最近、久しぶりに川端康成の小説を読んだら、ほかの作品にも興味がわいてきました。
そこで、どれにしようか考えていたら、「伊豆の踊子」と「雪国」が浮かんできました。
この二つはとても有名ですが、「伊豆の踊子」はまだ読んだことがありませんでした。
そこで、とりあえず「伊豆の踊子」を先に読んでみることにしました。
この作品は、私の子供の頃、山口百恵ちゃん主演で、映画化されていて、どんなストーリーか気になっていました。
でも、百恵ちゃんの映画になるくらいですから、学生と踊り子が、伊豆を旅するうちに出会い、淡い恋心を楽しむみたいなストーリーではないかと、勝手に想像していました。
つまり、若い男女が青春を思いっきり謳歌する作品ではないかというふうに。
ところが、確かに淡い恋心を思わせる部分がいくつもあったのですが、それとは別にもっと深い意味があったことに驚いてしまったのです。
この作品の主人公である学生は、川端康成自身がモデルで、二十歳の頃、実際に伊豆を旅した経験から書かれたそうです。
学生が旅に出たいと思った動機は、自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪えきれなかったのが真相だったようです。
川端康成は二、三歳で父と母を、七歳で祖母を、そして十五歳までに、たった一人の姉と、祖父とをことごとく失い、孤独感から苦しみ悩まされていたらしいです。
そこで、その苦しみから逃れるために旅に出て、踊り子をはじめとする旅芸人の一座に出会う訳ですが、彼らは人々に歌や踊りを見せて喜ばれる半面、その職業を卑しいと見る向きもあったそうです。
だけど、彼らはそうしたことを、あまり苦にするでもなく、歌や踊りを続けていたのです。
そんな旅芸人達の姿を見た学生は境遇は違うけれど、心に通い合うものを見つけるのです。
そして、旅芸人達と歩いている時、踊子が、学生のことを「いい人ね。」と話しているのが聞こえてきます。
「それはそう、いい人らしい。」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね。」
それを聞いた学生は自分自身にもいい人だと素直に感じることが出来たのでした。
でも、だからと言って、この「伊豆の踊子」は学生の悩みだけを深刻に書いている訳ではないのです。
この作品は、学生が踊子とのふれあいや、旅の楽しみを味わうことに主眼が置かれ、それを二十代という瑞々しい感性で書いていますので。
そして、読み終わったあとで、青春の傷みみたいなものが迫ってくる。
そんな気がする作品でした。
ところで、この「伊豆の踊子」は、日本近代文学の研究者小田切進氏によると、川端文学を読み解くうえで、とても重要な作品だと書いています。
「伊豆の踊子」のような清純で無垢な少女の美しさと、それへの異常なまでの深い傾倒は、その後の作品にもしばしば描かれ、川端文学の極致とまで言われるようになった。
また「いい人ね」という踊子の好意に対する素直な感謝の気持ちが、この小説のモチーフになっていることは多くの人が指摘しているとおりだが、これも「雪国」はじめ川端文学にこれ以後たびたび現れるものである。
また、日本文学教育連盟常任委員の渡辺庄司氏によると、この「伊豆の踊子」の文章はそれまでにない革新的な表現方法を試みた点が高く評価されているとか。
川端康成は『文芸時代』の同人の頃から「新感覚派」と呼ばれていて、それまで全盛だった自然主義の日常的リアリズムを打破するため、芸術的な表現方法を常に試みていたそうです。
川端康成はそれを「主客一如主義の表現法」とよんでいました。
つまり、物事を説明的に客観的に述べるのでなく、自分が直観した感覚的な表現を大切にして、文章に深みをもたせようとしたそうです。
例えば、
「トンネルの出口から白塗りの柵に片側を縫われた峠道が稲妻のように流れていた。」
「女の金切り声が時々稲妻のように闇夜に鋭く通った。」
「頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。」
そして、渡辺庄司氏は文学そのものについても、こう書き記しています。
「とにかく、こうして文学は何よりも文章そのものを味わって読むことが大切です。表現そのものに作品の価値があり、その細部にこそ、作家の描こうとした感動やテーマがひそんでいるのです。」
確かに、状況を単に文章で説明するだけでは、文学の限界といっていいかも知れません。
だけど、川端康成は自分の感性を大切にして表現し、文章を芸術の粋にまで高め、文学の無限な可能性を拡げたところが高く評価されているようです。
ところで、これだけの名作足る所以でしょうか。
「伊豆の踊子」は何回も映画化されていて、レンタル屋さんにいくつも置いてあります。
そこで、レンタル出来た四本の映画版「伊豆の踊子」を年代順に観てみました。
まず、昭和八年の田中絹代主演のものから。

