これまで、私は漫画の神様・手塚治虫のライバル、福井英一・横山光輝について書いて
きました。
ところが、それ以外にも、意外な人物が、手塚治虫のライバルとして存在していたので
す。
実は、小説家の三島由紀夫もそうだったと云うのです。
しかも、どうやら、尊敬もしていたようです。

「一億人の手塚治虫」より。
そこで、私はどこが似ているのか気になってきました。
それで、気づいたのは、二人とも登場人物をよく殺すことと、エロスに対して並々なら
ぬ関心を持っていた点でした。
三島作品には、エロスの場面がよく描かれていますし、手塚治虫もエロスの重要性を、
少女漫画家の里中満智子に力説し、彼女いわく、子供向けの漫画「エンゼルの丘」や「海
のトリトン」にさえ感じられるらしいです。
それでは、三島由紀夫は手塚治虫をどう思っていたのでしょう?
三島由紀夫は、当時の文化人にしては珍しく漫画や劇画が大好きだったようです。
ところが、三島由紀夫は手塚治虫の名作「火の鳥」を、こう評しているのです。
「劇画や漫画の作者がどんな思想を持とうと自由であるが、啓蒙家や教育者や図式的風
刺家になったら、その時点でもうおしまいである。かつて颯爽たる「鉄腕アトム」を創造
した手塚治虫も、「火の鳥」では日教組の御用漫画家になり果て、「宇宙虫」ですばらし
いニヒリズムを見せた水木しげるも、「ガロ」の「こどもの国」や「武蔵」連作では、見
るもむざんな政治主義に堕している。」
初出典、昭和45年「サンデー毎日二月一日号」、(劇画における若者論)より。単行
本「蘭陵王」所収
驚いたことに、三島由紀夫は「火の鳥」を批判していたのです。
これは、手塚治虫の知るところとなり、その時のいきさつを、手塚は1983年に「火
の鳥のロマン」という文章で明かしています。
「漫画のファンである三島由紀夫氏が、「火の鳥」を読んで、A誌に、「手塚治虫もつ
いに民青の手先となりはてたか」と批判した。
ぼくは、ぼくの意図をはっきり知って貰わねば困ると思って電話をかけた。
「とにかく最後まで読んでから批評してほしいですね」
だが、その三島氏も最後まで読むことができなかった。現在まだ連載が完結していない
からである。「手塚治虫大全1」より。
この文章を読んだ限りでは、三島由紀夫に対して怒っている感じはしないですよね?
むしろ、漫画ファンなのを喜び、「火の鳥」をこれからも読んでほしがっているように
感じます。
でも、気になるのは三島由紀夫が「火の鳥」のどの辺りを指して批判していたかです。
これだけでは、残念ながらよくわからないですものね。
果たして、手塚治虫がライフワークと位置づけていた名作「火の鳥」に盲点はあるので
しょうか?
