そして、労働の運動そのものが、このような統合する力として働いているといえる。》ibid., p.235
“労働の運動”ということに注意を喚起する。ここにも、“過程”という問題が二重に入り込む。労働の運動の過程(労働する肉体と道具がリズミカルに統合されている継起)において既に、目的と手段は見失われている。
《この運動の中で、道具はその手段的性格を失い、人間と用具の間の区別、用具と目的の間の明白な差異は曖昧になる。労働過程を支配し、労働の様式で行なわれるすべての仕事過程を支配しているのは、人間の目的ある努力でもなければ、人間が欲している生産物でもなく、実にこの過程そのものの運動であり、それが労働者に押しつけるリズムなのである。》ibid., p.236
そう考えれば、我々は如何にしてその労働の運動リズム-弁証法的過程から離れ、別の問いを発することができるかということが頭をもたげてくるようになる。
《労働過程のリズム以上にたやすく自然に機械化できるものはない》ibid., p.236
《この労働過程のリズムは、同じように自動的で反復的な生命過程のリズムと、生命過程と自然との新陳代謝のリズムに対応している》ibid., p.236
†“animal civile”(礼儀正しい動物)——?
冒頭にて、アーレントが示した翻訳上の推移の問題を掲げた。だが、これは間違いではないにしても不正確であると、市野川は『社会 the social』(2006) の中で述べている。
《というのも、アリストテレスの“politikon”に対して、アクィナスは“socialis”の他に、もう一つ別の訳語をあてているからだ。》——市野川容孝『社会』p.90
quod politicum idem est quod civile〔政治的なものは civilis なものと同じである〕
quod homo est naturaliter animal civile〔人間というものは、その本性からして civilis な動物である〕
politicus enim facit hominem civilem〔政治的なものは、すなわち人間を civilis にする〕
《これらの箇所では、アリストテレスの“politikon”は、一貫して“civilis”というラテン語に訳されている。この“civilis”という言葉は、“civis”(市民)という名詞から派生した形容詞であり、さらに“civitas”(都市、国家)とも関連している。》ibid., p.92
この civilis というラテン語の形容詞から、中世ヨーロッパの各世俗語では、“civil”(英語、仏語)、“zivil”(独語)という言葉が生まれている。これらはいずれも「礼儀正しさ」や「礼儀作法」をも意味する。(ちなみに、伊語では“civile”である)
アーレント的な問題が、〈政治的動物〉(アリストテレス)から〈労働する動物〉(マルクス)の伝統との対決に向かうのだとすれば、市野川はトマス・アクィナスによる訳語から〈礼儀正しい動物 animal civile〉を探求しようとする。
ここで断っておきたいのは、市野川はこの politikon から civilis の系譜をも手放しで賞賛しているわけではないということだろう。
《この礼儀正しさは、そのまま宮廷社会の内と外を境界づけていた。》ibid., p.93
《それはまた「宮廷社会」という、一般人から隔離された特権的空間を意味したのであり、アリストテレスの政治的な動物も、この宮廷社会の中で、礼儀正しく振る舞う動物たちを意味するようになった。あるいは、そのような動物を意味するまでに堕落したのである。そして重要なのは、この宮廷社会が何に支えられていたかである。言うまでもなく、それは中世以来の身分制にほかならない。》ibid., p.93
“politikon”の訳語から出発し、中世以降のヨーロッパでは宮廷社会と身分制の別名となった“civilis”・“civil”は、何よりも不平等の装置を意味している。
ここから、アーレントの問題点を逆照射するなら、アーレントの理想とする古代ギリシャ・ポリスのモデルも、既に奴隷制を前提としている。(しかし、アーレントは別段に奴隷という存在を“無視”しているわけではない。労働と奴隷の繋がりを寧ろ、必然=必要的なものとして彼女は捉えている)
市野川の場合は、animal civile における civilis の側に不平等の起源の問題(ルソー)を見出しているが、アーレントの場合は、動物 animal の生命循環の過程がそもそも必然性=必要性 necessity の様相にあり、その循環過程に繋ぎ止められている状態を奴隷と表現しているという違いはある。
故に、政治的動物 zōon politikon という時のアリストテレス的なテーマは、生政治の問題—この場合、bios による zoe の締め出しという重大の契機が共同体の起源に措定ないし刻印される—に変遷されることもあれば、自己の主人となることの統治性の主題にもなりうるだろう。
あるいは、ここからマルクス的なテーマを指摘しておけば、civilis の側は階級やそれらの闘争の政治=社会的運動として、animal の側は物質代謝の論点を内属させているといえるかもしれない。
ここまでで、我々は翻訳上の推移の問題から幾つかの論点を手にしたことになる。
politikon からは、socialis における動物化と、その労働と運動の肥大化の過程—広義には、全体主義運動における自然と歴史のイデオロギー化—を、civilis からは政治的な起源における不平等の問題—中世以降の身分制や古代の奴隷制—を。
そして、zōon (animal) には、その両者に跨ったある種の人間性=ヒューマニティを揺るがすような問いを。
■gramma と pneuma
《思考が媒介による遅れをも承認するのは、遠慮しているからではなく、思考自身の命題が良質になるためである。》
gramma が知らないことは、否定の否定が元の肯定とは全く質の異なるような肯定であり、直裁であることよりも迂回を経る方がより大きな効力を持つことの表現の妙味だ。それは、pneuma の身振りですらある。
《……苦悩と不幸とを混同してしまう人たちは、神聖なイロニーの擬装を理解できない人と同じである。》
■美における停止と知性の病気(知性の目標それ自体がその障害物であること)
掴む掴まないのはやはり、当人の問題だろう。掴まない者を助けることは誰もできない。天使すら。
ましてや、他人に余計なお世話をする馬鹿者は尚更。人を助ける必要はなく、自分が助からなければならないのに。掴まない者については、どうしようもならない。天使 l'angolo とは、必要なイロニー l'ironia bisognosa の謂い。
そして、救済とは厳密には、人助けとは無縁だが、現実に対する時間との関わり方においてその都度要請される何かだ。
イロニーは、それが惑わす者を同時に助けようともする。だが、掴む掴まないは惑わされた者の圏内で、イロニカーの側ではない。
だが、惑う者は文字 gramma から霊 pneuma に跳躍するからこそ助かるのであり、再び意味に戻るなら、それは元の木阿弥でしかない。書くことが「目的」にある人は、やはり見せかけに留まらずを得ない。
■分析家がイロニカーなのか、分析家の運命がイロニーなのか?
