農僕日記 JAPAN

農薬を使わない農業を紀州和歌山でゼロからスタート。
農業は僕たちの平和活動♪ライフワークいざゆかん(^g^)(^y^)

必死

2008-11-17 | 旅僕日記一~四
176日目

必死→必ず死ぬこと
1945年8月に終わりをむかえた、太平洋戦争。
その末期、資源の乏しい日本は、※特攻作戦にでた
※特攻(とっこう)…「特別攻撃隊」の略
旧日本,陸海軍が、特別に編制した部隊で、
どんな特別攻撃かというと、
1人のりの小さい潜水艇や、モーターボート
小さな飛行機に、爆弾をつけて,自分丸ごと
猛スピードで敵艦に、体当たりする攻撃
特攻=必死を前提とした作戦であった。
ちょっと,想像してみてくださいヨ。。。。)
そして、それぞれ特攻隊として、出撃したのは、
17歳頃から、20代~30代前半の、
エネルギーに満ちあふれる若いBOYたちだった
(想像してみてくださいヨ。。したい事まだまだあるぜ!)
今の日本では、ウソのような話やけども、
自分の,もしくは近所の80歳以上のおじいちゃんは、
特攻部隊にいた人かもしれない。。。
ぐらい最近の、そして真実の話
終戦までに、この命と引き換えの肉弾攻撃(特攻)で、
戦死された方は、推定5852名だそうです
(国が認めていない、わからないなどもあるため)

「今の自由や平和は、空気や水のようにタダではなかった。
たくさんの犠牲のもとに、今があることを忘れず、
日本を思い、親を思い、若くして散っていった命…。。
…自分たちにできる事は、
精一杯、生をまっとうし,いきることではないでしょうか...」
と、知覧会館↓の、方がおっしゃってました。
VISIT
●知覧(ちらん)特効平和会館…
知覧町,この町にあった基地から、
出撃した航空特攻隊1036人の若者達。
彼らの真情(遺書、遺品、記録)を後世に正しく伝え,
世界恒久の平和に寄与された会館
彼らの一人一人の顔写真、僕とかわらない
●知覧(ちらん)…
薩摩藩の武家屋敷。伝建地区に指定される
平和会館すぐ近くに残る。行く時は、是非セットで!