ところが、「尚武のこころ」という対談集の中で、三島由紀夫は小汀利得との対談で、
具体的にそれについて喋っているのです。
それは、
無着成恭が、ラジオ番組「全国こども電話相談室」に、こどもから「先生、
スサノオノミコトとか、アマテラスオオカミの話は本当にあったんですか」と、かかって
きた電話に、スサノオノミコトがいかに悪いことをしたかというところから説明している
のを例に、三島由紀夫はこう話しているのです。
「これじゃ、ぼくは子供が可哀想になっちゃった。(笑い)唯物史観の、つまり、やり
方を教えて、まず基本的な生産関係の生産手段の破壊とか、そういうところから教えてい
って、それがいかにいけないかということ。そして神話的なことを全部リアリスティック
に教えている。子供の雑誌なんかをみていますと、手塚治虫などがやはり神話を書いてい
る。たとえば神武天皇など多民族を侵略した蛮族の酋長にしている。日本に古代奴隷制な
んてないんですが、奴隷たちが苦しめられて鞭で打たれて、そこで金の鳥が弓の上にとま
ったりして、それで人民を威嚇して・・・と、全部そういう話です。
ぼくは大学生が白土三平のマンガを読むのはまだいいと思う。それは唯物論をかじって
からマンガを読むんだからまだいい。あるいはマンガで唯物論をかじるにしてもです。だ
けど小学生や子供が読むのは、大学生が読むのとは違うでしょう。これがなんでもないよ
うな女の子向きのマンガの中に、支配階級を倒せとか、資本主義はいかんとか、それがた
くみにしみ込むように織り込んでいる。大人が神経を使っても、いつのまにか侵入してき
ているんですよ。」
これを読んで、私はハッとしてしまいました。
これは、ご存じの方も多いようですが、「火の鳥」の過去のお話は日本の歴史を扱って
いますが、事実だけではなく、手塚治虫の想像力によって歪曲して描いてある部分が、多
数あるのです。
だけど、手塚は「火の鳥のロマン」という文章で、「ぼくは出版社を経営し、マニアッ
クなマンガ雑誌を出すことになった。描き手のメンバーでもあるぼくは、このさい、何度
か発表したぼくなりの古代史観を、ここらで自分の雑誌で決着をつけたいと思った。」と
書いているのです。
つまり、「火の鳥」は手塚治虫の人生観のほかに、古代史観や歴史観も入っているので
す。
手塚治虫は、日本の成り立ちを考える上で、天皇は重要な存在だと考えたから、初代の
神武天皇を登場させたのだと思いますが、三島由紀夫の云うように蛮族の酋長とも受け取
られかねない嫌なイメージで描かれているのです。
これは、私たち日本人が、天皇に対するイメージとまったく違うものです。
ここで、ワタクシ事で恐縮ですが、神武天皇は私の住む宮崎県でご生誕遊ばされたこと
になっていまして、しかも、その場所である高原町はわが家から、車で30分という近い
距離にあります。
神武天皇は架空の天皇だと思っている人もいるようですが、宮崎県では実在を疑う者は
なく、今でも神武天皇にまつわるものが、高原町(神々が住むという高天原からきている
)や御池や血捨ノ木などの地名として残っていますし、言い伝えも数多く残されています
。
そして、宮崎市内にある宮崎神宮は神武天皇を祀っていて、神武天皇が崩御された4月
3日になると、毎年、神武天皇祭を行うほど、現在でも多くの県民の尊敬を一身に集めて
います。
聡明で、勇気があり、情に厚く、威厳に満ちた雲の上の存在。
それが、私たち、宮崎県民が抱く神武天皇に対するイメージです。
だから、「火の鳥」の神武天皇のイメージは到底、受け入れがたいものがあります。
それに、もし、神武天皇が、実際にそういうイメージだったら、天皇家は万世一系と言
われるほど長くは続かなかったと思います。
多くの外国では、戦いに勝利を収め、国を征服した者が、それまで国王として君臨して
いた者などを、女子供は言うに及ばず、一族すべてを皆殺しにしてきたから、天皇家ほど
長く続かなかったと云いますから。
神聖にして冒してはならない存在。
だから、天皇家の万世一系は保たれてきたのだと思います。
それに、手塚治虫が、本当に日本の古代史観を描きたかったのであれば、有りもしなか
った奴隷制も創作すべきではなかったのではないでしょうか?
何でも、日本人は穏やかな性質で、同じ人間を情け容赦なく使うことは出来ないのだそ
うです。
それは、聖徳太子が作った「憲法十七条」の一番、初めに「和をもって尊しとなす」と
書いてあるのにも現れていると云いますし、「判官びいき」にも日本人の優しさが見て取
れると、日本文学者で、日本文化研究の第一人者ドナルド・キーン氏が仰っています。
ドナルド・キーン氏によると、外国では勝負に負けた者を好きになるのは有り得ないら
しいです。
また、松尾芭蕉の「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」に代表されるように、日本人はセ
ミの声にさえ情緒を感じたりしますが、外国人にはただの雑音にしか聞けないと云います
。
そんな繊細な人を思いやる心に満ちた日本人に、奴隷制はどう考えても作れなかったの
ではないでしょうか?