この映画はサイレントで音声が吹き込まれてなく、活動弁士があとから録音したものが入っていました。
だから、男性も女性も一人の活動弁士の男性が喋っているのが、はじめすごく違和感がありました。
でも、それ以上に驚いたのが、ストーリーが小説とまったく違う点でした。
しかも、タイトルが「恋の花咲く 伊豆の踊子 」なんです。
確かに、学生が踊り子達と伊豆を旅するのは同じですが、それ以外はストーリーも違えば、小説にない登場人物も出てきます。(苦笑)
例えば、鉱山技師の男が出てきて、踊子薫の兄の栄吉に、「お前が二束三文で売った土地から金がザクザク出てきた」と教えるのです。
だけど、その土地を買った富豪は初めから金鉱があると知っていたのに、わざと知らないふりをして、安く買い叩いたのだと吹き込み、栄吉はその富豪と一悶着起こしてしまうのです。
当然、その問題が決着するまで、旅もお預けになってしまいます。
ところが、実は富豪は良心的な人物で、踊子に旅をさせるのを気の毒に思い、踊子の名義で、沢山貯金しており、いずれ渡すつもりであったのです。
そして、やがては息子の嫁にしたいとまで考えていたのです。
こんな小説とまったく違うストーリーを川端康成はどう思っていたのでしょう?
でも、悪くは思ってなかったようで、川端は『「伊豆の踊子」の映画化に際し』という文章で、こう書いています。
似ているはずもないが、田中絹代の踊り子はよかった。ことに半纏をひっかけて肩のいかった後ろ姿がよかった。いかにも楽しげに親身に演じていたことも、私を喜ばせた。若水絹子の兄嫁は、早産後の旅やつれの感じが実によく出ていて、見せ場がなく手持ちぶさたなのも、かえって愁えを添えた。しかし、これは本物の彼女にくらべて、勿体ない美しさであった。
それに、この映画版は映画解説者として有名な淀川長治さん監修の「世界クラシック名画100撰集」に数少ない日本映画の名作として、堂々と入っているのです!
次に観たのは昭和の国民的歌手、美空ひばりさん主演の昭和二十九年制作のものです。

この時、ひばりさんは十七歳だったようです。
この映画は、「砂の器」で有名な野村芳太郎監督が撮っているだけあって、原作にある程度、忠実で、かなり重厚な作品として仕上がっています。
でも、ひばりさん十七歳とは言え、すでに大物の貫禄が十分に伺えて、初々しい踊子のイメージとはちょっと違うような?(苦笑)
だけど、ひばりさんだから、これは許されて然るべきではないでしょうか。
あの人々に勇気を与え、士気を鼓舞する名曲「柔」を歌う美空ひばりさんの踊り子なら、こうでないといけないと私は思います♪
三つめに観たのは昭和三十八年制作の吉永小百合さんが主演したもので、この時、小百合さんは十八歳という若さでした。