(運命の十字架があたかもイロニーのように振る舞うこともある。)
あるいは、ソクラテスとキリストの違い。ソクラテスはイロニカーであり、キリストはそうではない。
ソクラテスがエゾテリックであるなら、キリストはミステリックである。それらは、広義にはスキャンダラスでもある。
(こう言うべきかも知れない。片や、理性のイロニーである。片や、運命のイロニーであると。理性のイロニーはペルソナのマスクであり、運命のイロニーはペルソナの十字架のミステリーであると。)
「好ましく、しかも偉大なものは、すべて逆説的である、とフリードリッヒ・シュレーゲルは書いている」という。
いずれにせよ、gramma が pneuma に跳躍するとは、エゾテリックかミステリックかではあり得る。その道は分析家すら分からない。だが、道は目標ではない。道を渡ることそれ自体(つまり、行為)が目標である。
《イロニーは唐草模様である。イロニーのおかげで、同じものはすでに同じではなく、別のものとなり、意識はみずからの伝統に背をむける。》
■レゾン v.s. 身振り
レゾンに対しノンを示すのは、イロニーの身振りなのか? その時、意志はパラドックスとして転倒される。
ある種の才能は、自分の才能を決して見せはしない。それは、最大限の能力を発揮させる為の配慮でもある。だが、見せかけの才能を弄ぶような輩は、半ばでいつも折れてしまう。これも、イロニカルな身振りではある。示さないことにより、かえって示し、また逆もありうる。だが、イロニーは欺瞞(虚偽意識)ではない。欺瞞をやり過ごす術すら、イロニーにはある。
一方で、見せかけの才能が弄ぶのは、虚偽意識においてである。確かに、それにもレゾンは働く。
つまり、イロニーは一段上手でもある。欺瞞の論理を逆手にとり(パラドックスとして呈示し)、その論理をかえって自らの意志として手段化する。
だが、それが何故、犠牲や死としてのドラマを伴うのか?
それが、犠牲のための犠牲ではなく(それは計らずしてより大きな利益を得る)、死のための死ではない(それは、復活する)にも関わらず。
あるいは、この上なく器用な不器用さ。
《キルケゴールによれば、偽善者とは自分を善人にみせようとする悪人であるとすれば、他方イロニストとは自分を悪人にみせかける善人のことであろう。》
「きわめて明白にあらわれた弱さは、すべて力である」——パスカル
《ひとり強者のみが、弱くなる権利をもっている。》
《否定は、判断に対する判断であり、したがって肯定の遠回しな言い方、あるいは迂言法であるゆえに、間接的で副次的なのではないだろうか。否定は肯定することへの羞恥であり、それは、常に突進しようとまちかまえており、絶対的になろうとしているわれわれの生来の独我論的傾向をおさえるエポケー〔判断中止〕である。》
つまり、「ではないかのように」とは、遠回しの「イエス」なのだ。これ見よがしに知者ぶる連中には、注意しよう。
ここでも、虚偽(意識)の連続性に対し、イロニー(的な身振り)の不連続性という問題を、我々は見出す。
2. 精神分析におけるイロニー
「感じる能力のない者に、わからせるなど出来るものではないのである。」——カフカ「断食芸人」
■無意識のイロニーと偶像崇拝
精神分析の概念は、頭で理解するものではないし、それが頭で理解しても全く役には立たない。それは、イロニーを通じて教え導く以外に方策はない。
だから、情熱のない人間、知識で教えようとする人間は実際は教師にはなれない。彼らは不甲斐なさという在り方しか示さない。
例えば、精神分析の解釈はある意味を狙っているわけではないということを承知しつつも、自らの論文作成においては充実した意味を目指している輩もいる。——この不甲斐なさとは一体?
解釈が目指すのは、意味の空虚のはずである。これを別名、「否定性」と呼んでもいい。だが、自らの論文作成術において「享楽の肯定」(あるいは、物質性)のような詭弁に堕する人間がいる。——この不甲斐なさは一体?
■師と弟子
例えば、師が示すものは何か? 弟子は、師に対し、自らの願望や空想により、ある肯定的な概念を付け加え、身勝手な物語をでっち上げ、それに安心し胡座をかく。だが、師が示すのは、自らの「否定性」の根拠以外ではないのだとしたら?
だが、否定性は忘却されるか穴埋めされるかして、様々な偶像とその崇拝が捻出される。
翻って、こう問うこともできる。我々は、仮に師と称する者の教えと導きを「直接的な確実性」の下に把握し、理解することができるのかと。だが、それはただの誘惑でしかなく、その教えや導きを歪めることにならないのかと。
仮に、無意識の「概念」を措定してもいい。それは、主体の内で「イロニー」として再現される以外ではないのだとすれば? そう考えれば、師の教えはある意味では、そのような無意識のあり方に忠実だということにもなる。だが、早急な連中はそれを実体化し、肯定的な外観を与える努力をする。
そう、それも努力ではある。我々は、根拠なきものの根拠のために、努力すらするのだ。それが見る者からすれば、虚しいにも関わらず。
キルケゴールは「イロニーは愛における否定的なもの」という見解を述べている。それは、エロスにとっては“抽象的な規定”と呼べる何かだろう。
■分析におけるイロニーの二重分節
解釈が、言語として構造化されている無意識をイロニー化し、同時に分析家の空虚の場としてもイロニーを導くというべきか? その場合、イロニーは二重化される。方や、反語としての記号的なイロニー。方や、その場として否定性としてしか顕現できないイロニー。〔言葉の身振りとしてのイロニーとソクラテス的な立場としてのイロニー〕
前者の記号的なイロニー、レトリックは無意識における複数のコンテクストを認める立場に主体を置く。だが、後者の否定性のイロニーは、それらコンテクストの成立が実際は根拠がないことを明かす。この揺れ動きこそ、実際の分析の場面において主体を反復的にドラマ化してもいる。
分析における解釈と沈黙。これを二つのイロニー的な分節化と呼んでもいい。(ここではまだ、フモールについては触れない。)
それは、アルカイックなものの符牒でもある。外部から見るなら神秘的にも写る秘密の蝶番。レトリック的なものとソクラテス的なもの。——アルカイック、欲動の太古性。
(結局、論文作成術化—その目的論化—という道はある種のコードに逃げ込んでいる姿なのではないか?