そういう訳で、三島由紀夫の「火の鳥」の指摘はなるほどと思わざるを得ないです。
でも、少しおかしいなと感じても、読み進めるうち、次第に登場人物に共感し、作品の
世界に没入してしまい、気にならなくなってしまう。
そこが、手塚治虫のキャラクターの描き方の絶妙さであり、深い人生観に裏打ちされた
ストーリーテリングの妙味だと思います。
ですから、古代史観や歴史観を抜きにすれば、名作の名に値いするのは揺るがない事実
と言っていいでしょう。
ところで、不思議なのは三島由紀夫の遺作「豊饒の海」も、手塚治虫のライフワーク「
火の鳥」も、ともに輪廻転生を扱っている点です。
何でも、「火の鳥」は叶わなかったとは言え、手塚治虫が死の瞬間に完結させる計画が
あったそうで、ここにも二人の類似性が感じられます。
しかし、そうして、手塚治虫が生涯のライバルと目していた三島由紀夫は昭和45年に
割腹自殺して、突然、世を去ってしまいます。
その時、手塚治虫は何を思ったでしょう?
それから、二年後、手塚治虫は三島由紀夫をモデルにしたのではと思われる「ばるぼら
」という幻想と怪奇色に満ちた漫画を発表します。
その主人公の名は美倉洋介と言い、耽美主義をかざして、文壇にユニークな地位を築い
た流行作家という設定です。
この男にはある致命的な欠陥があった。
それは、異常性欲という持病で、外見はまるで健康体だが、日夜その苦しみにさいなま
れていた。
耽美主義の天才と呼ばれた男が、ある日、突然、世間の笑いものにされる。
男の名誉がそれを許さなかった。
そこで、男はボクシング、謡曲、馬、俳優稼業、ボート、剣道など、いろいろなものに
手を出して克服しようとした。
そんなある日、男は奇妙な女と出会う。
彼女の名は、ばるぼら。
ばるぼらと付き合い初めたとたん、男は創作意欲が湧き、アイデアが次々に浮かぶのだ
。
ところが、いなくなると、からっきし駄目になる。
いつしか、男はばるぼらと離れられなくなり、目もくらむような不思議な出来事に次々
に遭遇し、やがて、ボロボロに朽ち果てて行くのだ・・・
これは、一見、三島由紀夫をモデルにしたように見えますが、性格はまったく違うので
す。
それに、サングラスをかけてますし、異常性欲で、いろいろなものに手を出したという
のも、三島由紀夫とは違うようです。
その理由は、手塚のあとがきを読んで、はっきりしました。
この「ばるぼら」の主人公は、三島由紀夫と手塚治虫の二人を重ね合わせていたのです
。
手塚治虫はメガネをかけてましたし、異常性欲はオッフェンバッハのオペラ「ホフマン
物語」の主人公ホフマンがヒントになっているそうです。
手塚治虫によると、「ホフマン物語」は青春の感慨であり、人生訓なのだとか。
ホフマンは社交界の花形であると同時に意思の弱い好色家で、遊びほうけているうちに
、魔女の手先に自分の影を取られて、自己を失ってしまうそうです。
この物語は、マスコミの世界に溺れて喝采を得るために妥協するか、自分の主義を貫く
ために孤高を保つか、芸術家が必ず一度は遭遇する悩みを見事に描いたものだとか。
手塚治虫は、青春時代に観た思い出深いオペラ「ホフマン物語」をヒントに、生涯のラ
イバルとした三島由紀夫に自分を重ねあわせ、一つのケジメとして、「ばるぼら」を描き
たかったのかも知れません・・・
手塚治虫がライバルとした福井英一、横山光輝、三島由紀夫はみな男らしく、才能に満
ち溢れ、パワーを分け与えられる人だったように思われます。
手塚治虫はそうしたライバル達から、創作活動の活力を得て、名作を、次々に世に送っ
たのではないでしょうか?
