先日、動乱の幕末を舞台にした「人斬り」という、ちょっと物騒なタイトルの映画を観てました。

理由は、この映画に、三島由紀夫が準主役で出演し、切腹シーンがあると知ったからです
。
この映画は、三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自決する前年の1969年に製作
されたのですが、とにかく、すごい映画なんです!
配役は、主役の岡田以蔵が、勝新太郎さん、武市半平太が、仲代達矢さん、坂本龍馬が、
石原裕次郎さん、女郎屋のおみの役が、倍賞美津子さん、牢名主に欽ちゃんこと萩本欽一さ
ん、熊髭の坂上二郎さん、そのほか、仲谷昇さん、山本圭さん、田中邦衛さん、辰巳柳太郎
さんら、超大物揃い!
そして、監督は女優を脱がせたら、右に出る者はいないと謳われたあの五社英雄監督!(
笑)
私は、五社英雄監督の映画は、「鬼龍院花子の生涯」をはじめ、何本か観てますけど、ど
れも殺気立ち、勇気を試されるみたいで、その迫力には圧倒されんばかりです。
三島由紀夫は、この映画で幕末の四大人斬りの一人として恐れられた薩摩藩士の田中新兵
衛を演じています。
三島由紀夫がこの役に抜擢されたのは、すでに「からっ風野郎」「憂国」という映画で役
者としての経験があり、かつ剣道で、北辰一刀流五段の腕前を持っていたのが理由で、事実
、主役の勝新太郎さんと互角に渡りあうほどの迫真の演技力を見せ、全身から発散する殺気
で、ほかの役者さんが震えあがるほどだったそうです。
しかし、単にそればかりでなく、勝新太郎さん演じる以蔵に酒場で泣きつかれた時、「わ
かった、わかった、何も言うな」と肩を抱いて慰めるシーンもあり、男同士の友情も味わい
深く演じています。
三島由紀夫はこのシーンを振り返り、「以蔵が可哀想というより、勝ちゃんそのものが可
哀想な気分になっちゃってねー。思わず、もらい泣きするところだった。」と語ったとか。
三島由紀夫の優しい一面が伺えますよね。
では、気になる三島由紀夫の切腹シーンはといいますと、右の諸肌を脱ぐや、長い刀を一
気に腹に突き立てます。それをカメラが右側上半身をアップで撮り、鍛え上げられた肉体が
捉えられ、その瞬間に血しぶきが顔まで飛び散り、武士として潔く切腹する三島の表情は微
笑みを見せ、どこか美しく鮮烈な印象を残します。
もう、「お見事~!」の一言に尽きちゃいます~♪
こうした三島由紀夫の熱演の甲斐あり、映画は大ヒットし、1969年度の映画興行の第
四位に輝いたそうです。
余談ではありますが、この映画を観ていたら、手塚治虫先生のマンガ「悪右衛門」と類似
している点に、はっとしたんです。

時代劇という時代設定も同じですし、主人公の悪右衛門の性格が、勝新太郎さんが演じた
岡田以蔵にそっくりなんです。
しかも、主君にいいように使われ、最後は殺されるところまで同じ・・・
「悪右衛門」は、「葛の葉伝説」を多く取り入れていますが、手塚先生はこの映画「人斬
り」も参考にしたのではないでしょうか?
