平和とくらし  #茨木市議会議員 #山下けいきの日々是好日

平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

それでもお前は日本人か

2019年10月15日 |  #憲法 #平和 #民主 #人権 #茨木市議会議員
 朝から義兄の四十九日法要で鶴橋へ。終わった後の打ち上げで終日になりました。

















【今日の情報紹介】

「あんた日本人?」鳴りやまぬ電話・泣く職員…電凸ルポ

愛知県の検証委員会がまとめた中間報告には「電凸」による被害が記述されている=2019年10月11日午後7時53分、岩尾真宏撮影

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」は14日に閉幕した。芸術祭の企画展「表現の不自由展・その後」の展示内容をめぐって「電凸(とつ)」と呼ばれる電話による攻撃が愛知県などにあり、不自由展はいったん中止された。その時、現場で何が起きていたのか。

「何人もの職員が泣きながら電話をとっていた。あんな光景は初めて見た」

 電凸に直面した愛知県庁の男性職員が語る。

受話器をとったとたん罵声
 職場にあるすべての電話が鳴りやまない。受話器をとったとたんに罵声を浴びせられる。切ることもできず、3時間以上も応対した電話もあった。

 7月31日、抗議の電話がかかり始めた。この日、慰安婦を表現した少女像が不自由展で展示されると報じられた。韓国の新聞社もインターネットで報じたこともあり、中高年と思われる男性を中心に「韓国を喜ばせてどうする」「あんたは日本人か」と責められた。それでも、「何とかしのげる」と考えていた。

 翌日、事態はエスカレートした。

■「陛下を侮辱するとは何…

・・・・続く・・・・・

 「それでもお前は日本人か」に抗して。

「夕陽妄語」から 「それでもお前は日本人か」加藤周一さんです。

それでもお前は日本人か」加藤周一

 加藤周一『夕陽妄語』で紹介されているエピソード。加藤は戦時中の日本を振り返って次のように言う。

  昔一九三〇年代の末から四五年まで、日本国では人を罵るのに、「それでもお前は日本人か」と言うことが流行っていた。「それでも」の「それ」は、相手の言葉や行動で、罵る側では「それ」を「日本人」の規格に合わないとみなしたのである。その規格は軍国日本の政府が作ったもので、戦争を行うのに好都合にできていた。

 日本人集団への帰属意識を中心として、団結を強調し(「一億一心」)、個人の良心の自由を認めず(「滅私奉公」)、神である天皇を崇拝する(「宮城遥拝」)。そういう規格日本人の集団に属さない外国人または外国かぶれの日本人はすべて潜在的な敵であった(「名誉ある孤立」)。国際紛争は、武力による威嚇又は武力の行使によって解決する(「撃ちてし止まん」)。多くの日本人はそういう規格に合わせて生きていたのである。(強調引用者・以下同)

  一読して感じるように、ほとんど現代日本の動向と重なる。加藤は、このような当時の風潮に反抗した人物として後のフランス文学者・白井健三郎(1917-1998)の若き日の姿を挙げる。詩人・宗左近(1919-2006)の自伝によれば、召集令状を受けた宗の歓送会の席上で、白井と、当時同じく学生だった橋川文三(1922-1983)らとの間で「まず人間だ」「まず日本人だ」という主張の対立があったという。

「まず人間とは何だい。ぼくたち、まず日本人じゃあないか」
「違うねえ、どこの国民でも、まず人間だよ」
「何て非国民! まず日本人だぞ」
「馬鹿なことをいうなよ。何よりもさきに、人間なんだよ」
 というところで、橋川とその友人の二人が殺気だち、「そんな非国民、たたききってやる」と叫ぶ。

 「まず日本人」を主張した橋川の言動は少し意外に思ったが、彼は学生時代に日本浪漫派に傾倒していたという理由もあったかもしれない*1。
  興味深いのはこの問答に対する加藤の分析である。

 この問答は、四五年以前の日本国において、実に典型的であった。「それでも日本人か」は修辞的質問にすぎず、実は「それならば日本人ではない」というのと同義である。すなわち「非国民」。相手を「非国民」と称(よ)ぶのはほとんど常に、「まず日本人」主義者であり、「まず人間」主義者ではなかった。

 また論争から暴力による威嚇または暴力の行使へ飛躍することが早いのも、前者の特徴で、後者の特徴ではなかった。四五年八月以前に、国民の圧倒的な多数が前者に、ほとんど例外的な少数が後者であったことはいうまでもない。その晩の白井健三郎は、一人で二人に対していたのではなく、ただひとり社会の圧倒的多数意思に対抗していたのである。しかも多数意見は官製であった。「まず日本人」説を作り、鼓吹し、教育して、多数意見としたのは、国家権力である。

 それが圧倒的な多数意見となった状況――それこそ四五年三月の状況にほかならない――の下で、「まず日本人」説を主張するのは、多かれ少なかれ大勢順応主義であり、当人が自覚しようとしまいと、権力順応主義でもあった。そこに同調せず自説を曲げなかった白井の精神の自由を私は尊敬する。

  この分析は、「君が代」強制などに見られる、日本至上主義に対する私の嫌悪感がどこからくるものなのか、理由を説明してくれた。

  私は「日本」「日本人」という価値を、否応なく他者に押し付ける人々の姿勢に反感を覚える。そのような人々は、権力を笠に着た権威主義者であり、ただ他者を自分の意志に従わせる手段として「日本」「日本人」という名目を使っている。

 自分の信奉する価値観が本当に正しいと思うなら、それを提示して説得を試みるべきであり、受け入れるかどうかの最終的な判断は相手に任せなければならない。対して、反対者を「非国民」(今なら「反日」か)と呼ぶのが悪辣なのは、単にそれが自分の意見を受け入れない相手への攻撃であるからではない。「非国民」という言葉を罵倒語として使う人間は、それが罵倒語として流通する状況に便乗し、相手への攻撃的価値を十分持つと自覚して用いる。

 そして、その状況は自分で作り出したものではなく、加藤の言葉を使えば「官製」である。権力によって作られた「非国民」=悪という図式に乗っかり、自分が権力の後ろ盾を得ていることに自信を持って(強者への同一化)、弱者を攻撃する。

 加藤は、そのような「大勢順応主義者」(権威主義者)に当てはまらない人々の系譜として道元・富永仲基・内村鑑三を挙げる。そして最後に、敗戦によって本当に日本人は変わったのかと問いかける。

 「まず日本人」主義者と「まず人間」主義者との多数・少数関係は、四五年八月を境として逆転した――ように見える。しかし本当に逆転したのだろうか。もしそのとき日本人が変ったのだとすれば、「それでもお前は日本人か」という科白をこの国で聞くことはないだろう。もしその変身が単なる見せかけにすぎなかったとすれば、あの懐かしい昔の歌が再び聞こえてくるのも時間の問題だろう。

 あの懐かしい歌――「それでもお前は日本人か」をくり返しながら、軍国日本は多数の外国人を殺し、多数の日本人を犠牲にし、国中を焦土として、崩壊した。その反省から成立したのが日本国憲法である。その憲法は人権を尊重する。人権は「まず人間」に備るので、「まず日本人」に備るのではない。国民の多数が「それでも日本人か」と言う代りに「それでも人間か」と言い出すであろうときに、はじめて、憲法は活かされ、人権は尊重され、この国は平和と民主主義への確かな道を見出すだろう。

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