農僕日記 JAPAN

農薬を使わない農業を紀州和歌山でゼロからスタート。
農業は僕たちの平和活動♪ライフワークいざゆかん(^g^)(^y^)

西南戦争

2008-11-15 | 旅僕日記一~四
174日目→大

この写真は、岩倉使節団(いわくらしせつだん)といって、
時代は江戸が終わり、明治なった後の,,
1871年12月~1873年9月まで、
アメリカ、ヨーロッパ諸国の近代化を学ぶために
派遣された、総勢107名で構成された使節団なノヨ
その代表らが,この写真の人たち。
左から順に、
※1木戸孝允(=桂小五郎)←長州出身。
※2小林元(こばやしげん)←まゆげごつくて,鼻でかい、和歌山人。
岩倉具視(いわくらともみ)←この時の1番の代表。
伊藤博文←のちの、初代総理大臣。
大久保利通←西郷さんと同志&親友。
その↑人たちが、外国に行った時に、近代の国々の、
発展ぶりに、度肝を貫かれました!!
その間の、明治,日本は西郷さんを中心に、任されていました。
(西郷さんは、日本にいた。。。)その事が結局
外国から帰ってきて視野の広くなった、大久保さんらと、
日本から出なかった、西郷さんらとの間に溝ができることに…
最終的に、意見は分かれ
西郷さんは,明治政府をおり、鹿児島に帰ってきます
一方
明治政府は、近代国家のため、どんどん新しい政策をとります。
それは当時の士族(もと武士)の人達には、酷なものが多くあり、
士族達の政府に対する反乱が、
日本各地で起こるのでした
2008年現在、日本最後の,そして最大の反乱が、
1877年~、九州全域に約8ヶ月間続いた、
西南戦争(せいなん)である
この西南戦争で、指揮官だったのが政府をおりていた西郷さん。
でも、ホントのところ,反乱は西郷さんの本意でなかったが、
はじまった反乱の収拾がつかず、、、腹きめたようです。
結局、西郷軍は政府軍に破れ、
西郷さんは自害しました(この時,49歳)
この戦争で,両軍あわせて、14000人亡くなる
そして、西郷軍側の人達の多くは政治犯として捕まり、
北海道開拓など、過酷労働させられていくのでした。。。
(7/25,日記≪シリエトク≫で、ちらっと紹介↑)
同じ薩摩出身の、大久保さん(政府側)は、
西南戦争の翌年、暗殺される(47歳亡)
…130年前の話
VISIT
~西南戦争に関係する場所をいくつかまわる~
●南州墓地(なんしゅう)…
西南戦争で亡くなられた2000人の方と、
その中央に西郷隆盛さんのお墓がある。などなど。
●原田学園…よーちゃんの高校の時の
恩師がいるという事で、立ち寄る。♪すごくよかったの♪

※1木戸孝允(きどたかよし)…
維新の三傑(いしんのさんけつ)と呼ばれる方の1人
(木戸孝允と西郷隆盛と大久保利通の3人)
※2小林元…架空の人物。
ホントは山口さんという方。