ところで、私がこの映画を観たかった理由はもう一つあります。
それは、この映画の原作者が、司馬遼太郎さんだったからです。
司馬遼太郎さんといえば、歴史小説や、「街道は行く」などの歴史随想で知られ、会社経
営者や重役などに、ある種、経営のバイブルとして、また上級のエンターテイメントとして
読まれた時代があったそうです。
それは、混迷、動乱の時代を生き抜き、歴史を刻んだ歴史上の人物を、歴史家と同等の完
璧な歴史考証に基づき、鮮やかに描いた点にあったとか。
その司馬遼太郎さんと、三島由紀夫とを比較するコメントを、以前、私が書いた記事に下
さった方がいらしたのです。
その時、私の頭に浮かんだのは、中央公論社発行の「三島由紀夫と戦後」という本に、司
馬遼太郎さんの名があったことで、その司馬さんの文章「異常な三島事件に接して」は、三
島由紀夫が割腹自決した1970年11月25日の翌日、毎日新聞に載ったものでした。
その文章を読んで、私は飛び上がらんばかりに驚いてしまったのです。
三島氏のさんたんたる死に接し、それがあまりになまなましいために、じつをいうと、こ
ういう文章を書く気がおこらない。ただ、この死に接して精神異常者が異常を発し、かれの
死の薄汚れた模倣をするのではないかということをおそれ、ただそれだけの理由のために書
く。
その文章は、こんな書き出しから始まっていました。
司馬遼太郎さんは、三島由紀夫が起こした事件を非難している。
そういう意見は当然、あるだろうけど、それにしても、ひど過ぎない?
私は、これまでにも三島由紀夫に否定的な文章をいくつも読んでいますが、それらは浅薄
で、独断と偏見に満ちたものが多かったので、たいして気にならなかったのですが、司馬遼
太郎さんだったら、そうはいきません。
私は、それまで司馬さんの作品を、僅かではありますが読んでいて、歴史上の人物を通し
、真の男らしさを追求していた点に惹かれるものがあったのです。
少し前になりますが、「燃えよ剣」という司馬遼太郎さん原作の映画も観ています。
栗塚旭さん演じる土方歳三、かっこよかったです♪
それはともかく司馬遼太郎さんが、あの文章を書いた理由が知りたい!
そう思った時、先日、古本屋さんで、「三島由紀夫と司馬遼太郎」という本を見かけたの
を思い出したのです。
この本の著者は松本健一さんで、生前の司馬遼太郎さんと親交があり、著書もほとんど読
んでいて、やはり、あの文章の意味が知りたくて、この本を書くに至ったそうです。
この本を読んで、私は、意外な事実に、愕然としてしまいました。
司馬遼太郎さんの書いた文章は、歴史を忠実に再現していなかったのです。
司馬遼太郎さんの歴史観・価値観に応じて、黙殺したり、史実と違う箇所がいくつもあ
るらしいのです。
たとえば、さっき触れた「燃えよ剣」では、新選組の土方歳三は実際には池田屋襲撃の際
、尊攘派志士の古高俊太郎を拷問し白状させたのに、土方歳三を美化するために、その残酷
な事実を削ぎ落としたばかりか、改ざんまでしているとか。
日露戦争を描いた代表作「坂の上の雲」は、かなり細部にまで渡り、史実を再現させたそ
うですが、軍神と讃えられた乃木希典将軍を、203高地での膨大な死傷者の数を楯に、必
要以上に徹底的に無能者呼ばわりし、さらに軍神伝説につながる母親との美談にも一切ふれ
なかった。
だから、司馬遼太郎さんの作品は司馬さん独自の歴史観・価値観が、色濃く反映されて
いて、厳密に言うと史実を装ったフィクションだと唱える歴史家までいるそうです。
ね~、びっくりでしょう?
そこで三島由紀夫ですが、司馬遼太郎さんにとって、どこが批判の対象になったのでしょ
うか?
