
ああ、いつから、こうなっちゃったのだろう?
初めは、手塚治虫先生の「ブラック・ジャック」を借りて、私の亡き母の思いを、これからどう繋いでいったらいいのか考えたかっただけなのに・・・
それが、「ブラック・ジャック」は、「ゴルゴ13」に似ているんじゃないかと言われたのをきっかけに、「ゴルゴ13」に興味を持ち、そのモデルになった高倉健さんをより知るために、今まで一度も観たことがない任侠映画まで観るはめになり、それにとてもショックをうけてしまった私・・・
ううん、人を殴ったり蹴ったりの暴力場面とか、流血とか、刀やピストルで、人を殺す場面なんかは何でもなかったの。
私が、ショックだったのは、ヤクザを演じていた役者さんだったの。
名作テレビドラマ「岸辺のアルバム」で、八千草薫さんの夫の役だった杉浦直樹さんと、「青い山脈」で、さわやかな高校生を演じた池部良さんは、前回の記事で書きましたが、そのほかにも「北の国から」のお父さん役だった田中邦衛さん、「七人の侍」の志村喬さん、「鞍馬天狗」の嵐寛寿郎さん、「Gメン75」の丹波哲郎さん、「空に星があるように」を歌った荒木一郎さん、南田洋子さんの夫の長門裕之さん、「新・七色仮面」の千葉真一さん、「白馬童子」の山城新伍さんなど、みんな、意外な役者さんばかりだったんですもの。
あ、でも、山城新伍さんは、やっぱりって感じかな?
この人は、私の子供の頃は、ポルノ映画を何本も撮った女癖の悪いエッチなおじさんだったんです!
山城新伍さんは、川島なお美さんと付き合ったり、山口美江さんと問題を起こしたりもしてますが、とくに許せないのは早乙女愛さんを口説き落として、ポルノ映画「女猫」で脱がせた事です。
早乙女愛さんは、鹿児島県高山町のご出身で、私はその昔、実家を訪ねた事があるんです。
早乙女愛さんは、地元では有名な孝行娘で、芸能界で稼いだお金で、お父様が経営していた印刷所を建て替える費用を全額工面した事もあったそうです。
そんなね、美しくて心優しい早乙女愛さんを、ポルノ映画に引っぱり出して脱がせちゃうなんて、何事ですか!
山城新伍さんは、聞くところによると、悲惨な老後を送ったみたいですが、はっきり言って、自業自得だと思います。(笑)
ま、山城新伍さんはともかく、意外な人が何人も任侠映画に出ている事を知り、私は男性という生き物と暴力との親密な関係を考えずにはいられませんでした。
そんな事ばかり考えていたからでしょうか?
最近、レンタル屋さんで、「極道の食卓」というDVDを見つけちゃったんです。
そういえば、ヤクザとか、暴力団を、道を極めると書いて、「極道」と言ったりしますよね?
もしかしたら、男らしさを極めると、暴力に突き当たるという意味で、こんな言葉が生まれたのでしょうか?
ところで、私が、このDVDに惹かれたのは、原作者が漫画家の立原あゆみさんだったからです。
立原あゆみさんと言えば、「マジ!」、「仁義」などの任侠をテーマにしたマンガを描いているのはご周知だと思いますが、私は4年くらい前まで、ずっとこの人は女性だとばかり思っていたんです。
というのも、最初に立原あゆみさんを知ったのは少女漫画でしたし、絵のタッチが繊細で、とても男性が描いているとは思えなかったですから。
それで、いろいろ調べてみたら、最初は男性であるのを隠して、少女漫画を描いていたらしいです。
どうしてでしょうか?
もしかしたら、女性願望でも持っていたのでしょうか?
名前だって、ひらがなを使ってますから、勘違いされやすいですよね?
本名だったら仕方ないですが、そうじゃないんです。
どうやら、詩人の立原道造が好きで、悲恋に終わったその恋人の名、あゆ・・・にちなんで、両方を結びつけて、立原あゆみというネーミングにしたそうです。
やっぱり、女性願望があり、そう思われたかったのかも?
ところが、1979年出版の「まんが家入門大百科」の(まんが家名鑑)のショートインタビューで、ようやく世間をごまかすのをやめて、堂々と男性であるのを公表するようになったとか。
その理由として考えられるのは二つあるらしく、ひとつめはその頃、ファンクラブが発足した事と、ふたつめはお子さんが生まれた事だとか。
この二つ、どちらかと言うと、お子さんの影響の方が大きかったかも知れませんね。
とくに、少年漫画に転向し、任侠を描くようになったのは、お子さんに対する父親の自覚と責任感がそうさせたような気がします。
お子さんが男の子なのか、女の子なのか、あるいは両方いらっしゃるのか分かりませんが、男の子の場合だったら、ある程度、男らしいところを見せないと、可哀想だし、馬鹿にされちゃうんじゃないですか?
だから、女性願望を捨てて、男らしさの究極の表現手段として、暴力を扱った任侠マンガを描くようになったのでは?
