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【拳骨日記】カイロプラクティック・コンディショニング・ルーム・Kの日々の臨床現場を通して医療のあり方を診療日記にしました

No 1051身体との会話17

2010-03-31 | AMCT治療
前回の続きで反応が上手く引き出せない、あるいは判断が付き難いときの進め方について基本的なことを繰り返す。セミナーも近づいてきているのでセミナーで説明することだが、意外とセミナーではまじめに話を聴いていない方がいる。

テキストにも記載されているのだがそれも読んでいない?・・・論外である。と言いたいが一から十まで全部集中して聞いている方はいないのでここで復習をかねて説明する。

この基本的な反応の見方は教科書どおりの基本である。よって、臨床において全て当てはまるとは限らない。今年度からセミナーのカリキュラムの内容が少し変化して、初級クラスは「ベーシック」は言わずと知れた内容でAM臨床を目指す方は必須である。

その次に位置づけされたのが、今年度から始まった「インターミディエイト」(詳細はこちら)である。上級クラスに位置づけされている。ここではベーシックを基礎とした臨床応用で効果的な内容となっている。特に脊柱の関節機能障害の臨床編といったところである。

先ずは基本の基本。ベーシックでも同じことを説明していると思う。P#1で変化がなったり、判断がつかないような僅かな変化のときは、P#2に持っていき検査を行う。#1より#2の検査は感度が高い。

初心者の陥りやすいところはここである。#1で左右の差を何とか見つけようとして、判断がつくにくくなっても、何とかして#1で見ることに必死になってしまう。そうすると迷ってしまう。迷ったら見えなくなりアウトである。

そんなときは、#1での判断はさておき、#2に挙げてみることである。#2にあげることで#1で見えなかた脚長差が見える。これは基本の基本である。このて手順で進めて慣れることによって僅かな反応も見えるようになる。ここまではベーシックである。

ベーシック受講の先生で詳細や臨床的なことで困っている方は担当のインストラクターに遠慮なく聞いてください。

拳骨

No 1050身体との会話16

2010-03-25 | AMCT治療
神経筋反射の反応が見えなくなったら初心に帰ることが大切である。それでも反応を読めなくなったら、いかにして反応を上手く引き出すか臨床の工夫があっていいと思う。

基本的なことであるが、セミナーでは基本を中心に臨床のコツと言うものをサラリと教えている。テキストやDVDの動画は、星の名前を覚えるような学問である。

臨床は、ギターの音色を聴くようなものである。音色は頭で覚えるものではなく、五感で感じるものである。臨床のコツも五感で感じるものである。セミナーでは基本的には、アイソレイションテストやプレッシャーテスト、ストレステストで反応が評価できないときのことを教えている。

例えば、L5のアイソレイションテストをして、反応があるようでないような場合や、反応するのだが大きな反応ではない。このような時にL5は矯正するのか? 迷うはずである。

このようなときには、先に進みL4の検査を行う。L4の反応がL5より大きな反応がでたら、迷わずL4の矯正を行うことである。L4の矯正法がうまくいくとL5の反応が取れていることがある。これは、L5の反応があったように見えるがL4の神経関節機能障害のファシリテーションが影響している考えていいと思う。

このように分節レベルで迷ったら先のレベルで検査、評価して見ることである。その結果L5の反応が取れる。このように四肢でも同じである。更に、症状との兼ね合いも考える必要がある。

ベーシック、アドバンス後に更に症状が思うように改善しないときに、既にアイソレイションテストに反応せず、ストレステスト、プレッシャーテストにも反応がでず困ることがある。

AMの基本である「いつ矯正法するのか、どこを矯正するのか、いつ矯正法しないのか」というテーマがある。この矯正のタイミングや部位を決定するのは、神経筋反射があるかないか、神経関節機能障害がどこにあるかを適切に判断して評価することが全てである。

この反応がないということは矯正はできない。反応が表れない理由は? 一つは、全ての神経関節機能障害が矯正によって改善したということ。もう一つは、正しい検査、評価ができていないことである。どちらかである。多くの方は検査、評価ができていないと自己評価したほうが技術の向上になる。

拳骨



No 1049身体との会話15

2010-03-17 | カイロプラクティック
しばらくAMの話が遠ざかっていたので戻す。

AMを臨床的に学んでいくと必ず躓く時期がでてくる。壁といってもいいのかもしれない。まっ、壁は自分でつくるものだが。要は、壁は自己の中の問題である。

技術的には向き不向きの限界がある。ある意味先天的な才能であり限界があるということである。机上の学問は学ぶほど利益なるが、臨床は、学ぶものといより感じるものである。

この感じることは感性であり、先天的なものがあるかもしれない。ある程度のところまで来ると、その先が詰まることがある。ここが限界なのか、壁なのか迷うところである。

限界と感じてしまうと終わってしまう。壁と持って打開策を模索する。目の前が煌々と開けることがある。一段と進歩する。この繰り返しで進歩がある。

ある一定の力が付いてくると、慢心するわけでもないだろうが壁みたいなものが、臨床を妨げることがある。例えば、神経筋反射の見逃しや、症状の改善の見逃しでる。

治療後、テーブル上で神経関節機能障害や症状の改善の確認をして、どこにも反応が見られずOKと思う。

今度はテーブルから降りて、症状の再確認をする。そうすると痛みが再現する。復臥位では痛みはないのに、立位では痛みがでてしまう。こんな経験はあると思う。

さて、どこかで見落としがあるのかなと再度テーブルへ・・・再検査をする。見つかることがあるがほとんどクリアしている。Track3など新たに加えてみるがどこにも問題が見つからない。

