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明日は、加納久宜研究会 第19回

明日(17日)は、 加納久宜研究会第19回です。 今月から。第3火曜日になります。 新しく入手した資料など、見ていきたいと思います。 . . . 本文を読む
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第18回加納久宜研究会(5)「献芹迂言-抄録-」加納久宜著

「協同組合の名著第2巻」に掲載されている 「献芹迂言」加納久宜著は、抄録の38ページ分である。 前半の理論に対して 実践といえるであろう。 目 次   自 序 一 産業組合の由来 二 産業組合の効果 三 産業組合は所謂先王の道 四 組合設立後の経過 五 信用組合と銀行との別 六 信用組合設立者の誤謬 七 資産家の組合事業に努力すべき理由 八 町村民が古来金融機関と思い居たりしもの 九 組合員多 . . . 本文を読む
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第18回加納久宜研究会(4)「協同組合の名著」より「献芹迂言」加納久宜著

「協同組合の名著」第2巻で 明治末期の産業組合黎明期に書かれた 名著としてを『献芹迂言(けんきんうげん)』紹介している。   加納久宜は、明治35年に大森山王の自邸を事務所に、夫人と二人で手作りで帳簿を揃えて、都内最古の入新井信用組合(現:城南信用金庫入新井支店)を設立し、全国に信用組合の模範を示した。  同書では、次の著作を紹介している。   『献芹迂言-抄録-』(加納久宜著 明治四十五年) . . . 本文を読む
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第18回加納久宜研究会(3)きらめく星 小学生の副読本について

鹿児島県では、明治時代の加納久宜知事のことを、 ほとんどの人が知っている。 しかし、一宮町では、 幕末の最後の藩主加納久宜、大正時代の加納久宜町長のことについて 詳しく知る人はほとんどいない。 同一人物なのにどうしてなのだろう。 鹿児島の城山には「頌徳碑」があり 一宮町の城山には「お墓」と「紀徳の碑」がある。 鹿児島では、整備され多くの人々が訪れるようだが、 一宮町では、その存在さえ知らな . . . 本文を読む
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第18回加納久宜研究会(2)きらめく星 新時代をひらいた人

鹿児島県の小学校高学年の副読本である 「きらめく星 新時代をひらいた人」を 入手しました。 「加納久宜知事については、 小学生でもみんな知っている。」と 以前聞いたことがありました。 その証拠が見つかり、うれしく思います。 その中に、一宮町の史跡「加納久宜公の墓」の写真も載っています。 鹿児島の人はみんな知っているのに、 一宮の人はほとんど知らない。 という感じが、だんだんなくなっていくこ . . . 本文を読む
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第18回加納久宜研究会(1)谷中の加納家の墓

一宮町の史跡「加納久宜の墓」は分骨されたもので、 加納久宜研究会で、以前から話題になっていました。 今回ようやく報告することができました。 加納家の墓は、東京の谷中霊園(台東区谷中七丁目)にあります。 花屋(花重)の近くの霊園管理所で、 谷中霊園案内図をもらいました。 (無料ですが、東京都の緑化基金にカンパしました。) 裏面には、著名人墓碑が紹介してありましたが、 残念ながら、「加納久宜 . . . 本文を読む
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加納久宜研究会 第18回

今日(13日)の「加納久宜研究会」では、 次のことなどが、話題になりました。 (1)谷中霊園の墓 (2)『協同組合の名著 第4巻』(昭和46年 発行所 家の光協会) (3)『議会制度七十年史 貴族院・参議院議員名鑑』(昭和35年 編集 衆議院参議院 (4)『きらめく星 新時代をひらいた人』(昭和47年 平成7年 編集・発行 鹿児島県育英財団) 来月から、第3火曜日になります。 第19回 11月 . . . 本文を読む
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一宮町の議場の「加納久宜公の胸像」

「一宮町1968町勢要覧」を見つけました。 40年前の一宮町のことがわかります。 そこに、 新築されたばかりの町庁舎の全景とともに、 役場議場の「加納久宜公の胸像」についての 説明がありました。 加 納 久 宣 公 近代的を一宮町の創建のため功績のあった加納久宣公の胸像が、役場議場の一隅に安置されてあります。 久宣公は第八世加納藩主で明治2年大学南校でフランス学を修め、卒業後に盛岡師範学 . . . 本文を読む
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上総の国 十二社祭り

