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第18回加納久宜研究会(3)きらめく星 小学生の副読本について

鹿児島県では、明治時代の加納久宜知事のことを、
ほとんどの人が知っている。

しかし、一宮町では、
幕末の最後の藩主加納久宜、大正時代の加納久宜町長のことについて
詳しく知る人はほとんどいない。

同一人物なのにどうしてなのだろう。

鹿児島の城山には「頌徳碑」があり
一宮町の城山には「お墓」と「紀徳の碑」がある。

鹿児島では、整備され多くの人々が訪れるようだが、
一宮町では、その存在さえ知らない人も少なくない。


保育園のとき「紀徳の碑」(当時は加納会館前にありました)に上がって遊び、
城山の「お墓」からは、花火や初日の出をみたものです。

人物「加納久宜」について調べてみよう。
そう思ったのは、
純粋に「知らないから」です。

一宮町では
「『加納さん』のことを評価していない人もいる」
とも聞きます。
だから、「どうして評価しないのか」についても、
知りたいと思っています。


さて、鹿児島では、
小中学校の副教材で、郷土の歴史と力をつくした人々のことを
積極的に紹介しています。

大いに参考にしたいものだと思います。

加納久宜(かのうひさよし)

一 記念碑

頒徳碑と加納久宜(県庁)

 この間、ぼくたちは社会科で、「郷土の開発(かいはつ)につくした人々」を研究しました。そのとき先生の話にあった、加納知事(かのうちじ)のことについて、もっとくわしく調べてみようと思いました。
 そこで夏休みのある日、鹿児島に住んでいるおじいさんを、たずねました。わけを話すと、おじいさんはさっそく加納知事の記念碑(きねんひ)のある県庁(けんちょう)につれていってくださいました。
 県庁の門をはいると、おじいさんは、
「正夫(まさお)、あれだよ]
と、立ちどまって左の方を指さしました。そこには、高さ二メートルほどの、大きな自然石(しぜんせき)の記念碑(きねんひ)が建っていて、まんなかに太い文字(もじ)がほりこんであります。
「大きな記念碑ですね。加納知事(かのうちじ)………。えーと、あの下はなんと読むの、おじいさん。」
「ははは……。それはね。頌徳碑(しょうとくひ)と読むのだよ。つまり加納知事の仕事をたたえて、後の世に伝えるために建てた碑ということだ。」
と、おじいさんは、いいながら歩きだしました。
「正夫(まさお)、こっちの方にきてごらん。」
と、石(いし)だんをあがって、記念碑(きねんひ)の後ろ側(がわ)榔に回りながら、
「ここを見てごらん。加納知事のことが書いてある。」と、おじいさんが指さす記念碑の後ろ側を見あげると、ごちゃごちゃと細(こま)かい字がほってあります。
「おじいさん。ぼくには、ちっとも読めんがな。」と、いうと、
「そうか。正夫には、ちとむずかしいかな。よしよし、それじゃ、きょうはおじいさんが正夫の先生じゃ。」
と、ゆっくりせんすを動かしながら、少し読んでは、説明してくださいました。



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