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加納久宜:命日、3月2日説について

加納久宜元一宮町長の命日には、
2月26日説と3月2日説が混在していた。

「加納久宜をよむ会(加納久宜研究会)」も、
昨年3月から始めましたが、
当初は命日は3月2日だと考えていました。

結論から言えば、
大正8年(1919)2月26日である。
(『新聞集成 大正編年史 八年上巻』)
当時の新聞記事である。


ところで、先日、
3月2日説の例を発見した。
『議会制度七十年史 貴族院・参議院名鑑』(編集 衆議院・参議院)
である。(P37)

この、この記録が元となって、一部伝えられたものなのか、
他の出展をもとに、誤って記録されたものなのか、
どうなのだろう。

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『議会制度七十年史 貴族院・参議院名鑑』(編集 衆議院・参議院)
加納久宜
子爵 旧一宮藩主 従二位勲二等

嘉永元年3月生、本籍千葉県
○明治2年以降一宮藩知事、
文部省出仕、中視学、岩手師範学校校長、
熊谷始審裁判所長等歴任
また、
大審院、東京控訴院等の検事、
鹿児島県知事等歴任のほか、
関西府県連合共進会審査長、
日英博覧会、日本代博覧会等の評議員等となり、
また十五銀行、房総中央銀行等の取締役等となる。
○在任(明23・7ー30・7、37・7ー大8・3)
大正8年3月2日死去
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