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奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

「不道徳教育講座」三島由紀夫

2013-11-10 05:23:47 | 読書
 読書の秋という事で、今回は三島由紀夫のお話をしたいと思います。


 私が初めて三島由紀夫を知ったのは、子供の頃に、テレビのニュースで、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で、クーデターの決起を呼びかけ、自決したニュースでした。
 
 これは、当時の人々を大いに驚かせたみたいで、何度もテレビの歴史的事件を扱った特集番組で、決起を呼びかける三島由紀夫を観て、すっかり私の頭に焼きついてしまいました。

 次に思い出すのは、三島由紀夫の自決の事件から、数年後、高校の先生が、三島由紀夫が死んだ時の様子を教えてくれたお話です。
 その先生が言うには、三島由紀夫の死体を調べたところ、首に何度も斬りつけたあとがあり、介錯した人はおそらく初めてで慣れてなかったので、何度も斬り損ねてしまい、三島はかなり苦しんで死んだのではないかという、とてもショッキングなお話でした。
それがトラウマになったのか、私は三島由紀夫を読もうという意欲がまったくわかなくなったのです。
 でも、映画の本で、たまたま三島由紀夫が、ジェームズ・ディーンについて書いてるのを読んで、鋭い洞察力と独特の感性にすごいなと思った事はありました。

 しかし、それでも、三島由紀夫の作品を読みたいとは思いませんでした。

 盾の会という自営の軍隊らしきものを組織し、ボディビルで、体を鍛え、肉体美や男性としての生き方を追求していた三島由紀夫は、女性が読んでもあまり理解できないのではないか?

 勝手に、そう思い込んでいたのです。

 それからだいぶ経って、ミュージシャンの宇多田ヒカルさんが、三島由紀夫を愛読書にあげているのを知りました。

 宇多田ヒカルさんは、海外生活が長かった人で、三島由紀夫に日本的な何かを感じていたのでしょうか?


 それで少し三島由紀夫の見方が変わってきたのですが、それでもまだ読もうという気持ちにはなりませんでした。

 ところが、私がブログを書くようになってから、三島由紀夫が好きだという複数の男性が、読者になってくれたり、コメントを寄せてくれるようになったのです。


 今でも、三島由紀夫が好きな人が多いのでしょうか?
それとも三島由紀夫が好きな人と、私は相性がいいのでしょうか?

 それが発端になり、私は断然、三島由紀夫を知りたくなったのです。

 それで、三島由紀夫が出演しているという映画「黒蜥蜴」を観て、ブログにも書いたのですが、最近になって、「不道徳教育講座」なる著書を、三島由紀夫の大ファンの男性に勧められたのです。
 私としては、一番、有名な初初しい青春を謳歌した「潮騒」から読みたかったのですが。
 それに、「不道徳教育講座」というタイトルは、私が読むのにふさわしくないような気がしましたし。(苦笑)

 でも、読み始めてみて、この本は確かに三島由紀夫の入門書として最適だなと納得したんです。
 この本には、三島由紀夫の考えや人柄がわかりやすく書かれていますし、自己啓発書としても優れていると思いました。
 この本には、いわゆる社会通念上、道徳的とか、常識と思われている事と相反する事がいろいろ書かれています。

 その理由を三島由紀夫はこう述べています。
 
 十八世紀の大小説家井原西鶴の小説に「本朝二十不幸」というものがあります。
 これは中国の有名な「二十四孝」をもじったもので、よりによった親不孝者の話をならべたものです。
 大体、親孝行の話などは、読んでおもしろくなく、くすぐったくなるような、わざとらしい話が多いが、そこへ行くと、思い切った親不孝の話は読んでおもしろく、自分は相当親不孝のつもりでも、そこまで徹底できる自信はなくなり、「へえ、親不孝にも上には上があるもんだなあ」と妙に及びがたい気持ちになり、それに比べると、自分なんかは相当な親孝行に思われてくる。
 そしてまず、自分を親孝行だと思うことが孝行のはじまりですから、こういう本はなかなか益があることになる。
 私が流行の道徳教育をもじって、「不道徳教育講座」を開講するのも、西鶴のためしにならったからである。
 