もちろん、イロニーと冷笑は区別されなければならない。イロニーは、単なる皮肉屋の冷笑—その袋小路における躓き—とは全く違う相貌がある。また、イロニーは嘘でもない。イロニーが真に敵にするものこそが、生真面目な連中の嘘である。)
■ラカン的主体の主体化
主体とは、何らかの根拠や理由があって主体になるのではない。もはや根拠や理由がない地平で「決断」することにより主体になる。
その意味では、ラカン的主体こそが主体にならなければならない。こういう逆説は“論理の弄び”とは違う。それは「行為」である。
では、ラカン的主体は如何にして主体になるか? 決断だと先に言った。以前までの考察で、私は既にヒントは出している。宗教的には「向き変え」や「回心」、精神分析的には「退行の作業」、あるいは両者に共通しそうな言葉で言うなら「断続的な覚醒」(連続的な蒙昧化ではない)。
真理とは、客観的な真理のことではない。客観的な真理が“説明”される時、人は主体的な真理が何たるかを忘れ去り、「内面化」がどういう事態であるかも気づかなくなる。実は、フロイトにおいてもこの問題は残されていた。死の欲動が思弁のままなのか、あるいは主体化の真理として(超自我として)内面化されるのかというテーマとして……
ここから、悟性的な認識—理論の問題—と信仰—実践や行為の問題—の関係を問うことは有益だろう。両者は連続などしてはいない。それは、キルケゴールの言葉においては「パラドックス」と呼ばれ、「客観的に不確かなものを無限の情熱をもって選びとる冒険」とも言い換えられる。
(ヘーゲルにおいては、有限精神と無限精神の関係は連続的であり、同質的であるが故に、「直接的」である。キルケゴールの場合は、有限者と無限者との間には“質的差異”がある。)
「信仰のくだす結論は、推論 Schluß ではなくて決断 Entschluß である」——キルケゴール『哲学的断片』
悟性的推論の力では最早把握できないパラドックスを主体的に選び取るところに真理があり、信仰が存在する。それを、ラカン的な“真理のパトス”と呼んでもいい。つまり、ラカンにおける“真理のパトス”は、その「イロニー」や「パラドックス(という冒険や選択)」と不可分である。
3. 実定性と装置
実定性 la positività と装置 il dispositivo は、イロニーの関係にある。
実定性とは、自然現象の有限な〈一〉への外在的な措定(肯定)としてある。それは、未だ内面化されていないという意味においては、根源現象であろうと同じである。
だが、装置 il dis-positivo(否-肯定的なもの)において、それはどのような様態に置かれるのか?(ラテン語の接頭辞 dis- には、「分離」の意もある)
これが、アガンベンにおいては神学的救済論の射程になることは言うまでもない。だが、実定性と装置の問題は、広義には有限のものと無限のものの間のある関係を問いに付してもいる。方や、始まりと終わりがあるもの。方や、永遠に属するもの。(永遠においては、始まりも終わりもないのは明白だろう)
つまり、享楽の肯定性あるいは物質性といってみたところで、それは有限の“人間の”享楽—その現象的な制限—なのだ。だが、それが“神的なもの”と真に向き合った時に、我々は実存の問題に真に導かれ、主体的な立場を再び選び取る。
ここにおいて、我々は現象と本質が、ある差異を伴ったものとして“経験”され、単なる自動的で同一的な反復としての“愚かさ”から自由になる。あるいは、両者のオイコノミア oikonomia の“質的な”差異としての、経験=試練 experimentum の道を通る。
(その意味では、終わりある分析と終わりなき分析の問題は、実存的な要請を絶えず神的なものとの関係において、開いておくことになるだろう。)
「イロニーは否定的なものとしてある道である。真理ではなく道である」——キルケゴール『イロニーの概念』
4. “キルケゴールにとっての”イロニーの道
キルケゴールにおけるイロニーは、彼の実存思想とキリスト教的な問題の両面に渡ってもいる。この二面性を我々は「例外」(聖なるものの犠牲≒死)と「救済」(イメージの理念性)として、アガンベン的テーマに引き寄せて考えることができるかもしれない。
絶対的無限否定としてのイロニーは、主体を例外の立場におき、倫理的段階に導くことを許す。だが、このような倫理的な主体は、法の「犠牲」にもなる。しかし、倫理的な問題の犠牲になる主体は、如何にして贖われ、救済されるのか? イロニーを通じて、倫理的なものと宗教的なものの極限が予見される。ここに我々は、ソクラテスとイエスを顧慮しなければならない。
(イロニーはキルケゴールの位置付けでは正確には、審美的なものと倫理的なものの矛盾を明かすのだった。しかし、“イロニカー=ソクラテス“の立場にとっては、極限では法の犠牲という問題が付き纏う。)
審美的段階、倫理的段階、宗教的段階。——これらも、直線運動のように進展・進歩すると考えてはならないだろう。これらは、ボロメオの結び目のような入り組み方をしているに違いない。
キルケゴールによれば、ソクラテスはイロニーにその身を捧げ、犠牲になった最初の哲学者である。その師のあり方は、審美的な段階にあるエロスの魂に、倫理的なものの覚醒を導くのだった。
だが、ソクラテスは法の犠牲になる。
“絶対的な“無限否定の道。その意味では、ソクラテスとドイツ・ロマン派は、“批判的な”立場としては共通のテーマがある。ソクラテスにおいては、“主体性の運動”が前景にあり、ロマン派においては“理念の客観性”が主体を滅却させることに重要性が置かれる。
犠牲という意味では、このようなイロニーの主体性の運動—ソクラテスの立場—と客観性の優位—ロマン派的にはそれはイデーである—は矛盾していない。実は、キルケゴールはこの両者を“内的に” 折衷させる必要性があったのではないだろうか? それがあたかも、ヘーゲルを論敵にするという外観を呈してはいても。
5. 美のイメージの二極性と信仰上の闘い
美のイメージにおいて既に、倫理的なものと宗教的なものは交叉している。それは、只のイメージではなく、根源のイメージである。分離の根源として機能するイメージは約束、つまり名である。
だから、論理や議論ばかりで名を自らの体系に包摂させることに腐心する連中は、救いようがない。名の機能は本来、言語活動の論理とは別の地平—本来の歴史性、現実の歴史—を開く。
君の名に賭けてとは、神(の名)への誓約に等しい。そういうイメージは、絶対的に否定的である以外にない。そう、歴史は頭の中のイメージ—言うなれば、ポジティヴなイメージ—ではないということに、錯覚の世界の住人は気づかない。そして、その論理で歴史をでっち上げる。
イロニカーの敵は、論理でいつも身の潔白を証明しようとしている。(だが、そのような腐心の裏には既に嘘がある。意図的な嘘が。)
「信仰は証明を必要としない。否、証明を自らの敵とすらみなさなければならない。」——キルケゴール『後書』
《事象世界の神話的な形象性格はその世界が次の事象世界によって分解されたときにはじめて現れる》——ヴィンフリート・メニングハウス『敷居学 ベンヤミンの神話のパッサージュ』p.99
つまり、こう言って差し支えない。現に事象として現れ出ている神話世界は、もはや既に、次の事象によって分解が進んでいる。事物のイマージュには、この時間の二極が極度に緊張を帯びた負荷として印されている。われわれが名前の“中に”持つイマージュ。これこそが、歴史的だ。
それは、神話や魔術との繋がりを保持しながらも、それ以後の事象世界との繋がりも保存している。しかし、それが現れ出る時には、次のものによって崩壊しているかのように。イマージュと名の問題。
名だけの人間、つまり死者は、生前と死後という二極を担っている。それは、われわれの記憶に名を持つ者として呼びかける。名の中で、密かに変転する事物の生。
アガンベンの『言語活動の秘蹟——宣誓の考古学』(2008) は、このベンヤミンの固有名に関する洞察を引き受け、ある形で名声や呪詛に纏わる政治神学的な議論として、展開させたものと言っていい。
秘蹟 sacramento というからには、これは言語活動の(仮に論理のとしてもよい)“秘密 segreto”の問題になる。言語活動の“奥義=謎 mistero”だとしたら、それは問いや知の形式があくまでも前提され、探究され得る。だが、言語活動の“秘蹟 sacramento”といった時には、それとは構えが異なってくる。
