日々の恐怖 10月14日 理系
何年か前、友人二人と夜中ドライブした時の話です。
友人の一人Kはガチガチの理系で、
「 物を見ると言うことは、つまりそこに光を反射するなんらかの物体が存在するわけで、人の目の構造上、特定の人にだけ見える光を反射するというものは存在しないから、霊能力者にしか見えないなら幽霊はいない。
いるとするなら万人に見えるか、万人に見えないはずだ。」
という持論を持っていて、それを俺ともう一人の友人Mが(二人とも文系で理科には詳しくない)、感心しながら聞いていた。
その後、それならばと言うことで、M所有のポラロイドカメラをMの下宿に取りに行き、心霊スポットと言われる廃墟に突撃した。
「 Kの理論なら、目に見えない限り心霊写真なんか撮れないだろ。」
と言うことで、中で写真を撮ってみることになった。
廃墟というのが廃業した病院らしくて、いかにもヤバイ空気だったんだが、さっきの話で勇気100倍な俺たちはポラロイドカメラで写真を撮った。
ただ、幽霊なんか撮れないと言っていても、怖いものは怖い。
万が一心霊写真が撮れたとき、写っていたくなかった俺がカメラマンで、被写体はKとM。
「 これで撮れたら、Kの面目丸潰れだな。」
と笑いつつ写真を撮り、所有者のMにカメラを返した。
そして、現像が終わって出て来た写真を見て固まるM、覗きこんで怪訝な顔をするK。
俺も写真を見て思わずのけぞった。
二人の周りに無数の白い浮遊物と、二人の間に一組の目のような物、全体にかかる白いもや。
そのとき、確かに埃は舞っていなかった。
背筋が凍った俺たちは、あろうことか一番近くの神社に深夜であるにも係わらず駆け込んで、事情を話して無理矢理一晩泊めてもらった。
翌日、神社に昨夜の非礼を詫びたら、“参ったなァ・・・。”と言う顔をしつつも、有難いことにお祓いをしてもらって、お守りも頂いた。
神主さんが言うには、認知症などで前後不覚になって死んだ人は、自分が死んだことに気付かず、生きている人間とコミュニケーションを取りたがるらしい。
目はあの病院で亡くなった老人で、打ち棄てられて久しいあの場所に、俺たちが潜り込んだから現れたのだそうだ。
白いもやに関しては失念してしまった。
突撃したことについて少々の説教の後、写真は供養すると仰られたので、カメラごと預けて帰ってきた。
その後は特に変化もなく、いわゆる霊障もない。
ただKの持論が、
「 幽霊は万人に見えるか見えないかの0か1かしかない。
しかし、カメラ等の機械は捉えられる光の波長の範囲が人間と違うから、テレビのリモコンの赤外線がデジカメに映りこむように、もしかしたら人間に見えないものも、写真には映りこむかもしれない。」
というものに変化した。
今回のことで幽霊を完全に肯定するわけではないが、いるならば、いつか必ず構成物質を突き止めてやるとKは息まいていた。
童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