日々の出来事 3月4日 ぼやき漫才
今日は、人生幸朗が亡くなった日です。(1982年3月4日)
人生幸朗は、生恵幸子と組んだ“ぼやき漫才”の第一人者でした。
人生幸朗は、常に牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を掛け、直立不動の姿勢で、熱が入って来ると肩を怒らし、手を振りあげ、迫力と説得力を持った漫才を演じていました。
ぼやき漫才
『人生幸朗』・「生恵幸子」
『 浜の真砂は尽きるとも世にボヤキの種はつきまじ・・・。』
「 キザなこと言うな、このハナクソ!」
『 わたしのこと、みなボヤキやあ、ボヤキやあ言うてねえ。』
「 当たり前や。誰かて言わはるわ。ボケ!」
『 しかし、みなさん、これは私がボヤクのやのうて、今の世の中が私をボヤかしまんねん。
まぁ皆さん聞いてください。』
『 満員のバスで、子供が前に飛び出したから、運転手急ブレーキかけよった。』
「 まあ。あぶないやないの。」
『 幸い子供は無事やったんやけど、急ブレーキやったもんやさかい、吊り革持たんとボーっと立っとったオッサン、仰向けにひっくり返って、そのこける格好がおかしいと乗客大笑い、誰も手ェ貸してくれよらん。』
「 え~っ、そんならアンタも笑ろとったん?」
『 じゃかましいわい、いやしくもワシは正義の味方や、そんな事見て黙っとれるかい。』
「 まあ、えらいやないの、助けたげたんか?」
『 黙れ~、話は最後まで聞け。』
「 何やねん一体。」
『 助けたくても助けられるかい。』
「 なんで?」
『 こけたん、わしじゃ!』
「 アホか!」
幸子が一曲歌います。
♪(´∀`)ノ゙ 「 探し物は何ですかァ~♪」 ヽ(´∀`)ノ
『 とまれ~、ストップ!
善良なお客さんを前にして、何歌っとるかァ・・・愚かなる女め。』
「 井上陽水の夢の中へという歌やで。」
『 そんなもん、言わいでもわかってるわい。』
「 ほな、ごちゃごちゃ言うな、このヨダレクリ!」
『 このごろ、わけのわからん歌が多すぎる!』
「 そら、お客はん始まりましたでえ・・・。」
『 今、生恵幸子が歌った歌、井上陽水の夢の中へ・・・。』
「 ええ歌やがな・・。」
『 探し物は何ですか・・・・ほっとけ!
見つけにくいものですか・・・・知るか、そんなもん!
それより僕と踊りませんか・・・・馬鹿にすなぁ、誰が踊るか!
まだ探すんですか、踊りましょう・・・・どつき回すぞ!
責任者出てこい!』
「 出てきたらどないすんのん?」
『 謝ったらしまいや!』
「 アホ、いつまでぼやいてんねや、この泥亀!」
『 かあちゃん堪忍!』
「 何が、かあちゃんや!」
『 ごめんちゃい!』
『 我侭勝手なことばかり申し上げまして・・・・。』
「 わかってんのんかいな?」
『 お叱りの言葉もございましょうが、これは私の本心ではなく、相方生恵幸子の書いた筋書きでございます。』
「 嘘つけ~、自分勝手にしゃっべてるんやないかぁ~。」
『 笑いこそ健康の栄養素、凝りと疲労の回復剤!』
「 何んや薬屋のオッサンみたいな事言うてんねエ~。」
『 こんなおもろない漫才聞きとうないわ~い、というお叱りの言葉もなく、ご静聴賜りまして誠にありがとうございました。
笑え、笑え、笑う門には福来る。
皆様のご健康とご発展とを心よりお祈り申し上げ、ぼやき講座予定終了でございます。』
それでは、問題。
この漫才の中で、生恵幸子の「 泥亀!」は、どんな意味を持っていたでしょうか?