こう考えると、アガンベンの政治神学上の問題は、経済学としての奥義=謎 mistero と純粋に政治神学的な秘密 segreto として分裂していると、措定することができる。(『王国と栄光』(初版2007)ではこの亀裂が問題になったと読めるが、このような問題は最初期のアガンベンにも見受けられる)
神話的な美の仮象は確かに、そのエコノミーに捕らえられていると言えそうだ。だが、純粋に論理の仮象に至ってはどうだろうか? ベンヤミンにおいてもこの両者は錯綜している。だが、精神分析は幻想の論理を扱えるが故に、ここでは強みがある。
“象徴”とは魔術的な要素(名)があり、“アレゴリー”には神話的な要素(イマージュ)があると区分けすべきか? 両者は交錯しているが、この線で神学的なアガンベンと美学的なアガンベンの線引きはできないだろうか? 安易な要約は許さないが、ベンヤミンにおける錯綜が、アガンベンにも踏襲されている。
《ベンヤミンはすなわちカッシーラーと同じく…〔略〕…結局は魔術的象徴と神話的象徴の明確な意味論的区別を断念したのである。》(ibid., p.108)
〔仮象としての美の宥和的形式—アウラ—から救済論へ。そう考えると、幻想においては神話的な形式が強制力と恐怖を失い—つまり、大文字のファルス的なものは失墜し—、既に衰退している。〕
†ここで私が、かろうじて据えたのは、敷居に潜むヒエラルキーの秩序(閾の配置転換の構造)である。諸事物 le cose には、昼と夜のファザードがある。昼には見えていた事物のイマージュは、夜には声として囁く。〔古代人は、天上の星の囁きを聴いていたに違いない。〕
忘れられているのは、文字を“聴くように”読むということだ。つまり、“書かれていないこと”を読むということ。
“L'immemorare viene definito da Bloch anche come «esperienza massimamente integrale del soggetto morale-logico».”
“Immemorare [Eingedenken] はブロッホによって、《道徳-論理学的主体の主要に欠かせない経験》としても定義されるだろう。”
“Un simile atto di redenzione è in gioco nell'immemorare: quell'Eingedenken che deve avere profondamente colpito Benjamin, attento lettore dello Spirito dell'utopia all'epoca del suo esilio volontario in Svizzera nel 1919.”
“贖いのそのような行為は immemorare、1919年にスイスへ自ら亡命した時期に『ユートピアの精神』の注意深い読者であったベンヤミンが深く感銘を与えられただろう、この Eingedenken において賭かっている。”
(Stefano Marchesoni)
ベンヤミンのメシアニズムの問題の源流に、エルンスト・ブロッホがいる。つまり、そこには記憶の問題がある。メシア的記憶とも呼べる何か。君自身が君自身を救う。だが、どの場所でどこに向かい、どうやって?
“Indubbiamente la questione della memoria e del ricordo rappresenta uno dei fili conduttori del pensiero maturo di Benjamin.” (Stefano Marchesoni)
“疑いなく想起と記憶の問題は、ベンヤミンの成熟した思考の導きの糸の一つを表している。”
«Struttura dialettica del risveglio: ricordo [Erinnerung] e risveglio [Erwachen] sono strettamente affini. Il risveglio è cioè la svolta dialettica, copernicana dell'immemorare» Benjamin
《覚醒の弁証法的構造:記憶と覚醒は緊密に相似している。覚醒はつまり、弁証法的転換点、immemorare [Eingedenken] のコペルニクス的な転換点である》ベンヤミン
“È evidente come qui non si tratta di un semplice ricordo, di una mera presentificazione o rievocazione del passato.” (Stefano Marchesoni)
“ここでのように、単なる記憶(過去の純粋なある現前化ないし想起の)が問題ではないことは明らかである。”
つまり、精神分析も単に過去を思い出すということが問われているわけではない。現在との関係におかれた覚醒の問題としての記憶が問われていて、単なる想起とは違う問題があると指摘したい。
“La «svolta dialettica» consiste nel ripensare da cima a fondo il rapporto tra passato e presente, nonché lo statuto stesso del passato.” ibid.
“《弁証法的転換点》は、過去の同様の規定はもちろん、過去と現在の関係を徹頭徹尾再考することに根拠がある。”
君を覚醒するように促す過去の弁証法的イメージ群(と名?)、それらは現在を当に“呼びかけて”いると結論づけるのは早急だろうか? この問題は、更に検討する価値がある。また、アガンベンが過去こそが現在に繋がる唯一の道と述べるにあたり、ベンヤミンの考察がもちろん潜んでいることも忘れてはならない。
バロック的ドラマトゥルギーから渦の根源。
“Notoriamente Benjamin pensa questo scarto improvviso come un vortice nel flusso del tempo...” (Stefano Marchesoni)
“周知なようにベンヤミンはこの予期できない開き〔引用者注・過去と現在のあいだの差〕を時間の流れにおけるある渦巻として考える…”
これは、アガンベンの小論でも名との関連で論究されていた。そして、名とは渦の極北として、それ自体が方向を持ち示されていた。また、別の場所では、名は“呼びかける chiama”言語活動における声の問題を孕んでいた。
«L'origine sta nel flusso del divenire come un vortice [Strudel], e trascina dentro il suo ritmo il materiale della propria nascita» Benjamin, Il dramma barocco tedesco
《根源は一つの渦として生成の流れの中に存し、そのリズムの内部に固有の始まりの物質的なものを引きずる》ベンヤミン
つまり、ここでは名によって方向づけられたリズムと声の側〔広義のフォネーや詩的韻律〕が根源として、マテリアルな享楽をも引き入れると解する方が妥当だろう。
イタリア現代哲学の宗教的ともいえる問題は、フランス現代思想の躓きをある意味で凌駕する。そして、この根源と起源の配置転換 la dislocazione がイタリア的とも呼べる思考—イタリアン・セオリー—を特徴づける。
《要請は道徳的カテゴリーではないという事実からは、要請からはなんら命令も出てはこないということ、すなわち、それは当為となんの関係もないということが帰結する。》——アガンベン『哲学とはなにか』p.55
文頭で、ブロッホの“道徳-論理学的主体の主要に欠かせない経験”という言葉を紹介した。だが、逆説的にそのような主体が経験するのは、もはや道徳的カテゴリーには属さず、命じられることもない、ただ“呼びかけられる”経験なのだとしたらどうだろうか? ここに眼差しの問題から声の呼びかけへの転換点を見出せないだろうか?
