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奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

映画「陽炎座」鈴木清順

2012-09-09 07:37:22 | 映画・テレビ
この映画は何回も観るのを中断してしまいました。
決して退屈だったからではありません。
先の読めるストーリーほど、つまらないものはないと言われますが、この映画の場合、場面転換が意外性に富んでいて、まったく先が読めずに、何回も戸惑ったからなのです。
しかも、セリフの一つ一つが重要な意味を持っていて、一時も気を抜けないのです。
だから、一回観ただけでは要領を得ず、何回も巻き戻したり、セリフを紙に書き写したりする作業が私には必要でした。
さて、この難物をどう文章にしたらいいのでしょう?
難しいには違いないのですが、無性に書きたい衝動が心の奥で渦を巻いていたのです。

だけど、いたずらに時が過ぎ、困ってしまいました。
そこへ、ちょうど私が以前、小津安二郎監督の「晩春」でご紹介した友達から、恋人が出来たという報告があり、それにインスピレーションを得て、何とか文章に出来そうな気がしてきたのです。

彼女はバツイチで、その後、どんな男性と付き合っても、ご縁が結ばれず、ようやく彼女が求める理想の恋人と巡り会えたのです。
それは、ごくありふれた出来事に思われるかも知れませんが、彼女は離婚に至った原因を非常に悩んで、その答えを探し求めて、様々な努力を重ねてきたのです。
彼女は相性さえ合えば、どんな男性とでも結ばれたかった訳ではないのです。
彼女が求める最高の男性に相応しい自分になるために、時には泣きながら頑張ってきたのです。

その結果、理想的な男性が、彼女の目の前に現れた。


私の幸せは、男性に自分の愛情のすべてを傾けて、最期を看取る事だと言った彼女に。


それでは、映画のお話に入らさせていただきます。

この映画は、女性の情念を主題にしているのですが、冒頭の場面で早くも驚かされてしまいます。

恋文を落として探している新派の劇作家の松崎は品子という謎の女性と出会います。

品子は、病院の陽炎のたっている辺りで、ほおずき売りのおばあさんに「女の魂を売っておるのじゃ。死んだ女の泣く声を聞いてみたくはないかの」と言われ、五十銭を渡すのです。

すると、おばあさんは「見舞いは無駄じゃ。病人は助からん」と言ったので、
品子は恐ろしくなり、その場を逃げたらしいのです。

その次に品子は病人へのお見舞いの花を、青山墓地から取ってきたと松崎に語り、さらに
「お墓にたむけてあるのを一本ずつ手を合わせていただいて参りましたの
病人の枕元に飾るつもりで
そんな女の魂でよろしかったら差し上げます」
と言うのです。

墓場の花を病人に届けるなんて、死ねというも同じじゃない?


でも、その理由を聞けば、なるほどと納得せずにはいられないのです。


そのお墓の花は、玉脇の妻イネが「いやみを言うな」と夫に断られたので、品子に頼んだのです。

故人を偲んで、お墓にたむけられたお花が一番美しい

そう思いません?


やがて、品子は金沢に行き、松崎のもとに彼女から手紙が届きます。

三度お逢いして、四度めの逢瀬は恋になります。
死なねばなりません。
それでもお逢いしたいと思うのです。

その手紙を読んだ松崎は品子を追って、金沢に行き、心中の現場を見に来たと言う玉脇と、期せずして合流するのです。

そして、そこで死んだはずのイネと品子が舟に乗っているところを見てしまう。

松崎は、品子と初めて出会ってからというのも、奇妙な出来事が次々に起こり、理解に苦しみ翻弄されてしまうのです。

なぜなのか?


それは、女の本質を見抜けずに、無理矢理、イネと品子に屈従を強いた玉脇への女の怨念の産物だったと次第に明らかにされていきます。


しかし、この映画はそれだけでは語り尽くせぬものがあるのではと、私は思いました。

私は、イネと品子の美しさに胸を打たれずにはいられなかったのです。

それは今の女性が忘れかけているもののようにも思えました。

お化粧や衣装は言うに及ばず、所作や言葉遣いの女性ならではの美しさ。

それはある程度、歳を重ねないと、体得出来ないもので、一流の女と言っても差し支えないでしょう。

ちょっと男性には耳が痛いかも知れませんが、こういう女性が少なくなってきた背景には男性にも責任があるのは間違いないでしょうね?

例えば、この映画にも登場する芸者さんがあげられます。
芸者さんは、今のホステスさんやコンパニオンのように、宴席で、ただお酒をついだり、話しを合わせるだけでなく、舞踊や音曲・鳴り物で興を添えていたのです。
昔の人は、そこに芸とともに、一流の女性の美を求めて、尊んで来た。

その芸者さんという職業がすたれていったのは、それを理解できる殿方がだんだんいなくなってしまったからだと、私は聞いた覚えがあります。


今、大人気の女性アイドル・グループにしても、昔の男性との女性を見る目や指向の違いを明確に見て取れます。

下手なりに、一生懸命やる姿を尊び、上手になったら卒業しなければならない。

これは一流を否定してるも同じじゃありません?

まだ年端もいかない十代の若者が、こういうアイドル・グループにうつつを抜かすのは、どうにか許せても、二十歳を越えた男性は一流の女を目指すべきだと思いませんか?


女性に好かれもしないで、未熟を尊ぶアイドル・タレントに一方的に好きになり、それで一人前の男性と言えますか?

あなたが一流の男性になれば、おのずと一流の女性が現れる。

そう思いません?

しかし、女には決しておかしてはならないものがあるのかも知れません。



話しを映画に戻しますね。
この映画は女性の神秘や本質を追い求め、謎を残したままラストを迎えます。

品子は、子供芝居の結末や作者が知りたくなり、子供に問いただそうとします。
しかし、それは自分の影を見る事であり、知ってはならない事でした。

それを知った時、品子のすべては終わりを告げたのです。


〇 △ □


女性に背中を向けた男性に、女性が指でなぞるこの記号にしても同じ事が言えるのではないでしょうか?

だけど、当の女性自身、この暗号の意味するところを何処まで把握しているのか?


男性と女性は永遠にわかり合えない。

そう結論づけずにはいられませんでした。










 

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