答え
漫才終了まで、あと30秒であることを人生幸朗に知らせるための合図です。
人生幸朗・生恵幸子
☆今日の壺々話
ボヤキ
先日、関西空港にて。
国際線ロビーで、飛行機を待っていたら、後ろからボヤキ声。
”あーあ。
NARUTOは見られへんし、英語の勉強はせなあかんし。”
振り返ると黒人の男の子。
あまりに流暢な大阪弁なので声をかけた。
小学校5年、大阪生まれ。
父親の仕事の都合で、アメリカに移住するらしい。
どこの国の人かは聞き忘れた。
父母とも、家庭でも日本語を使っていたので外国語は知らないらしい。
大人になったら絶対大阪に帰ってくる、僕も大阪人やから、とかなんとか・・。
ここで両親に呼ばれ別れの挨拶をしたのだが、大阪人らしく、
「 ほな、おっちゃん、さいなら。
今日はこれぐらいにしといたるわ。”
周りの人に振り返られる位、大爆笑してしまった。
5分も話していないのに、すこし涙が出た。
看護師のぼやき
ある夏の日の夜勤です。
うちは看護師2名で2交代。約15~16時間病棟で拘束されます。
この日も二人で夜勤しておりました。
22時。
消灯時間も過ぎ、病室の電気も消え、真っ暗な病棟。
非常灯の明かりだけがぼんやりと光っていました。
業務もひと段落ついたころ。
“ プルルルルルゥゥ・・・。”
内線の電話が突然なった。
不意をつかれ、あわてて受話器を取ろうとするが、すぐ切れてしまう。
“ 間違い電話かなぁ・・。”
そう思って、気にもしなかった。
23時。
巡回の時間だ。
真っ暗な病棟を懐中電灯をもって、一つ一つの病室をまわる。
みんな、よく寝ている。
とくにかわった様子はない。
最後の部屋を回ったところで、また内線が鳴る音が聞こえてきた。
ここはナースステーションから一番遠いところ。
足早にナースステーションへ向かおうとすると、またすぐ切れてしまう。
“ またか、事務のおっさん間違えすぎだろっ!”
と苛立ちを隠せず、ナースステーションに戻ってみると、他の部署の看護婦さんがいた。
普段から気さくで他部署の私にもよく声をかけてくれるヒトだ。
しかし、夜勤の時間帯は、他部署の看護婦が来ることはあまりない。
なにやら真剣な顔だった。
「 あんた、さっきうちの病棟に電話かけた?」
“ は・・・?
なんですと?”
「 いやいや、かけてないし、さっきこっちも鳴ったところッス。」
「 おかしいねぇ、うちの病棟でもさっき鳴ってね。
すぐ切れるし、間違いと思ってたけどもう4回目で。
気持ち悪くて全部の部署に聞いてみたのよ・・・。」
「 やっぱ間違いですかね?」
普段はへらへらしている看護婦さんの顔はすこし青白くなっており、つぶやくように小声で言った。
「 どこもかけてないみたい・・・・。」
一同絶句。
“ どういうことだ・・・・?”
頭の中でいろいろ考えがめぐる。
「 えーと、それはどういうこ・・・。」
“ プルルルウッルルルウルゥゥゥ・・・、プツッ!”
言い終わるかどうかのタイミングで、それは鳴って、すぐ切れた。
その場の空気が凍るのが肌でわかった。
そのあとは、内線が鳴ることはなかったが、病棟全体がなんともいえない雰囲気だった。
暗闇がいつも以上に長く感じた。
最後の内線は、取ろうと思えば取れたかもしれない。
けれど、取らなくてよかった。
取ってしまうと、誰かの声を聞かなくてはならなくなる。
雑感“恐怖の効能”
よく人は、何か悩みがあるとき、山などに登って、夜、満点の星空を眺め、
「 ああ、なんて宇宙って広いんだろう。
それを思えば、自分の悩みなど、本当にちっぽけなものに過ぎない。」
などとつぶやいて、気を取り直したりする。
私は、以前から、この意味が理解できなかった。
そりゃ、宇宙の営みから比べれば、なんだってちっぽけだろうよ。
だが、そもそも比べるほうが間違ってるし、比べられるようなものではない、と思うのだ。
だって、その時は、宇宙のことなど、どーだってよく、自分の悩みのほうが、重大な問題なのだ。
そんなことで立ち直れるような悩みなら、そもそも、たいした悩みではないのではないか。
私の場合、そーゆーときこそ、「怖い話」なのだ。
何か悩みや、気になることがあるとき、怖いものを聞いたり、見たりしたくなる。
一種の現実逃避なのだろうが、ほんとーーーに怖い話を聞かされている時は、ちっぽけな悩みのことなど、忘れてしまっている。
だって、怖いから。
本当に怖い時って、他のことを考えている余裕など、ないのだ。