†ここで、精神分析のパロールの実践における詩的韻律と言葉の問題を再定義するのも無駄ではないだろう。身体の出来事という時も、これは言語活動との遭遇という言葉のショックの側面が強調されているに過ぎない。では、パロールの詩的韻律と欲動ならびに身体は、どのように関わるのか?
それは、通常のロゴス(理性、比率)によっては掬えない欲動の問題や身体性を備えている。それをたんに身体 corpus と呼んでいいかは、私は分からない。むしろ、そのような問題は、肉感性に近い何かではないだろうか?
以前に別所でではあるが、メルロ=ポンティにまで迂回しながら、シニフィアンには既に肉の両義性が絡み合っていることを指摘した。仮に、シニフィアンにもセクシュアリティの問題を認めるなら、シニフィアンの感性論は避けては通れまい。それは、ロゴスとセンスのあいだに一つのパッサージュを描くことになる。
私がイタリア的な問題に向き合ったのは、その“あいだの”構造に何らかの配置転換の装置が働いているということを突き詰めるためでもあった。アガンベンならそれを、“閾の思考 il pensiero della soglia”と呼んだだろう。
もう一点、重要な問題は、“言語においても”眼差しと声の差異を明確にすることだった。エクリチュールとパロールのあいだに、“無限の距離”を測定することでもあった。
私が過程でぶつかった問題は、臨床実践においてもぶつかる抵抗点でもあろう。
8《この自己愛ゆえに、人間誰しも、自分自身がまっさきに最大の追従者になります。こうなればあとはわけないことで、自分が何を思い何を欲しているかについて、自分ばかりでなく他人までが、証人となることを許してしまうのです。》
8-9《自分自身を好意的な目で見るために、自分にはあらゆる特性があるようにと欲したり、現にあると思ったりするのです。あらゆる特性があるようにと欲するのは別に不都合ではありませんが、現にあると思う方は危険であり、大いに警戒を必要とします。》
9《……追従者は神々、わけても神託をたまわるデルポイのアポロンを敵にする危険があります。と申しますのは、およそ追従者というのは自分自身を欺き、自分に関して何が善で何が悪であるかを気がつかなくさせ、つまり「汝自身を知れ」というアポロンの教えにつねに背いて、そのために善はまっとうされずに放置され、悪はまったく矯正することもできない、という事態にたちいたるからです。》
9《……名誉心の強い性格の人、有為の人、穏当な人ほど追従者を受け入れ、ひとたびとりつかれるとそれを育てることになりやすいのです。》
10《追従者たちも乾いたもの、冷えて固くなったものには近づきません。名声や権力のあるところにとりついて自分を肥やします。ですが、事情が変わるとたちまちそこから姿を消してしまいます。》
16《そしてそれゆえに追従者は、召使いのごとくに人様に仕え、つねに至誠勤勉、何でも喜んでやる、と人の目には映るよう気負いたちます。》
23《次に、本当の友人と追従者では、まねの仕方に次のような違いがあるということによく注意しなければなりません。すなわち、真の友というものは何もかもまねるとか、何もかもあっさり認めるとかいうことはせず、本当に良い点だけをまねもし認めもするものだということです。》
24《しかし追従者の場合はまったくカメレオンと同じです。》
28《つまり追従者は、自分が模倣することによって相手の志を立派に見せ、模倣してはみても結局は劣ると見せて、その能力とても及びがたしと映らせる、そう思えます。》
30《しかし追従者のやること、そして彼らが狙いとすることといったら、遊びであれ振舞いであれ言葉であれ、ただひたすら、とにかく楽しいならばそれでいい、楽しむことだけが目的だとばかり、たっぷりこってり味つけをすることなのです。》
34《しかし、私にはなぜかよく分かりませんが、不運に見舞われた時などは、たいていの人は、もし追従者から慰めの言葉をかけられると、じっと耐えぬいて彼らを寄せつけずにおくことができず、いっしょに涙を流して嘆いてくれる者がいれば、その者に引きずられてしまいます。》
35-36《へつらいお世辞に関しても我々は目を開いて、
“ただの浪費にすぎないことが気前のよさなどと呼ばれてはいないか”
“臆病にすぎないのが危険を避ける配慮とされていないか”
“軽率な行動が明敏な判断で、けちな物おしみが節倹の美徳”
“浮気な色男が人づきあいのよい人、やさしい人”
“怒りっぽい男や尊大な男が強い人”
“卑しく、人の言うことを何でも聞く者が親切な人”
などと言われていないか監視する必要があります。》
36《しかし人の悪徳を褒めたてて、悪を徳のように思う癖をつけてしまうと、その悪徳をもっていることを本人が、厭うどころか喜んだりすることになり、これはまた、自分の犯した過ちを恥じる心を彼から奪い去ってしまうことにもなります。》
46《……人間は、へつらい屋どもが偽りの称賛を与えたり過度の称賛を浴びたりすれば、間違いなく精神を狂わされてだめになるからです。》
46《こうして追従者たることが暴露されて進退きわまると、彼らは笑ってごまかしたり酒に逃げたり、冗談にまぎらしたりふざけてその場をやりすごしたりしますが、やがて今度は事を眉をつりあげるような重大問題に仕立て、深刻な顔をして叱責は諫言をまじえつつ追従いたしますから、この点も見逃さず調べておくことにしましょう。》
48《次に彼らは、本当の、大きな過ちは見て見ぬふりをする、あるいは気がつかないふりをしますが、小さなうわべのことで何か欠陥を見つけるとえらい勢いで襲いかかります。》
57《こうして我々は、自分が欲張りだとか恥知らずだとか臆病だとかとは、自分で気がつかないことはあっても、追従者に気がつかないということはないでしょう。彼らはいつもこういう気持の味方として現われ、その点に関しては無遠慮にはっきりと物を言うからです。》
62《しかし、人に尽くすその尽くし方を見ると、さらにはっきりいたします。友人の好意というものは生物に似ていて、その最も強いところは奥深く潜んでいます。決して表面に出てこれ見よがしになることはありません。……》