きました。
ところが、それ以外にも、意外な人物が、手塚治虫のライバルとして存在していたので
す。
実は、小説家の三島由紀夫もそうだったと云うのです。
しかも、どうやら、尊敬もしていたようです。

「一億人の手塚治虫」より。
そこで、私はどこが似ているのか気になってきました。
それで、気づいたのは、二人とも登場人物をよく殺すことと、エロスに対して並々なら
ぬ関心を持っていた点でした。
三島作品には、エロスの場面がよく描かれていますし、手塚治虫もエロスの重要性を、
少女漫画家の里中満智子に力説し、彼女いわく、子供向けの漫画「エンゼルの丘」や「海
のトリトン」にさえ感じられるらしいです。
それでは、三島由紀夫は手塚治虫をどう思っていたのでしょう?
三島由紀夫は、当時の文化人にしては珍しく漫画や劇画が大好きだったようです。
ところが、三島由紀夫は手塚治虫の名作「火の鳥」を、こう評しているのです。
「劇画や漫画の作者がどんな思想を持とうと自由であるが、啓蒙家や教育者や図式的風
刺家になったら、その時点でもうおしまいである。かつて颯爽たる「鉄腕アトム」を創造
した手塚治虫も、「火の鳥」では日教組の御用漫画家になり果て、「宇宙虫」ですばらし
いニヒリズムを見せた水木しげるも、「ガロ」の「こどもの国」や「武蔵」連作では、見
るもむざんな政治主義に堕している。」
初出典、昭和45年「サンデー毎日二月一日号」、(劇画における若者論)より。単行
本「蘭陵王」所収
驚いたことに、三島由紀夫は「火の鳥」を批判していたのです。
これは、手塚治虫の知るところとなり、その時のいきさつを、手塚は1983年に「火
の鳥のロマン」という文章で明かしています。
「漫画のファンである三島由紀夫氏が、「火の鳥」を読んで、A誌に、「手塚治虫もつ
いに民青の手先となりはてたか」と批判した。
ぼくは、ぼくの意図をはっきり知って貰わねば困ると思って電話をかけた。
「とにかく最後まで読んでから批評してほしいですね」
だが、その三島氏も最後まで読むことができなかった。現在まだ連載が完結していない
からである。「手塚治虫大全1」より。
この文章を読んだ限りでは、三島由紀夫に対して怒っている感じはしないですよね?
むしろ、漫画ファンなのを喜び、「火の鳥」をこれからも読んでほしがっているように
感じます。
でも、気になるのは三島由紀夫が「火の鳥」のどの辺りを指して批判していたかです。
これだけでは、残念ながらよくわからないですものね。
果たして、手塚治虫がライフワークと位置づけていた名作「火の鳥」に盲点はあるので
しょうか?