そんなわけで、先日も、ちょっと個人的に気になることがあったとき、ネットで、「怖い話」サーフィンをやっていた。
怖い話を集めたサイトもよいが、芸能人が怖い体験を自ら語る、youtubeも、よい。
この、「語る」というのが、効く。
でも、ずっとそのテのものを見続けていると、慣れてきて、あまり怖くなくなる。
というか、ほんとーーーに怖いものには、なかなか当たらない。
よくあるタイプの話を作ってたり、「そんなこと、あるわけないじゃん」的なのがほとんど。
ところが・・。
そんな中、けっこうワタシ的に、怖かったものがあった。
それは、某作家が、夜中に体験したという話で、私の恐怖のツボに、はまったのだ。
芸能人ではなく、作家が、たんたんと、youtubeでしゃべっているのが、まず、よい。
なんかいや~な感じがして(それが良いのだが)、一回しか、それも途中までしか見なかったので、詳細は覚えていない。
確か、タイトルは、「扉の内側」。
夜中、その作家が、仕事部屋で執筆していると、初めは玄関のドアの外で何か音がしていたのが、その後、ドアの中でするようになる。
この、「中に入ってきた感」が良い。
もちろん、彼の他には、誰もいないはずなのだ。
で、仕事場から、見える範囲で、そちらのほうを見ると、玄関のドアの隣の壁に、コートをかけるための、フックがあり、そこにハンガーがかかっている。
そのハンガーが、誰かがコートをかけようとしているかのように、揺れているというのだ。
この、「誰かがコートをかけようとしている」という表現が、ぐっとくる。
ここで、自分に恨みを持った女の霊が・・・などと決して言わないところが、良いのである。
また、仕事場からは、玄関の全体が見えないところが、また良い。
なんというか、非常に、リアル。
常々、思っていたのだが、霊って、人を驚かそうとか、怖がらそうとかって思ってない気がするのだ。
だから、この、単にハンガーを使いたがってるようなそぶりが、良い、というか、怖い。
で、玄関の方に行って、なんなのか確かめようとも思ったが、やめた、と言っているが、これもなんとなく現実味がある。
それに・・・・。
うちも、ちょうど、玄関を入ったところの左の壁に、コートをかけるための、ハンガーがかかっているのだ。
これが、いや~な感じを受けた、一番の原因かもしれない。
また、このyoutubeを見たのが、やはり、真夜中だったので、そのあともっと怖くなりそうで、見るのをやめてしまった。
もしかしたら、全部、見てしまった方が、怖くなかったかもしれない。
なんせ、想像力に長けているから・・。
やはり、肝心なのは、「リアリティ」なのだな。
たいていの怖い話というのは、いま一つ、これが乏しい。
細かいところが矛盾していたりして、今一歩というところで、興ざめしてしまうことが多い。
そういう意味で、この「扉の内側」は、優れている。
そう、確かに、これを見て、ちっぽけな悩みは、どこかへ行ってしまった。
しかし・・。
その後、夜中には、玄関の前を通れない、という悩みが、それにとって代わったのであった。
最近、体調を崩している人が多いようだが、気をつけなければならないのは、店や、電車内の暖房。
私が風邪をひくのは、決まって「冬に暑い思いをした後」である。
東洋医学でも、冬に大汗をかくのは、いけないとされている。
汗をかくと、結局、体温が下がって、免疫力が落ちるのだ。
だから、いつも、気温に応じて、衣服を、脱いだり着たり脱いだり着たり脱いだり着たり脱いだり着たり脱いだり着たりすることをお勧めする。
その、マメさが、大切である。
ちょっと疲れるが。
さて、最近あった怖い出来事といえば、パソコンの不具合。
音楽ソフト「Finale」でいつも譜面を書いているが、何かの動作をすると、「ケホッ・・」などと咳き込むような音が出て、それっきり音が出なくなる、ということが以前からたびたびあった。
このことについて詳しい方がいたら、ぜひ、何故そうなるのかを教えてほしいのだが、私があまりにも酷使しているから、苦しがっているのだろうか。
で、今回、その後に、いきなり英語のエラー画面が出て、なんか、大変なことになってるから、調べろ、みたいなことが書いてある。
少したって、「深刻なエラーから回復しました」と出て、「ウインドウズに報告しろ」と出たので「報告」しようとしたら、「報告書が破損されました!これはとてもまれなことです!」と、またまた怖い画面が。
破損されました・・って、破損させたのは、誰なんだよ?
