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一宮町の議場の「加納久宜公の胸像」

「一宮町1968町勢要覧」を見つけました。

40年前の一宮町のことがわかります。

そこに、
新築されたばかりの町庁舎の全景とともに、
役場議場の「加納久宜公の胸像」についての
説明がありました。

加 納 久 宣 公

近代的を一宮町の創建のため功績のあった加納久宣公の胸像が、役場議場の一隅に安置されてあります。

久宣公は第八世加納藩主で明治2年大学南校でフランス学を修め、卒業後に盛岡師範学校長・新潟師範学校長・大審院検事を歴任して、明治17年に

子爵の位を授与されています。

明治27年には鹿児島県知事として県政の改革にあたって地方政治に貢献しました。

また、貴族院議員を三期にわたってつとめて、産業組合・帝国農会・日本競馬会・日本体育会の創立にあたって“農政の父”と仰がれました。特に晩年

の明治45年2月には懇請されて一宮町長に就任して、県下で初めての耕地整理を施工したり、観光地として基盤をきずくなど、一宮町の発展に寄与しています。

大正8年3月に71才で歿し、正二位勲二等に叙せられました。

次のページは行政、議決機関と執行機関の紹介があります。

昭和43年は全21名(欠員1名)のうち、
明治生まれが11名と過半数です。
(昭和生まれは1名)

大正初期の加納久宜町長の姿とともに
「日本の模範町」と称された当時の一宮町を
直接知っている方々です。

今の一宮と何が違うのか、
考えるヒントになりそうです。


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