ところが、「尚武のこころ」という対談集の中で、三島由紀夫は小汀利得との対談で、
具体的にそれについて喋っているのです。
それは、
無着成恭が、ラジオ番組「全国こども電話相談室」に、こどもから「先生、
スサノオノミコトとか、アマテラスオオカミの話は本当にあったんですか」と、かかって
きた電話に、スサノオノミコトがいかに悪いことをしたかというところから説明している
のを例に、三島由紀夫はこう話しているのです。
「これじゃ、ぼくは子供が可哀想になっちゃった。(笑い)唯物史観の、つまり、やり
方を教えて、まず基本的な生産関係の生産手段の破壊とか、そういうところから教えてい
って、それがいかにいけないかということ。そして神話的なことを全部リアリスティック
に教えている。子供の雑誌なんかをみていますと、手塚治虫などがやはり神話を書いてい
る。たとえば神武天皇など多民族を侵略した蛮族の酋長にしている。日本に古代奴隷制な
んてないんですが、奴隷たちが苦しめられて鞭で打たれて、そこで金の鳥が弓の上にとま
ったりして、それで人民を威嚇して・・・と、全部そういう話です。
ぼくは大学生が白土三平のマンガを読むのはまだいいと思う。それは唯物論をかじって
からマンガを読むんだからまだいい。あるいはマンガで唯物論をかじるにしてもです。だ
けど小学生や子供が読むのは、大学生が読むのとは違うでしょう。これがなんでもないよ
うな女の子向きのマンガの中に、支配階級を倒せとか、資本主義はいかんとか、それがた
くみにしみ込むように織り込んでいる。大人が神経を使っても、いつのまにか侵入してき
ているんですよ。」
これを読んで、私はハッとしてしまいました。
これは、ご存じの方も多いようですが、「火の鳥」の過去のお話は日本の歴史を扱って
いますが、事実だけではなく、手塚治虫の想像力によって歪曲して描いてある部分が、多
数あるのです。
だけど、手塚は「火の鳥のロマン」という文章で、「ぼくは出版社を経営し、マニアッ
クなマンガ雑誌を出すことになった。描き手のメンバーでもあるぼくは、このさい、何度
か発表したぼくなりの古代史観を、ここらで自分の雑誌で決着をつけたいと思った。」と
書いているのです。
つまり、「火の鳥」は手塚治虫の人生観のほかに、古代史観や歴史観も入っているので
す。
手塚治虫は、日本の成り立ちを考える上で、天皇は重要な存在だと考えたから、初代の
神武天皇を登場させたのだと思いますが、三島由紀夫の云うように蛮族の酋長とも受け取
られかねない嫌なイメージで描かれているのです。
これは、私たち日本人が、天皇に対するイメージとまったく違うものです。
ここで、ワタクシ事で恐縮ですが、神武天皇は私の住む宮崎県でご生誕遊ばされたこと
になっていまして、しかも、その場所である高原町はわが家から、車で30分という近い
距離にあります。
神武天皇は架空の天皇だと思っている人もいるようですが、宮崎県では実在を疑う者は
なく、今でも神武天皇にまつわるものが、高原町(神々が住むという高天原からきている
)や御池や血捨ノ木などの地名として残っていますし、言い伝えも数多く残されています
。
そして、宮崎市内にある宮崎神宮は神武天皇を祀っていて、神武天皇が崩御された4月
3日になると、毎年、神武天皇祭を行うほど、現在でも多くの県民の尊敬を一身に集めて
います。
聡明で、勇気があり、情に厚く、威厳に満ちた雲の上の存在。
それが、私たち、宮崎県民が抱く神武天皇に対するイメージです。
だから、「火の鳥」の神武天皇のイメージは到底、受け入れがたいものがあります。
それに、もし、神武天皇が、実際にそういうイメージだったら、天皇家は万世一系と言
われるほど長くは続かなかったと思います。
多くの外国では、戦いに勝利を収め、国を征服した者が、それまで国王として君臨して
いた者などを、女子供は言うに及ばず、一族すべてを皆殺しにしてきたから、天皇家ほど
長く続かなかったと云いますから。
神聖にして冒してはならない存在。
だから、天皇家の万世一系は保たれてきたのだと思います。
それに、手塚治虫が、本当に日本の古代史観を描きたかったのであれば、有りもしなか
った奴隷制も創作すべきではなかったのではないでしょうか?
何でも、日本人は穏やかな性質で、同じ人間を情け容赦なく使うことは出来ないのだそ
うです。
それは、聖徳太子が作った「憲法十七条」の一番、初めに「和をもって尊しとなす」と
書いてあるのにも現れていると云いますし、「判官びいき」にも日本人の優しさが見て取
れると、日本文学者で、日本文化研究の第一人者ドナルド・キーン氏が仰っています。
ドナルド・キーン氏によると、外国では勝負に負けた者を好きになるのは有り得ないら
しいです。
また、松尾芭蕉の「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」に代表されるように、日本人はセ
ミの声にさえ情緒を感じたりしますが、外国人にはただの雑音にしか聞けないと云います
。
そんな繊細な人を思いやる心に満ちた日本人に、奴隷制はどう考えても作れなかったの
ではないでしょうか?