私の頭の中には、耳のとんがった、怖ーーーーいサタンが、「はっはっは、報告などさせるものか」と言いながら、報告書をビリビリに破いてる図が浮かんでいた。
そのことを夫に言ったら、
「 おまえは想像力に長けているからなああ・・・。」
と、ぼやかれた。
そうなのだ。
想像することは、かなり得意なのだな。
以前にも、食事中に言われた、「あ、食事中だから後で話すね」の一言で、いろいろと気持ちの悪いものを、次から次へと想像してしまい、具合が悪くなって食べられなくなる、ということがあった。
先日も、ある方から「昆布の佃煮」を頂いた。
あまり、そういう塩辛いものは食べないのだが、せっかくだからと口に入れた途端、あるものを思い出し、辟易した。
アゲハの幼虫。
何故かといえば、その佃煮は、サンショウの味だった。
サンショウの香りイコールアゲハの幼虫でしょ?
子供のころ、家の庭にサンショウの木があって、アゲハ蝶がよく卵を生みに来ていた。
で、時期が来ると、ぬめぬめとした美しい芋虫が生まれ、元気に葉を食いつくしていた。
クチナシのいい香りも、私の頭の中では、イコール芋虫(スズメガの幼虫)なのだ。
子供のころは、虫にとても興味があり、スイカの匂いは、飼っていたカブトムシの匂いだし、生のナスは鈴虫である。
今では、それらの虫に触るのも憚れると思うが、匂いの記憶は、強烈に残っているのだ。
そういえば、今の家に越したばかりのことである。
家の近くに川があり、川に沿って遊歩道があり、それに沿って団地がある。
その遊歩道を通ると、ある強い匂いがした。
昔、トイレに入ると、必ずした、芳香剤の匂い。
それが、家に帰るまで、ずうーーーっと匂っている。
このへんの団地の人、みんな同じ芳香剤を使っているんだな、と思っていた。
ところが・・。
ある朝、窓を開けると、その芳香剤の香りが。
こんなとこまで匂ってくるのか、と驚いていると、あることに気付いた。
その香りは、芳香剤ではなく、遊歩道に植えられている、金木犀の香りだったのだ。
さらに、うちの隣の家の庭にも、植えられていたのだ。
悲しいことに、私は、本当の金木犀よりも、トイレの芳香剤としての金木犀の香りに先に出会っていたのだった。
いやはや、世の中、まだまだ知らないことが多い、ということなのだろうか。
ところで、うちの近所に、Xさんという家族が住んでいる。
私は、普段、近所付き合いというものは、一切してないので、周りの家の家族構成など、全くわからない。
で、おそらく、Xさんちのダンナさんであろう人が、毎晩、遅くに帰ってくる。
が、何故か、帰宅すると、ドアをものすごい勢いで叩きながら、
「 開けて!早く、早く開けてよー!!」
と、叫ぶのだ。
とても焦っている感じで、うちまで聞こえてくる。
そのとき、玄関の中に犬がいるらしく、そのドアを叩く音に反応して、すごい勢いで吠える。
ドンドンドンドン、ワンワンワンワン、ドンドンドンドン、ワンワンワンワン・・
しばらくして、中の人がドアを開け、音は静まるのである。
しかし・・まるで何かに追われているような・・何かがすぐ後ろまで来ているかのような、あせり方だ。
一体、なんなのだろう。
というより、一番の謎は、何故、xさんは、カギを持って出かけないのだろう、ということなんだが。
今度、会ったら訊いてみたい。
多分、訊かないだろーけど。
で、話は戻るが、パソコンは、ハードディスクの診断などをしたが、問題はなかった。
たまに咳き込む謎、は、未だわからず。
診断中、「M.D.M」という文字がずっと出ていたが、英語もパソコンの専門知識にも疎い私には、何をしているのか、ちんぷんかんぷんだった。
「 M.D.Mーー?なんだろう、まったく、だめな、もの、の略かなあ?」
などと、つぶやくしかなかった。
肝心なところが、難しい英語で、長々と説明されるので、頭にくる。
あと、パソコン会社の人に、チャットで説明を受けたのだが、診断に「三四時間かかる」と書かれ、「えーーーっ、一日以上かかるのかよーーーっ」と気が遠くなったが、3,4時間の意味だったらしい。
ほんとにもう、私のような、思い込みの激しいヤツもいるのだから、わかりやすくたのむよ。
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