この映画版から、「伊豆の踊子」はカラーになり、真っ先に感動したのは伊豆の風景の色彩の美しさでした。
そして、十八歳の吉永小百合さんの純情可憐な美しさに引かれずにはいられませんでした。
とにかく、小百合さんが可愛い♪
踊りも、小さい頃から、日本舞踊を習っていただけあって、四本観た「伊豆の踊子」の中で、吉永小百合さんが一番上手でした。
しかし、その影で気になったのは相手役の学生を演じた高橋英樹さんです。
確か、学生が伊豆を旅した動機は人生に対する悩みからだったはずですが、高橋英樹さん演じる学生は人生に対する悩みなんか、どこ吹く風のような、どう見てもバリバリの体育会系のノリで、あまりにもたくましすぎるのです。(苦笑)
実際、映画でも悩んでいるところはどこにもなかったのですが、これはこれでいいのではと思いました。
何でも、川端康成は、吉永小百合さんが気に入って、撮影にどこまでも付いて回ったというエピソードがあるらしいです。
これは、その時の写真ですが、確かに嬉しそうな表情を浮かべています。

最後は、昭和四十九年制作の山口百恵さんが主演したものです。

私がリアルタイムで知っているのは、この百恵ちゃんバージョンしかないのですが、実は今回、初めて観ました。
この時、百恵ちゃんは十五歳だったみたいですが、すでに大人の雰囲気を漂わせているのが印象的でした。
相手役の学生を演じた三浦友和さんは甘いマスクで、堂々とした演技をしていて、私でも好きになりそうでした。(苦笑)
山口百恵ちゃんの主演映画は川端康成原作のこの「伊豆の踊子」ではじまり、「古都」でラストを迎えましたが、何か不思議な縁のようなものを感じていたのでしょうか?
こうして、小説と映画の「伊豆の踊子」をそれぞれ鑑賞したわけですが、映画版は淡い恋心という青春の頃なら、誰でも経験することに主眼を置き、若い層の幅広い共感を集める目的で作られたように思いました。
だから、厳密に言うと作品のテーマに違いはありますが、どちらもそれぞれに私はいいと思いました。
そこで、どれにしようか考えていたら、「伊豆の踊子」と「雪国」が浮かんできました。
この二つはとても有名ですが、「伊豆の踊子」はまだ読んだことがありませんでした。
そこで、とりあえず「伊豆の踊子」を先に読んでみることにしました。
この作品は、私の子供の頃、山口百恵ちゃん主演で、映画化されていて、どんなストーリーか気になっていました。
でも、百恵ちゃんの映画になるくらいですから、学生と踊り子が、伊豆を旅するうちに出会い、淡い恋心を楽しむみたいなストーリーではないかと、勝手に想像していました。
つまり、若い男女が青春を思いっきり謳歌する作品ではないかというふうに。
ところが、確かに淡い恋心を思わせる部分がいくつもあったのですが、それとは別にもっと深い意味があったことに驚いてしまったのです。
この作品の主人公である学生は、川端康成自身がモデルで、二十歳の頃、実際に伊豆を旅した経験から書かれたそうです。
学生が旅に出たいと思った動機は、自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪えきれなかったのが真相だったようです。
川端康成は二、三歳で父と母を、七歳で祖母を、そして十五歳までに、たった一人の姉と、祖父とをことごとく失い、孤独感から苦しみ悩まされていたらしいです。
そこで、その苦しみから逃れるために旅に出て、踊り子をはじめとする旅芸人の一座に出会う訳ですが、彼らは人々に歌や踊りを見せて喜ばれる半面、その職業を卑しいと見る向きもあったそうです。
だけど、彼らはそうしたことを、あまり苦にするでもなく、歌や踊りを続けていたのです。
そんな旅芸人達の姿を見た学生は境遇は違うけれど、心に通い合うものを見つけるのです。
そして、旅芸人達と歩いている時、踊子が、学生のことを「いい人ね。」と話しているのが聞こえてきます。
「それはそう、いい人らしい。」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね。」
それを聞いた学生は自分自身にもいい人だと素直に感じることが出来たのでした。
でも、だからと言って、この「伊豆の踊子」は学生の悩みだけを深刻に書いている訳ではないのです。
この作品は、学生が踊子とのふれあいや、旅の楽しみを味わうことに主眼が置かれ、それを二十代という瑞々しい感性で書いていますので。
そして、読み終わったあとで、青春の傷みみたいなものが迫ってくる。
そんな気がする作品でした。
ところで、この「伊豆の踊子」は、日本近代文学の研究者小田切進氏によると、川端文学を読み解くうえで、とても重要な作品だと書いています。
「伊豆の踊子」のような清純で無垢な少女の美しさと、それへの異常なまでの深い傾倒は、その後の作品にもしばしば描かれ、川端文学の極致とまで言われるようになった。
また「いい人ね」という踊子の好意に対する素直な感謝の気持ちが、この小説のモチーフになっていることは多くの人が指摘しているとおりだが、これも「雪国」はじめ川端文学にこれ以後たびたび現れるものである。
また、日本文学教育連盟常任委員の渡辺庄司氏によると、この「伊豆の踊子」の文章はそれまでにない革新的な表現方法を試みた点が高く評価されているとか。
川端康成は『文芸時代』の同人の頃から「新感覚派」と呼ばれていて、それまで全盛だった自然主義の日常的リアリズムを打破するため、芸術的な表現方法を常に試みていたそうです。
川端康成はそれを「主客一如主義の表現法」とよんでいました。
つまり、物事を説明的に客観的に述べるのでなく、自分が直観した感覚的な表現を大切にして、文章に深みをもたせようとしたそうです。
例えば、
「トンネルの出口から白塗りの柵に片側を縫われた峠道が稲妻のように流れていた。」
「女の金切り声が時々稲妻のように闇夜に鋭く通った。」
「頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。」
そして、渡辺庄司氏は文学そのものについても、こう書き記しています。
「とにかく、こうして文学は何よりも文章そのものを味わって読むことが大切です。表現そのものに作品の価値があり、その細部にこそ、作家の描こうとした感動やテーマがひそんでいるのです。」
確かに、状況を単に文章で説明するだけでは、文学の限界といっていいかも知れません。
だけど、川端康成は自分の感性を大切にして表現し、文章を芸術の粋にまで高め、文学の無限な可能性を拡げたところが高く評価されているようです。
ところで、これだけの名作足る所以でしょうか。
「伊豆の踊子」は何回も映画化されていて、レンタル屋さんにいくつも置いてあります。
そこで、レンタル出来た四本の映画版「伊豆の踊子」を年代順に観てみました。
まず、昭和八年の田中絹代主演のものから。

