河嶋桃が事前協議で示した作戦は、そのまま実施されました。西住みほも「こそこそ作戦」と名付けただけで、作戦自体は変更も加えていませんから、初戦での初の対峙にはこの形しかない、と受け止めていたのかもしれません。実際、他に選択肢が無かったのでしょう。
上掲のワンシーンを見ると、谷間の一本道をやってくる相手に対して高位置から射撃をしかける構えになっています。相手は基本的に縦列なので、5輌全部が効果的な射撃を成し得るとは限りませんが、大洗女子学園側はオトリ役のⅣ号戦車以外の4輌が横一列に並んで射撃を一斉に展開出来ますので、腕さえ良ければ、射線集中、順に撃破、というのもあり得ます。
それは海戦に例えれば、日本海にて東郷平八郎が企図した丁字戦法の理想形に通じるものでした。実際にはバルチック艦隊が針路を変更したために丁字の状況にはならず、変則的な並行戦に移りましたが、しかし帝国海軍の練度の高さが下瀬火薬の威力に支えられて敵艦隊を圧倒しました。
しかし、大洗女子学園側は初心者の寄せ集めでしたから、いくら有利な位置から撃っても命中弾は皆無でした。それ以前に相手が来るまでのんびりと遊んでいましたから、気構えからして落第同然であったと思います。
こうなると、相手は平然と進撃してきますから、命中弾を得られない以上は有利な陣形も無意味となります。上図の地形においては、高所へ左右から登れますから、相手が両翼に展開すれば、高所に陣取る大洗女子学園側は挟撃されてしまいます。
ここで帝国海軍第二水雷戦隊ならば、司令官田中頼三の「全軍突撃セヨ」の令一下、攻勢に転じ、最も近い敵陣に全艦隊で一撃必殺の魚雷戦を敢行し、敵主力4隻を撃沈破するわけですが、大洗女子学園側は挟撃されるだけでパニック状態に陥りました。
一番動揺したウサギさんチームの一年生連中に至っては、砲撃音や着弾音にビビってしまい、まだ無傷であった搭乗車輌M3中戦車リーを放り出して逃散、という失態をやらかしました。乗員が全て逃げ出してしまった動かなくなったM3中戦車リーが、格好の標的となって撃破されたのは言うまでもありませんでした。
同じ頃にカメさんチームの38t戦車も履帯が外れて行動力を失い、窪地に擱座しました。この時はこれも撃破されたと思いましたから、大洗女子学園側は2輌を戦列外に失った、と考えていたのです。
この時点で残った3輌は、割合に冷静に行動していたほうだと思います。特にカバさんチームは車長がカエサルであるものの、対戦においてはロンメルをリスペクトしているエルヴィンが指揮をとっている感じでしたから、そのロンメルばりの冷静沈着さが実に心強く思えたものです。搭乗車のⅢ号突撃砲が、当時の大洗女子学園側においては最も打撃力がありましたから、これがやられない限り、まだ希望はあるぞ、と感じたのでした。
かくして大洗女子学園側の最初の作戦は瓦解しましたが、これが隊長西住みほにとっては突破口となりました。次の作戦行動を自身の判断で行える状況になったわけですから、その表情が引き締まって頼もしさも感じられたのは当然でした。
「もっとこそこそ作戦です」と宣言して残存3輌を率いて離脱に移ったその姿に、いよいよ戦車道家元の娘の本領が発揮されるのか、と感じたのは言うまでもありませんでした。
舞台が上図のように街区に転じる場面で、ああ市街戦に持ち込むのか、各所に隠れてのゲリラ的戦法に移行するわけだ、と悟りました。
確かに「もっとこそこそ作戦です」だな、と納得しましたが、問題は腕だ、射撃の腕だぞ、命中弾を得られないとどうにもならないんだぞ、とハラハラして観ていたのを覚えています。
史実の戦闘でもそうですが、幾ら強い武器を擁していたとしても、相手に当たらなければ意味がありません。帝国海軍水雷戦隊の魚雷戦があれだけの戦果を挙げて連合軍の恐怖の的となったのも、ひとえに命中率の高さによるものでした。訓練では1割以下と罵倒されていても、実戦では3割以上を記録したケースが幾多もありました。
この命中率を維持出来れば、日本駆逐艦一隻の水雷戦一斉射で8本ないし9本が放たれますから、最低2本は当ります。破壊力も最大級の酸素魚雷でしたから、1本でも命中すれば敵艦の行動力は著しく低下します。最悪の場合は沈没、です。
ですが、当時の大洗女子学園側で射撃の腕が一番良かったのはアヒルさんチームであったと思います。確か、ダージリンの搭乗車チャーチルに一発は命中していたと記憶しています。ですが、砲弾の非力さのうえに相手の装甲に跳ね返されていたと思います。
それを観ていて、命中率が高くても着弾時の打撃力が無いとどうにもならん、と思いました。3輌のうちで最も火力が低い八九式中戦車が一番命中率が高そうなのは皮肉か、と感じてしまい、苦笑せざるを得ませんでした。
そのうちに、街区に入ったⅣ号戦車以下の3輌の移動場面を観ていて、あれ?と思いました。上図の背景の展望塔に見覚えがあったからです。それまでは大洗女子学園という名称もアニメ上の単なる設定だと捉えていたのでしたが、この景色に接した瞬間に、茨城県の大洗町という実在の場所の記憶と初めてリンクしたのでした。
ええっ、大洗ってあの大洗なのか、と驚きました。京都の芸大で仲の良かった友人が水戸の人で、2000年と2002年に二度ほど遊びに行き、大洗へも案内された事があったからでした。
ですが、アニメでの景色がちょっと記憶と異なっていました。マリンタワーはそのままでしたが、その隣のアウトレット施設の建物は無かったように思ったのでした。確か港湾地域は何か工事中であったと思い出したのでしたが、それが完成してこういう施設群になっているのかな、と考えたことでした。
後日、調べてみて、大洗のリゾートアウトレットの開業が2006年であったことを知りました。 (続く)
あの時点でとりあえず車長ですから自車のスペックとか長短所などはマニュアルで勉強していたのではょう。
結果的には廃校回避のために戦車道試合優勝を目指したわけですから、西住みほが転校してきたのを奇跡と捉え、何がなんでも戦車道を選択させているわけですね。
だから、西住みほにチームを率いてもらって優勝を狙う、というのが青写真だったでしょう。
いずれにしても、生徒会長としてはものすごく優秀な人材ですね。政治家向きかも。
あのセリフを聞いて、僕は西住みほ以外で角谷会長だけは戦車道をある程度熟知していたのかなと、思いました。
ですから西住みほを戦車道へ誘うことで、そもそもどのような青写真を持っていたのか?という点にとても興味があります。