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奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

漫画「河童の三平」水木しげる

2012-08-14 08:08:08 | 読書
夏休み特集として、こんなお話はいかがでしょうか。

まず、私がこの漫画を読んだきっかけをお話しますね。

毎日、暑い日が続いていますが、私が子供の頃は夏休みになると、よく川遊びをしたものでした。

男の子は泳いだり、高いところから飛び込んだり、お魚を釣ったり、器用な子は手で捕まえたりして。
一方、私やほかの女の子は川の中に足だけつかって、丸っこいすべすべした石を川底から拾うのを楽しみにしていました。
でも、川遊びをする時、私は母によくこんなふうに注意されていたのです。
川の深いところには、絶対行かないようにって。
なぜなら、そこには河童がいて、足を引っ張って、溺れさせ、お尻の穴に手を突っ込んで、肝を取られるからと言われていたのです。
だから、私は河童はいると信じていて、絶対、深いところに近寄ったりはしませんでした。

でも、河童を信じていたのは私だけでなく、その頃はどの子も河童の存在を疑っていなかったのです。

ある男の子は、こんなふうに自慢げに私にしゃべった事がありました。
「河童は相撲が強く、大好物のキュウリを探しに陸にあがる事があり、もし相撲をとらないかと言われたら、お辞儀をするように頼めばいいんだ。
そうすると、頭のてっぺんにある水がこぼれて、すごく弱くなるので簡単に勝てるよ」

だけど、そうするうちに河童なんていないんだと言う男の子が現れたのです。

その男の子は、河童なんて大人が作った嘘だと言うんです。
そして、それを信じるなんてバカバカしいとまで。

それを聞かされた私は猛反発しました。
私のお母さんが嘘をつくはずがない。
だって、テレビをつければ、黄桜という日本酒のコマーシャルに河童の親子が出てるし、うちのお母さんは、「嘘つきは泥棒の始まりだ」って、いつも言ってるもの。


すると、その男の子は、私に
「だったら、河童を見た事あるのかよ」
と言うんです。
そこで正直に「見てない」と答えると、「見た事ないのに、どうしていると思えるの」と、いじめるんです。


私のお母さんは嘘つきなんかじゃない!
河童はいるに決まってる!

だけど、そう思ってはみたものの、私の周りで実際に河童を見た人は誰一人いなかったのです。

それで、私もだんだん不安になってきたのですが、ある日、テレビを見てたら、河童と、当時、注目を集めていた幻の生き物ツチノコの特集番組をやっていたんです。

その番組によると、河童は歴史を辿れば、日本書記に、河伯という名前で登場するらしいのです。
日本書紀と言えば、古事記と並んで日本古来の歴史書ですよね。

何だか、ぐっと真実味が増してきたように私には思えました。

次に紹介されたのが、河童のミイラです。
河童の手と伝えられる、干からびた手があるらしく、佐賀県の伊万里市では河童そのもののミイラまであって、テレビにバッチリ映し出されたのです。

やっぱり、河童はいる!
お母さんは嘘つきなんかじゃなかった。(涙)

でも、河童のミイラと言われているものの中には動物の骨をいくつか繋ぎ合わせて作られたものもあり、断定は出来ないと結論づけた動物学者も出演していたのです。

そして河童はいないという立場のほかの出演者は、「子供が川の危険な場所に近寄らないように、昔の人が河童をこしらえたんだ」と説明したのです。

天狗も、子供が山の危ないところに近寄らないように同じ理由で作られたと。

そうして、昔は架空の恐い生き物を作って、言う事を聞かない子供を黙らせていたけれど、時代がくだるに連れ、身近な人に「怒られるぞ」と言って、子供をしつける場合が多くなったと解説したのです。

そういう訳で、河童は子供を仕付けるために、昔の親が作った想像上の生き物だという説もある事がわかったのです。


だったら、私のお母さんも川の深いところに近寄らせないために、河童がいると私を騙したの?

とすると、「嘘つきは泥棒の始まり」と、いつも言っていたお母さん自身が泥棒で、私はその泥棒の娘という事になっちゃう。(涙)

そんな時に、私は「河童の三平」という漫画を手にしたのです。
それを読んだ私は飛び上がらんばかりに嬉しくなり、もう一度、河童を信じる気持ちが蘇ってきたのです♪


私がこの漫画を読んで、まず感心したのは河童の体の構造でした。

河童は手足に水かきという泳ぎやすいものが付いているのですが、そのほかに肛門を三つ持っていて、屁のパワーですごい推進力で泳げるのだとか。
それにヒントを得て、三平は水泳大会で優勝するのです。

だけど、この漫画、屁に非常にこだわっていて、無臭老人という仙人も登場し、屁で音楽を奏でる事も出来ちゃうのです。


無臭老人は言います。

「屁の道は、厳しく辛く空しいものである」

「誰もが大きなオナラを出し、誰もが屁を楽しむ時代にしたい」

その言葉通り、無臭老人はしょっちゅうオナラばかりしているのです。
でも、その名の通り、まったく臭わないらしいです。(苦笑)

これを読んだ私は、これからの人間は機械文明に頼るのでなく、人体を進化させるべきではないかと思いました。
つまり、早く泳ぐ時は屁の威力を発揮すべく、肛門を三つにし、暑い日や寒い日は体の温度調節機能で体温を自在にしたり、陸地を早く移動する時は、四つ足になりチーターみたいに早いスピードで走れるようにするとかです。(笑)

冗談はさておき、「河童の三平」を読んで、そのほかに気づいたのは、死に神を登場させる事で、水木しげるさんは死生観を描きたかったのではないかという事です。

まず、死に神は三平のおじいちゃんをお迎えに来るのですが、三平が激しい抵抗をするにも関わらず、当のおじいちゃんは「もうそろそろお迎えが来る頃だと思っていた」と言って、素直に自分の死を受け入れるのです。

また、お花さんという幽霊の女性はタヌキがお墓にしたうんこを三平が掃除してくれたお礼に、毎日、三平の世話をするようになります。

三平自身は蝶々に生まれ変わって、タヌキに手で握りつぶされ死んでしまいますが、地獄から盗んできたカメに入った魂を吸い込んで生き返ります。

そうして一度は助かるのですが、崖から落ちて再び死に、河童とタヌキがお母さんの面倒を見ると約束したのに安心し、死に神とあの世へ旅立っていくのです。


だけど、この漫画を読んでいた最中はあまりにも面白くて気づかず、あとからじんわり死について、いろいろ考えてみたくなったのです。


私達は、死をどう受け止めたらよいのでしょうね?

心安らかに死ぬにはどうしたらよいのでしょうね?


この漫画を読んで、そういう事を思っちゃいました。


それではご先祖様とよいお盆をお過ごし下さいませね♪









 

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