さて、皆さんならどうしますか?・・・・


拳骨

No 1048身体との会話14

2010-03-09 | カイロプラクティック
先日の研究会では経絡を使った治療法を紹介した。経絡を使ったり、利用したりする治療法は鍼灸以外にもカイロプラクティック?のテクニックで使われている。

使われているといっても、美味しいどころ取りで、使いやすく応用している。東洋医学の鍼灸の先生方から見ると、???と思うかもしれないが、臨床的効果としてはいいのではないか。

また、神経筋反射を利用すると、難しい鍼灸の概念が必ずしも必要になってくるものではなく神経筋反射を信じることによって臨床効果はたかまる。要は、診断が正しいかということに尽きる。

診断が正しければ、治療は何をしても効果がでるはずである。そこで問題は、臨床は決まりがないものである。生命体は流動的で生き物であるがため常に変化をしている。

その変化に対応した検査が重要である。構造だけを機械的に見ると、この生き物である生命体を見ることができない。外的環境、内的環境に大きく左右されるのが生き物である。

機械はそれがない。ただし、機械という構造を構成している物質は生き物である。特に外的環境に生かされているといっていい。外からの科学刺激や環境刺激に反応する。まさに生き物であるが、内的要因に左右されることはない。個々に大きな違いがある。

ある意味では、機械的なものの見方はさほど難しくない。ここに内的要因が加わった場合はややっこしくなる。この内的要因をしっかり、見極められるかが生命体を見る上で重要な部分である。

この内的要因を正しく検査ができれば、生命体としての治療ができる。内的要因を見ていく上で、最初の入り口として経絡を見るのもいいと思う。そのために鍼灸を最初から学ぶのも手かもしれないが、それには時間がかかる。

時間をかけずに経絡治療を行うには、臨床的な工夫があればさほど難しくない。まして、今の鍼灸学校や柔道整復師の学校は、臨床的なことは何一つ学べないシステムである。国家資格の合格率をあげるだけの教育しか行っていない。

国家資格を取得しても、必ずしも臨床に役立つかというとそうでもないはずだ。多くの先生方はそれを経験している。理屈は学ぶもの。臨床は体験して感じるものでである。臨床で数多く体験して感じれば、いい臨床家になれる。

拳骨



No 10457身体との会話13

2010-03-01 | カイロプラクティック

このブログを見ている臨床家の先生がたの中には、日頃の臨床で構造治療を行う矛盾を感じていながら治療を行っている先生方がいると思う。

実際の治療は、治そうと思って(目的)治る(結果)のが理想的な治療である。診断、治療計画、治療、結果。しかし、実際の治療には思っても見ないような結果が出ることがある。矛盾が生じるはずである。

えっ!! どうしてよくなったの? 誰しも経験しているはずである。こんなときは理屈で解明することはできないものである。構造治療の枠を越えて患者さんの身体で何かが(有機的な)おきている。ホメオスタシスである。まさに有機的な現象といえる。

手技療法のすばらしいところは「手当て」である。手当てなどと書くと「AMは器具を使うだろう」と指摘されそうだが、ここでの手当ては「有機的」問い意味である。器具を使っても無機質なものとは違う。

AMIを使っても、正しく使えば患者さんもAMIを通して「手当て」を感じる。逆に、手のひらを当てても「手当て」を感じることができない。「気のない手当て」をしている臨床家の方もいると思う。器具を使うとか、使わないとかの問題ではない。

先日のANJ臨床研究会では、有機論的な生命治療への導きとして、機械論的な見方から順を追って、有機的生命治療までの入り口まで案内した。実際にさんかされた先生方は、筋骨格系の障害でも必ずしも機械的な診断、治療では直らないことがわかったと思う。

また、参加された先生方は、日頃の臨床上の矛盾が少し解決でできるきっかけになったと思う。先日の研究会に参加された先生から感想を頂いたので紹介する。感想を寄せて頂いた先生に共感を得る方もいるだろう。

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「自分は、実際の臨床の場において未だに機械論的な考えが抜けきれず、そのせいか考えが偏ってしまうことが度々ありました。
AMのセミナーやPCRTに出席する度にそのことを反省し、ちょっとずつ考え方も変わってきているなと思った矢先のこのセミナーだったのですが、今までのどのセミナーよりも、有機論的治療のすばらしさを実感できたセミナーでした。

特に、目の前で見た○○先生の股関節の治療は、衝撃でした。

しかしながらこの素晴らしい治療も、受け入れる私の器が小さいせいか、全部を覚えて帰って使うことは難しいようです・・・。

でも、たくさんのやる気をいただきました!


下肢長で先生に癖を注意していただきましたが、これまで以上に基本であるベーシックに磨きをかけて、また今回教わったテクニックや経絡を応用した治療など、出来ることをひとつずつがんばりたいと思います。

また次回も参加しますので宜しくお願いいたします!」

○○○

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技術の習得ではじめは「見習い」「手習い」が必須でる。理屈は二の次である。ただ、初心者が勘違いをするのは、技術を盗むのではなく、真似事で終わってしまうことである。

真似事は形は様になっているが中身がともなわない。極めた先生の治療を見て同じことをしてもだめである。「あの先生がこうだから、同じでこうでいい」このような考えの先生がみうけられる。

基本あっての枝葉である。枝葉の部分しか盗めないのは、盗む力がないのである。へ打破の根底には基本がある。この基本を熟練された先生方は枝葉を強調しているのではない。感想を寄せていただいた先生は、そこに気づいたと思う。気づくことによって一段と成長し、すばらしい臨床かになるはずである。感想有難うございました。

拳骨