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奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

童話「やまなし」宮沢賢治

2011-08-27 07:28:38 | 読書
もうすぐ、八月が終わりますが、今年の夏も暑かったですね。
あなたは、どんなふうに暑さをしのいだのでしょうか?

私はこのひと夏、何度も、宮沢賢治の「やまなし」を思い返していました。

この童話は、小さな谷川の底に住む二匹の兄弟の、かにのお話で、私は水の中の情景を思い出しながら、涼しい気分にひたっていたのです。

ところで、この童話には聞いた事のない不思議な言葉が出てきます。

「クラムボンが笑ったよ」

「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」


このクラムボンという言葉、賢治の造語らしく、かにを指しているとも言われますが、定かではありません。

ところが、このクラムボンが、童話には不似合いなほど、不気味で暗示的な使われ方をされるのです。
それは、お魚が、銀色のお腹をひるがえして、かに達の頭の上を通り過ぎた時です。

「クラムボンは死んだよ」

「クラムボンは殺されたよ」

「それなら なぜ殺された」

「わからない」


すると、にわかに白い泡がたって、青光りのする鉄砲弾のようなものが、いきなり水の中に飛び込んできて、お魚の白いお腹がぎらっと光ったかと思うと、上の方にのぼったまま、あとには光の黄金の網がゆらゆら揺れ、泡がつぶつぶ流れていくばかりなのです。

この突然の出来事に、二匹のかには声も出ず、その場に居すくまってしまいます。
しばらくすると、お父さんがにが出てきて、それはカワセミという鳥のしわざだと教えてくれます。

「お父さん、お魚はどこへ行ったの」

「魚かい 魚は恐いところへ行った」

「恐いよ、お父さん」

泡と一緒に、白い樺の花びらが天井をたくさんすべっていきました。
光の網はゆらゆら、のびたり縮んだり、花びらの影はしずかに砂をすべりました。


これまでは、五月に起きた出来事で、次は十二月に場面は移ります。

かにの子供達もよほど大きくなり、底の景色も夏から秋の間にすっかり変わりました。
その冷たい水の底で、かにの子供は出来るだけ大きな泡をはく競争をしています。

弟のかにも負けてはいません。

だけど、お父さんがにに「兄さんの方が大きいだろう」と言われて泣きそうになるのです。


「やまなし」という童話は、これだけの他愛のないお話なのですが、読むうちに私は自分の息子達の小学校にあがる前の、もっと小さかった頃を思い出してしまいました。

子供にとって、世の中は初めて経験する事が多く、わからない事だらけだと思うんです。
加えて、大人より背がちっちゃく、腕力では全然敵わないし、自分でもか弱い存在だと、気づいてるはずなんです。


でも、男の子の場合、とくにそうですが、不安がってばかりでは、世の中をわたっていきにくいですよね?

この童話に出てくるカワセミに襲われたお魚のように、突然、どんな危険な目に合うかわからない。

私の小さかった頃の息子達は、かにの兄弟が大きな泡をはく競争をしていたように、何かにつけ競争したり、けんかしたりして、男の子としてのたくましさを身につけていったような気がします。

今は、二人とも高校生になり、次男は学生寮に入って、離れ離れに暮らしているせいか、たまに帰って来ても、もう以前のようにけんかする事もなくなってしまいました。

あと数年で、二人とも社会人となり、私たちの元から旅立って行きます…

それを考えてか、息子達は私たち親が何も言わなくても、夜遅くまで勉強しているみたいです。
その姿は、不安ながらも将来を夢見、大きく羽ばたこうとする鳥の姿に見えなくもありません。

今の私に出来る事と言えば、祈るばかりです。


だけど、私は今でもふと、この「やまなし」のように、遠い昔、愛情を得ようと精一杯甘えてきたり、不安に怯え、泣いてすがってきた幼い日の息子達の姿を、鮮やかに思い出す事があるのです。(涙)


「クラムボンが笑ったよ」


「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」






 

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