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大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の出来事 3月19日 ターザン

2018-03-19 18:54:40 | A,日々の出来事_






  日々の出来事 3月19日 ターザン





 今日は、エドガー・ライス・バローズが亡くなった日です。(1950年3月19日)
エドガー・ライス・バローズは、ターザンを書いたアメリカの小説家です。
 1875年9月1日、エドガー・ライス・バローズは、アメリカのシカゴの工場経営者の家に生まれました。
職業軍人を志しましたが、リウマチを患いウェスト・ポイント陸軍士官学校の入試に失敗、さらに心臓病も併発し、生涯病気と闘う生活を強いられます。
 様々な職業を転々とし、広告代理店をやっているときに、暇つぶしのために手に取った大衆小説誌に掲載されていた小説のつまらなさに、自分ならもっと面白いものを書けると“火星の月の下で”と言う小説の書き出し部分を、オール・ストーリィ誌の編集部に送ってみたところ採用され、6回分の掲載が決まりました。
そして、この作品は、バローズの処女作“火星のプリンセス”と改題され出版されます。
 次の作品である“類猿人ターザン”は、オール・ストーリィ誌に掲載されるや非常に好評で、バローズ最大の人気シリーズとなり、このシリーズの作品数は全26巻にも達しています。
他にも、地底世界シリーズや金星シリーズなどの空想冒険小説を多数発表し、ターザンも映画化されるなど、アメリカのSF小説の世界で人気作家の地位を築きました。
 しかし、その後、エドガー・ライス・バローズは心臓病を悪化させ、ターザンシリーズも金星シリーズも完結する事無く、1950年3月19日、南カリフォルニアのエインシーノで亡くなってしまいました。










     ターザン





















☆今日の壺々話













ターザンの悩み







 ターザンは、アフリカのジャングルでライオンと戦い、大怪我を負ってしまいました。
ターザンの眼は潰れ、腕が折れ、その上、大事なあそこも食いちぎられてしまいました。
ターザンが大好きなジャングルのお友達は、ターザンを治療しようと考えました。
そして、どうせなら、もっと強くなってもらいたいと思いました。
 そこで、アフリカワシは自分の目を、ゴリラは自分の腕を、象は自分の鼻をターザンに提供し、手術が行われました。
手術は成功し、ターザンはアフリカワシの目、ゴリラの腕を得た上、あそこには象の鼻がつきました。
 しばらくして、チータ・ザ・チンプがターザンに新しい体の部分はうまく働いているか聞きました。

「 どうだい、新しい体の具合は?」
「 ターザン、新しい目で、遠くまで見ることできる。」
「 うん、うん。」
「 ターザン、新しい腕で、とても強い。」
「 そうだろ、そうだろ。」
「 でも、ターザン、新しいあそこ、好きじゃない。」
「 どうして?」
「 ターザンのあそこ、バナナを見付けると、すぐにバナナのほうに伸びて行く。」



















おばさん








 町歩いてたら、向こうから「あああああぁぁぁああぁぁあぁあぁあ~~」みたいな悲鳴が聞こえた。
ビックリしてそっちを見たら、普通のおばさん、本当にスーパーとかに沢山いそうな50代位のおばさんがスケボーに乗ってガラガラーと、なだらかな坂道を降りてきた。
 呆然としつつも慌てて道を譲り、「あああああぁぁぁああぁぁあぁあぁあ~~」、という悲鳴を聞きながら見送った。
 おばさんはみるみる遠ざかり、T字路に向かってガラガラ~と進んでいく。
ああぶつかる!と思ったら、また「あああああぁぁぁああぁぁあぁあぁあ~~」、と塀にスケボーの端を削らせながら左に曲がって行った。
 その直後、中学生くらいの男の子がすごい勢いで走ってきたので、T字路を指さし、「あっ…左に…」と言うと、「ありがとうございました!!」と大声で礼を言われ、おばちゃんを追いかけて行った。

最初ターザンかと思った。





















昭和20年代









 20年代の冬は寒かったですね。
登校前に皆で焚き火にあたって体を温めてから駆け足でした。
白い息をはきながら。
学校ではストーブもなく休み時間はもっぱら日向ぼっこでした。
皆が肩を寄せ合って・・・・。

 そうですね。
寒くって、皆で押しくら饅頭をしませんでしたか?
「押しくら饅頭 押されてなくな」なんて皆で唄いながら。
これで結構暖かく成りましたね!
でも 一時だけどね。

 そうそう、冬になると鼻たらして服で拭いて、袖口ゴべゴべでした。
今みたいに、ティッシュなんてかっこいい物なかったですね。

 手はしもやけ、ひび、あかぎれ。
でも外で大縄跳び。
一番初めの子が走ってどこかを触り、次々遅れないように回してる縄に飛び込んでくるの。
温まった、楽しかった。
男の子は、自転車のタイヤを取った輪で輪回ししてましたね。
輪回ししながら鬼ごっこ。
結構技術がいったでしょう。
竹を切り、先を火であぶり曲げた竹スキーなども、学校の行きかえり遊びながら帰りました。

 竹スキーでも本当に楽しかったですね。
ただし、エッジが無かったのでカーブは苦手でしたね。
ひたすら直滑降専門でしたね。
橇はりんご箱の下に竹を半割りにして取り付けただけでしたが、すべりは良かったですね。