この映画はサイレントで音声が吹き込まれてなく、活動弁士があとから録音したものが入っていました。
だから、男性も女性も一人の活動弁士の男性が喋っているのが、はじめすごく違和感がありました。
でも、それ以上に驚いたのが、ストーリーが小説とまったく違う点でした。
しかも、タイトルが「恋の花咲く 伊豆の踊子 」なんです。
確かに、学生が踊り子達と伊豆を旅するのは同じですが、それ以外はストーリーも違えば、小説にない登場人物も出てきます。(苦笑)
例えば、鉱山技師の男が出てきて、踊子薫の兄の栄吉に、「お前が二束三文で売った土地から金がザクザク出てきた」と教えるのです。
だけど、その土地を買った富豪は初めから金鉱があると知っていたのに、わざと知らないふりをして、安く買い叩いたのだと吹き込み、栄吉はその富豪と一悶着起こしてしまうのです。
当然、その問題が決着するまで、旅もお預けになってしまいます。
ところが、実は富豪は良心的な人物で、踊子に旅をさせるのを気の毒に思い、踊子の名義で、沢山貯金しており、いずれ渡すつもりであったのです。
そして、やがては息子の嫁にしたいとまで考えていたのです。
こんな小説とまったく違うストーリーを川端康成はどう思っていたのでしょう?
でも、悪くは思ってなかったようで、川端は『「伊豆の踊子」の映画化に際し』という文章で、こう書いています。
似ているはずもないが、田中絹代の踊り子はよかった。ことに半纏をひっかけて肩のいかった後ろ姿がよかった。いかにも楽しげに親身に演じていたことも、私を喜ばせた。若水絹子の兄嫁は、早産後の旅やつれの感じが実によく出ていて、見せ場がなく手持ちぶさたなのも、かえって愁えを添えた。しかし、これは本物の彼女にくらべて、勿体ない美しさであった。
それに、この映画版は映画解説者として有名な淀川長治さん監修の「世界クラシック名画100撰集」に数少ない日本映画の名作として、堂々と入っているのです!
次に観たのは昭和の国民的歌手、美空ひばりさん主演の昭和二十九年制作のものです。