そうして、それらの任侠マンガは、それまで描いていた少女漫画よりも、はるかに受け入れられ、何巻も巻を重ねるようになった。
やっぱり、男は、男として生まれた以上、男らしくしなくちゃいかんよと、今の立原あゆみさんは痛切に感じているのかも知れません。(笑)
でも、世の中には、最初の頃の立原あゆみさんに限らず、女性願望があるっていうか、女々しい男が、たまにいますよね。
性同一性障害で、男女の心が入れ違ってる人は別として、明らかに男性なのに、少女漫画とか、スピッツの歌とか、キティちゃんとか、赤毛のアンに憧れ、あたかも女性の心も持っていると思っている人が。
女性にも、そういう人がいるらしいです。
例えば、アニメにもなった童話「ムーミン」の作者のトーベ・ヤンソンさんは、ジェンダーフリーだったと知って驚いたことがあります。
(ジェンダーフリーという言葉は最近、知ったのですが、いわゆる男女の性に捕らわれない人達のことを指すそうです。)
「ムーミン」にも、そういう人が何人も登場しているって言うんです。
ヘムレンさんという老紳士が、スカートをはいてるのもそうですし、オシャマさんは外見はまるっきり男の子なのに、女っぽい言葉を使ってたりとか。
だから、男性なのに、少しだけ女性の心を持っててもおかしくないという説。
私も、そんな人がいそうな気はしますが、そうでない人の方が、はるかに多いような気がしてならないのです。
というのは、私は、男性なのに、女性的なものに惹かれている男性を何人も知っていますが、いつまでもくよくよしてたり、臆病で、同情をすぐに買おうとしたり、男性には何も言えない代わりに、女性にはほんの些細な事で、滅茶苦茶怒り出す人が多いんです。
なんだか、自分の情けなさを、女性の心を持ってるからだと言い訳にしてるようにしか思えない。
あの古い少女漫画ばっかり、ブログで紹介していた東京在住の62歳の男性もそうでした。
その人は思い出すだけでも腹が立つほど、滅茶苦茶、卑怯な男でした。
その人の言いたいことは、自分が女性の心を持っていると、人に信じこませる事にあったようで、小さい頃、どれだけ少女漫画や、女の子っぽいものが好きだったかと伝えるのに、躍起になっていました。
でも、小さい頃って、誰しも、男性とか女性の自覚はあまり持っていなくて、異性の憧れるものに興味を持つというのはよくあることですよね?
私もそうでしたし、年齢を重ねるに連れ、だんだん自分の性に自覚が芽生え、異性のものに興味を失っていくのが当たり前だと思うんです。
なぜ、そこまでして女の心を持っていると思われたくて、男らしさを目指そうとしないのか?
私は、その女々しい男性の文章を読むうちに、ふと雌雄を決するという言葉が浮かんだんです。
そして、昔、付き合っていた元カレの闘鶏をやっていたお父さんの言葉も。
私の元カレのお父さんは、闘鶏を育てていたのですが、餌をなるべく与えないようにして、ハングリー精神を鍛え、だんだん強くし、試合の日に向けて、毎日、特訓していたそうです。
そうして、試合に臨むのですが、試合中、どんなに勇猛果敢に戦っていても、こてんぱんにやられてしまうと、逃げ惑ってばかりで、とたんに雌鳥みたいに弱々しくなり、二度と戦えなくなると、私に教えてくれた事があったのです。
その女々しい男の場合、芸能界にいた過去を持っていたようですが、未熟さから引退せざるを得なくなり、敗北感に打ちひしがれる日々を送っているうちに、意志薄弱になり、小さい頃、少女漫画が好きだったのにかこつけ、自分がこうなったのは女性の心も併せ持っているからだと言い訳するようになったのでは?
意志薄弱なのは、一旦ブログをやめると宣言しておきながら、すぐに記事を更新したのでも明らかで、私はその点を突っ込んでやりました。(笑)
私が、その女々しい男に言いたいのは、男としての自覚を持ち、真実を見極めてほしいという事に尽きますね。
こんなことを書いていると、こいつはそうとうな女だなと思われるかも知れませんが、臆病で、卑怯なのを、女性の心を持っているからだと言い訳して、なおかつか弱い女性を平気で攻撃する男性はどうしても許す訳にはいかないです。
あ、また前置きが長くなってしまいました。(苦笑)
映画「極道の食卓」を観て、私が気になったのは、どれだけ男らしさを描けているかという一点でした。
主人公の久慈雷蔵を演じているのは、「マツケンサンバ」で一世を風靡した松平健さんで、ヤクザの親分が、離婚したのをきっかけに、夜間高校で、もう一度、人生の勉強をするというストーリーです。
まあ、私が一番、好感が持てたのは、女性に優しくて、何を言われても、口答えしないところかな。
それは、女の都合だとか、それじゃ、バカみたいじゃん!て思う男性もいるかもですが、男性は強さの中に優しさを秘めた人が一番なんです。
私の女友達には、「優しさとは強さなり」を座右の銘にしている人もいるくらいなんですよ♪
自分は臆病だから、人に優しくするでは、本当の優しさとは言えません!(笑)
では、なぜ、「極道の食卓」かというと、ヤクザの親分が離婚を機に、料理を作るようになるのですが、料理とは、母親が子供の頃に作ってくれたご飯やお味噌汁の味だとか、離婚した妻が作ってくれた大切な思い出であって、男性が女性に敬意を払い、愛しく思う原点こそ、料理にあるのだというのが、この映画のテーマだからです。
これは、まさしく男の中の男の映画に間違いないです♪
あなたも、これを観て、自分が男に生まれてきた理由と、本当の優しさとは何なのかについて、少しでも考えてみませんか?