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【拳骨日記】カイロプラクティック・コンディショニング・ルーム・Kの日々の臨床現場を通して医療のあり方を診療日記にしました

No 458 人体は究極のセンサーだ

2006-12-05 | カイロプラクティック
確か土曜日の晩に放映さえた、テレビ朝日の番組で「人体は究極のセンサーだ~目覚めよ、あなたの超感覚~」見た方も多いと思う。視覚、触覚、味覚、臭覚、共感覚などの五感に卓越した人たちの特集である。

生まれつき目の見えない人が、蝙蝠の超音波のように舌を使って音を発信し、その跳ね返ってくる音の変化を察知して、形、大きさ、距離を瞬時に判断し自転車やボールをけったりと普通の人と同じような運動ができる。

2キロ先のキリンを見分けるアフリカのマサイ族の人たちは、推定視力7.0と言われている。狩猟民族のなくてはならない視力である。動物に気がつかれづに先に見つけることが生き延びる術である。長い生活の中で磨かれた能力である。

その他、味覚にすぐれたシェフや、臭いにすぐれた調香師など、感覚にすぐれた人々の驚きの映像が写っていた。この映像を見た人たちは一様に驚くはずであり、凡人にはまねのできないことと思ったに違いない。

この感覚にすぐれた人たちの共通したことがある。それは、全て持って生まれたものではないと言うことである。生きていく上で必要に迫られて後天的に培ったものである。

科学が優先される文明社会で生活していると、このような人たちは特別な能力がある一部の人たちの特権化のごとく思えるが、本来、動物が備えている感覚である。人間も本来もっている感覚である。

科学文明が進み、何でもかんでも科学(数値)で証明できないものは否定され淘汰されてしまう。いつの間にかそれが常識と認める社会が成立してしまった。当然、文明社会では、感覚に頼ることより数値で証明された考え方が正当化され、経験や感覚は否定的な見方をされている。

特に、医療の世界は、医科学優先で機械的(数値)にみることが価値ある治療と位置づけて世界的に圧巻している。もちろん科学の恩恵を受けているわけだが、必ずしも恩恵だけではない。

科学で証明できないことのほうが多いのだから、科学で証明されない多くのことは否定されてしまう。科学で証明されない先人の「知恵文化」がいつの間にか淘汰してしまったことも多い。

物造り日本の「職人技」は科学を超越した「経験と感覚」がすぐれていた伝統文化であるが、最近はそういう「経験と感覚」は時代遅れのごとく若者から目をむけっらえなくなってしまった。これも西洋文化の影響か?

職人技的な「経験と感覚」も、師匠に出仕入れし技を盗んで磨いた「後天的感覚」である。我々の代替医療も科学あり、哲学あり、芸術あり・・である。科学も必要であるが「感覚」も当然必要な部分であり、ときには「経験と感覚」が最優先することがある。

拳骨