この本を読むと、どうやら、三島由紀夫本人というより、先にご紹介させていただいたよ
うに、歴史観・価値観が大きく関わっているようです。
とくに問題にしたのは、三島由紀夫が信望した陽明学という思想らしいです。
司馬遼太郎さんは、三島由紀夫が割腹自決した翌日に書いた「異常な三島事件に接して」
で、こう書いています。
思想というものは、本来、大虚構であることをわれわれは知るべきである。思想は思想自
体として存在し、思想自体にして高度の論理的結晶化を遂げるところに思想の栄光があり、
現実とはなんのかかわりもなく、現実とかかわりがないというところに繰り返していう栄光
がある。
ところが、思想は現実と結合すべきだというふしぎな考え方が常にあり、とくに政治思想
においてそれが濃厚であり、たとえば吉田松陰がそれであった。
この吉田松陰が唱えたのが、陽明学という思想で、このあと司馬遼太郎さんは吉田松陰を
例に、思想を現実化出来るのは神様のみで、人間がやろうとすれば、狂気を触媒とするほか
ないとし、その行き着く先は、死があるのみであると、司馬遼太郎さんは説いているのです
。
それに対し、三島由紀夫は陽明学徒の系譜を、中江藤樹を学祖に据えたうえで、大塩平八
郎、西郷隆盛、吉田松陰、乃木希典へとつながる革命哲学になったとし、これこそ司馬遼太
郎さんがもっとも忌み嫌うところのものであったとか。
この陽明学が、「知行合一」という行動哲学を持っていたのですが、これは朱子学の分派
になり、朱子学がついに認識論を主とし、朱子のいう「知先行後」だったのに対して、陽明
学は鋭く反逆した革命思想で、明治維新が成し遂げられたのは、まさにこれがあったからに
ほかならないと、三島由紀夫は指摘しているそうです。
となると、司馬遼太郎さんの言う陽明学を信望すると、狂うしかなく、その行き着く先は
死だけだというのは考えすぎのようにも思えてなりませんよね?
三島由紀夫の場合は、常識では計り知れない死に方をしたので、そう考えざるを得なかっ
たのかもしれませんが。
それはともかく、司馬遼太郎さんは三島由紀夫が起こした事件については批判的だったよ
うですが、作品そのものは大きく評価していたようです。
前回、書いた「午後の曳航」という小説も(まことの名作)と絶賛しています。
その確かな証拠に、三島由紀夫本人や作品については、「三島氏ほどの大きな文学者を、日
本史は数少なくしか持っていないし、後世あるいは最大の存在とするかもしれない。」と、
最大限の賛辞を贈っているのですから。
三島由紀夫にしても、司馬遼太郎さんに関する文章はひとつも残してないそうですが、司
馬さん原作の映画「人斬り」では出演を快く引き受け、張り切って熱演していますし、互い
の思想信条や価値観は違っていたかもしれませんけど、共に真の男らしさを追求した者同士、きっと
どこかで通じあっていたのかも知れませんね♪

理由は、この映画に、三島由紀夫が準主役で出演し、切腹シーンがあると知ったからです
。
この映画は、三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自決する前年の1969年に製作
されたのですが、とにかく、すごい映画なんです!
配役は、主役の岡田以蔵が、勝新太郎さん、武市半平太が、仲代達矢さん、坂本龍馬が、
石原裕次郎さん、女郎屋のおみの役が、倍賞美津子さん、牢名主に欽ちゃんこと萩本欽一さ
ん、熊髭の坂上二郎さん、そのほか、仲谷昇さん、山本圭さん、田中邦衛さん、辰巳柳太郎
さんら、超大物揃い!
そして、監督は女優を脱がせたら、右に出る者はいないと謳われたあの五社英雄監督!(
笑)
私は、五社英雄監督の映画は、「鬼龍院花子の生涯」をはじめ、何本か観てますけど、ど
れも殺気立ち、勇気を試されるみたいで、その迫力には圧倒されんばかりです。
三島由紀夫は、この映画で幕末の四大人斬りの一人として恐れられた薩摩藩士の田中新兵
衛を演じています。
三島由紀夫がこの役に抜擢されたのは、すでに「からっ風野郎」「憂国」という映画で役
者としての経験があり、かつ剣道で、北辰一刀流五段の腕前を持っていたのが理由で、事実
、主役の勝新太郎さんと互角に渡りあうほどの迫真の演技力を見せ、全身から発散する殺気
で、ほかの役者さんが震えあがるほどだったそうです。
しかし、単にそればかりでなく、勝新太郎さん演じる以蔵に酒場で泣きつかれた時、「わ
かった、わかった、何も言うな」と肩を抱いて慰めるシーンもあり、男同士の友情も味わい
深く演じています。
三島由紀夫はこのシーンを振り返り、「以蔵が可哀想というより、勝ちゃんそのものが可
哀想な気分になっちゃってねー。思わず、もらい泣きするところだった。」と語ったとか。
三島由紀夫の優しい一面が伺えますよね。
では、気になる三島由紀夫の切腹シーンはといいますと、右の諸肌を脱ぐや、長い刀を一
気に腹に突き立てます。それをカメラが右側上半身をアップで撮り、鍛え上げられた肉体が
捉えられ、その瞬間に血しぶきが顔まで飛び散り、武士として潔く切腹する三島の表情は微
笑みを見せ、どこか美しく鮮烈な印象を残します。
もう、「お見事~!」の一言に尽きちゃいます~♪
こうした三島由紀夫の熱演の甲斐あり、映画は大ヒットし、1969年度の映画興行の第
四位に輝いたそうです。
余談ではありますが、この映画を観ていたら、手塚治虫先生のマンガ「悪右衛門」と類似
している点に、はっとしたんです。

時代劇という時代設定も同じですし、主人公の悪右衛門の性格が、勝新太郎さんが演じた
岡田以蔵にそっくりなんです。
しかも、主君にいいように使われ、最後は殺されるところまで同じ・・・
「悪右衛門」は、「葛の葉伝説」を多く取り入れていますが、手塚先生はこの映画「人斬
り」も参考にしたのではないでしょうか?