この時、ひばりさんは十七歳だったようです。
この映画は、「砂の器」で有名な野村芳太郎監督が撮っているだけあって、原作にある程度、忠実で、かなり重厚な作品として仕上がっています。
でも、ひばりさん十七歳とは言え、すでに大物の貫禄が十分に伺えて、初々しい踊子のイメージとはちょっと違うような?(苦笑)
だけど、ひばりさんだから、これは許されて然るべきではないでしょうか。
あの人々に勇気を与え、士気を鼓舞する名曲「柔」を歌う美空ひばりさんの踊り子なら、こうでないといけないと私は思います♪
三つめに観たのは昭和三十八年制作の吉永小百合さんが主演したもので、この時、小百合さんは十八歳という若さでした。

この映画版から、「伊豆の踊子」はカラーになり、真っ先に感動したのは伊豆の風景の色彩の美しさでした。
そして、十八歳の吉永小百合さんの純情可憐な美しさに引かれずにはいられませんでした。
とにかく、小百合さんが可愛い♪
踊りも、小さい頃から、日本舞踊を習っていただけあって、四本観た「伊豆の踊子」の中で、吉永小百合さんが一番上手でした。
しかし、その影で気になったのは相手役の学生を演じた高橋英樹さんです。
確か、学生が伊豆を旅した動機は人生に対する悩みからだったはずですが、高橋英樹さん演じる学生は人生に対する悩みなんか、どこ吹く風のような、どう見てもバリバリの体育会系のノリで、あまりにもたくましすぎるのです。(苦笑)
実際、映画でも悩んでいるところはどこにもなかったのですが、これはこれでいいのではと思いました。
何でも、川端康成は、吉永小百合さんが気に入って、撮影にどこまでも付いて回ったというエピソードがあるらしいです。
これは、その時の写真ですが、確かに嬉しそうな表情を浮かべています。

最後は、昭和四十九年制作の山口百恵さんが主演したものです。

私がリアルタイムで知っているのは、この百恵ちゃんバージョンしかないのですが、実は今回、初めて観ました。
この時、百恵ちゃんは十五歳だったみたいですが、すでに大人の雰囲気を漂わせているのが印象的でした。
相手役の学生を演じた三浦友和さんは甘いマスクで、堂々とした演技をしていて、私でも好きになりそうでした。(苦笑)
山口百恵ちゃんの主演映画は川端康成原作のこの「伊豆の踊子」ではじまり、「古都」でラストを迎えましたが、何か不思議な縁のようなものを感じていたのでしょうか?
こうして、小説と映画の「伊豆の踊子」をそれぞれ鑑賞したわけですが、映画版は淡い恋心という青春の頃なら、誰でも経験することに主眼を置き、若い層の幅広い共感を集める目的で作られたように思いました。
だから、厳密に言うと作品のテーマに違いはありますが、どちらもそれぞれに私はいいと思いました。