64《一般に相手にありがた迷惑を感じさせる好意というのはわずらわしく、好意とも思えなくて我慢できないものですが、追従者のなすことはまさにこのありがた迷惑で、しかもあとでそう感じるのではなく、彼らが何かをするかたそばから迷惑至極に感じます。》
71《自己愛と自己過信を断てということです。自分のこういう気持にへつらわれておりますと、もう地盤ができているわけですから、外から訪れてくるへつらいに対して毅然としていられなくなるのです。》
80《何ごとにせよ、時宜を失するというのは由々しいことですが、ことに率直な言葉の場合は、もし時を誤れば率直であることが何の役にも立たなくなります。》
美しい仮象のレトリック的偽造の性格。仮面愛への幻惑と変身願望。
表層/深さの愛は、物の犠牲のナルシシズム的イメージを、表面/高さに映し出す。(incorporation)
レトリック仮面劇。その時、享楽は自己-触発的なエコノミーの循環-閉域に嵌り込む。
一方、“純粋な”表面においては、S1 は既に、喪失の代償のイメージである。それは、失われていく限りで、知を横切る。 その時、主体は自らの経験を知り得ない。(introjection)
主体の変身ではなく、変化を支えるような、無意味な知。
■欲望の根源と幻想の起源の分岐
「欲望の根源」とは、そもそも真理の出来事性のレベル(発話行為を含む)にあるが、それは美的仮象を纏って現れる。純粋な見せかけ・ミメーシス〔模倣〕の次元。詩人と神のアナロジー。
「幻想の起源」とは、忘却により論理的仮象を纏って発生する。ソフィズム。しかし、ソフィストにおいては、論理的仮象の方が“美的”であると幻惑されている。
両者は、欲動の辿る運命が異なる。
後者は、特に享楽によって、喪=哀悼の作業の機会が阻まれる。
■しるしと痕跡
カントは「しるし」や「痕跡」について、「自然がその美しいフォルムにおいて象形的にわれわれに語りかけるところの暗号化された文字表記」と述べている。そして、この自然が示すしるしや痕跡は、概念に基づく学知によってコントロールされる必要がない。
もともと、カントにおける美的な趣味判断は、享受については無関心である。かといってそれが、共通感覚による伝達から阻まれているわけでもない。さて、こういう問いを発してもいいだろう。
ララング=エコノミメーシスにおいては、享楽は断念されて、失われており、それは喪に服する可能性を得ている。つまり、これは“範例的な”口唇性だが、そのような口は、対象の消費=飲食を諦め、それによって味わうこと=趣味の可能性を持つ。
ベンヤミンにおいて、神話的なものと美の関係は、未だに運命や法といった強制力(暴力)を備えている。時代が進むにつれ、神話的なもの拘束が衰え、代わって「美しい仮象」という仮面を身につける。そのような神話的暴力が、近代の法概念にも引き継がれていて、人間の生を規定し犠牲を強いるというのが、ベンヤミンの批判でもある。これは、啓蒙主義や合理主義によって“取り払われない”。
□美と真理(その迷路)
ベンヤミンが、美と真理の結び付きを断とうとするのは、それが“美しい仮象から美しい犠牲へ至るという帰結”に繋がるからだと言う。ここから、聖なるものへの「観念」までは近い。だが、この聖なるものの「観念」には準ぜずに(つまり、殉教などという誤った美化に陥らずに)、「世俗化」の問題を導入したら、どうだろうか?
これは、考えてみる価値がある。世俗化とは、端的に言えば、ニヒリズムの完遂であろう。真理の真理はないという“経験”、あるいは、美が覆う秘密は、もはや隠される秘密などないという“経験”。現に、イタリアには次のような考え方がある。美と凋落、あるいは世俗化との切り離せない結び付き。
真理についても美についてもだが、それを観念論的(つまりは、現象学的という意味でもあるが)に把握することへの限界があるように思われる。ヘーゲルの『美学講義』は、ある意味でその限界に位置している。
身体の内部からとはいえ、外部からとはいえ、もはや感性的なものの境域が、問題になる。源泉が目標である。では、何故、迷路になるのか? 目的にたどり着く(想起する)ことを恐れるからだ。案じて迷えば、迷路にもなるというのは、至極当然だ。(裏を返せば、案ずるより産むが易し)
□アレゴリー(壊死)
「アレゴリーには多くの謎 Rätsel はあるが、いかなる秘密 Geheumnis もない」Benjamin
真理を信仰する悪趣味(物事を明らかにしようとする意志も含む)に、美的に自由な嘘が異議申し立てをする。だが、ここには循環性と共犯関係がある。ハイデガーとニーチェは、実のところは裏では手を取り合っている。アレゴリーが要求するもの、それはまさに、美のニヒリズムだろう。
「アレゴリーは、大衆が自分自身の自己疎外を見、歴史の断片化された過酷な状況を認識することを可能にするのである。」Michael Jennings, Dialectical Images
□類似性と模倣(イメージ-言語への同一化)
《類似性を知覚するということは、いずれにせよ、一瞬の閃きに結びついている。それはさっと過ぎ去る。これを再び手にすることはできるかもしれないが、他の知覚のようにしっかりととどめておくことは本来できない。類似性の知覚は、星の配置と同じように、束の間、眼前に現れ、そして過ぎ去ってゆく。さまざまな類似性を知覚するということは、つまり時間の契機と結びついているように思われる。》——ベンヤミン「類似性の理論」
この類似性の知覚の過ぎ去るイメージが、メシア的時間の問題にもなる。
《〈いま〉とは〈かつて〉についてのもっとも内奥のイメージである。》——ベンヤミン『パサージュ論』
ベンヤミンは、模倣の能力やオノマトペ、占星術の星の配置などを、この類似性の具体例として挙げるが、これが人間の言語にも影響を与えているとするのが、彼の歴史哲学の妙味だろう。
〈このように文字は、言語と並んで、非感性的なさまざまな類似、非感性的な照応関係〔コレスポンデンツ〕の書庫となったのである。〉
〈そうだとすれば、言語とは次のような意味で、模倣の能力を最高度に用いたものということができるだろう。つまり言語はひとつの媒質〔メディウム〕であり、類似的なものを知覚するあの昔の能力は、この媒質のなかへあますところなく入り込んでいったのである。〉
《そして、その力は最終的には、魔術の力を清算することとなる。》——ベンヤミン「模倣の能力について」