ところで、私がこの映画を観たかった理由はもう一つあります。
それは、この映画の原作者が、司馬遼太郎さんだったからです。
司馬遼太郎さんといえば、歴史小説や、「街道は行く」などの歴史随想で知られ、会社経
営者や重役などに、ある種、経営のバイブルとして、また上級のエンターテイメントとして
読まれた時代があったそうです。
それは、混迷、動乱の時代を生き抜き、歴史を刻んだ歴史上の人物を、歴史家と同等の完
璧な歴史考証に基づき、鮮やかに描いた点にあったとか。
その司馬遼太郎さんと、三島由紀夫とを比較するコメントを、以前、私が書いた記事に下
さった方がいらしたのです。
その時、私の頭に浮かんだのは、中央公論社発行の「三島由紀夫と戦後」という本に、司
馬遼太郎さんの名があったことで、その司馬さんの文章「異常な三島事件に接して」は、三
島由紀夫が割腹自決した1970年11月25日の翌日、毎日新聞に載ったものでした。
その文章を読んで、私は飛び上がらんばかりに驚いてしまったのです。
三島氏のさんたんたる死に接し、それがあまりになまなましいために、じつをいうと、こ
ういう文章を書く気がおこらない。ただ、この死に接して精神異常者が異常を発し、かれの
死の薄汚れた模倣をするのではないかということをおそれ、ただそれだけの理由のために書
く。
その文章は、こんな書き出しから始まっていました。
司馬遼太郎さんは、三島由紀夫が起こした事件を非難している。
そういう意見は当然、あるだろうけど、それにしても、ひど過ぎない?
私は、これまでにも三島由紀夫に否定的な文章をいくつも読んでいますが、それらは浅薄
で、独断と偏見に満ちたものが多かったので、たいして気にならなかったのですが、司馬遼
太郎さんだったら、そうはいきません。
私は、それまで司馬さんの作品を、僅かではありますが読んでいて、歴史上の人物を通し
、真の男らしさを追求していた点に惹かれるものがあったのです。
少し前になりますが、「燃えよ剣」という司馬遼太郎さん原作の映画も観ています。
栗塚旭さん演じる土方歳三、かっこよかったです♪
それはともかく司馬遼太郎さんが、あの文章を書いた理由が知りたい!
