ACEPHALE archive 3.X

per l/a psicoanalisi

本の紹介

2021-08-20 20:52:00 | 本の紹介
たいへん有益で示唆に富む本なので、皆さんに紹介したく思います。



政治の技術化(政治の科学化、そして医療化にも行き着く)と、無意識の政治化という問題を改めて考えてみる端緒にもなりうるかも知れません。


例えば、コロナ禍でも政府に“科学に基づいた”政策を要求する声は大きいでしょう。同じ穴の狢だとは思いますが、政治を科学的な技術によって管理に変形することは、ある自由主義的な風潮で利益を得てきた人間ないし階級(中産階級です)にとっては、たいへん好都合です。

どちらも、迷信と誤謬推理、そして理性への信仰や過信により裏では手を結びあっているように思います。もちろん、そのような結託を断ち切るために、本来の政治という問題の意味をアーレントから思索しているわけですが。



(邦訳pp. 46-47、第二章の“倫理、科学、政治の同一化”から)


(邦訳pp. 48-49)

(邦訳p. 50)



アーレント試訳

2021-08-08 21:41:00 | 試訳

以下は、“The Freedom To Be Free”(1966-1967) からの抄訳である。このタイトルは、単なる活動 action やアーレント的な政治性の基本要素である自由 freedom とは区別された意味合いを読むことができる概念でもあり、重要性が見逃されてもいるので、その示唆も含めて訳出を試みた。


《…相違は、アメリカ革命は奴隷制の設立と奴隷たちがある異なった人種に属していたという信念のため惨めな人々 the miserable の存在を、またそれに伴い、生活の純粋な必要性としての政治的抑圧によりそれほど拘束されていない人たちを解放する厄介な課題を、見過ごしていたことでした。フランス革命の過程でたいへん甚大な役割を果たす悲惨な人々 les malheureux, the wretched (フランス革命は彼らを人民 le peuple と区別していました)は、アメリカでは存在していないか、もしくは完全に暗がりに留まったままでした。》

《フランスにおける革命の主要な帰結の一つは、歴史においてはじめて、人民を路上に連れ出し、彼らを目に見えるようにすることでありました。これが生じた時、ただの自由ではなく、自由であるための自由  the freedom to be free はいつも少数者の特権であったということが判明しました。しかしながら同様に、失敗を鳴り響かせることで終わったフランス革命が、私たちが現在革命的伝統と呼ぶことを決定した、また未だ決定している一方で、アメリカ革命が革命の歴史的理解のための多くの帰結がないままであったことです。》

→これと似たような事態が、精神分析についても言えるのではないでしょうか?(後ほどまた、この文章の前後を訳出しようと思います)
 
大多数は、自由よりも必要と支配に縛られたままでいることを望み、よしとしているのです。大学という場でさえ、そうなります。(また、それが困難でもあります)
 

《それから1789年にパリでなにが起きたのでしょうか? はじめに、恐怖 fear からの自由は、少数者たちが歴史の比較的短い期間においてだけ享受していた特権でさえあり、また、必要〔欠乏〕want からの自由は数世紀を通じて人類のごく僅かなパーセンテージを識別していた偉大な特権でもありました。》

→大多数とは、家庭に縛られ、仕事に追われ、金や必要事に困窮しあくせくしているのが良いと感じているのです。自由より。

《私たちが人類の記録された歴史と呼ぶ傾向があるものは、大部分が、それらの特権的な少数者たちの歴史です。必要〔欠乏〕と自由を区別する人たちのみが、恐怖からの自由の意味を完全に評価でき、また必要と恐怖両方から自由である人たちのみが公的自由への情熱を抱く(自由 liberté のための嗜好 goût or taste と自由がそれにもたらす平等 égalité or equality への独特な趣き teste が彼ら自身の中で発展する)立場にいます。》

→ここでも我々はまた、自由(とそれがもたらす平等)と、趣味の問題、あるいはそれへの冒険的なあり方というアガンベン的なテーマに行き着く。(あるいは、そのような公的自由へと向かう情熱があるのかどうか?)

《概略的に述べれば、それぞれの革命が自由 freedom〔統治の新しい形態と政体の設立の第二の、そして決定的な段階〕に達する前に、それらが解放 liberation の段階をはじめに通り抜けると言われうるでしょう。アメリカ革命の過程において、解放の段階は政治的拘束力からの(独裁者もしくは君主からの、また使われていただろう言葉が何であれ)解放を意味しました。最初の段階は暴力により特徴付けられ、しかし第二の段階は、審議、議論、説得、つまりは創設者たちが理解したタームとして政治的知識を適応することが問題でした。しかし、フランスにおいては何か完全に違うことが起きました。革命の最初の段階は暴力よりも崩壊によってよりよく特徴付けられ、そして第二の段階が達せられ、国民公会がフランスは共和国になると宣言した時、権力は既に街頭へと移っていました。人民よりも国家を代表するためにパリに集まった人々(彼らの主要な関心それらの名前がミラボーあるいはロペスピエールであろうと、ダントンもしくはサン=ジェストであろうとは統治、君主制の改変、後に共和制の設立でした)は突然、解放の未だ他の課題(それは一般の民衆を惨めさから解放すること、自由になるために彼らを自由することです to free them to be free)に、彼ら自身が直面するのを目撃しました。…》

 

《二つの最初の革命(それらの始まりはとても似ていて、また終わりはたいへん甚だしく異なっています)の比較は、貧困の克服は自由の樹立のための前提条件であるだけでなく、貧困からの解放は政治的抑圧からの解放と同じやり方によっては扱われえない、と私が考えることを明確に示します。》

《暴力に対抗する暴力は(対外もしくは市民)戦争を導くので、社会的条件に対抗する暴力はいつも恐怖を導きました。単なる(古い体制が解体されて、新しい体制が導入された後に恐怖が緩める)暴力よりも恐怖は、革命をそれらの破滅へ送ることであり、もしくは、それらが専制や暴政に陥るほど決定的に変形させることです。》