先日、書いた「紫電改のタカ」は、最近、初めて読んだのですが、私はリアルタイムで読み、とても感動した戦争漫画があります。
それは松本零士さんの戦場まんがシリーズ「スタンレーの魔女」です。
戦闘機のパイロット敷井には、もう300回は読んだであろう古い書物がありました。
それは航空探険家ファントム・F・ハーロックの自伝で、彼は愛機「わが青春のアルカディア号」で、大空を飛び廻っていたのです。
彼には、世界中のすべての空を制服するという夢がありました。
しかし、ただ一つだけ、スタンレー山脈は標高五千三十メートルと、高度があまりにも高く、何度も試みたのですが失敗し、スタンレー山脈を目前にして、引き返さざるを得なかったのです。
その時、スタンレーの山々は、敗北感にうちひしがれ、無念の涙をのむハーロックの目に、あざ笑うかのように見えたのでした。
この書物を読みながら、敷井はいつか自分もスタンレー山脈を飛ぶのを夢見ていたのです。
そんなある日、敷井に出撃命令が下され、彼は仲の良い六人の仲間、出戻、大平、足立、流山、熊田、尾有らと共に、部品を寄せ集めて作った戦闘機で、スタンレー山脈を目指すのです。
ファントム・F・ハーロックが、自伝「スタンレーの魔女」を書いてからは、かなり年月が経っていて、敷井らの乗った戦闘機は軽々、スタンレー山脈を真下に見て、飛び越えていきます。
憧れのスタンレー山脈の上空を飛んでいるという感激に、敷井の胸はふるえるのを抑える事が出来ません。
そんな敷井の様子を見ながら、出戻中尉は「片道だけな」と、ぽつんとつぶやくのです。
はたして、スタンレー山脈を越えて、間もなく敵機が現れ、護衛の零戦と共に戦うのですが、右エンジンを被弾し、シリンダーが二つ欠け落ち、片方のプロペラが停止する事態に。
この状態で、敷井らを乗せた戦闘機は再びスタンレー山脈を越えて、味方の部隊に引き返そうとします。
しかし、右エンジン停止の状態で、スタンレー山脈を飛び越えるには、かなり無理があると判断した彼らは、機銃、無線機、照準機と重量のあるものを次々に機外にほうり投げるのです。
敷井も機体を少しでも軽くしようと、大切にしていたファントム・F・ハーロックの自伝を捨てようとします。
しかし、彼が愛読していたのを知っていた仲間は、「それはいいよ」と言って押し止めるのです。
そんな彼達の前に、再び敵機が襲い、味方の零戦をいともたやすく打ち落としてしまいます。
武器をすべて機外に放出し、なすすべを持たない敷井らは、次は我々が打ち落とされる番だと、覚悟を決めるのですが、敵のパイロットは「あれを見ろ」と言わんばかりに、スタンレー山脈を指さし、何もしないまま帰っていくのです。
「片肺では、スタンレーを越せないのを知っているんだ。
それに、もしかしたら、あいつもこの本を読んだ事があるのかも知れない。
おれは、あいつの気持ちがわかるような気がする。
あいつは力の限りやってみろと言っているんだ。
越せるものなら、越してみろと言っているんだ…」
そう、つぶやいた敷井は、「よし、やるぞ!片肺でも力の限り飛んで、スタンレーを意地でも飛び越え、生きて帰ってみせるぞ」と誓い、スタンレー山脈に臨むのです。
高度千五百!!
二千!!
二千五百!!
三千!!
三千五百!!
四千!!
四千五百!!
五千!!
機が重い!!
ちくしょう~~っ!!
しかし、機体はプロペラが、猛吹雪のスタンレーに接触するものの、なんとか無事、飛び越えるのです。
敷井は思わず歓喜の声をあげます。
「越えた!