■「経験と貧困」
《経験をとおしてわれわれがそれに結びつくことのできない文化財など、何の価値があろう。ここで経験を衒ったり、横領したりしても、しかたがあるまい。》
《そうだ。率直に認めよう。この経験の貧困は、単に私的なものだけにとどまらない。人類の経験そのものが貧困におちいっているのだ。そして、これはそのまま、一種の新しい野蛮状態を意味する。》
■「認識批判的序説」
ベンヤミンは「認識批判的序説」の中で、プラトンの『饗宴』を優れたドキュメントとして評し、このことに関する決定的な二つの発言を含むという。
《それは真理を——諸理念の領域を——美の本質的内在として展開してみせるとともに、真理を美しいと明言する。》
私見だが、認識における美的な次元への停止という問題は、救済の条件や予兆としても、考えられるだろう。
〈真理が美しいといわれる場合、このことは、エロス的な願望の諸段階を記述している『饗宴』篇の関連のなかで、理解されなくてはならない。〉
〈真理は、それ自体において美しいよりも以上に、エロスにたいして美しい。〉
美は、悟性が覆いを取り去ることで顕現するのではない。それは、結局のところ、享楽の露出や、その野蛮状態を新たに産み出すことにしかならない。美は、むしろ悟性が形式化する覆いを炎上させることで明示される。そこでの悟性の対象は、美の真理的な次元との“距離”を打ち立てる。
〈真理と美とのこの関係は、ひとが真理と等置することに慣れてきている認識の対象が、真理といかにかけ離れているかを、ほかの何よりも明瞭に示している。そしてこの関係のなかに、単純なのにひとが見たがらない事実への鍵が、宿されている。〉
真理は、認識の対象でもないし、認識が意図し志向することの問題なのでもない。真理は、認識がその意図や志向と共に消滅する極点を“語る”。認識の意図や志向性が、理念の星座に分散されること。これが、真理と美が、救済の名のもとに啓示されることに近い問題であることは、把握できる。
〈概念的な意図において規定される認識の対象は、真理ではない。真理は意図とは無縁に、諸理念から構成された存在である。だから、真理にふさわしい態度は、認識における志向性ではなくて、真理へはいりこんで消滅することだ。真理とは意図の死にほかならぬ。〉
ベンヤミンは、理念における根源的な“聴取”ということを命名(諸理念の所与性)において見出している。そう考えると、どうだろう? ベンヤミンにおける、美と真理の次元と、理念における距離は、音響と聴取において感受されていると明言したくなる。ベンヤミンの立場は、カント的な構想力の問題(悟性と感性の眼差しの亀裂)を、イメージと理念性の距離(感性と理性の聴覚的な把握)へと昇華させる。
結局どういうことか? 悟性が認識において、意図や志向性を存続させ、享楽しようとする魂胆が、既に〈貧しい〉。悟性は、美に学ぶ(真似ぶ)べし。享楽というのが、観念論的な仮象における、自己実現になってしまっている。
〈他人の財産を掠めるときの性急な手つきでもって作品や形式を扱うことは、惰性的な批評家に特有の態度だが、そんな態度は俗物の愚直さと、少しも変わりばえがしない。〉
〈事実的なものだけがいくら見やすく並べられていても、根源的なものはけっして認識されはしない。〉
《言語の隠喩法は、特定する力をもちながらもやんわりしたところがあるものだが、この隠喩法のみなもとである内奥の形象喚起力を、詩人たちは自分のものにしようと努力した。》
この隠喩法における形象喚起力、これを出来事の発生に結び付け、素材にし、想起を目的にする記憶との媒介におかれる問題が、無意識である。
表象は、何らかの形で形象を代理しているとは言え、悟性や志向性が存続し、享楽が目的化されれば、この無意識の記憶や想起との結び付きは、やはり疎外される。その結果は、(経験の)貧困と野蛮状態がもれなく付いてくる。
内面や深さという想定における無意識というのは、悟性のレベルにおける錯誤だ。フロイトの発見のコペルニクス的転回の革新性は、カントの超越論的な問題に比肩されるが、深みにそれを見出すという錯誤は、多分だが、ハイデガーによるカント読解の影響下にある証拠だろう。
表象が、形象力を代理しているのか、あるいは歴史的イメージの根源まで遡る問題なのかは、検討がいる。だが、言語のレトリック的回転で据えられるのは、メタファーや比喩、概念のレベルの仮象のみだろう。出来事の生起自体が、そこではレトリカルな仮象と不可分なのだ。だから、発生的な形象力を代理する、悟性レベルの表象は、対象—真理—美という問題について、ある種の臆断を免れ得ない。
このような取り違えに気づくには、感覚の側の美的対象と、理性がアンチノミーとして見出す真/偽とのあいだの距離を通じてではないだろうか? あえて言えば、悟性が認識するような対象は、美的なものと宗教的なものを巡って、経験の彼岸として与えられる以外にない。初期のベンヤミンの芸術批評は、このような問題意識を巡っている。美がヴェールとして機能し、対象が真/偽のレベルで分裂するのは、悟性の見かけにおいてのみだろう。
■「一方通行路」
《じっさい、ぼくらが十五歳ですでに知っていたか実行していたかしたことだけが、やがてぼくらの魅力を形成するのだ。》
〈……自分が「できる」ものに固執してはならない。力は即興にある。決定的な打撃はすべて、左の手でなされるだろう。〉
〈理由あって美しいと呼ばれるものすべてにあっては、それが出現していることが、背理のように思われる。〉
ラカンが面白いのは、多分、予めの前提としての主体—客体図式を、それが成立する与件としての他者とその異物に分解してみせたことだろう。主体—客体という問題は、実体として与えられるわけではなく、そもそも欲望の構成的な平面で演繹される。それが、無意識の文字の問題だった。
だとすれば、その文字と記憶痕跡の問題は、出来事の発生の印に先立って、既にそれを廃絶するような力に晒されているに違いない。言語活動の経験とは、故に、言語活動の廃絶の経験、その主体と客体の“貧しさ”の経験に他ならない。主体にせよ、対象にせよ、言語活動の構成的な平面と経験の貧しさにおいて、落下する。
何故、象徴界は“穴 trou”なのか?