そういう訳で、三島由紀夫の「火の鳥」の指摘はなるほどと思わざるを得ないです。
でも、少しおかしいなと感じても、読み進めるうち、次第に登場人物に共感し、作品の
世界に没入してしまい、気にならなくなってしまう。
そこが、手塚治虫のキャラクターの描き方の絶妙さであり、深い人生観に裏打ちされた
ストーリーテリングの妙味だと思います。
ですから、古代史観や歴史観を抜きにすれば、名作の名に値いするのは揺るがない事実
と言っていいでしょう。
ところで、不思議なのは三島由紀夫の遺作「豊饒の海」も、手塚治虫のライフワーク「
火の鳥」も、ともに輪廻転生を扱っている点です。
何でも、「火の鳥」は叶わなかったとは言え、手塚治虫が死の瞬間に完結させる計画が
あったそうで、ここにも二人の類似性が感じられます。
しかし、そうして、手塚治虫が生涯のライバルと目していた三島由紀夫は昭和45年に
割腹自殺して、突然、世を去ってしまいます。
その時、手塚治虫は何を思ったでしょう?
それから、二年後、手塚治虫は三島由紀夫をモデルにしたのではと思われる「ばるぼら
」という幻想と怪奇色に満ちた漫画を発表します。
その主人公の名は美倉洋介と言い、耽美主義をかざして、文壇にユニークな地位を築い
た流行作家という設定です。
この男にはある致命的な欠陥があった。
それは、異常性欲という持病で、外見はまるで健康体だが、日夜その苦しみにさいなま
れていた。
耽美主義の天才と呼ばれた男が、ある日、突然、世間の笑いものにされる。
男の名誉がそれを許さなかった。
そこで、男はボクシング、謡曲、馬、俳優稼業、ボート、剣道など、いろいろなものに
手を出して克服しようとした。
そんなある日、男は奇妙な女と出会う。
彼女の名は、ばるぼら。
ばるぼらと付き合い初めたとたん、男は創作意欲が湧き、アイデアが次々に浮かぶのだ
。
ところが、いなくなると、からっきし駄目になる。
いつしか、男はばるぼらと離れられなくなり、目もくらむような不思議な出来事に次々
に遭遇し、やがて、ボロボロに朽ち果てて行くのだ・・・
これは、一見、三島由紀夫をモデルにしたように見えますが、性格はまったく違うので
す。
それに、サングラスをかけてますし、異常性欲で、いろいろなものに手を出したという
のも、三島由紀夫とは違うようです。
その理由は、手塚のあとがきを読んで、はっきりしました。
この「ばるぼら」の主人公は、三島由紀夫と手塚治虫の二人を重ね合わせていたのです
。
手塚治虫はメガネをかけてましたし、異常性欲はオッフェンバッハのオペラ「ホフマン
物語」の主人公ホフマンがヒントになっているそうです。
手塚治虫によると、「ホフマン物語」は青春の感慨であり、人生訓なのだとか。
ホフマンは社交界の花形であると同時に意思の弱い好色家で、遊びほうけているうちに
、魔女の手先に自分の影を取られて、自己を失ってしまうそうです。
この物語は、マスコミの世界に溺れて喝采を得るために妥協するか、自分の主義を貫く
ために孤高を保つか、芸術家が必ず一度は遭遇する悩みを見事に描いたものだとか。
手塚治虫は、青春時代に観た思い出深いオペラ「ホフマン物語」をヒントに、生涯のラ
イバルとした三島由紀夫に自分を重ねあわせ、一つのケジメとして、「ばるぼら」を描き
たかったのかも知れません・・・
手塚治虫がライバルとした福井英一、横山光輝、三島由紀夫はみな男らしく、才能に満
ち溢れ、パワーを分け与えられる人だったように思われます。
手塚治虫はそうしたライバル達から、創作活動の活力を得て、名作を、次々に世に送っ
たのではないでしょうか?