スタンレーを越えた!!」
そうして、スタンレーに勝った喜びを仲間に伝えようと、後ろを振り向くのですが、六人の仲間、全員が忽然と姿を消していて、誰一人いないのです。
このままでは、重量に堪えかね、スタンレーに激突して、全員死ぬと踏んだ仲間は、せめて敷井の夢を叶えさせてあげようと、敷井に黙ったまま、全員、機外に飛び降り、死んでいったのです。
「おれ一人、勝っても何にもならないじゃないか…」
一人むせび泣く敷井の目に、スタンレーの魔女は、自分に挑戦し、死んでいった男達の事を、あざ笑っているかのように見えたのでした。
私は、この作品を、発表当時に読んで、命をかけても大切にしたい男性の夢や憧れ、そして友情に深く感動し、繰り返し何度も読んでは、感慨に耽ったものでした。
それは松本零士さんの戦場まんがシリーズ「スタンレーの魔女」です。
戦闘機のパイロット敷井には、もう300回は読んだであろう古い書物がありました。
それは航空探険家ファントム・F・ハーロックの自伝で、彼は愛機「わが青春のアルカディア号」で、大空を飛び廻っていたのです。
彼には、世界中のすべての空を制服するという夢がありました。
しかし、ただ一つだけ、スタンレー山脈は標高五千三十メートルと、高度があまりにも高く、何度も試みたのですが失敗し、スタンレー山脈を目前にして、引き返さざるを得なかったのです。
その時、スタンレーの山々は、敗北感にうちひしがれ、無念の涙をのむハーロックの目に、あざ笑うかのように見えたのでした。
この書物を読みながら、敷井はいつか自分もスタンレー山脈を飛ぶのを夢見ていたのです。
そんなある日、敷井に出撃命令が下され、彼は仲の良い六人の仲間、出戻、大平、足立、流山、熊田、尾有らと共に、部品を寄せ集めて作った戦闘機で、スタンレー山脈を目指すのです。
ファントム・F・ハーロックが、自伝「スタンレーの魔女」を書いてからは、かなり年月が経っていて、敷井らの乗った戦闘機は軽々、スタンレー山脈を真下に見て、飛び越えていきます。
憧れのスタンレー山脈の上空を飛んでいるという感激に、敷井の胸はふるえるのを抑える事が出来ません。
そんな敷井の様子を見ながら、出戻中尉は「片道だけな」と、ぽつんとつぶやくのです。
はたして、スタンレー山脈を越えて、間もなく敵機が現れ、護衛の零戦と共に戦うのですが、右エンジンを被弾し、シリンダーが二つ欠け落ち、片方のプロペラが停止する事態に。
この状態で、敷井らを乗せた戦闘機は再びスタンレー山脈を越えて、味方の部隊に引き返そうとします。
しかし、右エンジン停止の状態で、スタンレー山脈を飛び越えるには、かなり無理があると判断した彼らは、機銃、無線機、照準機と重量のあるものを次々に機外にほうり投げるのです。
敷井も機体を少しでも軽くしようと、大切にしていたファントム・F・ハーロックの自伝を捨てようとします。
しかし、彼が愛読していたのを知っていた仲間は、「それはいいよ」と言って押し止めるのです。
そんな彼達の前に、再び敵機が襲い、味方の零戦をいともたやすく打ち落としてしまいます。
武器をすべて機外に放出し、なすすべを持たない敷井らは、次は我々が打ち落とされる番だと、覚悟を決めるのですが、敵のパイロットは「あれを見ろ」と言わんばかりに、スタンレー山脈を指さし、何もしないまま帰っていくのです。
「片肺では、スタンレーを越せないのを知っているんだ。
それに、もしかしたら、あいつもこの本を読んだ事があるのかも知れない。
おれは、あいつの気持ちがわかるような気がする。
あいつは力の限りやってみろと言っているんだ。
越せるものなら、越してみろと言っているんだ…」
そう、つぶやいた敷井は、「よし、やるぞ!片肺でも力の限り飛んで、スタンレーを意地でも飛び越え、生きて帰ってみせるぞ」と誓い、スタンレー山脈に臨むのです。
高度千五百!!
二千!!
二千五百!!
三千!!
三千五百!!
四千!!
四千五百!!
五千!!
機が重い!!
ちくしょう~~っ!!
しかし、機体はプロペラが、猛吹雪のスタンレーに接触するものの、なんとか無事、飛び越えるのです。
敷井は思わず歓喜の声をあげます。
「越えた!
スタンレーを越えた!!」
そうして、スタンレーに勝った喜びを仲間に伝えようと、後ろを振り向くのですが、六人の仲間、全員が忽然と姿を消していて、誰一人いないのです。
このままでは、重量に堪えかね、スタンレーに激突して、全員死ぬと踏んだ仲間は、せめて敷井の夢を叶えさせてあげようと、敷井に黙ったまま、全員、機外に飛び降り、死んでいったのです。
「おれ一人、勝っても何にもならないじゃないか…」
一人むせび泣く敷井の目に、スタンレーの魔女は、自分に挑戦し、死んでいった男達の事を、あざ笑っているかのように見えたのでした。
私は、この作品を、発表当時に読んで、命をかけても大切にしたい男性の夢や憧れ、そして友情に深く感動し、繰り返し何度も読んでは、感慨に耽ったものでした。
この漫画は中学生の時に読み、目標に立ち向かう困難とそれを超える事に感動致しました。
この内容は、まさに「現在の日本」の行く末にある困難(スタンレーの魔女)と
認識しました。
生き残る為に、何か(誰か)を犠牲にして乗り越えていく現在の日本に似ていると・・・
この真実と現実とが「スタンレーの魔女」と重なって、男として何が重要なのか・・・
戦場漫画シリーズには「日本の男」の生き様として、死に様としての
意味について考えさせられる内容であったと記憶しています。
現在の日本の姿を考える上で・・・
この戦場漫画シリーズは単なる反戦漫画ではなく、戦争を通して、ギリギリまで生きた若い男性達の姿が私の胸を深く打ちました。
こんなふうにしか生きられなかった時代があった事を忘れないようにしたいと思います。
私がこれを初めて読んだ時は、男のロマンと、男同士の熱い友情と、こんな形でしか青春を送れなかった若者たちの人生が、何とも痛ましくて、いつまでも余韻にひたったものでした。