そう思った時、先日、古本屋さんで、「三島由紀夫と司馬遼太郎」という本を見かけたの
を思い出したのです。
この本の著者は松本健一さんで、生前の司馬遼太郎さんと親交があり、著書もほとんど読
んでいて、やはり、あの文章の意味が知りたくて、この本を書くに至ったそうです。
この本を読んで、私は、意外な事実に、愕然としてしまいました。
司馬遼太郎さんの書いた文章は、歴史を忠実に再現していなかったのです。
司馬遼太郎さんの歴史観・価値観に応じて、黙殺したり、史実と違う箇所がいくつもあ
るらしいのです。
たとえば、さっき触れた「燃えよ剣」では、新選組の土方歳三は実際には池田屋襲撃の際
、尊攘派志士の古高俊太郎を拷問し白状させたのに、土方歳三を美化するために、その残酷
な事実を削ぎ落としたばかりか、改ざんまでしているとか。
日露戦争を描いた代表作「坂の上の雲」は、かなり細部にまで渡り、史実を再現させたそ
うですが、軍神と讃えられた乃木希典将軍を、203高地での膨大な死傷者の数を楯に、必
要以上に徹底的に無能者呼ばわりし、さらに軍神伝説につながる母親との美談にも一切ふれ
なかった。
だから、司馬遼太郎さんの作品は司馬さん独自の歴史観・価値観が、色濃く反映されて
いて、厳密に言うと史実を装ったフィクションだと唱える歴史家までいるそうです。
ね~、びっくりでしょう?
そこで三島由紀夫ですが、司馬遼太郎さんにとって、どこが批判の対象になったのでしょ
うか?
この本を読むと、どうやら、三島由紀夫本人というより、先にご紹介させていただいたよ
うに、歴史観・価値観が大きく関わっているようです。
とくに問題にしたのは、三島由紀夫が信望した陽明学という思想らしいです。
司馬遼太郎さんは、三島由紀夫が割腹自決した翌日に書いた「異常な三島事件に接して」
で、こう書いています。
思想というものは、本来、大虚構であることをわれわれは知るべきである。思想は思想自
体として存在し、思想自体にして高度の論理的結晶化を遂げるところに思想の栄光があり、
現実とはなんのかかわりもなく、現実とかかわりがないというところに繰り返していう栄光
がある。
ところが、思想は現実と結合すべきだというふしぎな考え方が常にあり、とくに政治思想
においてそれが濃厚であり、たとえば吉田松陰がそれであった。
この吉田松陰が唱えたのが、陽明学という思想で、このあと司馬遼太郎さんは吉田松陰を
例に、思想を現実化出来るのは神様のみで、人間がやろうとすれば、狂気を触媒とするほか
ないとし、その行き着く先は、死があるのみであると、司馬遼太郎さんは説いているのです
。
それに対し、三島由紀夫は陽明学徒の系譜を、中江藤樹を学祖に据えたうえで、大塩平八
郎、西郷隆盛、吉田松陰、乃木希典へとつながる革命哲学になったとし、これこそ司馬遼太
郎さんがもっとも忌み嫌うところのものであったとか。
この陽明学が、「知行合一」という行動哲学を持っていたのですが、これは朱子学の分派
になり、朱子学がついに認識論を主とし、朱子のいう「知先行後」だったのに対して、陽明
学は鋭く反逆した革命思想で、明治維新が成し遂げられたのは、まさにこれがあったからに
ほかならないと、三島由紀夫は指摘しているそうです。
となると、司馬遼太郎さんの言う陽明学を信望すると、狂うしかなく、その行き着く先は
死だけだというのは考えすぎのようにも思えてなりませんよね?
三島由紀夫の場合は、常識では計り知れない死に方をしたので、そう考えざるを得なかっ
たのかもしれませんが。
それはともかく、司馬遼太郎さんは三島由紀夫が起こした事件については批判的だったよ
うですが、作品そのものは大きく評価していたようです。
前回、書いた「午後の曳航」という小説も(まことの名作)と絶賛しています。
その確かな証拠に、三島由紀夫本人や作品については、「三島氏ほどの大きな文学者を、日
本史は数少なくしか持っていないし、後世あるいは最大の存在とするかもしれない。」と、
最大限の賛辞を贈っているのですから。
三島由紀夫にしても、司馬遼太郎さんに関する文章はひとつも残してないそうですが、司
馬さん原作の映画「人斬り」では出演を快く引き受け、張り切って熱演していますし、互い
の思想信条や価値観は違っていたかもしれませんけど、共に真の男らしさを追求した者同士、きっと
どこかで通じあっていたのかも知れませんね♪