■「文学史と文芸学」
《「価値」を大きくうんぬんすることによって近代主義は、歴史を思いどおりに偽造しはじめた。》
《近代主義は、このように認識と実践との間の緊張を博物館的教養概念で均してしまったのとひとしく、歴史の領域では現在と過去との緊張を、いうならば批評と文学史との緊張を、均してしまった。》
《相手が同時代のものとなると大学の学問は、あきれるほどに、見さかいなく何とでも同調する。…〔略〕…どんな大都市の新聞にも劣らない消息通たろうとする功名心が、学問にとりついている。》
経験の貧しさから、壮大なものに流れていく。認識から認識へ。ある意味で、ここから感性的なもののプロブレマティックを取り出したのは、重要だろう。
悟性が陥る、真理と美のヴェールと接近という錯視(観念論的仮象)と、理性が陥る、超越論的仮象(純粋な真偽なき見せかけ)という、意志と行為(人間の行動一般)への批判的な問題。
「超越論的仮象は(……)それがすでに暴かれ、その取るに足らなさが超越論的批判によって明らかに見抜かれたとしても、それにもかかわらず止むことはないのである」——カント『純粋理性批判』
12〈彼らはみな、巨大な力によって強制されてというのではなく、たんに一者の名の魔力にいくぶんか惑わされ、魅了されて、軛の下に首を垂れているように私には思われる。〉
18《したがって、民衆自身が、抑圧されるがままになっているどころか、あえてみずからを抑圧させているのである。》
22「しかも、このような災難、不幸、破産状態は、いく人もの敵によってではなく、まさしくたったひとりの敵がもたらしている。そしてその敵をあなたがたは、あたかも偉大な人物であるかのように敬い、その者のためなら勇ましく戦争に行き、その威信のためなら、自分の身を死にさらすことも決していとわないのである。」
23「あなたがたは果実を種から育てながら、わざわざ敵が荒らすに任せている。…(略)…あなたがたが身を粉にして働いても、それは結局、敵が贅沢に耽り、不潔で卑しい快楽に溺れるのを助長するばかりなのだ。あなたがたが衰弱すれば、敵はますます強く頑固になり、あなたがたをつなぎ止める手綱をもっと引きしめるようになる。」
30「かくて、感覚をもつあらゆる存在は、それをもつのとまったく同時に、隷従を悪と感じ、自由を追い求めるのだし、また、動物たちも、人間に隷従すべく生まれてくるのに、正反対の欲望による反抗なしには隷従に慣れることができない。それならば、一体いかなる災難が、ひとり真に自由に生きるために生まれてきた人間を、かくも自然の状態から遠ざけ、存在の原初の記憶と、その原初のありかたを取りもどそうという欲望を、人間から失わせてしまったのだろうか。」
33〈というのも、どんな人間でも、人間としてのなにかを保有しているかぎり、隷従させらられるがままになる以前に、それを強制されるか、だまされるかの、いずれかの状態に置かれるはずなのだ。〉
34〈一方、人々はしばしば、あざむかれて自由を失うことがある。しかも、他人によりもむしろ、自分自身にだまされる場合のほうが多いのだ。〉
35“習慣はなによりも、隷従の毒を飲みこんでも、それをまったく苦いと感じなくなるようにしつけるのだ”
43〈人は、手にしたことがないものの喪失を嘆くことは決してないし、哀悼は快のあとにしか生まれない。また、不幸の認識は、つねに過ぎ去った喜びの記憶とともにあるものだ。〉
47“……彼らは、圧政者を追放し、圧政を抑えこむのだと叫びながら、その実王冠を排するのではなく、たんにそれを別の者の頭に載せることを望んでいたのだと、たやすく見てとれる”
48《人間が自発的に隷従する理由の第一は、生まれつき隷従していて、しかも隷従するようにしつけられているから、ということである。そして、このことからまた別の理由が導きだされる。それは、圧政者のもとでは、人々は臆病になりやすく、女々しくなりやすい、ということだ。》
50圧政者の苦悩について
「彼らはみなに悪をなすことで、みなを恐れることになるさだめなのである。」
51「それにしても、圧政者は、自分の下にすぐれた者がひとりもいなくなるまでは、権力をその手にしっかりつかんだとは決して考えないものだ。」
51
おまえがそれほど威勢がいいのも
愚かな獣たちを従えているからだろう
——テレンティウス『宦官』第三幕、第一場の一節
54「愚かな者たちは、もとの所有物の一部を取りもどしたにすぎないことに気づかなかったばかりか、その取りもどしたものすら、以前に自分から奪ったのでなければ、圧政者は与えることなどできないのだと思いいたりもしなかった。」
55「民衆はいつも、素直に受け取るべきではない快楽に対しては開けっぴろげで放埓でありながら、律儀に耐えるべきではない横暴や苦悩に対しては鈍感であったのだ。」
56“……人々がかくもほめたたえる彼の人間味そのものが、歴史上でもっとも野蛮な圧政者のもつ残酷さよりも、さらに弊害が大きかったからだ。彼の毒のあるやさしさが、ローマの民に対して、隷従を甘やかなものに見せかけたのである。”
57“今日でも、いかなる悪を——ときに重大な悪を——なすときにも、かならず公共福祉や公的救済について、なんらかの美辞麗句をあらかじめひねり出しておく連中がいるが、このような者たちも、ローマの皇帝たちと同様、とてもほめられたものではない。”
59「この連中はいつもあまりにもたやすくだまされるので、彼らを馬鹿にすればするほど、うまく隷従させることができるという具合であったのだ。」
60“圧政者たち自身、人々が、自分たちに害悪をもたらしているのがたったひとりの者だというのに、どうして耐えていられるのか、奇妙に思っていた。それゆえ圧政者たちは、人々の宗教心につけこんで身を守ろうとし、あわよくば、自分の邪悪な生活を維持するために、神性のちょっとした片鱗でも拝借したいと考えたのである。”
69「こうして圧政者は、臣民を隷従させる際に、その一部の者をもって他の者を従える手段としている。」
70“邪心をしばらく脇に置いてみよ、貪欲さをほんの少し抑えてみよ、そしてみずからの姿をありのままに見つめてみよ。そうすれば連中は、自分たちが力のかぎり足で踏みつけ、徒刑囚や奴隷よりもひどくあつかっている村人や農民が、それだけ虐げられていてもなお、自分たちよりは幸福であり、少しは自由であることが、はっきりと理解できるであろう。”
71“それなのに、この連中は、まるでなにかを獲得すれば、それが自分のものとなるかのように、財を得ようとして隷従している。自分自身ですら自分のものではないというのに。まるで圧政者のもとでも、自分固有のものをもちうるとでもいうように。カッコ
72“これらのお気に入り連中は、圧政者のまわりにいて多くの財をなした者たちのことではなく、しばらくの間財をかき集めたあと、その財ばかりか命をも失ってしまった者たちのことを思い起こさねばならない。どれほど多くの者が富を得たかではなく、その富を維持できた者がいかにわずかであったかを考えなければならない。”
73“連中は、たいていの場合、圧政者の庇護のもと、他人のもちもので肥え太ったあと、ついには、自分自身のもちものによって圧政者を肥え太らせたのである。”
74「実際のところ、かくも偏狭な心をもつ者から、どんな友愛を期待できるというのだろう。この者は、みずからに従わせている自分の国をも憎み、自分を愛することもできないがゆえに、自分で自分を貧しくし、みずからの帝国を破壊してしまうのである。」
75「愚かな圧政者は、正しくふるまうときにはいつも愚かなままである。それなのに、なぜだかわからないが、残虐さを行使する段になると、とりわけ自分の近しい者たちが相手であるときに、ついに彼らの乏しい知恵が目を覚ますのだ。」
75“そのようなわけで、ほとんどの圧政者はたいてい、彼らのもっとも気に入った連中によって殺された。この連中は、圧政の性質をよくわきまえていて、圧政者の好意などあてにできないと考え、その力に警戒心を抱いたのだ。”
76《したがって、たしかなのは、圧政者は決して愛されることも、愛することもないということだ。》
78「これら哀れな連中は、圧政者のもつ宝が輝いているのを目にし、彼の壮麗さかま放つ光をあっけにとられて見つめる。そしてこの輝きに魅せられて近づいてしまい、自分をまちがいなく焼きつくす炎のなかにみずから飛び込んでしまっていることに気づかない。」