 
 そう、この本は、逆説的に、これ以上はないだろうなというくらい不道徳的な事を勧めて、人生どう生きるべきかを教えてくれているのです。
 しかも、これに書いてある事は今の時代でも、十分、通用するように思えます。
 そして、この本を読んだ私は、めちゃくちゃ三島由紀夫に親近感を覚えました。

 私は、それまで三島由紀夫は、年配の人か、読書通の人が読むものと思っていたのですが、この本を三島由紀夫が書いた時、まだ34歳という若さで、若い世代に一番、人気があったというのです。

 つまり、若者にも読みやすくて、必要以上に肩肘張って読まなくてもいいって事♪

 だってね、この本は、昭和33年に若者向けの雑誌「週間明星」に連載されてて、ユーモアをふんだんに混じえて書いてあって、思わずゲラゲラ笑っちゃう趣向が、あちこちに施されているのですから。  

 それはまるで、自分が重荷に感じていた事から開放されたようでありました。

 まず、最初の文章を読んで、私はすぐに女子校生に戻った錯覚を覚え、先生の教えを有りがたく拝聴する気分になったんです。(笑)

 というのも、最初に三島由紀夫が銀座で、偶然、知り合った高校二年生の三人組の女の

子の、無邪気な様子が活き活きと書かれていたからです。
 

 それが私の若い頃にそっくりなんです。(笑)
 
 そうしながら、三島由紀夫は不道徳的な事を、これでもかこれでもかと勧めているのです。

 例えば、教師を内心バカにすべしとか、大いにウソをつくべしとか、友人を裏切るべしとか、できるだけ自惚れよとか、約束を守るなかれとか。

 若者が気になる性に対する話題も豊富にあります。(笑)
 
 その中で私が、とくに気になったのは、「童貞は一刻も早く捨てよ」という文章です。
 
 あのノーベル賞作家の川端康成の小説に、童貞を重荷に感ずる少年が、月に向かって、「僕の童貞をあげよう」と叫ぶ美しい場面があるそうで、哲学者のニーチェは「ツァラト

ゥストラはかく語りき」の中で、「純潔の難き者には、純潔を捨てしめよ。むりに純潔を保持させることによって、その純潔が地獄の路に、霊魂の泥土と淫欲との路に化してしまうよりは、そのほうがいい」と書いているとか。

 そして、童貞でいる間の男は不潔なもので、頭は猥褻な妄想でいっぱいになっていて、透明な精神は持てっこなく、三島由紀夫自身、童貞を失うのが遅く、それが彼の人生の一大痛恨事であり、自らかえりみて、得したことは一つもなかったと断言しています!

 まあ、確かに私がもしエッチする相手が童貞だったら、困っちゃいます。
 だって、そうなると必然的に経験豊富な私が、男性に性のテクニックを教えるというか、リードすることになってしまいますので。
 
 「私は、あくまでも受け身でいたいので、男性の上にまたがって、自ら腰を振るなんて、恥ずかしいこと、とても出来ません!」(真っ赤)
 

 それで三島由紀夫が言うには、処女でない年増女の中に、童貞を珍重する「童貞喰い」という種類の女族が存在するらしく、彼女らに菩薩道実践のために挺身すべきであって、

一人で百人や二百人の童貞を一身に引き受ける覚悟でいてもらいたいと書いています。
 そしてさらに、こういう女性に警告すべきは男性の性欲というものは女性の自惚れを満足させるためだけにあるものではなく、彼自身の自尊心を満足させるためのものでもあるということを、くれぐれも忘れないでほしいとして、童貞の少年の自尊心は、少女のそれよりも傷つきやすいので、自尊心をいたわりつつ、賢明、親切、熟練、冷静、沈着に事に当たるべきであって、決して侮蔑的言辞を弄してはならぬ。諸姉の一言半句が、一人の男の一生の女性観人生観を決定することを考えて、菩薩道を実践してほしいと説いています。

 童貞の男性を相手にするって、責任重大で、なかなか大変なことなんですね?


 さすが、今も読まれている三島由紀夫だけあって、とても深いです。


 割愛させていただきますが、そのほかにも目からウロコが出るような、とても素晴らしい教えが、古今東西の広範な知識と共に、思慮深く書かれていました。


 そういう訳で、悩める私の人生の指南書として、また三島由紀夫を手軽に知るという意味で、この「不道徳教育講座」はとても興味深い本だなと思いました♪ 
 
 

 




     

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