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戦争ボケよりは平和ボケがまだいい / 【情報紹介】 幻の特攻隊 人間機雷「伏龍」/『はだしのゲン』

2013年08月19日 |  #憲法 #平和 #民主 #人権 #茨木市議会議員
 「自らの生命を顧みず祖国と家族を守るために」と美化されがちな特攻隊ですが、そんな一面だけでないのは当然のこと。出撃する特攻隊員に、「決しておまえたちだけを死なせない。最後の一機で必ず私はおまえたちの後を追う」と語った上官が生き残る。そもそも負ける戦争を始め、敗北がはっきりしている戦局にもかかわらず、ずるずると戦争を引きずり多くの生命を失わせ、生きて帰れない特攻作戦まで実行した責任、それを問うことなくひたすら戦争で亡くなった方への感謝だけが述べられるのであれば、戦争被害者はたまりません。ましてや侵略された側は・・・。

 以下はウィキペディアキからの一部引用ですが、あの戦争の残酷さと将校の狡さを物語っています。

振武寮

 振武隊(西日本にあった陸軍航空部隊第6航空軍指揮下の特別攻撃隊の名称)の特攻隊員として出撃したが、何らかの要因により攻撃に至らずに基地に帰還した特攻隊員が収容された施設である。要因とは様々あり、悪天候・エンジントラブル・機器トラブル・敵機の攻撃のような外的要因から、内的要因まであった。

 特攻隊員は一方向・一回限りの攻撃であり(実際は敵戦闘機に遭遇したら引き返すよう指示)、その原則を崩すと隊員の士気に関わると考えた特攻隊の指揮官は、これらの帰還特攻隊員を他の特攻隊員から隔離するべしと命令を下したとされる。また死して軍神となったのに実は生きていたとなると大本営発表の虚偽が露見するところとなるため、一般軍人や一般市民からも隔離されたといわれ、振武寮に送致された帰還特攻隊員が、自分より先に特攻で出撃し戦死したとされていた同僚と再会することもあったという。

 帰還特攻隊員は帰還の直後に福岡の司令部に出頭命令が下り、即座に振武寮にて事実上の軟禁状態に置かれることになる。振武寮の日々は反省文の提出、軍人勅諭の書き写し、写経など精神再教育的なものが延々と続けられた。死して軍神となるはずの特攻隊員が生きて戻ってきたことは激しく非難され、「人間の屑」「卑怯者」「国賊」と罵られたという。振武寮の目的は帰還隊員にもう一度死を覚悟させて特攻に赴かせるものであったともいわれ、隊員のなかには精神的に追い詰められ、自殺を図る者もいたといわれる。

 菅原道大は、振武寮で生き残った特攻隊員を容赦なく『国賊』『卑怯者』と罵倒し棒で暴行し、隊員に死を覚悟させるようにさせた。中には精神的苦痛で自殺に追い込まれる者もいた。

 菅原は出撃する特攻隊員に、「決しておまえたちだけを死なせない。最後の一機で必ず私はおまえたちの後を追う」と語った。終戦を受けて、自分も出撃すると言って特攻を送り出していた菅原道大は部下鈴木京大佐から「一機用意しました。お供します」と言われたが、「死ぬばかりが責任を果たすことにはならない。それより後始末をする方がいい」と言って帰還した。

 中国や韓国との領土問題になると熱を帯びる人たちがいますが、その割には自国全域に米軍基地が存在し、米軍機が好き放題飛び回っている属国状態には一言もありません。また福島や関東で膨大な放射能汚染はお構いなしです。これではいくら国民の生命財産を口にしても何の説得力もありません。私は他国は侵略するもののといった戦争ボケよりは平和ボケずっとましだと思っています。

【情報紹介】

『はだしのゲン』に対する批判への反論(2)日本軍の残虐行為について

 敗戦前の常軌を逸した特攻作戦

幻の特攻隊 人間機雷「伏龍」

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