毎年9月13日は、 玉前神社の秋の例大祭と 近隣の十二社祭りである。 玉前神社の幟(のぼり)は 加納久宜公の揮毫である。 明治三十九年九月十三日 正三位勲三等子爵加納久宜書 三島町 とあります。 十三日の午後は、十二社祭です。 白装束の氏子が神輿を担ぎ 海岸を疾走する。 そして、 一宮玉前神社の大宮、若宮の他 南宮神社の大宮、若宮、三之宮神社の大宮、若宮、 椎木(玉前)、綱田(玉前)、和 . . . 本文を読む
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加納久宜:命日、3月2日説について

加納久宜元一宮町長の命日には、 2月26日説と3月2日説が混在していた。 「加納久宜をよむ会(加納久宜研究会)」も、 昨年3月から始めましたが、 当初は命日は3月2日だと考えていました。 結論から言えば、 大正8年(1919)2月26日である。 (『新聞集成 大正編年史 八年上巻』) 当時の新聞記事である。 ところで、先日、 3月2日説の例を発見した。 『議会制度七十年史 貴族院・参議院名 . . . 本文を読む
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明日の加納久宜研究会 台風のため延期

台風9号が近づいてきています。 一宮も、激しい雨が降ったり、止んだりを繰り返しています。 房総半島には、明日(11日)の午後が予想されています。 夜には治まっているとはいえ、 去った後の後片付けなどもあろうかと思います。 そこで、先月に続いて、 例会を延期することとしました。 次回は9月8日です。 毎月1回ずつとはいえ、 続けて休むと、かなり間がある感じです。 「10年かけて、研究し . . . 本文を読む
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14日は「宮薙あんどん祭り」、加納久宜研究会例会はありません

14日・15日は 玉前神社で「宮薙あんどん祭」があります。 境内にたくさんの行灯が並び、 不思議な雰囲気になります。 大正時代まで続いていたものが 最近、復活しました。 14日の夜7時から 「上総神楽」が上演されます。 今年は、テレビの取材もあり、 演目が多いそうです。 また、 お茶(抹茶)のサービス(無料)や 地酒の出店(こちらや有料)もあります。 そういうわけで、 毎月第2火曜日夜 . . . 本文を読む
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第16回加納久宜研究会(2)

加納久宜の生涯を、その主たる活躍の場面から区切ってみました。 境界、名称等はこれから煮詰めていきます。 加筆・訂正を含めて、どのような情報でも結構ですので、 お教えいただければ幸いです。 加納久宜研究会(区分) 0.生前  (筑後柳川藩 立花家) 1.少年時代 1848(嘉永元) 生誕(嘉永元年3月19日=1848年4/22) ~ 1855(安政2) 8歳 安 . . . 本文を読む
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第16回加納久宜研究会(1)

今日、大きな話題になったのは、 「加納久宜の生涯」と 「加納公紀徳の碑」(上総一ノ宮郷土史研究会総会の資料をもとに) でした。 「加納公紀徳の碑」は、遺徳を伝えようと、 大正7年に、旧町役場(観明寺四脚門の近く、現児童公園)に建立され、 その後、昭和63年に現在の位置(城山公園)に移設されました。 次のような意見が出されました。 (1)碑文について ・碑文は、郷土史研究家でもある長谷川氏によっ . . . 本文を読む
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郷土史研究会

上総一ノ宮郷土史研究会の総会での研修会で 「加納久宜公 業績の概要について」の 講演がありました。   その中で、一宮町で加納久宜公の揮毫(墨筆)が見られる場所として ・玉前神社の例祭のノボリ(幟) ・東漸寺(皇女和宮の駕籠のある)の刻字 ・松濤軒(駅前旅館)の額 の紹介がありました。   「有言実行の人」という評価でまとめられました。 にほんブログ村 千葉情報 地方自治 地域生活ブログ 教育 . . . 本文を読む
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