奈々の これが私の生きる道!

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映画「怪猫逢魔が辻」入江たか子

2012-07-15 09:15:50 | 映画・テレビ
先日、観た原田友世さん主演の「時をかける少女」に、入江たか子さんという美しくて上品な女優さんがご出演されていました。
入江たか子さんは、未来から来た深町一夫君のお婆さん役を演じていらっしゃいました。
実を言うと私は、この方のお名前に、はっとさせられのです。
入江たか子さんは、その昔、化け猫を演じさせたら、この人の右に出る女優さんはいないと言われるほど、一世を風靡した方だと聞いた覚えがあったからです。
そして、小津安二郎、黒澤明両監督と並んで、世界に認められた溝口健二監督に、映画「楊貴妃」で、「そんな演技だから、化け猫映画にしか出られないんだ」と、罵倒された人として、その名を記憶していたのです。

だけど、このエピソード、溝口監督に非があったみたいで、映画関係者の殆どは入江たか子さんに同情したみたいです。
溝口監督は確かに世界的に認められるほど優れた作品を何本も撮っているのですが、映画界きっての嫌われ者という、有り難くない側面も持っていたのだとか。
なんでも溝口監督は権威のある者に弱く、目下の者には横暴というタイプで、役者からもスタッフからも嫌われていて、さらに映画で使用した道具を無断で自分のものにしたり、生活費を映画の制作費から支払わせる事もあった、とんでもない人物だったらしいです。

この事実に、私はちょっとした興味を覚えました。

素晴らしい芸術作品を生み出す人は、人格的にも素晴らしいのではと思いがちですが、そうでない人でも作れちゃうみたいなのです。(笑)

だけど、私はそんな人を何人か知っています。

まず思いつくのは、小説「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」で知られる世界的文豪ドストエフスキーです。

この人はすごいギャンブル狂で、友人知人にお金を借りまくったあげく、借金を踏み倒してばかりで、相当な嫌われ者だったらしいです。(笑)

また「ローエングリーン」などのオペラで有名な作曲家ワグナーは、かなりの浪費家で、パトロンであった時の皇帝から、国家財政が逼迫するほど、お金を引き出させたとして、悪しき名を、今に残しています。

人を愛することの大切さを追求し続けたチャップリンとて例外ではありません。
チャップリンは「黄金狂時代」を撮った時に、主演女優リタ・グレイの体だけが欲しくて、ベッドを共にし、妊娠させてしまったそうです。
そこで、仕方なしに結婚し、主演女優をジョージア・ヘールに変えたのですが、今度はこの女性を好きになり、勝手にキスシーンをこしらえて、延々その場面を撮影したという有名なエピソードがあるのです。

名作「街の灯」で、愛の素晴らしさを追求し、我々に涙を流させた、あのチャップリンが、そんなとんでもない事をしていたなんて!

これはチャップリンの人生最大の汚点と言っていいのではないでしょうか。(笑)


だけど、私達は、これらの事実をどう解釈したらいいのでしょう?

天才には、常識に捕われない天才なりの尺度があるとでも解釈すればいいのでしょうか?


それはともかく、少し本題に近づけようと思います♪ 
化け猫という言葉は聞きますけど、化け犬って聞きませんよね?

なぜ、猫は化けるのでしょう?

実は、それをひもとく重要な逸話があります。
何百年もの昔、肥後国佐賀にて、主君の鍋島光茂の碁の相手をしていた臣下の龍造寺又七郎は、光茂の機嫌を損ねた為に斬殺されてしまった。
又七郎の母も、飼い猫に悲しみの胸中を語り、自害。
その血をなめた猫が化け猫になって、代わりに仇を討とうとした事件があったとか、なかったとか。

この逸話もまた興味深いです。

犬と猫を比較して、どちらが愛情深いかと問えば、たいていの人は犬と答えると思うのですが、この逸話では猫は化け猫になってまで、飼い主の愛情に応えたというのですから。

そういえば、犬が人に愛情を持っているのか、私は疑問に思えて仕方ない時があります。
犬はただ自分が愛されたいだけに人に寄って来て、人の言うことを聞くのでは?
そこへいくと、猫は気まぐれで、人にまったくこびたりはしません。
だけど、愛情は犬の数倍も持っていて、飼い主が殺されたら、化け猫になってまで敵討ちしてくれる。

どうです?
犬好きのあなた。

これで少しは猫を見直しませんか?


とは言うものの、わが家で飼っているのは犬なので、犬好きの人の気持ちもわからなくはないです。

はっきり言って、私は犬に愛されていると思ってますので、そのうえに殺されたら化け犬になってまで敵討ちしてほしいなんて、そこまで望んではいませんから。(笑)


それでは、いよいよ映画のお話に移りましょうか♪

女歌舞伎の人気役者・市川仙女は、同じ一座のライバル板東染若らの陰謀で花道から転落。
傷薬と偽って渡された劇薬を顔につけたところ、二度と見られぬ形相に成り果て、遂には惨殺される。
そこへ何処からともなくやって来た仙女の愛猫が、恨めしそうにその血をピチャリピチャリと嘗めては去って行った。
背筋も凍る怪奇復讐劇!


ビデオのパッケージの文章より。


そう、この映画は殺された市川仙女の愛猫が化け猫になって、敵討ちをするお話なのです。


私はこれを観て、純和風のホラー映画として、とても楽しめました。

日本には古くから怪談というホラーが存在していたのですよね。

それに、この映画が作られたのは昭和三十年で、特撮の技術がそれほどある訳でもなく、もっぱらストーリーで恐がらせる手法に委ねていたのもよかったです。

主人公市川仙女は情夫に殺されるのですが、それを指図したのが中村座の板東染若という女なのです。
彼女は妹を主役にしたい為に、わざと仙女を花道から転落させ、お酒の席で、お椀を仙女に投げ付けて傷を負わせ、そのあとも、ねちねち執拗に仙女をなき者にしようと企むのです。


女の敵は女以外にない。


まさに、その通りだと思います。

女性は美しくて優しい生き物だと思っている男性にはショックかも知れませんが、女ほど残酷で汚らしい生き物は、この世にいないのも、事実なのです。(笑)


女が優しいのは愛情を持っている僅かの人に限られ、美しく男性にモテモテの同性が悲運に見舞われた場合、同情するどころか、一顧だにしないケースが殆どなのです。

そのいい例が、原節子さん主演の映画を数多く撮った小津安二郎監督の作品です。
小津監督は女性の美をひたすら追求し、一点の汚れもない女性像を原節子さんに演じさせました。
その結果、女性は原節子さんの美しさに嫉妬し、女性の幸せを願って撮ったはずの小津映画は、女性に総スカンを食うようになってしまったのです。

嘘だと思ったら、小津映画について書いているブログを探してご覧になって下さい。
私は、女性が小津作品を取り上げ賞賛しているブログに今だかつて出会った試しがありません。

そう、女の敵は女なのです。

女性は、決して美しい女性には目もくれようとしません。
女性が女性に優しいのは、あくまでも自分より美しくない劣った女性である場合に限られるのです。
レズビアンは別として。(笑)


これから、だんだん暑くなって来ますね~
たまには、純和風のホラー映画でも観て、涼まれてはいかがでしょうか♪


では、最後にひとこと。
女は女に冷たい生き物ですが、男性には心の底から優しいですので、どうぞご安心を。(笑)












 

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