 ブランコは木の枝に荒縄を結わえて、自分達で作りましたね。
荒縄が切れてよく落下しましたが、怪我もせずに楽しんでました。
ターザンの真似事でもよく墜落しましたが、せいぜい脱臼くらいで、致命傷になることは全くありませんでした。
今の子供たちに比べて、相当野性的でサバイバル能力が備わっていましたね。

 昭和二十何年だったか、ある夏の夕暮れ都会の原っぱでトンボを取って遊んでいると、トンボの大群が飛んできて手でつかんだ思い出があります。
あのころは焼け野が原でいっぱい自然があり、俺たち子供は貧しかったが、元気に飛び跳ねていたな~。
ホント、楽しかったです。


















ターザンごっこ






 思い出した。
10歳頃、男の子たち数人が作ったターザンの秘密基地。
「女は来るな」っていってたの、あれってエロ本隠してたからかな。
でも、その内の一人が内緒だといいながら、誰もいない日に中を見せてくれた。
そして、大きなティアドロップ型のガラスをくれた。
量産品のシャンデリアの飾りであることは、今ならわかる。
どこかのごみ捨て場で拾ったんだろうことも。


 あなたは私ですかw。
私も仲の良かった男の子にもらったよ。
シャンデリアの先についてる涙型の硝子。
ずっと宝物だった。
今でも、探せばあるんじゃないかな。
周囲は男の子ばかりで、木登りも崖登りもターザンごっこも一緒にしたのに、いつからか、海賊ごっこでお姫さま役させられたり、崖の上の野苺、いつも一緒に登って取ってたのに、「おいがとってくっけん、そこで待っとれ!」とか言って止められたりするようになって、ちょっと寂しかった。
本当は、いつまでも一緒にちゃんばらしていたかった。
















昔話







 今朝は新しく来たベッドで初めて寝ました♪
朝起きていつもの様に朝食の柿を食べていると、なぜか突然、私は思ったのです。

私 「さるかに合戦のカニって、柿を育ててるけど、カニって柿を食べないやん・・・(ボソ)」←関西人の私

父 「・・・そういう理屈じゃなくて教えだよ・・・(ボソ)」

私は突然「さるかに合戦」の疑問が浮かんでしまったのです(笑)

 昨日は風邪で寝込みながら、ディズニー映画の「ターザン」を見ながら、最初から最後までずっと、野生のゴリラしかいない離島で育ったターザンが腰巻を身に着けているのが疑問でした。

私は友人からとってもお勧めといって、「恋人達の予感」のDVDを貸して貰っていたので、
(内容は男と女の友情は成り立つか、という非常に大人なロマンチックコメディです♪)
それを見た後というのもあったのですが、非常に大人な目線でディズニー映画を見てしまったのです。
リアルに近づけて、ターザンがオールヌードで、ディズニー映画がR指定っていうのも、変ですもんね(笑)
昔話やディズニーはありのままを見て楽しむのが楽しいですね(照)

 師匠も孫に日本昔話のDVDを買って見せたいと私に聞いてきた事があります。

師匠 「のう、ヤマ、孫に日本昔話を見せたいんだが、何処でDVDは売ってるんだ?」←道を歩きながら、

ヤマ 「本屋さんの絵本コーナーにあると思いますよ。」

師匠 「ほぅ~、一寸法師とかな、かちかち山とか、子供の教育にはいいもんだよ~♪店があったら寄ってくれ♪」

ヤマ 「はい♪・・・おっしょうさん、一寸サイズの人なんか存在しないですよ、私は思うんですが、子供の頃から、ある程度リアルな内容の話を聞かせる方が、人生をうまく進める気がするんですが。」
    ↑視点は本屋さんを探して歩いてる私♪

師匠 「はははっなんでだ?(笑)」

ヤマ 「昔話もおとぎ話も、主人公を軸に、“棚からぼた餅”みたいな話ばかりに思えるのですよ。
いつもの生活の中で、突然何かが現れて、人生が変わる。
でも現実は、自分から変わろうとして、行動を起こさないと何も変わらない事の方が多いですよ。」

師匠 「うむ(笑)そうだな。」

ヤマ 「その絵本の影響かもしれないです。
自分から変わろう、変えようとせず、何かが向こうからやってくるのを待っている人の多さ。
それなら、そんな話は教えずに、最初から自分から人生を切り開いていく話を教える方がいい様に思うのです。」

師匠 「ふふふ、お前はそう言うが(笑)うむ、(笑)
だがな、昔話というのは、教訓や知恵が一杯詰まっているんだよ♪
ただの、夢物語なら、長く語り継がれる事は無いだろうよ(笑)
子供にこれからの人生の教訓を楽しく教えるのが昔話の本当の意味なんだよ♪」

ヤマ 「ふ~ん、知恵というは分かりますが、、、」

師匠 「確かに人生は厳しい時も多いさ、だからこそ、人はそういう話を作り出して、自分も励まされ、子供には人生の中では何が大切が教えて、過ごしてきたんだと思うよ。」

ヤマ 「・・・はい。
おっしょうさんは、おっしょうさんが話したらいいんじゃないですか?」

師匠 「孫はワシの話をゆっくり聞いていないのだ(汗)
テレビのマンガなジ~っと見とるからな♪」

ヤマ 「あははっ(笑)」←なんとなくそれが分かる私(笑)

後で聞きましたが、師匠は“鶴の恩返し”の入った、本当にこれぞ日本昔話というDVDセットを買っていました♪
師匠は孫にもいいじいちゃんだったと思います。


















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3月18日(日)のつぶやき

2018-03-19 03:06:33 | _HOMEページ_
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